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2012年12月25日 (火)

自動車と原子力発電所

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少し前に鬼籍に入られた、粘り強くて独創的な思索が特徴の評論家・思想家が、1年ほど前のある週刊誌のインタビューで次のような発言をしています。

週刊誌の現物が手元にないので、その発言を引用しながら書かれた新聞記事からの孫引きになりますが、その記事はその(脱原発を支援するという)主張のために、その評論家・思想家の発言の中のある部分だけを、彼の全体的な発言趣旨を無視して都合よく切り貼りしているとは思われないので、そのまま借用します(東京新聞 2012/01/12 引用部分は『・・・』)。なお、念のために同じような時期の、他の論調の違う複数の媒体(日本経済新聞や毎日新聞)での発言も調べてみましたが、同じ趣旨の発言が見られるので、その週刊誌向けに普段とは違うことを述べたわけではないようです。

・『科学の成果を一度の事故で放棄していいのか』
・『自動車事故で亡くなる人が大勢いるが、だからといって車を無くしてしまえという話にはならない』
・(必要なのは)『原発を止めてしまうことではなく、完璧に近いほどの放射線に対する防御策を改めて講じること』

他の媒体でのその評論家・思想家の発言も並べてみます。(『・・・』が引用部分)

『原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬い物質を透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です。』(日本経済新聞 2011/08/05)

『原子力は核分裂の時、莫大(ばくだい)なエネルギーを放出する。原理は実に簡単で、問題点はいかに放射性物質を遮断するかに尽きる。ただ今回は放射性物質を防ぐ装置が、私に言わせれば最小限しかなかった。防御装置は本来、原発装置と同じくらい金をかけて、多様で完全なものにしないといけない。原子炉が緻密で高度になれば、同じレベルの防御装置が必要で、防御装置を発達させないといけない』(毎日新聞 2011/05/27)

『(彼は)1982年、文学者らによる反核運動を批判する「『反核』異論」も出版している。その中で核エネルギーについてこう記した。<その「本質」は自然の解明が、分子・原子(エネルギイ源についていえば石油・石炭)次元から一次元ちがったところへ進展したことを意味する。この「本質」は政治や倫理の党派とも、体制・反体制とも無関係な自然の「本質」に属している。(略)自然科学的な「本質」からいえば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である>』(毎日新聞 2011/05/27)

原子力発電や核エネルギーは人間の英知の成果であり結局は望ましいというのがこの方の意見なので、ここではそういうものだと受け入れます。しかし、以下の2点が気になります。

ひとつは『自動車事故で亡くなる人が大勢いるが、だからといって車を無くしてしまえという話にはならない』という強引な喩え。

もうひとつは <自然科学的な「本質」からいえば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である> という哲学的な断言。

この方の著書には独自の視座で論理を粘り強く展開するという知の魅力がいっぱい詰まっているのですが、意見の異なる他者を論評する場合には過度に強引な云いまわしになる場合も散見されます。今回もそういう傾向が出たのかもしれません。

まず、車の喩え。喩えの対象は、飛行機でも車でもそれを利用することに死の危険性が確率的にともなう現代の便利な交通手段なら何でも同じことです。

「自動車事故で亡くなる人が大勢いるから、車を無くしてしまえ」と云っている人は、ごくまれにいらっしゃるかもしれませんが、多くはない、というか、まずいません。そういう風な極端にはならない。「安全性の低い車、設計思想・設計基準が安全でない車は要らない。ただし車は必要なので、安全性が高く燃費のよい高い車は使い続ける。」というのがほとんどの人たちの考えでしょう。この考えを「電気」にそのまま適用すれば、「原子力発電は、核廃棄物処理まで含めて考えて、危険すぎるので要らない。ただし電力は必要なので、既存の安全な火力発電や水力発電を利用しながら、今後は先端技術の火力発電や太陽光や風や藻などの代替エネルギーを利用した発電方式に置き換えていくことで、電気を使い続ける。」ということになります。

