« 行ったり、来たり (その4) | トップページ | 続・ 箱入りのお買い得な、旬のスダチ »

2011年10月 7日 (金)

行ったり、来たり (その5)

人気ブログランキングへ

「摂大乗論」(しょうだいじょうろん)という5世紀半ば頃に書かれた唯識(ゆいしき)学派の書物(論書)があります。著者はアサンガ、漢字表記は無着(むちゃく)あるいは無著(むちゃく)。ガンダーラ生まれの仏僧。奈良・興福寺のホームページでは、13世紀の初めに運慶・運助が造作した無著立像の写真が公開されています(向かって右側が無著)。

5世紀の形而上学書なので、和訳と注解書にもっぱら依存するのですが、こういう種類の古い書籍がたいていそうであるように、内容と表現の魔力に立ち止まってしまうような個所、思考が別の関連する方向へ進んでいくそのきっかけとなるような刺激的な箇所、読み進むのに相当の我慢が必要な部分、そして、僧侶や仏教学者以外の現代の読者には叙述が特殊に細か過ぎてうんざりする箇所などが登場します。2度目や3度目に読むときには、繰り返し目を通したくなったあたりを中心に時間を使いますが、強い引力を持った箇所が、たとえば12~13年前と現在とでは確実に違ってきています。

「摂大乗論」の全体は、序章とそれに続く10章から構成されていて、1章と2章を理論編、3章から10章までを実践編としている解説書もありその通りだとは思うのですが、そういう分類だと僕はどうもすっきりしない。

1章から10章までを、経営管理やマーケティング・マネジメントに関する書籍風の章立て表現に無理に直すと以下のようになります。僕にはこういう風に実務的に焼きなおした方が、少なくとも全体の構成・構造や論述の展開の具合はわかりやすい。

世界の分析
 1章  世界の根拠(アーラヤ識という深層エネルギー)
 2章  世界の姿とその見え方(三性)<依他性・分別性・真実性>
経営とマーケティング・プロセス
 3章  価値の基軸(唯識)
 4章  6種類の戦略ポートフォリオ(六波羅蜜多)
 5章  10段階の実施プロセス(十地)
マネジメント計画とその実施
 6章  セルフコントロール(戒律)
 7章  瞑想(禅定)
 8章  思索(智慧)<無分別智>
実践の結果とその後の知識共有
 9章  解脱(無住処涅槃)<生死を離れず、涅槃を離れず>
 10章  究極的な智と智の共有(仏の三身)<自性身・受用身・変化身>

唯識は、瞑想(瑜伽)と思索の上に構築された実存的な学説ですが、理論指向と分析指向が非常に強い(強すぎるくらい強い、と僕には思われます)。だから「摂大乗論」も、大ざっぱに言えば、1章と2章だけで、全体のページ数の半分を占めています。

12~13年前くらいまでは、1章(世界の根拠)と2章(世界の姿)に主に興味があったのですが、最近の関心の向かい先は、9章(生死を離れない涅槃)、10章(智の共有)と2章(世界の姿とその見え方)、そして、必要に応じて1章(アーラヤ識)の関連する部分。興味の向かい先が変わってきました。

粘っこい分析についていけなくなったのか、そういうものはどうも退屈だと感じ始めたのか。ページ数としてはとても少ない9章(無住処涅槃)を中心に、それ以外の部分は9章の補足説明、ないしは参考データといった読み方・接し方の方が腑に落ちます。

(「行ったり、来たり」の終わり)

人気ブログランキングへ

|

« 行ったり、来たり (その4) | トップページ | 続・ 箱入りのお買い得な、旬のスダチ »

存在が花する」カテゴリの記事

言語・言葉」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 行ったり、来たり (その5):

« 行ったり、来たり (その4) | トップページ | 続・ 箱入りのお買い得な、旬のスダチ »