食と3種類の知とヘルシーエイジング(3)(3-2)(その1)

(3) 食べるもの・食べることと3種類の知
(3-1)3種類の知の状況
(3-2)食べるもの・食べることと3種類の知の関連 (その1)
(3-3)食と農業と3種類の知
(3-4)食と医学と3種類の知
食事は、飢えをしのぎ、生きるためのエネルギーと栄養を取りいれるために不可欠な行為です。「お腹がすいた、なにかおいしいごはんを作って食べよう」という行動が最初にないと他のことは始まらない。一部の国や地域を除けば、私たちは飢えとは縁遠くなりましたが、私たちの遺伝子の中には狩猟採取時代の飢えの記憶が倹約遺伝子型の遺伝子という形で、昔から農業が盛んであった地域ではその記憶がやや薄れていますが、まだ色濃く残っています。だから、食べすぎると将来の飢えに備えて余った分を脂肪としてため込むので「メタボな状態」になる。
「食べるものと食べること」とは、「食材や食品を選択しそれを料理すること」、「料理したものを食事すること」、そして「食事にともなういくぶんの幸福感を味わうこと」ですが、「測る知」という文脈の中で考える食や食品、あるいは「独白的」な文脈における食や食品と、「思考し共感する知」という広がりの中で見る食材や料理、あるいは「対話的」な文脈における食材や料理との間には、以下の図(「食べるもの・食べることと、3種類の知(その1)」)で見るようにその内容にけっこうな隔たりがあります。
「黙想する智」における食は、料理というものが食材と「対話的」だという意味では「思考し共感する知」の食と重なる部分はありますが、「超論理的な黙想」とそのための修業を支えるものなので別と考えます。
食べるものや食べることに関する現在の消費者ニーズの大きな流れを理解するキーワードは「甘くておいしい」「調理が簡単で食べやすい」ことです。だから野菜や果物のような食材も「甘いもの」「調理の簡単なもの」「食べやすいもの」が選ばれるし、料理をする場合も「ひと手間かけて10分以内」でできあがる簡単なタイプのものが好まれています。
皮を剥くのは億劫だ、種を取り出すのも面倒だ、ということになると、種がなくて皮ごと食べられる果物に人気は収斂していく。「ひと手間かけて10分以内」なので、10分以内で出来上がる「豚バラスライスの角煮風」や10分以内で完成する「アジア風グリーンカレー」、そして、ゆで時間が2分のスパゲティーが評判になる。1時間以上かけてカレーを煮込むなど考えられないし、オニオングラタンスープのためにタマネギを焦げ付かないように用心しながらキツネ色になるまでゆっくりと炒めるなど論外です。
魚もそういう意味では現在の消費者ニーズからは遠い食材です。調理が大変だし、焼くと煙は出るしにおうし、食べようとすると骨がある。後片づけもうんざりだ。しかし、回転寿司屋の「まぐろ」のにぎりは別で、なぜなら、これは「あまくておいしい」「簡単で食べやすい」というキーワードの延長線上に位置しているからです。
そうした消費者の嗜好性と指向性を考えると、なぜ「インスタント食品、レトルト食品、冷凍食品、時短調理食品、ハンバーガーなどのファーストフード、コンビニ弁当、デパ地下やスーパーの惣菜、気軽な外食、各種のサプリメント」などに対する需要が大きいのかよくわかります。デパ地下の総菜売り場などは大混雑で、中年主婦の姿も目立ちます。「測る知」が食べるもの・食べることの領域に入ってきて才能を発揮すれば、こういうものが大量に生産され、また大量に消費されることになります。そこに何の不思議もありません。
しかしこれは、食材とのコミュニケーション、食べるという場でのコミュニケーションという点では、「モノ」が相手の「独白的」な環境での食品であり食事です。冷凍食品を電子レンジでチンしたり、コンビニで買ってきた惣菜をお皿に上手に盛り付けておしまいというのは「独白的」な作業で、「対話的」とは思えない。相手を必要としないので、欲するものを短時間で簡単に摂取できるし、値段も安い。生産と流通の効率も良い。「食」と「新幹線」が一緒になると、こういう世界が簡単に誕生する。
一方、「思考し共感する知」の領域における「食べるものと食べること」とは「野菜や魚といった素材を選び、素材に手を加え、素材から料理し、食材は捨てずにできるだけ全部使い、食材の組み合わせを考え、天日で干したり酢や昆布で締めたりして食べ方をデザインする」といったことです。だから、私たちと食材や食品との関係は「対話的」にならざるを得ない。
ドイツ文化が豚のあらゆる部分を食べつくすように、日本文化は魚介類の食べられる部分を食べつくすのが得意で、イカの塩辛などはそのいい例です。鯨も日本で鯨が動物タンパク源として貴重であった頃には、各部位が実に無駄のない食べ方・使い方をされたようです。食材のあらゆる部分を食べつくす、部位に応じた調理のしかたで食材のすべてを利用するというのは、その対象に対する敬意であり、対象との「対話」です。魚の干物は丸かじりできる種類のものは頭から尻尾まで全部食べる。セロリーに捨てるところはない。ダイコンは葉も皮も、シイタケは茎の部分もそれぞれの調理の仕方で料理の素材とする。タマネギの皮(あのぺらっとした茶色い皮)も利用価値が高い。
こういう食の光景は昭和の終わりころまではよく見られました。インスタント食品やレトルト食品や時短食品、コンビニ弁当やファーストフードなどがほとんどなかった頃なので当然といえば当然です。食べものの世界・食べる世界における「思考し共感する知」の勢いは、「測る知」に押されて弱まったとはいえ、現在でもあいかわらず健在です。デパ地下やスーパーの弁当売り場や惣菜売り場でなく、野菜売り場・魚売り場・肉売り場を歩けばそのことはわかります。
ところで「思考し共感する知」が「測る知」の恩恵をとてもこうむっている分野があります。魚介類や野菜・果物などの旬の食材の効率的な全国流通です。だから、料理の好きな家庭では1年を通して旬の素材・食材と「対話的」になれる。「測る知」のこういう分野での才能は卓越している。そして、効率的な流通以外にも「思考し共感する知」が「測る知」とコラボレーションできる分野があります。これについてはすぐ後で触れます。
3番目の「黙想する智」の食の世界にはその世界の住人でないとなかなか接近できません。仏教修行僧の食べる簡素な「精進料理」ではなく、宿坊で一般人に供される精進料理をいただくことで肉や魚のない世界を体験するしか方法はないようです。精進料理の素材は野菜や海藻なので、たとえばゴマ豆腐のように、すべてが時間をかけた手作りです。しかし、旬の一品料理なら、家庭でも「対話的」につくれるし楽しむことができます。だから、野菜中心の食生活を維持すれば、食に関しては「超論理的」な世界の断片を味わうことができるかもしれません。「思考し共感する知」が、「黙想する智」の「精進料理」を自分の世界に取りいれてそこに芸術性を付加して贅沢に変形したのが「懐石料理」ということなのでしょう。
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