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2010年8月16日 (月)

伝統的な意見とその中の傾向


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以下は先週の金曜日のある著名な日本の経済新聞の論説記事から引用した一節です(『・・・』部分)。ここには日本経済の方向に関して、工業重視、輸出重視、その他は適当でよいという伝統的な考え方が色濃く現れているようです。「その他は適当でよい」というのは、その他は経済や経済交渉のバッファー(緩衝材)以上の役割を持たす必要はないくらいの意味です。

主張のコアというか中心部分そのものには異論はないのですが、コアの重要さを主張するときにその対比のために必要となる「非」中核部分、つまりどちらかといえば邪魔者、ないしは優先順位が低くてコアと同一レベルで議論するたぐいのものでは決してないとされた対象の選択のしかたにある種の傾向がでているので興味を持ちました。傾向とは傾斜、ないしは偏り(かたより)のことです。

『ある大企業首脳は3つの困難を指摘する。法人税が下がらない。温暖化ガスの25%削減を課せられる。そして円高が果てしなく進む。「日本から出て行け」といっているに等しいと聞こえるという。6月の成長戦略で打ち出した法人税率の引き下げをどうするのか。各国との貿易自由化の取り組みに動くのか。日本を「ビジネスチャンスの多い国」につくり替える取り組みが欠かせない。外資を呼び込み、雇用を増やす切り札にもなる。財源がないのなら、子供手当や農家への所得補償などの大盤振る舞いを棚上げしてでも考えるときに来ている。もちろん財政危機への展望を示す必要はあるが、企業存亡の問題は働き手である生活者の問題だ。』

大して重要でないものは捨ててしまえといっている訳で、優先順位をつけるとは常にそういうことですが、ここで捨ててしまわれそうな候補例が、子供手当と農家への所得補償で、両者とも長期的な視点で考えるべきもの、国の基礎的なものという共通点があります。

論説記事の著者が、その2つ以外に、無料に近い高速道路料金や、最近はさすがに少なくなったようですが、穴を掘ってまた埋め戻すといった性質の、のちの波及経済効果があるとは思われないような公共工事にも同時に触れていたら、大事でないものとはなにかを判断している著者の心理的な枠組みが見えるのですが、それがどうもよく見えてこない。財源不足を議論するのであれば、いつまで取得時の価値があるのかわからないようなさる外国の国債を巨額に持ち続けるのはやめて、市場を壊さない程度に徐々に適切な分量だけ売却して(言うのは簡単だが実行は繊細で難しい)年々の財源不足を埋めたらいいのですが、そういうオプションには言及するつもりはないようです。

で、広い意味でのハイテク型の付加価値工業製品や部品・素材をできるだけ国内生産しそれを輸出することが優先順位表の一番上にくるという、まあ、懐かしい主張になるわけですが、この主張はたいていの場合、それ以外のもの(代表例が食べ物や農産物)の優先順位を一つ下の次元に下げる、別の表現をすれば、それ以外をそういう時のためのバッファーとして犠牲にするという傾向が伝統的にあるので、そんな主張にまた巡り会って、この主張の生命力にあらためて興味を持ったわけです。(関連記事は「古くて新しい農業経済の本(その2)」


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