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2013年6月

2013年6月28日 (金)

原子力発電の原価?・補遺

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北海道電力のホームページに「原子力発電・プルサーマルに関するよくあるご質問」というコーナーがあります。原子力発電やプルサーマルについての説明会などで実際に消費者から寄せられた質問が集約されています。

多くの質問のなかの一つが「◇コストへの影響について」で、コストに関する最初の質問が「核燃料サイクル施設の建設費用、再処理費用、高レベル放射性廃棄物の処分にかかる費用は原子力発電のコストに含まれているのですか?」というレベルの高い問いです。

どういう答えや数字が用意されているか興味深いところですが、そこで待っているのは都合の良い総論で回答して個別や細部のヤバそうなところには決して立ち入らないというよくあるタイプの肩すかしです。

原子力発電の原価?」で引用した「エネルギー政策の費用の考え方」の図と、その回答を並べてみます。

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原子力発電の原価?

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『原発稼働との関連、明示を』『北電値上げの説明、消費者庁が要求』『消費者庁は25日、北海道電力の家庭向け電気料金の引き上げ申請に関し、確認項目を公表した。原価のうち、・・・原子力発電所(泊村)の減価償却費などが増えているため、値上げと原発稼働の関連性を分りやすく説明するよう求めた。』(日本経済新聞・北海道経済 2013年6月26日)

上に引用した部分以外の記述を含めると原子力発電関連の記事に少なからずあることですが、内容がよく理解できません。記者がよく理解せずに書いたのか、あるいはもともと曖昧なものを曖昧なままにまとめたのか。要は、値上げ申請の根拠となっている「原価」の中身を消費者庁は精査したいということらしい。原子力発電に関して電力会社の発表する原価と云うのは実際のところよくわからない。

火力発電や原子力発電といった電源別の発電コストの分析や比較に関する資料で、僕が今まででもっとも納得できるのが「内閣府 第48回原子力委員会定例会議」(平成22年9月7日)の配布資料のひとつである「原子力政策大綱見直しの必要について-費用論から見た問題提起-」(立命館大学・大島堅一教授)です。平成22年9月7日は、平成23年3月11日の福島第一原子力発電所の爆発事故の半年前。そういう時期に提出された資料なので、福島原発事故へのバイアス(どちらの方向へのバイアスかは別にして)には影響されておらず、冷静な評価になっています。

まず、「電力各社の有価証券報告書総覧」という市場公開データから作成した「電源ごとの発電単価(発電コスト)」です(当該資料の7ページ)。揚水(ようすい)発電などというものを気にしなければ、火力よりは原子力が有利というメッセージになっています。

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ちなみに、電力9社の中で原子力発電への依存度が高かった電力会社という意味で、北海道電力と関西電力の電源別の相対コストを比べてみます(北海道電力は僕にとって地元の電力会社という意味もある)。使った資料は平成21年度の両社の有価証券報告書。その中に、電源別発電費や電源別電力量が記載されています。北海道電力に関しては、平成21年度でも原子力発電はとくに有利な選択肢ではなかったようです(わずかな違いが重要と云われたらその通りですが)。

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さきほどは揚水発電などというものは気にしなかったのですが、水力発電の一部である揚水(ようすい)発電に関する建設費用や運用費用を原子力発電の付帯設備費用・付帯運営費用とすると、(なぜなら、原子力発電の安定運用を支援することが揚水発電の主たる目的なので)、つまり、「広義の原子力発電」=「狭義の原子力発電」+「揚水発電」と考えると、原子力発電は必ずしもコストの安い選択肢ではないと云うことになります。というか、最もコストの高い発電方式だということがわかります。

さて、電気料金のコスト(原価)の内訳は以下のようになっています(当該資料の4ページ)。

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電源別の原価というものを、平成22年の時点で、国民の税金が投入されていることが明瞭な項目、上の図でいうと「③国家からの資金投入(財政支出:開発費用、立地費用)<一般会計、エネルギー特別会計から>」を加えて再計算すると以下の図のようになります。つまり、算出プロセスが「広義の原価」というよりフェアな方向に変化すると、原子力発電のコストの高さ(単独でも揚水発電と組み合わせた場合でも)がますます目立ちます(当該資料の15ページ)。

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基本的な問題は、「①発電に直接要する費用(燃料費、減価償却費、保守費用等)」にもあります。以下はある新聞記事の引用です。

『原発廃炉費用、電気料金に上乗せ検討』『経済産業省は原子力発電所の廃炉を進めやすくするため、電力会社の会計規則を見直す方針を固めた。いまは原発を40年超運転するのが前提で、途中で廃炉にすると巨額の損失が出るうえ電気料金で回収できない。損失を複数年に分けて計上することを認め、料金で回収できるように改める。原発の安全規制の強化で廃炉を迫られる原発が相次ぐことに備える。』(2013/6/1 日本経済新聞)

コストのかからないと電源だと主張してきた原子力発電が、仮説と違った事態に遭遇したので、今後は電気料金を押し上げることになるという意味の記事です。

しかし、もっとも大きな問題は、上図の「④ 事故に伴う被害と被害補償費用」で、これを福島原発の事故という経験値をふまえて「まじめに」考えると原子力発電というプロジェクトは、投資収益という観点では成立しません。だから、日本で今まで原子力発電所が稼働していた、今でも一部で稼働していると云うことは、あいかわらず「まじめに」とは云いがたい形で収益算定が行われていると云うことです。

今後のやっかいというか常に不透明さがつきまとう問題は、「エネルギー政策の費用の考え方」における赤線で囲った部分です(赤線は「高いお米、安いご飯」)。

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政府や電力会社の話では、バックエンド費用(使用済燃料再処理費用や放射性廃棄物処分費用など)をどこまで「まじめに」原価に反映して、あいかわらず原子力発電が安いと云っているのかよくわかりません。放射性廃棄物の処理というのは超長期の未来からの視点が必要とされるプロジェクトで、日本においてその方針や計画は、僕の知る範囲では、明確ではありません。そういう状況でどんな数字が、現在、各項目に代入されているのか。

