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2012年11月 1日 (木)

「ちょうちょう」(蝶蝶)は「てふてふ」

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旧仮名遣いは美しい。「ちょうちょう」(蝶蝶)は「てふてふ」。「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。(安西冬衛)」 しかし、旧仮名遣い、ないしは歴史的仮名遣いで書かれた文章は読めても、残念ながら旧仮名遣いの文は書けない。(【註】「韃靼海峡」は「ダッタン海峡」と読み、アジア大陸とサハリン〈樺太〉島を分ける間宮海峡のこと。)

政治経済が中心の新聞の紙面や義務教育の教科書に関しては、文部省などが抗しがたい勢いで新仮名遣いの方向に持っていってしまったようですが、文芸関係の世界では旧仮名遣いから新仮名遣いへとどんな速度で遷り変わっていったのか。それが気になって、本棚にある本のうち、1946年(昭和21年)以降に出版されたものから何冊かを適当に選びだし、その本の仮名遣いを調べてみると、新仮名遣いの浸透が予想以上に早かったことがわかります。

たとえば、森鷗外「山椒大夫・高瀬舟」(岩波文庫、昭和42年発行)はすでに新仮名遣い、夏目漱石「三四郎」(岩波文庫、昭和41年発行)も新仮名遣い、それから、これは旧仮名遣いに違いないと思っていた昭和50年発行の中公文庫版の谷崎潤一郎「陰翳礼讃」も新仮名遣いです。ただし、昭和38年(1962年)発行のアンソロジー風の全集(平凡社)のうちの一冊に含まれている「陰翳礼讃」は旧仮名遣い。記憶のなかでは旧仮名遣いの小説であったはずの吉田健一「金沢」(河出書房新社、1973年発行)も、確かめてみると、新仮名遣いでした。

唐木順三「無常」(筑摩書房、初版第1刷は1965年、手元にあるのは1973年の初版17刷)は書物の内容や性格からして、当然のことながら、旧仮名遣い。丸谷才一「文章読本」(中央公論社、昭和52年発行、昭和52年は1977年)は、著者が旧仮名遣いが好きだったし、書物の性質上からも旧仮名遣いで書かれています。しかし、昭和57年発行の「たった一人の反乱」(講談社文庫)になると、どういうわけか新仮名遣い。1989年(平成元年)発行の倉橋由美子「夢の通ひ路」は書名の仮名表記からもわかるように旧仮名遣い。倉橋由美子も旧仮名遣いにこだわった作家ですが、それ以降のエッセイや小説は、抵抗をあきらめたのか、新仮名遣いで出版されているようです。本棚の幸田露伴「二日物語・風流魔」(岩波文庫)は発行が1986年ですが、旧仮名遣い。第1刷が1953年のその第2刷なので、活字を入れ替えてもたいして売れないと出版社は考え、旧仮名遣いのまま増刷したのでしょう。

旧仮名遣いで書けるようになるためにはガイドブックが必要です。こういう場合は、比較的とっつきやすいのがいい。で、萩野貞樹「旧かなづかいで書く日本語」(幻冬舎新書)という新書版を選択しました。しかし、それだけでは不十分なので、福田恒存「私の國語教室」も合わせて参考にします。「私の國語教室」には、新仮名遣いになった時代的な背景や、漢字が日本をダメにしたと考えているらしい、仮名やローマ字などの表音文字が大好きで漢字の嫌いな人たちの主張と論理的破綻を揶揄的に要約した文章も含まれています。なお、僕の読んだ「私の國語教室」は21世紀になって再刊された文春文庫版ですが、これも、近年発行の文庫本ではあっても、書物の性格や内容からして旧仮名遣い以外では出版が不可能な書物です。

「旧かなづかいで書く日本語」のなかに、旧仮名遣いのトレーニングに最適なのは谷崎潤一郎の「盲目物語」と「吉野葛(くず)」とありました。「盲目物語」は盲目の按摩(あんま)の語り口仕立ての小説で、平仮名が意識的に多用されている柔らかい文体の作品です。「吉野葛」は漢字が多く官能的な匂いのある切れの良い文体。しかし、どちらも普通に書店で手に入るものは、新漢字・新仮名遣いに直されているので旧仮名遣いのトレーニングには役に立たない。発行年度の相当に古いものを見つけないといけない。

神田には及びもつきませんが、北海道大学の近所には何軒かの古本屋があります。そのうちの一軒で、昭和21年(1946年)7月発行の「盲目物語」(中央公論社)を見つけました。A4サイズの紙を少し小さく横にしたような作りの本で、「吉野葛」も収められています。箱入り本ですが、箱は傷んでいて今にも壊れそうな様子です。しかし、柔らかい表紙の本体はしっかりとしていて、経過年数を考えるととても状態が良い。活字の大きなところもうれしい。1970年代半ばに出版された箱入り本の中にも、すでに紙が経年変化で薄茶色になりかけているのがあることを考えると、それよりもさらに30年も前の紙が白さを保っています。終戦(あるいは敗戦)直後の昭和21年という物資不足の状況を考えると、その状況の中でよほどいい紙を使ったのでしょう。

この、今から66年前の旧仮名遣いの本は一度読み終わり箱から出した状態で本棚の似たような大きさ本のとなりに並べてありますが、トレーニング用教材なので、これから何度か机の上に引っ張り出すことになりそうです。

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