ところで、車と安全性ということで思い出すのはFord社のPintoという車です。Ford Pintoがどんな設計思想の車であったかをWikipedia(日本語版)から引用します。(引用は『・・・』部分。)

『フォード・ピント(Ford Pinto)は、米のフォード・モーター社が1970年代に発売していたサブコンパクトカーである。同社の元社長であるリー・アイアコッカが責任開発者となっており、また構造上の欠陥が問題となったことで有名である。(・・略・・)ピントに纏わるエピソードとして最も有名なのがいわゆる「フォード・ピント事件」である。(・・略・・)短期間で市場に送り込むこととコスト削減の目的で通常43ヶ月を要する開発期間を25ヶ月で開発し市場に送り込んだが、開発段階でデザイン重視によるガソリンタンクとバンパーが近接した構造と、バンパーの強度不足により追突事故に非常に脆弱である欠陥が発覚した。しかし、フォード社は欠陥対策に掛かるコストと事故発生時に支払う賠償金額とを比較し、賠償金を支払う方が安価であると判断してそのまま放置した。(・・・後略・・)』

僕は、この悪名高いという意味で有名な車を1970年代の終わりか1980年代の初めに実際に見ています。あるプロジェクトで一緒になった僕よりも若い米国人エンジニアがFord Pinto(ただし、初期モデルではなく、設計変更というか手直しないし製造変更された後のモデル)を運転しているので、同じ部門の先輩らに、「この車で事故を起こすとその場で死んじゃうよ。」と、からかわれていたのを思い出します。若いエンジニアは「事故など起こさないし、事故にも巻き込まれないから大丈夫。」

『欠陥対策に掛かるコストと事故発生時に支払う賠償金額とを比較し、賠償金を支払う方が安価であると判断してそのまま放置した。』という発想は、場所と形と対象を変えてそのまま生きてきました。

次に気になるのが、<自然科学的な「本質」からいえば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である> といういかにもこの評論家・思想家らしい哲学的断言です。その断言を次のように敷衍してみます。

<政治経済的および科学技術的な「本質」からいえば、科学が「核」エネルギーを解放したということは、経済合理性が保証される範囲(つまり、金儲けになる範囲)において、そしてその範囲においてのみ、「核」エネルギーの統御(可能性)を獲得したと同義である。従って、その範囲からはみ出したものは、政治経済および科学技術の「本質」からして、統御の対象外となる。>

自然科学が紙の上に書かれた美しい数式にとどまっている間はそのインクの数式も、そしてその数式にたどり着いた科学者の意識も(その科学者の意識が相当に飛び跳ねており統御されていない場合もあるかもしれませんが、それにもかかわらず)統御されています。しかし、それが実際に応用成果物としての形を持ち始めた場合には、その応用成果物をいかに統御するかという判断や実行は、別の系に属する話です。

毎日新聞の記事に引用された箇所(「『反核』異論」)では、「統御」ではなく『統御(可能性)』という控えめな表現が使われていますが、『統御(可能性)』という控えめな表現も乱暴に使えば以下のような乱暴な文脈の構成も可能です。

<科学が自然界からさまざまなエネルギーを解放したということは、科学は自然界のさまざまなエネルギーの統御(可能性)を獲得したと同義である。つまり、科学は、核エネルギーは云うに及ばず、地震の統御(可能性)と台風の統御(可能性)も獲得したといえる。>

事実は、地震の統御も台風の統御も、核廃棄物を超長期にわたって安全に処分という意味での統御も高速増殖炉の統御もできていないし、地震や台風の統御は永遠にできそうもありません。

科学の本質というか、「科学という知」の本質的な性格は、価値判断を含んだ知ではなく、もっぱら「測ること」で充足するタイプの知です。「統御(可能性)」という意味では、分かりやすく言い換えてみると、「設計思想という土台がわからないときちんとした統御方式は構築できない、つまり、必要な統御方式は設計思想という土台に最初から組み込まれている」というような意味では、科学の成果物を統御するための材料や手段や手がかりは科学のなかに含まれてはいますが、科学が自身の応用成果物を価値判断をまじえて統御することはできません。

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