我が家では北海道電力から毎月「電気ご使用量のお知らせ」が届きますが、そのお知らせの下の方に次のような、火力発電や再生可能エネルギー関連の(追加)請求項目と金額が丁寧に記載されています。たとえば2013年6月分(5月8日から6月4日)の場合は、

・燃料費調整単価(1kWhにつき)  当月 0円43銭  翌月 0円58銭
・太陽光発電促進付加単価(1kWhにつき)      当月 0円02銭
・再エネ発電賦課金単価(1kWhにつき)         当月 0円35銭

となっています。

北海道電力は原子力発電にこだわりが強いようですが(「脱原発提案を否決 北海道電力株主総会 社長『再稼働不可欠』」 北海道新聞 2013年6月26日)、原子力発電と他の電源をフェアに扱うなら、上記項目のすぐ下に、たとえば次のような項目が記載されていないとおかしい。そうすれば、電力消費者は原子力発電のコストを他の電源コストとより客観的に比較できるようになります。

・原子力発電・使用済燃料再処理費用(1kWhにつき)  当月 ◇円◇◇銭
・原子力発電・放射性廃棄物処分費用(1kWhにつき)  当月 ◇円◇◇銭
・原子力発電・廃炉費用(1kWhにつき)           当月 ◇円◇◇銭

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2013年6月27日 (木)

甘酒は夏の飲み物

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甘酒は夏の季語なので、古くは夏の飲み物であったことがわかります。甘酒は米のご飯(お粥)と米麹(こめこうじ)を混ぜて醸(かも)した甘い飲料です。夏の季語と云うことは、暑気払いに飲んだか、夏の栄養飲料として楽しんだのでしょう。米を使った発酵飲料としてはまあまあ手軽にできるので(といっても半日以上の経過時間が必要ですが)、夏季限定というわけではなく、我が家では気が向いたら作ることにしています。砂糖などの甘さとは違った、米の自然な、しかし強い甘さを味わえます。

使う米は伝統に従えば「もち米」ですが「うるち米」でもまったく問題ありません。我が家も「もち米」は常備していないので、甘酒を楽しみたくなったら「うるち米」を使います。ただし、「もち米」の風味を出したいので「弥生紫」という古風な「もち米」であるところの黒米をわずかに加えています。この前、その甘酒を作ったのは、2週間ほど前。黒米が参加すると、甘酒は桃色になります。

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2013年6月26日 (水)

六月の満月

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インターネットのの記事やニュースなどが姦し(かしまし)かったので、では僕も見てみるかとそれを確認した後に撮影した2013年6月23日(日曜日)午後9時くらいの札幌のスーパームーンです。雲も何もない真っ暗な快晴の夜の満月で、つまりは平凡なまん丸のお月さまです。

スーパームーンの写真や映像には水平線を離れたばかりの大きい表情のものや風が渡る松の枝を横切るようなものが多いのですが、そういう種類の写真よりも、平板だけれども深い時空間に浮かんでいるような平凡が美しい。その茫(ぼう)とした光は、長い時間眺めていても飽きない。

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2013年6月25日 (火)

銅鐸とふくろう鈴

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銅鐸(どうたく)は日本独特の音を出す道具です。しかし、祭祀で使われたという一般的なこと以外には、どういう具体的な場面でその穏やかな音を響かせたのかは、よくわかりません。聖なるものに呼びかけてそこに集まってもらうための当時の大きな鈴だったと考えると僕には腑に落ちる。たとえば、古代出雲歴史博物館にある、金属素材は当時のものの正確な再現であるところの銅鐸のレプリカを西洋ベルのような具合に内側から鳴らしてみて、その音色が広場や野原で広がるさまを想像してみると、僕の勝手な思い込みもそれほど的外れとは思われない。

鈴は魔除け(まよけ)とも考えられていますが、魔物の排除という意味を持つだけではなく、魔物(つまり、何か超越的なもの、あるいは魂魄のようなもの)と一定の距離を保ちながら親しくつきあうための音の道具と云えるかもしれません。

北海道には熊が多い。知床(しれとこ)だけでなく札幌にも人間を恐れない「新世代」が出没しています。札幌の郊外でヒグマが現れるのは山にドングリのような食べ物がないので人里に近づいてきたというのが主な原因ですが、知床の場合は事情が違っていて、観光客が動物園のサルにバナナを遣るのと同じ感覚で食べ残したソーセージやパンや弁当を熊に投げ与え、人間の食べ物のおいしさに気づいたヒグマがそういう食べ物を求めて人間の住宅地域を徘徊し始めたということのようです。

「ふくろう鈴」というのがあります。よく響く澄んだ音色の出る小さな鈴です。もともと配偶者がストラップタイプのものを南九州のさる神社のお土産物コーナーで見つけ、それから財布のジッパーに取り付けてあるのですが財布の出し入れのたびに澄んだ音を響かせます。たとえば、タクシー代を払う時にもちりんちりんと鳴るのでぼんやりと財布を車内に置き忘れるということがない。運転手に「それは熊よけですか?」と聞かれたことがあり、なるほど北海道らしくそういう使い途もあるのかと納得しました。

あまりにいい音で鳴るので、僕も欲しくなり、しかしその南九州の神社をもう一度訪れるわけにはいかない。さいわい別の流通ルートで下の写真の「ふくろう鈴」が手に入ったのですが、音の響きは、その神社の名前が裏に印字されたものの方が(つまり配偶者が使っている方が)僕のものよりも、断然、上質です。どうしてこういう違いが生まれたのか。「神さまの御利益(ごりやく)よ」というのが配偶者の意見ですが、とくにそれに反対する理由もなさそうです。

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2013年6月24日 (月)

貝豆という名のインゲン豆

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乾燥した状態でも小さな貝に似ているので「貝豆(かいまめ)」というのだと思っていましたが、茹でるための前工程として1日ほどかけて水で戻しているときに、その様子を観察すると、まるでたくさんの小さい色鮮やかな貝を砂抜きしているような錯覚におそわれました。この雰囲気が、おそらく、貝豆という名称の本当の由来なのでしょう。

