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2013年6月14日 (金)

「利子」と「滞船料」(その2)

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われわれは、利子を所与のものとする時代と世界で生活しているので(イスラム文化のようなそうでない世界も同時に存在していますが)、「利子とはなに?」と質問されると、その役割や機能や利率については割にすぐに答えられたとしても、なぜ利子などというものがあるのか、利子(たいていの場合、利子とは複利法で計算された複利のことですが)はなぜ必要か、そもそも利子は誰がどういう目的で発案したのか、という方向へは思考は動きません。

ケインズの「一般理論」と呼ばれている著作があります。1929年から始まる大恐慌のすぐ後の1936年に出版されたその著作の正確なタイトルは「雇用、利子および貨幣の一般理論」(“The General Theory of Employment, Interest and Money”) です。雇用と利子と貨幣という経済(とくに不況時の経済)についてのキーワードがシンプルに、しかし見事に並んでいます。

利子というものがなかったら、あるいは利子はあってもいいのだけれど場合によってはお金に対してマイナスの利子が発生するといった仮想的な状況について「雇用、利子、お金の一般理論」はどう考えているのか。もしそういう踏み込みがあるなら、どういう文脈でそうしているのか。そんな興味から、通常のプラスの利子も含めて、利子やお金の性質に関連する複数の章に軽い気持ちで目を通してみました。

【註:「一般理論」原文が持つ構文上のわかりにくさを解きほぐし、とても読みやすい日本語に移しかえたと評判の高い翻訳書が1年ほど前に出版されました。その訳書の日本語タイトルは「雇用、利子、お金の一般理論」(山形浩生 訳)。文庫本(講談社学術文庫)で簡単に手に入ります。読んだのはそのわかりやすい日本語の訳本です。】

どんなものともすぐに交換できる性質を経済学では流動性と呼んでいますが、お金はたいていどんなものともすぐに交換できるのでもっとも流動性が高い。だがお金は手元に置いてあっても利子はつかない。一方、債券には利子がつく。しかし流動性は低くなります。われわれは、そういう性格を持ったお金を手元に保管したいという心理的な傾斜を持っている。利子を犠牲にしても、われわれがお金の持つ流動性を好む傾向をケインズは「選好性選好」と名づけました。逆の云い方をすれば、お金の持ち主に、流動性の高いお金を手放してもらってそれを流動性の低いもの(たとえば債券)に替えてもらうには魅力的なインセンティブ(報酬)が必要で、このインセンティブ(報酬)が利子(金利)ということになります。

「流動性選好」についてここで蛇足的に触れたのは、前述(その1)のシルビオ・ゲゼルに関する数ページの言及が「流動性選好」と絡めてケインズ「一般理論」の最後の方にあるからです。山形浩生氏の訳書から以下にその一部を引用します(引用は『・・・』部分)。

・『その間私は、他の多くの経済学者同様に、このきわめて独創的な探究をイカレポンチの作文と大差ないものとして扱ってきました。』

・『私は未来がマルクスの精神よりもゲゼルの精神から多くを学ぶだろうと信じています。』

・『ゲゼルの理論には大きな欠陥があります。・・・中略・・・なぜ金利が他の商品利率のようにマイナスになれないのかを説明したのに、彼はなぜ金利が正なのかを説明し損ねるのです。そしてなぜ金利が(古典派の主張するように)資産的な資本の収益が定める基準に左右されないのかも説明しません。これは流動性選好の概念を彼が考えつかなかったからです。彼は利子の理論を半分しか構築しなかったのです。』

ケインズの「流動性選好」が金利という多くのひとびとへの文化的・歴史的な刷り込みを背景として出てきた考え方なら、やり手の実業家でもあったゲゼルが『流動性選好の概念を考えつかなかった』というのは揶揄の上手なケインズの言い過ぎかもしれません。

「滞船料」(Demurrage デマリッジ)という、お金に対するマイナス利子的な考え方がマルグリット・ケネディーの著作で紹介されていると書きましたが、その効能というか効果は、利子のそれと同じです。「滞船料」という考え方を使って同じ構造を作ると、手元でじっとしているお金(現金など)にはたとえば年率3%の「滞船料」(換言すれば、マイナス3%の利子)が発生しますが、債券には滞船料は要求されません(マイナス利子はつかないが、プラス利子もつかない)。お金と債券の相対的な位置関係は、利子を媒体としようが滞船料を媒介としようが同じことです。インセンティブがプラスの象限で発生するか、マイナスの象限で発生するかの違いがあるだけで、その効能は同じです。

恐慌のようなひどい不景気に対するケインズの「一般理論」での処方箋は、公共事業によって有効需要を創出し、同時に、流動性の罠にひっかからないようなタイプの金融緩和策を組み合わせることだということになりますが、かりにケインズが現在「一般理論」の改訂版を執筆中ならどういう内容のものになるのでしょうか。(1929年のニューヨークでの株価大暴落に対して1936年の「一般理論」なので、2008年のリーマンショックに対して2013年の「改訂版」というのはいいタイミングです。)

「一般理論」の「第16章 資本の性質についての考察あれこれ」の最後に実に興味深い一節があります。仮想の「改訂版」にふさわしい雰囲気がその興味深い一節に潜んでいるように思われます。同時に、この一節は、『このきわめて独創的な探究をイカレポンチの作文と大差ないものとして扱ってきました。』『私は未来がマルクスの精神よりもゲゼルの精神から多くを学ぶだろうと信じています。』というゲゼルの著作に対する評価(ないし愛着めいたもの)とつながっているようにも思われます。

その一節を山形浩生氏の訳本から引用します(引用は『・・・』部分)。

『仮に、金利が完全雇用に対応した投資量と整合するよう、何か方策が講じられたとしましょう。さらに、資本設備の成長が頭打ちになる地点に近づく速度が、現在の世代の生活水準に分相応以上の負担を与えない速度となるよう、国が手を打つものとしましょう。

 この想定があれば、現代的な技術リソースを備えた、適切に運営された社会においては、人口が急増していなければ、資本の限界効率を一世代のうちに、ゼロにかなり近い均衡点にまで引き下げられるはずだと思います。・・・略・・・。

 資本財を極度にあふれさせ、資本の限界効率をほぼゼロにするのが簡単だという私の想定が正しければ、これは資本主義の感心しない特徴の多くをだんだん始末する、最も賢いやり方かもしれません。ちょっと考えてみれば、蓄積された富に対する収益率がだんだんなくなることで、すさまじい社会変化が生じることはわかるからです。後で使うために、稼いだ所得を貯めておくのはその人の勝手です。でも貯めたお金が増えたりはしません。その人は、アレクサンダー・ポープの父親と同じ立場になります。この人物は事業から引退したときに、トウィッケンハムの別荘にギニー硬貨の入った箱を抱えていき、家計の支出は必要に応じてそこからまかなったそうです。

 金利生活者は消えますが、それでも事業能力と、見込み収益の推計技能の余地はあります。これらは意見が分かれるものだからです。いまの説明はリスクなどを全く考慮しない、純粋金利を主に考えてきました。リスクまで考慮した、資産の総収益ではありません。ですから純粋金利がマイナスの値にならない限り、見込み収益の疑わしい個々の資産に対する、技能豊かな投資はまだプラスの収益が得られるはずです。・・・略・・・』

『純粋金利がマイナスの値にならない限り』というのを「金利がかりにゼロであっても」と読み替えると、ケインズとゲゼルが接近し始めます。

「利子」と「滞船料」の終わり。

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