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2013年9月 9日 (月)

まっとうな感覚、それから、被害者意識と加害者意識

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各種媒体の日々の報道によれば、福島第一原子力発電所からはあいかわらず放射性物質放出され続けているようです。水道水を発電所の敷地内で散布したらそのあたりの放射性物質濃度が急上昇し、高濃度の汚染水の太平洋への流出が止むことなく続いており、汚染水が地下水まで到達したのか、地下水の汚染も確認されています。

関係者の頭の中はこの件に関してはどうも判断停止状態で、もうどうしようもない、なるようになれ、と事態収拾を投げ出しているようにも見受けられます。だから、2020年の夏季五輪開催地を決定するブエノスアイレスのIOC総会直前の「東京五輪招致委員会」の記者会見でも、海外メディアからは福島原発のあいかわらずの汚染水漏れに質問が集中することになったのでしょう。

【註】 僕は、水(飲料水)の放射性物質汚染基準値をもとに、それとの対比で魚や野菜などいろいろな食材の安全性を判断することにしているので、座標軸となる水(水道水や地下水、それから海水など)の汚染に関するニュースにはできるだけ注意するようにしています(直近の関連記事は「北海道は鯖(さば)の季節、そして放射性物質モニタリング」)。

 汚染水の垂れ流しが続く一方で、原発再稼働や原発建設(大間原発など)は進んでおり、たとえば地元の北海道電力などは原発再稼働のための津波防波堤建設に多額の追加投資をしています。他の電力会社はさておき、そういうお金は廃炉費用の前倒しに充当し、同時に最新の火力発電所の継続的な建設に回せば「国家百年の計」につながるのに、もったいないことです。

『今だけ、金だけ、私だけ』というのは現代の便利な処世訓とも云えますが、四半期決算と株価に追われるグローバル企業の経営本質をじつにうまく要約した表現でもあります。しかし、『今だけ、金だけ、私だけ』を軸に回転している生活と仕事の環境に身を置いていると「国家百年」を考えるのは難しい。

(【註】:『今だけ、金だけ、私だけ』という表現は、東京大学教授・鈴木宣弘氏の最近の造語のようです。原著にはまだあたっていません。『軽小短薄』と同じような訴求力のある一般表現なので勝手にお借りしました。「高いお米、安いご飯」)

百年という時間の幅をぼんやりと想像しても百年はわからない。百年は、私と私の子供と私の孫が元気で生きている間という具体的な時間です。大きな企業の経営者なら孫のいる年齢の方も多いはずなので、自分の孫が65歳70歳になるまで時間の幅という時間感覚に依拠した構想が百年の計です。この子が70歳になった時に、この子が孫を持つような年齢になった時に、原子力発電所の核廃棄物はいったいどこでどう処理されているのか。夕餉の食卓に、サバやサンマ、アジやサケやマグロが同じように並んでいるか。

こうしたイマジネーションのしかたを物語を通して丁寧に教えてくれるのは「モモ」の著者であるミヒャエル・エンデです。「モモ」は子供向けのお話ではありますが、金融システムの恐ろしさとそこからの回復を批判的に綴った物語です。しかしエンデも、1980年頃にチューリヒで開かれたヨーロッパ財界人の会議で彼らに「百年の計」を発想することの重要性を伝えようとした時には失敗したようです。無視されたといった方が正しいかもしれません。『エンデの遺言』という本からその箇所を引用します。

「そこでエンデは、『皆さんは今日一日、未来について議論してきたわけですが、思い切って100年後の社会がどうなってほしいか自由に話し合いましょう』と提案しました。また、長い沈黙が続きました。ようやくある人が『そういうおしゃべりにどういう意味があるのですか。まったくのナンセンスじゃありませんか。われわれは事実の領域にとどまるべきです。事実というのは、まさに、少なくとも年3%以上の成長がなければ、競争に生き残れなくなり、経済的に破滅するということです』と発言しました。それで終わりでした。」

1980年頃のヨーロッパ経済界における、『今だけ、金だけ、自分だけ』です。

しかし、世界には、ほとんどの政治判断が国家利害にもとづいているとはいえ、部分的・瞬間的にはまともな感覚が少しは残っているのかもしれません。シリアへの武力攻撃に反対決議した英国議会などはその最近の例です。米国でも同じ主題に関して意思決定プロセスがが妙に間延びしています。重商主義の時代から帝国主義の時代を通じて武力行使と権謀術数が大好きなあの英国において、また、第二次世界大戦以降(正確には18世紀後半以降)定期的な侵略戦争が生きがいのようなあの米国において、です。

「東京五輪招致委員会」の記者会見で、東京の経済力ではなく、福島原発の汚染水問題に質問を集中させた海外メディアのありようも、まともな意識と感覚の例です。そのまともな意識と感覚の質問に対して、「東京は、福島から250キロメートルも離れているから安全だ」という理屈で開催地・東京の安全性を強調するというのも恐ろしい話です。距離の遠さで東京の安全性を訴求すればするだけ、250キロ離れた福島の汚染状況のひどさが浮き彫りになります。これも『今だけ、金だけ、自分だけ』の亜種・変種と云えそうです。

特定の地域の農業従事者や漁業従事者は「風評被害で農産物や水産物が売れない」と被害者意識を強調しますが、外国の複数のシミュレーションを参考にすると、太平洋はそのうち福島原発から流出する放射性物質によって全面的に汚染されるので、太平洋の魚は、回遊魚もそうでないのも着実に汚染されます。つまり、他の国の人にとっては、その「特定の地域の農業従事者や漁業従事者」は日本人の一部であるがゆえに加害者です。

太平洋戦争も、被害者意識を強調する傾向があります。一家の今後の大黒柱や次男が赤紙一枚で無理やり戦場に駆り出され、待っている家族の家は焼夷弾で焼失する。たしかにその通りなのですが、男が駆り出された場所では敵というヒトを殺すことが仕事というか義務になります。殺さなければ殺されるというのが戦争のルールなので仕方ないことなのだけれど、侵略されて殺される側にとっては、侵略してきた連中は個人としての個別の意識内容の様態がどうであれ、明確に加害者です。

米国でも「9.11」では被害者意識ばかりが強調されましたが、その前に広島や長崎で、朝鮮やベトナムで、イランやアフガニスタンやイラクで(そして今度はシリアに)何をしてきたかを加害者として少し自省してみたら、「9.11」で被害者意識を強調することの愚かさが見えてきます。古老なら「因果応報」のひと言で片づけるかもしれません。

そういう風な座標軸で、オリンピック招致関連のインタビューでの福島原発の汚染水問題に関する質疑の様子やシリア問題の議論などを見ています。

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