貝豆はインゲン豆の一種ですが、インゲン豆はサラダでもスープでも他の食材とグラタンにしても、どんな調理方法でもおいしい豆です。貝豆と白花豆(しろはなまめ)を使ったカレーもホカホカしていて夏のメニューを豊かにします。

関連記事は、「いんげん豆と大豆」、「続・いんげん豆と大豆」。

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2013年6月21日 (金)

多機能複合電子レンジと日本人

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ある製品をだんだんと多機能化するというのは日本の電機電子機器メーカーの得意とするところです。ユーザーニーズの反映ではあるのですが、さまざまなユーザーニーズを取り込みすぎるあまり、さてそんな複雑なユーザーニーズをもった消費者は現実にはいったいどこにいるのだということになり、機能過多で収拾がつかなくなった製品も過去には少なくありませんでした。便利がいっぱいで、かえって不便ということです。

油を使わないフライヤー」についての記事を書いているときに気になったことは、その調理家電はヨーロッパ生まれの電気製品らしく無骨で大きくて単機能のアナログ製品ですが(そして作りの割には値段が高いと思いますが)、さて同じようなユーザーニーズに日本の調理家電はどのような形で対応しようとしているのか、ということです。

電子レンジの発展複合形として電子レンジ機能とオーブンレンジ機能の両方の機能をそなえた調理用具はあるのだけれど、それでは最近のさまざまな健康志向のユーザーニーズに対応するには不十分です。だからオーブンレンジ機能をもっと高度に拡張することで「油を使わないフライヤー」的な機能を実現するというのが、日本のメーカーの選択肢のようです。

「油を使わないフライヤー」が空気循環技術を利用したものなら、最近の複合機能付き電子レンジは「スチーム機能」や「過熱水蒸気の噴射技術」を使ったもの。

自分で毎日料理をする元気がなくなり宅配弁当などのお世話になっているお年寄りの方が配達されたものを食事時に暖めるには、電子レンジの温め機能は美味しく味わうには適切とは云えないので、オーブンレンジの気にいった機能に限定して使い続けるというのもいい方法かもしれません。欠点は、特定機能だけの利用という面では値段がやや高いこと。

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2013年6月20日 (木)

「夏のハーブ系野菜が生育中」・補遺

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我が家では、バジル・青紫蘇・赤紫蘇といった「夏のハーブ系野菜が生育中」と書きましたが、いっしょに生活をしている人から、ルッコラに触れないのはルッコラにとって失礼であるという意見が出ました。で、下はルッコラの写真です。

ルッコラは成長が早くて、普通に気温が高くて夏の陽が十分なら、種まき・生育・収穫というサイクルがひと夏に3回くらいは回転します。現在は1回目のサイクルの最後に近づいたあたりです。

ルッコラの役割はサラダのおまけというか、苦み走った脇役か助演者。人間の場合には主役を食ってしまう渋い脇役もいますが、ルッコラはそういうことはしないようです。

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2013年6月19日 (水)

「油を使わないフライヤー」とオランダ人

「油を使わずに唐揚げやとんかつやフライドポテトが作れる調理家電『ノンフライヤー』」という表現を雑誌や新聞で見ると、やや混乱してしまいます。フライとは油を使って加熱料理をすること、食材を油で揚げることなので、なぜフライ用器具をノンフライヤーなどと紛らわしい商品名にしたのか、油を使わずに魚や肉や野菜やジャガイモをフライにするのならノンオイル・フライヤーというのが親切ではないか。しかし、これだと名前が冗長でインパクトがない、フライという言葉の中にはそもそも油を使うということが含意されている、だから「ノンフライヤー」となったのに違いない。英語の説明も “Nonfryer : Healthy, Tasty, Fast” となっているので日本語固有の問題とは云いがたい、Non-oil Fryerの方がわかりやすい。などと、どうでもいいことを考えていました。

この「ノンフライヤー」は、空気循環技術を使った揚げ物調理器具で、オランダのある電気機器メーカーから3年近く前に欧州市場向けに発売されたそうです。その時の名称は「エアフライヤー」。しかし、「エアフライヤー」よりは「ノンフライヤー」の方が「油を使わない」という雰囲気が圧倒的に強く出ています。

僕が妙に納得したのはその名称ではなく、その商品が「オランダ」という国から生まれたということです。

ジャガイモとオランダ人、あるいは世界の4大主食(その3)」で述べた通り、オランダ人は、日本人がお米をよく食べるように、ジャガイモをよく食べます。そのブログ記事を書いたのが2010年、その記事で参考にした情報やデータは2007~2008年のものですが、日本人の一人あたりのコメの年間消費量がこの10年くらいは60kg前後で推移しているように、こういう主食類の消費量は主食の種類や国が違っても10年くらいのスパンでは大きな変動はないので、オランダの人たちも2007年と同じようにジャガイモをいっぱい食べ、小麦パンやパンケーキもたくさん食べていると考えてさしつかえない。

オランダ人の主食であるジャガイモと小麦の一人当たり年間消費量は、

◇ ジャガイモ: 80㎏(このうち30㎏、つまり4割近くがフライドポテト。また、オランダ人はフライドポテトをケチャップや塩ではなくマヨネーズにつけて食べるのが好き。つまり、フライ用の脂・油にマヨネーズの油を重ねるのが好きということになります。)
◇ 小麦: 30㎏(パン、パンケーキなど)
◆ 合計: 110kg。

日本人の主食消費量は以下のような具合です。ただし、ご飯のおかずとしてのイモ類の消費量も参考のためにいっしょに並べてみます。

◇ 米: 60㎏
◇ 小麦: 30㎏(パン、うどん、ラーメンなど)
◇ イモ類: 20㎏(肉じゃが、里芋の煮っ転がしなど、ご飯のおかずとしてのジャガイモ、さつまいも、里芋、長芋など)
◆ 合計: 110kg

