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2011年12月22日 (木)

新幹線に乗った哲学者

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哲学者でも形而上学者でも僧侶でも霊性の人でもいいのですが、そういう人も旅行の時は、飛行機に乗ったり新幹線に乗ったり、あるいは自分で車を運転したりします。雲の上を横切っていく飛行機の座席で、物思いにふけることもあるでしょう。近所に出かけるときは、目的地まで歩き、時には自転車に乗るかもしれない。以前、「禅とオートバイ修理技術」という本が僕の本棚にもありましたが、オートバイでうねった山道を走行するのが好きなお坊さんがいてもおかしくない。

仏教の考え方のひとつに唯識というものがあります。唯識は、世界の見え方(ないしは、顕われ方)を「真実性(しんじつしょう)」と「分別性(ふんべつしょう)」と「依他起性(えたきしょう)」という三つの視点でとらえますが、この捉え方の射程距離の長さが僕は気に入っています。

「真実性」・「分別性」・「依他起性」という三つの異なった世界があるというのではなくて、同じひとつの世界が我々の智慧の在り様によって違った見え方をするという意味です。世界があり、世界はそのままでその通りの世界なのですが、智慧をそなえた人にはそれが「真実性」の世界として顕われ、そういうタイプの智慧を持たない人たち、別の表現をすれば智慧はないけれども経験的な知識は大量に所有しているような人たちには、世界は区分された現象の世界(つまり、「分別性」の世界)として顕われるということです。そして、真実性と分別性の共通基盤にあたるもの、ないしは両者をつなぐ通路のことを、ここでは「依他起性」と呼ぶことにします。

「依他起性」とは、字義通りに、他によって起こるという意味です。世界の基本の様相は「縁起」と「因縁」、つまり何かが原因となって何かが起こる、そういうことの連鎖であり、したがって固定した実体というものはないとされています。しかし、そういうことを我々は常に考えているわけではないし、日々の暮らしの多くの場面では、例えばビルは地震で揺れても安定してその場にあるし、今日の私は昨日の私と同じ私なので、「縁起」や「因縁」ということに対しては相当な感覚のズレを感じます。

飛行機や新幹線や車は、「分別性」の世界の、実に現代的な側面を持った事物です。この事物には、おそらく「真実性」の世界の「智慧」はありませんが、経験的な、あるいは測定と経験科学にもとづく「知識」は存在します。今よりもずっと昔、たとえば、空海という霊性の人の生きた時代だと、すでにあった東大寺大仏殿や興福寺の金堂、建設中の東寺の五重塔や、満濃池の治水工事、水銀の加工技術などは当時の先端的な「分別性」の「技術知識」だし、嵯峨天皇による政治経済的なサポートなど世渡りに関することも、わかりやすい「分別性」の別の例です。

智慧に満ちた霊性の人も、日に2~3度はご飯を食べ、おそらくときどきは仕事と家庭で腹を立て、そして夜は飲み過ぎて二日酔いになることもあると思うので、真実性の世界にのみ生きているわけではない。平安時代は人々の霊性に対する感受性が今よりも強かったでしょうが、空海が霊性の人だったので、霊性の時代だったという気持ちはありません。平安時代も「分別性」が跳び回っています。

だから、そういう意味で、「新幹線に乗った哲学者」というのは、「分別性」と「真実性」と「依他起性」をひとつの場面に集合させるには、わかりやすいイメージだと思います。新幹線はそのうち壊れてなくなってしまうという意味では固定した実体ではありませんが、それに乗って長距離を時速250キロメートル以上で安全に運ばれている哲学者にとっては、分別の世界の経験科学が作り上げた堅固で安心な実体(乗り物)でありシステムです。その時、新幹線の座席でその哲学者は、友人の親切な行為で7日目に死んでしまった渾沌(こんとん)のことなどを考えているかもしれません(「荘子」〈内篇〉)。渾沌の死の原因となった仲間の行為が、しかしながら現代では新幹線を生み出しました。

「新幹線」をいっぱいに膨らませて他の側面を抑え込むと世界は「分別性」そのものだし、「形而上学的な黙想」で世界を満たすと世界は「真実性」に近づきますが、我々の日常のほとんどは「新幹線」に象徴される出来事と考え方の世界です。それで、とくには不都合はない。生きているとは、三つの世界のそれぞれにわずかでも自覚的に立ち入っているということだと思いますが、そういう自覚は普段の我々には希薄です。しかし、「依他起性」という通路を使って、両方の世界を常に往還できる霊性の人も我々の周りにはいるはずです。定期的にお寺に出かけて広間の一隅でひとりで写経しているような人たちの中にそういう方がいらっしゃるのかもしれません。

関連記事は「行ったり、来たり (その2)」。

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