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2013年3月14日 (木)

食べ物における「自由からの逃走」

大げさなタイトルですが、対象を少し広げ、そして少し深く考えると、それほど大げさなものではないような気もします。

自宅で料理をする人が増えているというのは、外食産業の経営者や従事者を除けば、好ましい傾向だと思います。しかし料理と云っても以前とは違って、包丁やまな板を使わないタイプの調理が浸透中のようです。

少し前から、人気野菜のキーワードは「あまくておいしい」と「調理が簡単で食べやすい」です。そのキーワードのひとつである「調理が簡単で食べやすい」に「ひとり分ないし二人分用の少量パッケージ」という別の簡便さを組み合わせるとスーパーやコンビニの野菜売り場でよく見かける「カット野菜」ができ上がります。最近はこの手のマーケティングがさらに歩を進め、「カット肉」と「カット野菜」と「合わせ調味料」の組み合わせにまで到達したようです。同時に、そういう調理と組み合わされる用語も「調理は『簡単に』」から「調理は『手抜きで』」に進化しました。

「何とかの素」という「合わせ調味料」がスーパーなどの棚にはにぎやかに並んでいます。「回鍋肉」「青椒肉絲」「麻婆茄子」など中華料理系が比較的よく目立つのですが、和風料理風、朝鮮料理風、パスタ料理風なども引けを取りません。その「何とかの素」の袋に記載されている食材(肉や野菜など)が調理しやすく食べやすそうな大きさに前もって切りそろえられパッケージングされていたら、調理には包丁やまな板は不要で、フライパンや鍋があればこと足ります。使い捨てのアルミ容器に盛られた出汁の素つき「鍋ものセット」なども食材がオールインワンで、食べやすい大きさに切り分けられているのでこれに近い。

自由というのは自己裁量で何でもできるということですが、自由の中には、包丁を砥石で研ぐ自由、包丁でキャベツをザクッと切る自由、キャベツを千切りにする自由、ゴボウをささがきにする自由、野菜を切っている時に指を切る自由、糠床(ぬかどこ)をかき混ぜる自由なども含まれます。「カット野菜+カット肉+合わせ調味料」を好んで選択するということは、だから、そういう自由からの逃走だと云えなくもありません。

手抜きは、たいていは、ひとつの場面や分野で腰を落ち着けてしまわない。対象範囲を広げ始めます。手抜きとは、誰かから与えられた数少ない選択肢を効率的である・無駄がない・便利だと判断しそのまま受け入れるということなので、手抜きが身に着くということは、そういう態度が定常化し、所与の選択肢に含まれる以外の他の目的や方向や手段についての思考とそのために必要な時間を排除するか抑制する姿勢を身につけるということです。

「アナウンサーの実況なし・解説者の解説なしのスポーツのライブ中継」などを別にすれば、たいていの新聞記事やテレビのニュース番組などは、読者や視聴者が消化しやすい大きさにカットされ、メディアの好む味に味付けされています。そういう編集済みの結果がわれわれに向けて報道されるので、われわれがそれを読んだり見たりするというのは、われわれが「カット野菜+カット肉+合わせ調味料」の組み合わせをスーパーで買ってきてそのままフライパンで炒めて食べているのと、大差ないのかもしれません。

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