そういうフライドポテトの大好きなオランダ人が、最近の風潮から油脂類のとり過ぎが気になってノンフライヤーなる油脂を使わない揚げ物作成装置を商品化したのは当然かもしれません。宣伝コピーは「油なしでサクッとおいしい揚げ物が出来る。油を使わないから脂肪分最大80%カット。」”Great tasting fried food and more with up to 80% less fat.” で、これなら、大好きなフライドポテトを心おきなく食べられます。

ラードでこってりと揚げたフライドポテトでないともはやフライドポテトでないという刷り込まれた味覚の向きもいらっしゃるとは思いますが、そういう人にはこれは向いていない。

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2013年6月18日 (火)

夏のハーブ系野菜が生育中

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青紫蘇・赤紫蘇・バジルの種まき」の続きです。

よく食べる、ということはよく料理に利用する夏のハーブのいくつかは自宅で育てることにしています。バジルと青紫蘇(大葉)と赤紫蘇が生育中ですが、おだやかな札幌の夏でも暑くて湿気もどんどんと葉を増やします。しかし次から次へと食べるし、バジルのようなソースにむいたものはソースにして保存するので、またあまりそうになると近所の知り合いに差し上げたりするので、需給関係は安定しています。

下の写真はこの前の日曜の早朝の様子ですが、ここまで生育すればあとは、脇芽を増やすなどそれなりに気を遣ってやれば、夏の間、元気に成長します。

生のバジルはサラダの一部になるし、ピザのトッピングにも使えます。それからバジルソースにしてスパゲティー。青紫蘇は素麺(そうめん)や冷麦や刺身のつま。梅干し用の赤紫蘇は大量に要るので、その分は別途調達。日の丸弁当用の梅干しは見事に赤くないといけない。

_20130616a_2 バジル

_20130616 青紫蘇(大葉)

_20130616_2 赤紫蘇

蛇足ですが、日の丸弁当。容器は秋田県大館(おおだて)の曲げわっぱの弁当箱。

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2013年6月17日 (月)

甘すぎない、酸っぱすぎない夏の柑橘類

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昔の夏ミカンは酸っぱかった。最近の夏ミカンは甘い。最近は何でも甘い。そうでないと売れない。北海道の夏の果物も甘いのが多いので、甘すぎず、酸っぱすぎず、すっきりした味の夏の柑橘類はないかとさがしていたら、「河内晩柑」(かわちばんかん)や「夏ぶんたん」「美生柑」(みしょうかん)という商品名で呼ばれている「文旦」(ぶんたん)の一種というか変種があることがわかりました。小売店の果物売り場に、たとえば3個パックで並んでいます。産地は熊本、高知、愛媛など。

とてもすっきりとした味の柑橘類で、僕は、大きな温州(うんしゅう)ミカンのような感じで皮を剥いて、そのまま房ごとぱくぱくと食べてしまいます。その方がめんどうくさくないし柑橘類を食べているという快感があります。グレープフルーツに似ていますが、それよりは断然大人向きの味です。

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2013年6月14日 (金)

「利子」と「滞船料」(その2)

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われわれは、利子を所与のものとする時代と世界で生活しているので(イスラム文化のようなそうでない世界も同時に存在していますが)、「利子とはなに?」と質問されると、その役割や機能や利率については割にすぐに答えられたとしても、なぜ利子などというものがあるのか、利子(たいていの場合、利子とは複利法で計算された複利のことですが)はなぜ必要か、そもそも利子は誰がどういう目的で発案したのか、という方向へは思考は動きません。

ケインズの「一般理論」と呼ばれている著作があります。1929年から始まる大恐慌のすぐ後の1936年に出版されたその著作の正確なタイトルは「雇用、利子および貨幣の一般理論」(“The General Theory of Employment, Interest and Money”) です。雇用と利子と貨幣という経済(とくに不況時の経済)についてのキーワードがシンプルに、しかし見事に並んでいます。

利子というものがなかったら、あるいは利子はあってもいいのだけれど場合によってはお金に対してマイナスの利子が発生するといった仮想的な状況について「雇用、利子、お金の一般理論」はどう考えているのか。もしそういう踏み込みがあるなら、どういう文脈でそうしているのか。そんな興味から、通常のプラスの利子も含めて、利子やお金の性質に関連する複数の章に軽い気持ちで目を通してみました。

【註:「一般理論」原文が持つ構文上のわかりにくさを解きほぐし、とても読みやすい日本語に移しかえたと評判の高い翻訳書が1年ほど前に出版されました。その訳書の日本語タイトルは「雇用、利子、お金の一般理論」(山形浩生 訳)。文庫本(講談社学術文庫)で簡単に手に入ります。読んだのはそのわかりやすい日本語の訳本です。】

どんなものともすぐに交換できる性質を経済学では流動性と呼んでいますが、お金はたいていどんなものともすぐに交換できるのでもっとも流動性が高い。だがお金は手元に置いてあっても利子はつかない。一方、債券には利子がつく。しかし流動性は低くなります。われわれは、そういう性格を持ったお金を手元に保管したいという心理的な傾斜を持っている。利子を犠牲にしても、われわれがお金の持つ流動性を好む傾向をケインズは「選好性選好」と名づけました。逆の云い方をすれば、お金の持ち主に、流動性の高いお金を手放してもらってそれを流動性の低いもの(たとえば債券)に替えてもらうには魅力的なインセンティブ(報酬)が必要で、このインセンティブ(報酬)が利子(金利)ということになります。

「流動性選好」についてここで蛇足的に触れたのは、前述(その1)のシルビオ・ゲゼルに関する数ページの言及が「流動性選好」と絡めてケインズ「一般理論」の最後の方にあるからです。山形浩生氏の訳書から以下にその一部を引用します(引用は『・・・』部分)。

・『その間私は、他の多くの経済学者同様に、このきわめて独創的な探究をイカレポンチの作文と大差ないものとして扱ってきました。』

・『私は未来がマルクスの精神よりもゲゼルの精神から多くを学ぶだろうと信じています。』

・『ゲゼルの理論には大きな欠陥があります。・・・中略・・・なぜ金利が他の商品利率のようにマイナスになれないのかを説明したのに、彼はなぜ金利が正なのかを説明し損ねるのです。そしてなぜ金利が(古典派の主張するように)資産的な資本の収益が定める基準に左右されないのかも説明しません。これは流動性選好の概念を彼が考えつかなかったからです。彼は利子の理論を半分しか構築しなかったのです。』

