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2013年2月 1日 (金)

『東京セブンローズ』という日本語論(その1)

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『東京セブンローズ』とは小説の題名で、この本は十年と少し前の平成11年に出版されました。それにもかかわらず、旧漢字旧仮名遣いのこの800ページ近い本は、古本でしか手に入りません。文庫本があるのかもしれませんが、小さい活字は気が進まない。

本の帯には『日本語を救った女たちの物語!』『戦局いよいよ見通しのない昭和二十年春のこと、(・・中略・・)そして敗戦、日記はつづく。占領軍は、忌むべき過去を断つべく日本語のローマ字化をはかる・・・。国家、市民、そして国語とは何なのか?』」とあります。

『東京セブンローズ』は、『私家版 日本語文法』や『自家製 文章読本』に続く、井上ひさしの日本語論として、まず、読もうと思いました。

本の帯に戻れば『その驚倒・讃嘆すべき戦下の日常の細密な叙述には、一片の嘘もなく、まじりっけなしの真実のみ。』とありますが、敗戦をはさんだ東京とその近郊の1年間の市民の日常、B29の空襲警報、サツマイモの雑炊、時折り細い鋭い目をする特高刑事やうさんくさい町会長、隠匿物資の闇取引にかかわる人たちのしたたかさと抜け目なさ、混雑の極みの酒場や銭湯、新しいお上である「濠端(ほりばた)天皇」にあてた一般市民の手紙など、日常の細密叙述は圧倒的でほとんど百科全書の趣きです。

丸山眞夫の「軍国支配者の精神形態」が、太平洋戦争敗戦にいたる日本の軍国支配者の曖昧模糊(あいまいもこ)としてはっきりとしない精神形態を、ナチズムとの比較で冷酷に近い冷静さで分析した論文なら、井上ひさしの「東京セブンローズ」は、敗戦前後の「軍国市民・敗戦市民の生活と精神形態」を横糸に、占領軍による日本語簡略化(ローマ字化)政策という日本語にとっての危機を七人のかしこい女性と敗戦ショックで茫然自失状態にあった男性二人(団扇屋の主人と新聞記者)がどうやってつぶしたかを縦糸にして編んだ小説です。

その百科全書風の詳細記述には、「井上ひさし」謹製の透明な付箋(ふせん)がペタペタと貼られており、その付箋には見えない字で「虚構」と書かれているので、その結果は、細部が真実であればあるだけいかにもありそうな、しかし同時に同じ程度にありそうでない話、つまり、おもしろい小説になっています。

戦前は団扇(うちわ)屋のおやじで、戦後は団扇印刷用に習得した特技を活かして警視庁官房文書課で文書のガリ版切りを嘱託として担当することになった主人公を軸にストーリーは展開していきます。警視庁文書課勤務することになったのは、団扇屋を思想犯としていい加減な理由で九十九里に近い刑務所に送り込んだ元特高警察刑事のお詫びのしるし。警視庁内の主だった人たちに配布する、主として連合国関係の記録や情報のガリ切りと謄写版印刷(庁内報)が仕事です。そういう環境のせいで、というわけではないのですが、故あって、GHQ民間情報教育局言語課長 兼 言語簡略化担当官に、日本語調査対象、つまり漢字の読み書き能力の実験台として雇われることになります。主人公以上に難しい漢字に精通している超高学歴のGHQ言語課長にして言語簡略担当官の目的は「日本語のローマ字化」。日本語をローマ字化することによって、漢字が原因である(とGHQ言語課長が考える)ところの日本の軍国主義的精神形態を破壊し、日本の教育を合理化しようと思っています。たとえば、「八紘一宇」「國體護持」といったむつかしい漢字を小学校で覚える時間をなくして、その時間を他の分野の学習に充てる。

「日本語のローマ字化」という傲岸な政策をつぶすためにこの物語の中で実際に活躍するのは本のタイトルになっている「東京セブンローズ」という七人の女性たちです。その中には、東京女子高等師範国文科を卒業した戦争寡婦も含まれています。

国文科出身の彼女の日本語に対する考え方。『話し言葉は必ず變化します。變わる運命にあるんです。でも書き言葉はその話し言葉の變化を超えた次元で、それぞれの概念を直接的に、そして視覺的に、はつきりした形で表すことができますわ。』『ですから、書き言葉のおかげで、時間的には、何百、何千年にもわたつて綿々と文化が傳えられるわけですし、空間的には一億の同胞と交渉を持つことができます。そして書き言葉は、今を遠い未來へと繋ぐこともできる。』『(ローマ字では)縦の、時間的なつながりが斷たれてしまひます。未來の日本人に昔のことがわからなくなります』

<(その2)に続く>

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