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2011年10月 3日 (月)

行ったり、来たり (その1)

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今週は精進料理なので、いつもとは違った雰囲気の記事が5日間続きます。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

この世とは別の「冥界」や「異界」、あるいは日本の古い用語だと「黄泉平坂(よもつひらさか)の向こう側」という言葉で指し示される世界があります。たとえば、あの世とこの世の「橋掛かり(はしがかり)」が夢幻能の基本構図ですが、登場人物が向こう側の世界とこちら側を自由に行き来するような魅力的な物語は現代でも書かれています。

しかし、「冥界」や「異界」という区切り言葉で、我々が今生きているこの現象の世界と向こう側との間にわざわざ区分線を引くこともないというのなら、「存在のもともと」とか「存在の奥底」、あるいは「玄のまた玄(老子)」や「渾沌(こんとん)(荘子)」という言葉を使えば「こちら側」と「むこう側」と「それらのもともと」の全体をさすこともできて、そして、登場人物がそういう全体を軽やかに歩き回っている物語というのも身近に存在しています。唯識(ゆいしき)風に言えば、生死を離れず、涅槃(ねはん)も離れず、結局は同じものであるところの生死と涅槃の両方の世界を、彼(あるいは彼女)が往還する物語です。

物語という言葉が不適当なら、小説、ないしは形而上学的な論考と言い換えますが、そういう形式をとった著作、現代の日本語で書かれた「こちら側と向こう側の往還の物語」の中で僕にとって魅力的ないくつかを並べると、以下のようになります。径の細い僕の管見では、20世紀の後半から21世紀の初頭にかけて鬼籍に入られた方の著作しか思い浮かびません。

・ 折口信夫(1887-1953): 「死者の書」(小説)
・ 吉田健一(1912-1977): 「金沢」(小説)
・ 井筒俊彦(1914-1993): 「意識と本質」(形而上学書)
・ 倉橋由美子(1935-2005): 「夢の通い路」(小説)

なまめかしいのは「死者の書」と「夢の通い路」です。「金沢」と「意識と本質」もなまめかしいと言えますが、「死者の書」の粘性や「夢の通い路」の湿った感じに対して、こちらの方はもっと神秘的で乾いていて、なまめかしさの種類が違います。これらの書物の共通点は繰り返し読みたくなること。ただし、読み進むためには、読者にもそれなりの蓄積が要求されます。

「金沢」は小説ですが哲学風味のエッセイともいえます。「意識と本質」は、神秘的な形而上学の著作で、そこで著者は、「玄のまた玄」の昏(くら)い世界から身近な現象の世界までを格別に叡智なシャーマンとして自由に飛翔したり泳ぎ回ったりしています。

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