ケインズの「流動性選好」が金利という多くのひとびとへの文化的・歴史的な刷り込みを背景として出てきた考え方なら、やり手の実業家でもあったゲゼルが『流動性選好の概念を考えつかなかった』というのは揶揄の上手なケインズの言い過ぎかもしれません。

「滞船料」(Demurrage デマリッジ)という、お金に対するマイナス利子的な考え方がマルグリット・ケネディーの著作で紹介されていると書きましたが、その効能というか効果は、利子のそれと同じです。「滞船料」という考え方を使って同じ構造を作ると、手元でじっとしているお金(現金など)にはたとえば年率3%の「滞船料」(換言すれば、マイナス3%の利子)が発生しますが、債券には滞船料は要求されません(マイナス利子はつかないが、プラス利子もつかない)。お金と債券の相対的な位置関係は、利子を媒体としようが滞船料を媒介としようが同じことです。インセンティブがプラスの象限で発生するか、マイナスの象限で発生するかの違いがあるだけで、その効能は同じです。

恐慌のようなひどい不景気に対するケインズの「一般理論」での処方箋は、公共事業によって有効需要を創出し、同時に、流動性の罠にひっかからないようなタイプの金融緩和策を組み合わせることだということになりますが、かりにケインズが現在「一般理論」の改訂版を執筆中ならどういう内容のものになるのでしょうか。(1929年のニューヨークでの株価大暴落に対して1936年の「一般理論」なので、2008年のリーマンショックに対して2013年の「改訂版」というのはいいタイミングです。)

「一般理論」の「第16章 資本の性質についての考察あれこれ」の最後に実に興味深い一節があります。仮想の「改訂版」にふさわしい雰囲気がその興味深い一節に潜んでいるように思われます。同時に、この一節は、『このきわめて独創的な探究をイカレポンチの作文と大差ないものとして扱ってきました。』『私は未来がマルクスの精神よりもゲゼルの精神から多くを学ぶだろうと信じています。』というゲゼルの著作に対する評価(ないし愛着めいたもの)とつながっているようにも思われます。

その一節を山形浩生氏の訳本から引用します(引用は『・・・』部分)。

『仮に、金利が完全雇用に対応した投資量と整合するよう、何か方策が講じられたとしましょう。さらに、資本設備の成長が頭打ちになる地点に近づく速度が、現在の世代の生活水準に分相応以上の負担を与えない速度となるよう、国が手を打つものとしましょう。

 この想定があれば、現代的な技術リソースを備えた、適切に運営された社会においては、人口が急増していなければ、資本の限界効率を一世代のうちに、ゼロにかなり近い均衡点にまで引き下げられるはずだと思います。・・・略・・・。

 資本財を極度にあふれさせ、資本の限界効率をほぼゼロにするのが簡単だという私の想定が正しければ、これは資本主義の感心しない特徴の多くをだんだん始末する、最も賢いやり方かもしれません。ちょっと考えてみれば、蓄積された富に対する収益率がだんだんなくなることで、すさまじい社会変化が生じることはわかるからです。後で使うために、稼いだ所得を貯めておくのはその人の勝手です。でも貯めたお金が増えたりはしません。その人は、アレクサンダー・ポープの父親と同じ立場になります。この人物は事業から引退したときに、トウィッケンハムの別荘にギニー硬貨の入った箱を抱えていき、家計の支出は必要に応じてそこからまかなったそうです。

 金利生活者は消えますが、それでも事業能力と、見込み収益の推計技能の余地はあります。これらは意見が分かれるものだからです。いまの説明はリスクなどを全く考慮しない、純粋金利を主に考えてきました。リスクまで考慮した、資産の総収益ではありません。ですから純粋金利がマイナスの値にならない限り、見込み収益の疑わしい個々の資産に対する、技能豊かな投資はまだプラスの収益が得られるはずです。・・・略・・・』

『純粋金利がマイナスの値にならない限り』というのを「金利がかりにゼロであっても」と読み替えると、ケインズとゲゼルが接近し始めます。

「利子」と「滞船料」の終わり。

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2013年6月13日 (木)

「利子」と「滞船料」(その1)

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ぐずぐずとおつきあいし続ける以外にどうも解決策の見つかりそうにない経済問題(ないしは社会問題)があります。

そのひとつは、国家の借金がGDPを超える額になっている国、あるいは国家の借金がGDPに近い額まで増えてきた国の政府債務。そういう国では、政府の国債発行に歯止めがかかりません。税金を増やせば少しは効果がありますが、借金の多い国では利子返済金の一部として消えていくだけです。

IMF統計によれば、日本の国家債務(政府債務)は2012年が1132兆円、2013年(推計)が1178兆円。GDP(名目)は2012年が476兆円、2013年(推計)が480兆円なので、国の借金はGDPの約2.4~2.5倍です。この借金で雇用や所得増をもたらす有効需要でも着実に作り出せればいいのですが、このお金は、特別会計を通して、使途の必ずしもよくわからない公共事業支出や政府関連支出という「官制経済」の森の中に吸い込まれていきます。<関連ブログ記事は「素材のカットのしかたや味付け方法の事例研究(一般会計と特別会計に関して)」>。

政府債務がGDPを超えるという状況の国は日本に限りません。しかし、米国でさえ政府債務のGDP比率は、2012年が107%、2013年(推計)が108%です。EU経済を支えているドイツでは、政府債務のGDPに対する比率は、2010年から2013年(推計)にかけて、83%から80%で推移しています。

もうひとつの問題は、お金持ちの国はますますお金持ちになり、そうでない国はますます貧乏になっている、また同じ国の中でも、お金持ち階層はますます裕福に、お金のない人たちはますます貧しくなっているということです。富が国際的にも国内的にも一部に集中するかたちで配分され、またその傾向を助長する形で再配分されています。

