« ブランドが壊れるのは速い | トップページ | 迷ったら基本データ(世界の気温とCO2) »

2011年3月30日 (水)

ある喩え(たとえ)への納得感と違和感

人気ブログランキングへ

今回の福島原発事故に関するインターネットの情報で、とても参考になったもののひとつが、原子力や放射線の専門家でもある、中部地方にお住いのある大学教授のブログです。原発関連記事は現在も継続執筆中ですが、タイムリーに掲載された記事の的確な考え方と情報をとても感謝しています。改めてお礼を申し上げます。

記事の基調は、同じ分野の専門家の政治寄りの保守的な発言を牽制しながら、一般市民向けに、原子力や放射能・放射性物質の性質・性格や管理基準を丁寧に解説してくれるというものです。

しかし、数多くの記事のひとつに「わたくしにしてみれば、『安全な原発推進派』というのは『墜落しない飛行機は賛成』というのと同じです」という喩えが出てくるところがあり、その喩えに僕はいくぶんの納得感といくぶんの違和感を覚え、その違和感がいったいにどこからでてきたのかを自分で確かめてみたいと思ったのがこの記事のきっかけです。

飛行機に乗ることは不気味ではありません。単に今まで乗った回数が多かったからそうなのか、あるいは何かあった場合にも、自動車事故の延長で理解できるからなのか。原子力発電所には、しかしながら、飛行機や自動車にはない感覚的・本能的な不気味さがつきまといます。

僕たちの経験によれば、飛行機という製造物はある確率で必ず墜落しており、原発という製造物もある確率で必ず事故を起こしています。墜落しない飛行機はないし、事故を起こさない安全な原子力発電所は実際にはありません。

では、飛行機の墜落事故と、今回の福島のように原子力発電所で放射性物質が外部に結構な量で漏れ出してしまった事故とはどこがちがうのか。

事故の影響が、飛行機の場合には、空間的・時間的にきわめて限定されているのに対して、原発の場合には影響の範囲がきわめて広いという違いがあります。

ジャンボやエアバスが墜落して全員が亡くなったとしても、亡くなった方には申し訳ないのですが、地上で巻き添えになったかもしれない人を除けば、300人~400人の話です。墜落時の恐怖感・絶望感を別にすれば、短時間の出来事です。墜落した飛行機と同型機の緊急点検が実施され、設計変更や製造変更が必要ならそれをすぐに適用し、そのあと調整期間をおいて、また飛行機は離陸し始めます。

墜落の可能性のある飛行機がいやなら、近距離ならたいていの場合は自分で選べる代替手段があります。新幹線、在来線、車、船など。遠距離の場合だと、飛行機以外では移動に時間がかかりますが、自分で選べる代替手段は一応は存在します。(ただし、日本から米国やヨーロッパやアフリカといったとても遠い場所への業務出張の場合は、移動時間の制約があるので、残念ながら船でゆったりと旅行という代替手段は通常はありません。事故の可能性を覚悟で搭乗することになります。)

原発の場合は飛行機とはその2点が違います。ここで原発とは、原子力発電所だけでなく核燃料再処理工場や核廃棄物処理を含めたトータルな原発関連施設や業務のことをさしていますが、原発事故が起こった場合、その影響は空間的・時間的に大きく拡散します。

空間的な拡散とは、100~200キロメートルも離れた場所にも被害をもたらすということであり(再処理工場の場合は、被害の範囲はそれよりもはるかに大きい)、時間的な拡散とは放射線の影響によって10年後や20年後にある確率で発生するであろう重大な健康被害という意味です。健康被害とは自分が生きている間に発生するかもしれない癌だけでなく、子孫に伝達される遺伝子への潜在的な悪影響も含まれます。

時間的な拡散にはもうひとつの側面があって、それは核廃棄物の処理、つまり核廃棄物を半永久的に安全に保管するためのメンテナンス業務をし続けることができるかどうかということです。ここで半永久的とは数万年という期間ですが、こういうことは、耐用年数が過ぎて廃棄処分になった巨大飛行機には起こりません。

さらにもうひとつつけ加えると、これは空間的であり時間的でもあるのですが、食べ物(農畜産物や海産物)への影響です。飛行機が田畑に墜落して炎上するとそこで農作物の収穫は1年は不可能になると思いますが、重大な原発事故の場合は、土壌汚染や海洋汚染がじわじわと進行していくので、近隣の田畑が長期間使い物にならなくなるし、また魚などはその後の食物連鎖を考えるとけっこう不気味な食べ物になってしまいます。

原子力発電所の事故を個人的に避けようとしたら、より安全な土地やより安全な国への移住以外に、自分で選べる代替手段はありません。原子力発電所や再処理工場が増加してくれば、安全な場所は非常に限定されるし、また南北問題ではありませんが、「持てる側と持てない側の問題」(遠くに逃げるお金があるかどうかの差による問題)が当然に発生してきます。

両方とも巨大で複雑な工業製品なので同一平面に並べて製品の安全性という観点から似たところや違いを比較することは可能ですが、『安全な原発』と『墜落しない飛行機』を比べるということは、質の違うものを、「工業製品」というものに共通するパラメーターでむりやりくくっているというような気がします。おそらくそれが僕のなかの違和感の出どころなのだろうと思います。

人気ブログランキングへ

|

« ブランドが壊れるのは速い | トップページ | 迷ったら基本データ(世界の気温とCO2) »

雑感」カテゴリの記事

食べもの」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1317632/39412036

この記事へのトラックバック一覧です: ある喩え(たとえ)への納得感と違和感:

« ブランドが壊れるのは速い | トップページ | 迷ったら基本データ(世界の気温とCO2) »