いまだに不思議なうどん
台北のビーフンを思い出していたら、記憶の連鎖で、シンガポールのうどんのことがよみがえってきました。今まで食べたなかで、もっともスープ(汁)の熱かったうどんです。熱くてとても食べられない。
時期は多分今から10年と少し前、場所はシンガポールの某有名ホテルの某有名日本食レストラン。そこでお昼ご飯に天婦羅うどんを注文しました。おそらくカウンター席に座ったと記憶しています。なぜそこでその時間にうどんを食べることになったのか記憶が定かでないのですが、たまたま会場がそのホテルだった面白くない会議で出される冷たい昼食に3日目に嫌気が差したのか、あるいはそのホテルに泊っていて午前中の仕事をどこかで片付けた後、午後の別の予定までしばらく時間があったのでホテルに戻って簡単なお昼ご飯でもとおもったのか、いずれにせよ時間にそれほど余裕がなかったはずです。で、さっさと食べられるうどんにしたのでしょう。
注文後予想以上に時間が経過しイライラが募り始めた頃、やっと天婦羅うどんが運ばれてきました。結構大きな器で、熱そうなスープがたっぷりはいっています。レンゲが一緒についてきたのでスープを味わってみようと思いましたが、熱くてとても飲めたものではありません。熱すぎて味も何もわかりません。しかたなく箸でうどんをすこし挟んで口に入れてみましたが、熱すぎるスープに放り込まれたうどんなのでこれも熱くて口の中がやけどしてしまいそうです。すこし冷めるまで休憩することにしました。しかしそういう状態で待っていると麺としてのうどんがどういうひどい状態になるかは簡単に想像できます。
誰がこのうどんを作ったのか。日本人の料理人ではないだろう。中国系か、マレー系か。ひょっとするとインド系かもしれない。しかし、いずれにせよシンガポールで生活している連中なのだから汁の麺についてはよく知っているはず。おかしい。まさか昨日入った日本人のアルバイト学生みたいなのに、お前日本人だからうどんは得意だろうと任せたのか。いろいろと雑念が浮かびます。「これはうどんではない。熱すぎてたべられない。作り直しを希望する。」といった正統的な手段も考えましたが、時間に余裕がない。単純に作り間違えたのか、それとも日本の汁うどんは常識を超えて熱いスープに茹でた麺を放り込むものであるという確固たる信念のもとに作られたのか。時間が押してきたのでそういうことはどうでもよくなりました。立腹というよりあきれた気分が強く、その熱いうどんを眺めているのも馬鹿馬鹿しくなり、天婦羅をすこしかじっただけで、結局はほとんど手をつけないまま席を立ちました。
それにしても、どうしてあんなに熱いうどんが作られ、それがそのまま自信を持って客に出されたのか、いまだになぞが解けません。
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