日本では、2012年は、労働人口(役員以外の雇用者)の35.2%がいわゆる「非正規労働者」で、この比率は前年よりも0.1ポイント増加しています(総務省)。

その依拠するビジネスロジックからして国民国家・国民経済とは本質的に無関係な関係になってきたグローバル企業群と、それらのグローバル企業群のもともとの出身母体であるところの国民国家・国民経済との利害の衝突・利害の矛盾が、上述のような現象の原因になっていることは想像に難くありません。ではその現象のもっと向こう側(というか底の方)にはなにが潜んでいるのか。そういう不可解なものへの手がかりを探しているときに出会ったのがマルグリット・ケネディー(ドイツの建築家でありエコロジスト、経済学者ではない)が著した「利子とインフレのないお金 (Interest and Inflation Free Money)」および「お金を占拠せよ (Occupy Money)」という2冊の本で、「お金を占拠せよ」の副題は「だれもが勝者の経済を創る」となっています。両方とも主題は同じで、前者が1995年に世に問われ、後者は前者の2012年用更新バージョンという形で出版されたようです(原著はドイツ語)。

以下は、2つの書物の印象的な部分を僕が勝手に要約したものです。

・経済成長への強迫観念、インフレや金融危機、そして富がひとにぎりの富裕層へ集中するといった事態の原因は、結局のところ、お金(貨幣)の持つ利子(複利)の属性にある。利子(複利)は指数関数的な成長曲線を描き、人間や動植物などの自然な成長曲線、財やサービスの一般的なビジネス成長曲線とは形状が全く異なっており、ここから矛盾が始まる。指数関数的な成長曲線は、自然界では癌(がん)細胞などに典型的に観察されるが、この成長曲線が終焉を迎えるのは宿主が死んだときである。

・金利が経済成長率より大きいと、金持ちはますます金持ちになり、そうでない人たちはますます貧乏になる。たとえばドイツでは、利子収入額が利子支払額よりも明らかに多いのは富裕層だけ(社会階層のなかで収入の多い上位10%層だけ)で、次の10%の層は両者がだいたい同じ。残りの80%の国民は利子支払額が利子収入額より多いか、利子収入はなくて利子支払のみなので、利子という富の「再配分」によって貧富格差が拡大している。

・利子にかかわる社会的な費用は想像以上に大きい。たとえば、2006年のドイツの場合、上水道の利用価格の38%が利子費用に相当するし、家計だと財やサービスへの出費のうちの40%が利子費用である。財やサービスを生産し流通させるには生産者や流通業者は借入金やその他の負債の利子を負担するがその総額が製品やサービス価格の40%であり、消費者はそれと自覚することなく事業者の利子支払いを手伝っている。 

・お金(貨幣)の持つこの利子という属性(機能)は人間の発案であり社会的な合意によるもので、天から降ってきたものではない。つまり、それは人間の発案であるがゆえに人間が変えられる種類のものである。「お金に対して利子を禁じている文化」があるが、これも人間の発案であり社会的な合意に基づいており、われわれの「利子文化」と並列にそして同時に存在している。「利子文化村」の外側には、お金にマイナスの利子をつけるという考え方があるがこれも人間の発案だし、その発案が人々の合意を得られたら金融システムとして市民権を持つことになる。マイナスの利子は、たとえば「滞船料」(Demurrage デマリッジ:船や貨物が動かずにその場でじっととどまっている状態に対する課金)といった形態で請求される。

・現在の「複利」金融システムの欠点を一挙に除去できないのなら、それと別のロジックで運営される並行通貨(代替通貨・地域通貨)を並列に部分的に導入することで「非利子金融システム」を現行金融システムに徐々に浸透させることができる。

・「利子とインフレのないお金」では、ドイツ人の実業家であり経済学者だったシルビオ・ゲゼル(Silvio Gesell, 1862/3/17-1930/3/11)のユニークな考え方が紹介されている。その考えとは、あらゆるものが減価するのにお金だけが減価しない、それゆえ金利が正当化されているが、これはおかしい。お金も他の商品と同様、時間とともに目減りさせた方が経済秩序は健全になる、というものである。

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2013年6月11日 (火)

梅干し作りの季節(その2)

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我が家の梅干しは決してカビないように生梅の重量に対して15%から18%という伝統的な量の塩分を投入します。今回のロットは塩分が15%です。塩分を古風に強くするのはカビ対策以外には、二年ものを楽しむためです。いい塩を使い、濃さが15%~18%くらいでないと二年(以上)ものの味わいがでません。

十分に大きなホーロー容器にまだ緑が青いのを下に、その上に黄色みを帯びたものを、サイズも気にしながら重ねていきます。そしてその上に11㎏の重石。塩をまぶす前に梅をころころと焼酎の浅いプールでころがしてやりますが、その44度の麦焼酎は他の使い途も結構あるので常に用意してあります。

梅のあまい香りがそのあたりに漂います。重石を置き、梅酢が上がってくるのを待ちます。この梅酢(白梅酢)が貴重品。自分で梅干しを作らないと、まず、手に入らない。

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2013年6月10日 (月)

梅干し作りの季節(その1)

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今年は、いつもの2倍の梅干しを作る予定です。去年の生梅の量が10㎏なので、今年は20㎏ということになります。半分は普通サイズの青梅で、こちらの方が先に手に入ったので、こちらから先に作業にとりかかります。残りの10㎏は大ぶりな完熟梅でそのうち届くのを待っています。

青梅といっても全部が一様に青いのではなく、わずかに黄色みを帯び始めたものとまだ緑のものとが混在していたので、1日追熟させたあと、黄色みが確認できるのと、まだ緑が強いものに大雑把に区分けして、あとの作業に進みます。「なんとなく黄色」は普通に丁寧に水洗い、「まだ青い」はしばらく水に浸したあと同じように水洗い。

