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2011年10月24日 (月)

こうなれば、姥捨て山(うばすてやま)

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「こうなれば、姥捨て山(うばすてやま)」とは穏やかでないタイトルですが、理由があります。なお、姥(うば)とは、おばあさんのことです。

北海道各地の旬の農産物や畜産物の秋の収穫祭と銘打った展示即売会が某デパートであったので、僕は荷物運びの執事として配偶者とそこに出かけました。お買い得というのもあるのですが、目的はこういう機会を逃すと手にいれるのが難しい秋の農産物を購入するためです。対象品目は3つ。ひとつは「はるゆたか」という小麦粉(強力粉)で、もうひとつが「スズマル」という名の小さなサイズの大豆。それから「紅玉」という昔のタイプの酸っぱいリンゴ。

国産小麦粉でパンを焼いたりピザ生地を作ったりしようと思えば、いろいろと他の品種を試してみましたが、「はるゆたか」をしのぐものはまだないようです。「はるゆたか」は生産量が少なく、今年はある程度持ち直したものの昨年も一昨年も不作だったので、業務向け用途にはそれなりの量が流れていると思いますが、一般消費者には入手困難な小麦粉です。その即売会会場での値段も、たとえば5~6年前の倍に近い。

「スズマル」は小ぶりな大豆で、我が家ではもっぱら納豆の原料。小粒納豆がお好きな向きにはたまらない大豆です。会場では枡(ます)の単位で計量販売していました。「紅玉」はアップルパイに使います。

会場に入った途端、おばあさんの多さに圧倒されたのですが、おそらく平均年齢は70歳。道路際の花壇整備などのボランティア活動におけるおばあさんパワーなら歓迎するけれども、おばあさん達(全員ではない、念のため)のその会場での傍若無人ぶりには、驚きを通り越して腹が立つ。(とても傍若無人の振る舞いなので、この記事ではここからはそういうおばあさんは、おばあさんとは書かずに婆さんと書く。)

おそらく各地の農協勤めと思われる販売担当者との会話を楽しみながら買っていると、見知らぬ婆さんが急に割り込んできて、傍(かたわ)らに僕たちがいないがごとき態度で、あるいは我々の存在を露骨に無視して、その販売担当者に注文をし始め、僕たちは押しのけられてしまう。そういうことが違った売り場で3度ありました。

昔々は日本の各地に姥捨て(うばすて)という風習があったという民話や伝説が伝わっていますが、こういう傍若無人な婆さんはまとめて網ですくってそのまま姥捨て山にでも捨ててほしいと思います。おじいさんは対象外です。傍若無人なおじいさんには少なくともその会場で出会わなかった、というのがその理由です。

棄老(きろう)伝説では棄(す)てられるのはお年寄りで、そこにはおばあさんもおじいさんも入っています。たとえば、「ダンノハナという地名あり。その近傍にこれと相対して必ず蓮台野(れんだいの)という地あり。昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追い遣(や)るの習(ならい)ありき。」(柳田国男「遠野物語」)というふうに男女の違いはありません。

広く捜せば傍若無人な爺さんもいっぱいいると思いますが、しかし、どうしてこの会場では傍若無人は婆さんばかりなのか。

これは僕の仮説ですが、婆さんの感覚では、あるいは婆さんの世界認識では、商品を売っている催事はどのような種類のものであれすなわちバーゲンセールなのかもしれません。平均年齢70歳の婆さん達は30年前は40歳で、つまりバーゲンセールにとても親しんだ世代といえそうです。かつてのテレビニュースで放送されたバーゲンセール会場での女性客の映像を思い出すと、ワー、キャー、ドンの連鎖なので、この会場でのちょっとした傍若無人ぶりなどたいしたことではない。

だから、そういう婆さん連中を大きな網に放り込んで姥捨て山に持っていって捨ててくるという空想には捨てがたい魅力がありますが、「君子は危うきに近寄らず」の方が現実解としてはいいのかもしれません。しかし、それにしても恐ろしい光景でした。

遠野物語―付・遠野物語拾遺 (角川ソフィア文庫)

著者:柳田 国男

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