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2010年2月28日 (日)

全部食べる、全部使う、そして鯨

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一昨年、桜を求めて行った松前城のそばの旅館で初めて食べたのが、鯨(くじら)汁と松前漬けでした。くじら汁は、細かく切った鯨の塩漬け脂身と、とうふ、こんにゃく、だいこん、にんじん、そしてそれ以外の地の野菜を使った醤油味のいわば「けんちん汁」です。もともと松前には大晦日にいちばんのごちそうを食べる習慣があり、それに欠かせないのがくじら汁だったそうです。縦横の幅が5~6センチで厚さが4~5センチのくじらの脂身を、くじら汁用でしょうか、ときどき札幌の魚売り場で見かけます。

明治になる前にはどれくらいの日本人がどれくらいの量の鯨を食べていたのかはよくはわかりませんが、「アイヌ神謡集」(知里幸恵編訳)の「海の神が自ら歌った謡」には海の神の恵みとしてのアイヌのくじら漁の光景が出てきますし、北海道・檜山(ひやま)支庁のホームページでは『くじら汁をハレの食として食べる習慣は、北海道、東北地方北部のほか、五島列島など西日本にもありますが、もともとくじら汁を食べる習慣は全国至るところにあり、新潟県や山形県に行くと、夏が旬の食べ物になります。』と記述されています。

江戸時代には、土佐や紀州で高い技術の捕鯨があったことも絵巻などでわかりますが、江戸時代の鯨の用途は、「捕鯨」(Wikipedia)によれば、『江戸時代の鯨は鯨油を灯火用の燃料に、その肉を食用とする他に、骨やヒゲは手工芸品の材料として用いられていた。1670年(寛文10年)に筑前で鯨油を使った害虫駆除法が発見されると、鯨油は除虫材としても用いられるようになった。天保三年に刊行された『鯨肉調味方』からは、ありとあらゆる部位が食用として用いられていたことが分かる。鯨肉と軟骨は食用に、ヒゲと歯は笄(こうがい)や櫛などの手工芸品に、毛は綱に、皮は膠に、血は薬に、脂肪は鯨油に、採油後の骨は砕いて肥料に、マッコウクジラの腸内でできる凝固物は竜涎香として香料に用いられた。』とあり、鯨のあらゆる部分が食され、あらゆる部分がとてもうまく使われていたことがわかります。

ちょうどドイツ文化が豚のあらゆる部分を食べつくすように、日本文化は魚介類の食べられる部分を食べつくすのが得意で、イカの塩辛などはそのわかりやすい例でしょう。鯨も江戸時代ではなくとも日本で鯨が動物タンパクとして貴重であった頃には、各部位が実に無駄のない使い方をされたようです。 (「鯨ポータルサイト」:クジラ利用図-ヒゲクジラ)

鯨と人間の問題は、結局は、別のもっとマクロの視点での「捕鯨」ということにつながっていきますが、現在の鯨保護の議論はどうも射程距離が短すぎるのではないかと思われます。なぜなら、これは世界の食料問題にも関係してくるのですが、人類と鯨は魚という食料に関してどうも相当な競合関係にあるみたいだからです。

捕獲制限などの鯨保護の結果、数の増えてきた鯨が現在食べている魚の量は、世界(日本ではなく、世界)の漁獲量の0.5倍から3倍といわれており、0.5倍から3倍だと幅があるので、鯨がヒトと同じ量だけ魚を食べていると仮定しても、鯨類(鯨というより鯨類)と人類が魚を奪い合っているという構図が描けます。2006年の世界の魚介類の海洋での生産高というか漁獲高は、漁獲・採集・養殖をあわせ1億トンと少し(ちなみに海洋での日本の魚介類生産高は480万トン)なので、鯨類も1億トンの魚を食べていることになります。

こういう視点を交えた「捕鯨」というか「鯨保護」の議論はあまり耳にしません。魚資源が無限ならこういう議論は起こりませんが、世界の人口増でたいていの食べものはそういう幸せな状況ではないようです。蛇足ですが、たとえば、500年前は、遠洋漁業とかがない時代で人類は近海の魚しか相手にしていなかったので、当時世界で一番ぜいたくに魚を食べていたのは哺乳類としての鯨類だったようです。

北海道では、保護してきたエゾ鹿が繁殖しすぎて農作物や森林植生を荒らすので、組織化されたビジネスとしての「エゾ鹿肉」販売が「エゾシカ肉戦略商品開発支援事業」といった形で実施されています。今後の鯨問題も本質はそれと似ていると僕は思いますが、「捕鯨」はいくつかの違った文化的な価値観の押し付け合いになってしまっているので、解決はやっかいそうです。(僕は鹿肉を食べたことはないのですが、ヨーロッパでは高級食材で、脂肪分の少ない、英語で言うところのリーンな味わいのお肉だそうです。)

宮沢賢治は童話作家であり詩人ですが、その童話は、小中学生の読書感想文の対象になるようなものと、人間や文明の暗さや毒を童話という形式を使ってより鮮明にしたものに分かれますが、後者の延長線上にあり戯曲仕立てで論述的な内容のものに「ビジテリアン大祭」があります。ビジテリアンとはVegetarianのことですが、彼の死後、1934年に発表されたもので、人間が食べものを食べるとはどういうことかをディベート形式で形而上学的に展開したものです。今でも全く古ぼけていません。あまり、ビジテリアンという言葉にこだわらずに目を通した方がいいと思いますが、牛肉と羊肉、カンガルー肉を食べていながら別の哺乳類の肉にはとても騒々しい一部の南半球の連中にこれを読ませてやりたい気持ちが強く働きます。

食べる対象のあらゆる部分を食べつくす、その対象の部位を利用するというのは、そのことを食べる側が常に意識しているかどうかは別にして、その対象に対する敬意なので、それがどのような対象であれ、その文化の中で是とされている場合には、是とします。魚は自分ではさばけないので生の魚は残念ながら食べつくせませんが、干物類は丸かじりできる種類のものは頭から尻尾まで食べてしまうし、野菜は、たとえば大根は葉っぱも皮も、シイタケは茎の部分もそれなりの調理の仕方で食べてしまいます。玉ねぎの皮(あのぺらっとした茶色い皮)も利用価値が高い素材です。ただし、利用方法は内緒。

アイヌ神謡集 (岩波文庫)

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