完熟梅にはヘタはまず残っていませんが、青い段階で摘み取った梅にはヘタがあります。これを丁寧に取り除いてやって、雑菌などの発生を抑えます。ヘタ取り作業に僕が好む道具は、ごく普通の爪楊枝。爪楊枝の手元の部分、つまり尖っていないまるい方をつかってヘタを取り除きます。簡単にはずれます。いくらかは根気のいる作業です。

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      全体がなんとなく黄色くなってきたもの

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        追熟中だが、まだ緑の強いもの

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2013年6月 7日 (金)

「島根は鳥取の左側です!」、それから、島根のお米

知名度や認知度の低い都道府県(ありていに云えば、多くの人がどこにあるのかよくわからない都道府県)の自虐的な宣伝例の一つに「島根は鳥取の左側です!」というのがあります。

Photo

このTシャツ写真は「子供といっしょにどこ行こう?」という島根在住の方のブログからお借りしました。

このメッセージの欠点は、山陰地方というものが日本のどこにあるのかをわかっていて、しかし、さて島根は鳥取の右だったか左だったかという人には意味があっても、山陰地方のイメージがおそらく全くない人(たとえば、札幌の若い女性)には訴求力があるとは思われないことです。以下はその仮説を検証する実験です。

お相手は、20歳代前半の歯科衛生士。歯の定期検査でお世話になっている歯医者さんにお勤めの腕のいい女性歯科衛生士です。出雲大社をお参りするので、なにか縁結びのお土産を買ってきてあげると約束していました。

「約束通り、出雲の縁結びストラップを買ってきたのでケータイにでもどうぞ。ところで出雲大社って何県にあるかわかる?」
「・・・?」
「出雲大社は島根県です。ところで島根県はどのあたりにあるかわかる?」
「四国の方ですか?」
こういう女性に「島根は鳥取の左側です」といっても無意味なトートロジー(同語反復)以上にはならないので、云い方を変えます。
「島根は、広島の上。」
「ああ、なんとなくわかります。」

泊まったところで食べたやや硬めに炊いた「仁多(にた)コシヒカリ」が、炊き方の上手さもあるのですが、とても美味しかったので、水田の広がりがよく見えるあたりを走っているときにタクシーの運転手に島根のお米について尋ねてみたら、「コシヒカリ、きぬむすめ、それから最近は、つや姫」という答えがよどみなく返ってきました。島根の旅館の朝ごはんは、仁多米(にたまい)のご飯にシジミの味噌汁、レアな地魚の干物と漬物という組み合わせがあれば、それで十分です。シジミの味噌汁はおかわりをいただきます。

島根にはお米の食味ランキングで「特A銘柄」に選ばれたお米はありませんが、おいしいお米の県をめざして山形生まれの「つや姫」を生産し始めました。

蛇足ですが、地元のお米を使った付加価値食品に、仁多米と発芽玄米をブレンドして伝統的な造りの醤油で焼き上げた「仁多米煎餅(せんべい)」というのがあり、この香ばしい風味はちょっと類を見ない。

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関連ブログ記事は、島根の「つや姫」に関しては「気になるお米、気になる競合(その2)」、食味ランキングに関しては「米の食味ランキングと、おいしいお米の生産地分布」と「続・『米の食味ランキングと、おいしいお米の生産地分布』」。

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2013年6月 6日 (木)

伊勢と出雲の幣(ぬさ)、そして国というものについての雑感(その2)

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以下は吉本隆明の「共同幻想論」という、初版が昭和43年(1968年)に出版された刺激的な書物からの引用です(罪責論)。(引用は≪・・・≫部分)。

≪スサノオは『古事記』の神話で国つ神の始祖とかんがえられている。いいかえれば農耕民族の祖形である。「高天が原」を統治するアマテラスが、神の託宣の世界を支配する<姉>という象徴であり、スサノオは農耕社会を現実的に支配する<弟>という象徴である。そしてこの形態は、おそらく神権の優位のもとで<姉妹>と<兄弟>が宗教的な権力と政治的な権力とを分治するという氏族(または前氏族)的な段階での<共同幻想>の制度的な形態を語っている。そしてもうひとつ重要なのは、<姉妹>と<兄弟>とで<共同幻想>の天上的および現世的な分割支配がなされる形を借りて、大和朝廷勢力をわが列島の農耕的社会とむすびつけていることである。≫

≪スサノオはのちに(「高いお米、安いご飯」の註:<妣(亡き母:イザナミ)の国>へゆきたいとごねてアマテラスから追放されたのちに)アマテラスと契約を結んで和解し、いわば神の託宣によって農耕社会を支配する出雲系の始祖に転化する。これは巫女組織の頂点に位した同母の<姉>と、農耕社会の政治的な頂点に位した同母の<弟>によって、前氏族的な<共同幻想>の構成が成立したのを象徴しているとおもえる。≫

こういう書物から受けた刺激も、だんだんと溜まってきたなにかのうちのひとつでしょう。この著作は古代国家の成立プロセスを人々の共有する「共同幻想」というものを軸に考察したものですが、国家とはなにかという現在形の問いには、古代国家がどういう風に成立してきたのかその成立過程や成立要件、17世紀半ば以降の主権国家体制やその後の国民国家体制を基礎づける基本理念、そして、20世紀の最後の4分の1世紀あたりから急に大きくなってきた「国境を超えてグローバルに経済活動を展開するグローバル企業群」と「国民国家」の利害対立の背景分析などが含まれます。

「グローバル人材の養成」といったキーワードが「グローバル人材」とはなにかということが曖昧なまま、たとえば「グローバル人材の養成のための新しい英語教育」といった文脈でいろいろな媒体や会議で踊っているように(中小企業庁の発行する中小企業ネットマガジンといったものにも「企業の海外展開を支えるグローバル人材育成セミナー」が案内されている)、「グローバル企業と国民国家の『対立』」という現れ方はあまりしていなくて、実際は「主たるグローバル企業」の利益のために「従たる国民国家」の資産や財産(フローやストック)をいかに効率的に消費するかの方策についての議論という登場の仕方をしているようです。そしてそこにナショナリズムや国家利益というプロパガンダが絡みついているので、もう一度、国とは何か、国家とは何にためにあるのかという視点をきちんと持たないと思考が先に進みません。

