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2012年7月27日 (金)

「神仏の習合」と「漢字の訓読みによる漢語と和語の習合」:日本文化の習合力についてのメモ(その1)

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二つのものが「習合」するということは、辞書的な意味は「相異なる教理などを折衷・調和すること」(広辞苑)ですが、「神仏習合」や「漢語と和語(大和言葉)の習合」という場合は、自然神信仰や和語(大和言葉)という日本にもともとあるものが、外来の思弁的な思考(仏教)や実務的な概念形成に向いた言語(漢語)を静かにしっとりと巻き込んでいるように僕には感じられます。

この記事は「習合」についての断面メモですが、断片は断片として一応整理しておこうと思います。 

◇神仏の習合について

寺院の境内に社(やしろ)が建っている、あるいは、神社の境内に神社に付属するようにお寺が置かれているという光景は僕たちにとっては特に不思議なものではありません。明治になる前の時代では、人々の心の中で寺院と神社がもっときれいに溶け合っていたのでしょう。両者を無理やり分離しようとしたこともありましたが(たとえば、明治初年の廃仏毀釈運動:寺院・仏像の破壊や僧侶の還俗強制)、「令」による思い付きの強制は、形式的だし賛同者がそのことによる利害関係者に偏るので長続きしません。

ここでは、大分(豊前)の宇佐神宮(うさじんぐう:豊前国一の宮)と徳島(阿波)の霊山寺(りょうぜんじ:四国八十八箇所の一番札所)を習合の事例としてとりあげます。

◆宇佐神宮 

八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)という呼称に最初にどこでどう出会ったかは覚えていませんが、私たちはこの呼び名を小さい時から大人の会話やテレビドラマや映画を通して記憶してきたようです。しかし、その呼称の意味内容を細かく詮索することは通常はありません。

八幡大菩薩とは、八幡神(やはたのかみ、はちまんのかみ)のことですが、八幡神を祀る総本山は豊前国(大分県)の宇佐神宮です。東大寺の大仏を建造中の天平勝宝元年(749年)、八幡神が大仏鋳造に協力しようという託宣を下し、その託宣を伝えるために宇佐八幡の禰宜尼(ねぎに:尼スタイルの巫女〈みこ〉;神に仕える禰宜であり、同時に仏にも仕える尼)が都へ上ったそうです。八幡神は日の神、火の神、鍛治の神でもあるので、「大仏鋳造に協力しようという託宣」とは、現代用語に直すと、おかかえの技術者集団を派遣して大仏鋳造の設計施工支援・エンジニアリング協力をしたいという神の意志の伝達、ということです。

そのお返しに、朝廷は天応元年(781年)に宇佐八幡に鎮護国家・仏教守護の神として八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の神号を贈りました。

菩薩のもともとの意味は、仏になれるにもかかわらず仏にならず、衆生とともに働き続けることを選んだ大乗仏教修行者のことですが、これが理想化されると観世音菩薩や文殊菩薩のような菩薩信仰の対象になります。神仏習合の進展とともに日本固有の神を菩薩と称するようになりました。八幡大菩薩はその象徴的な例です。「八幡『大菩薩』」は朝廷から贈られた神号なので、トップダウン的な、換言すれば、制度的な神仏習合です。この話の中で僕が好きなのは託宣を伝えた「尼スタイルの巫女(みこ)」。ちょっと不気味な格好ですが、尼と巫女という2つのファッションの習合が面白い。宇佐神宮の考えた戦略的なファッションかもしれませんが、巫女の気ままなボトムアップ的神仏習合の匂いもします。

これ以降、全国の寺の鎮守神として八幡神が勧請(かんじょう)されるようになり、八幡神が全国に広まることとなりました。後に、本地垂迹(ほんじすいじゃく)説では阿弥陀如来や観世音菩薩が八幡神の本地仏とされたそうです。

なお権現(ごんげん)という称号も、日本の神々は、仏が化身して現れたものであるという本地垂迹思想に基づいた神号で、権現とは「権」(仮に、臨時に)「現」れた、という意味です。たとえば、有名な権現には、春日権現、熊野権現、あるいは、八幡大権現(はちまんだいごんげん:八幡神、八幡大菩薩のこと)などがあります。

◆霊山寺(りょうぜんじ)

神宮寺(じんぐうじ)というものがあります。日本の神仏習合思想に基づき、神社に附属して置かれた仏教寺院や仏堂のことです。別当寺、神護寺、宮寺ともいいます。宇佐八幡宮には、弥勒寺がありました。

Photo


四国八十八箇所の第一番札所は霊山寺(りょうぜんじ)ですが、山側の近所に大麻比古神社という大麻比古神(おおあさひこのかみ)を祀る神社(阿波国一の宮)があります。神社の裏は大麻山という500メートルくらいの高さの山で、頂上には大麻比古神社の奥宮があり、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ:天孫降臨神話に登場する道案内役の「国つ神」)が祀られています。大麻比古神社のホームページには『猿田彦大神は、昔大麻山の峯に鎮まり坐しが後世に至り本社に合せ祀ると伝えられる。』とあります。

笙野頼子(しょうのよりこ)さんの「金毘羅」という面白さと退屈と難解と不気味、事実と飛躍が交互に同居しているような小説を読んでいたときに、霊山寺は大麻比古神社の神宮寺・神護寺だという記述があり、習合の大好きな空海の第一番目の札所なので、その組み合わせをなるほどと納得しました。どちらが主体であるかどうかは僕にとってはどうでもいいことですが、もともとあった「神」さまに真言宗という「仏教」が近づき、習合。現在の知名度は、お遍路さんが最初に参拝する霊山寺の方がはるかに高いと思いますが、霊山寺の境内の地面の深いところに、大麻比古神社から伸びたスピリット(霊性)の根が横たわっているのかもしれません。「霊山寺」は「霊山」(霊の山)の「寺」と分解できますが、寺の名前から示唆されるものは確かにありそうです。

笙野さんの「金毘羅」では、猿田彦大神が祀られている奥宮の管理は、金刀比羅宮(金毘羅神社の総本山、金毘羅は航海の神・船の神、つまり道案内の神)の氏子の担当だそうです。なお、大麻山は日和山(ひよりやま)。船乗りが船を出すか否かを決める際に日和(ひより)を見、航行中に目印とする山が日和山です。『金毘羅船々(こんぴらふねふね)、追風(おいて)に帆かけて、シュラシュシュシュ』という歌詞もそういう文脈で理解するとすっと腑に落ちます。

【蛇足】:大麻比古神社の「麻」は麻布木綿という場合の麻で、麻にちなむ地名・人名は日本に多い。麻生(あそう、あさぶ)麻布(あざぶ)、麻植(おえ)。麻の繊維は硬いので、快刀乱麻を断つという中国生まれの慣用句もあります。しかし、麻の繊維のしゃっきり感やすぐに乾くところが、夏の衣服や食器用の布巾(ふきん)に最適。麻布の布巾は使っていて心地よい。

(その2)に続く。

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