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2014年1月 6日 (月)

慈姑(くわい)は丸ごと焼いて食べるに限る

慈姑(くわい)は、いつの頃からか、お正月料理限定の食材になってしまいました。誰かマーケティングの上手でもいたのかもしれません。調理法は、たいていは、芽を大切にした八方剥きの煮物です。それはそれでじつに微妙な味わいで美味しいのですが、それだけではもったいない。

消費需要がお正月前に集中します。供給側もそのあたりに出荷のピークを合わせるのでしょう。短い時期に需給が逼迫するので、慈姑農家にとっては結構なことですが、決して安い食材ではありません。収穫時期はお正月を挟んでもっと長いはずなので、僕のような慈姑好きには残念ではあります。

僕のいちばん好きな慈姑(くわい)の食べ方は、丸ごと焼いて、それに塩をつけて食べることです。配偶者もこの食べ方が気に入っているようです。その味は、たとえてみれば、わかりやすい甘さの全くないところの柔らかい焼き栗(くり)で、大人向きの微妙な甘さと苦さが混淆しています。

オーブンで180℃、30分。熱が通り香ばしい感じになったら、オーブンから取り出し、熱いので芽の部分を指でつまむようにして持ち、塩をつけてそのまま食べます。皮も何もそのまま全部です。渋い味わいを堪能できます。焼いた丸ごとを最大に楽しもうとすれば、一緒に日本酒です。

簡素で野趣のある酒の肴を二つだけ選べと云われたら、この丸ごと焼いた慈姑(くわい)と、原木栽培のシイタケの蒸し焼き(半日ほど天日干しした生シイタケの軸をカットし、短くなった軸の部分を上にした状態で軸に塩をのせて蒸し焼きにし、じわっとなった傘の内側にスダチかユズをかけて食べる)を、僕は推奨します。(慈姑の時期と供給量が限られているように、原木栽培のシイタケも、もともと生産量が少ないうえに最近は原木の放射性物質汚染で入手が難しいのが残念ですが・・)。

慈姑(くわい)の味を表現する際のたとえにした栗なるものにはなんの興味もないので、だから、栗は、栗きんとんでもマロンクリームでもマロングラッセでもなんでも全部女子供に任せるので、その代わりに、1月の終わりくらいまでは、穏当な値段の慈姑(くわい)を買ってきて(そういうのが売り場にあればの話ですが)、丸ごと焼いたのを酒の肴にもっと食べたい。

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慈姑(くわい)の生産は、その90%が福山(広島県)と越谷(埼玉県)に集中しています。京都では生産量はわずかですが京野菜のひとつです。我が家で、年末から年始にかけて煮物と丸焼きにしたのは、広島県で栽培されたものです。

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