僕にとって国とは主権国家・国民国家のことであり(これも「共同幻想」ですが)、国民国家の意義とは、国民の人権が法のもとでそれぞれに平等であることを保障することです。しかし、この意義は、最近では前述のように、グローバリズムや市場原理主義、あるいはナオミ・クラインが云うところの「惨事便乗型資本主義」に押されてしまって、相当に空疎化しています。

広い意味で国民国家を考えた場合、言語(つまり国語)は重要な存在です。しかし、これは法的な仕組みである狭義の国民国家の底に横たわっている生活インフラ・文化インフラであり、狭い国民国家という枠組みには収まりません。国家という文脈で言語を議論すると、政治が利害の絡んだ口出しをして言語がかえって混乱してしまうというのは、今までもしばしば見られた現象です。「グローバル人材育成のための英語教育」というプロパガンダにもそういうものが透けて見えるようです。

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2013年6月 5日 (水)

伊勢と出雲の幣(ぬさ)、そして国というものについての雑感(その1)

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伊勢神宮の外宮と内宮と金剛證寺(こんごうしょうじ)、それから出雲大社をお参りしてきました。べつに式年遷宮というお祭り(出雲の場合は歌って踊って大騒ぎ)につられてというのではありません。そういう齢になったのでしょう。そういう場所をお参りしたくなるようななにかがだんだんと溜(た)まってきたのかもしれません。

金剛證寺は、鎌倉時代に真言宗から臨済宗に改宗して禅宗寺院となり、そののち室町時代には神仏習合という時代背景で伊勢神宮の鬼門を守る寺になったそうですが、寺の名前にしても、この寺の奥の院に向かうあたりの様子や雰囲気にしても、禅宗というよりはほとんど密教系寺院と僕の眼には映ります。高さの異なる大きな卒塔婆が奥へと連なる空気は、高野山の一の橋や中の橋のあたりにいつの間に迷い込んでしまったのかと錯覚するくらいです。神仏習合を援用したプロモーションという意味では、「伊勢へ参らば朝熊(あさま)を駆けよ、朝熊(あさま)駆けねば片参り」はとてもよくできた当時の参拝旅行者向け宣伝コピーです。<関連記事は「『神仏の習合』と『漢字の訓読みによる漢語と和語の習合』:日本文化の習合力についてのメモ(その1)」や「神仏習合について雑感」。>

ここでは幣(ぬさ)と呼んでおきますが、下の写真は、順番に、伊勢神宮・外宮、伊勢神宮・内宮、そして、出雲大社の幣です。柔らかい風に白い紙がわずかに流れる風情が好きです。

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伊勢神宮・外宮の幣(ぬさ)

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伊勢神宮・内宮の幣(ぬさ)

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出雲大社の幣(ぬさ)

(その2に続く)

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2013年6月 4日 (火)

米国のGM(遺伝子組み換え)小麦

米国は遺伝子組み換え作物の栽培が盛んな国で、大豆やトウモロコシや綿花は、作付面積比率で云えば、それぞれ92%、80%、86%が遺伝子組み換え品種になっています(2008年、米農務省)。例外が小麦で、世界ではどこでも認められていないのですが、米国(FDA)もGM(遺伝子組み換え)小麦の商業栽培と販売は認めていません。米国の小麦生産者がGM小麦に反対というのが主な理由のようです。

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その米国で遺伝子組み換え品種の小麦が、オレゴン州のある農家の農場で見つかったので騒動になっています。理由の一つは、あってはならない種類の小麦が一般農家から見つかったということ、もう一つは、米国は小麦輸出国ですがその顧客はメキシコや日本で、2番目に輸出量が多い日本が、そういうアブナイ小麦の混じっているかもしれない小麦の輸入を、当面(つまり、事情がすっきりとするまで)中止したからです。

遺伝子組み換え小麦が見つかった経緯は、まず、オレゴン州のその農家が自分の農場で妙な小麦を発見。除草薬(ありていに云えば、モンサント社のラウンドアップ Roundupですが)でその小麦を排除しようとしたのですが、この小麦はその除草剤への耐性をもっており枯れてくれない。ということは、この小麦はGM小麦ということです。ラウンドアップという除草剤に耐性を持った遺伝子組み換え大豆や遺伝子組み換えトウモロコシのことをラウンドアップレディ Roundup Readyの大豆やトウモロコシと呼んでいますが、そういう意味ではこれは紛れもなくラウンドアップレディの遺伝子組み換え小麦と云う事になるからです。

しかし、こういうことが起こるのは不思議ではなくて、なぜならモンサント社は1998年から2005年まで、オレゴン州を含む16の州でラウンドアップレディの小麦を開発しようとしていたからです。このプロジェクトは、GM穀物の評判が世界的によろしくないということで米国の小麦農家が興味を持たず、その結果中止されましたが、実験農場から種子が風で一般農場に運ばれたか、人の手がひそかに一般農場に持ち込んだかすれば、今回のような事態は発生します。すでに起こっていた事実に今回初めて気がついたのかもしれません。本当のところは、今は、わからない。で、調査中というわけです。

関連記事は、「輸入小麦もそのうちGM(遺伝子組み換え)品種に?

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2013年6月 3日 (月)

燗(かん)で楽しむ(その5)

地域外に流通することのほとんどない小さな蔵元の地元の純米酒や純米吟醸酒というものがありますが、それらはその地にわずかでも滞在しないと楽しめません。そういう日本酒に、やや熱めの燗で、食事の間、ゆっくりと飲み続けるのに適しているのがあります。

地元の料理屋で丁寧に料理された魚介類や野菜など地の食材への予想された以上の驚きを燗酒が静かに調和してくれ、穏やかになった舌がまた次の驚きを待つことになります。そのなかに、酒を肴に酒を呑むという酒だけの短い不調和な時間帯を時折りはさむと、流れの中に別の流れが生まれます。

こういう伏流を抱えた流れに向いているのは、冷たい日本酒ではなく、燗酒のような気がしています。そういう日本酒に山陰で出逢いました。

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