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2014年7月 3日 (木)

1942年6月11日と2014年7月2日の新聞記事のコピー

新聞社は違いますが、二つの新聞記事の切り抜きコピーを並べてみます。

二つの記事の間には72年という、人間でいえば二世代以上、三世代に近い時間の長さがはさまれています。しかし、「ミッドウェイ海戦についての大本営発表」という 1942年6月11日の記事と、「集団的自衛権に関する閣議決定」という 2014年7月2日の記事の二つの記事を見較べていると、70年と云う時間の流れやその間の経験や省察の蓄積が、二つの別々の新聞紙の間にすっぽりと折りたたまれて見えなくなってしまったような気分になります。

関連記事は「気になる本を本棚から取り出して(『自由からの逃走』)」、「憲法雑感」「『大本営発表』を求めて午前六時の急ぎ足」。

1942年と現在のコメ消費量を比べてみます。

以前の「食料需給表」と最近の「食料需給表」によれば、1940年頃の日本人ひとりあたりの年間コメ消費量は130㎏から140㎏。しかしここ数年は、ひとりあたりの年間コメ消費量は60㎏を割り込んでいます。コメ以外の穀物の加工食品や肉類・乳製品の消費量が増えたので当然の結果ではあるのですが。毎日一合のコメを食べるとコメの年間消費量は55㎏です。だから、それくらいは食べ続けているとも云えます。

1940年頃の家庭の食事は、基本が「一汁一菜」(主食・味噌汁・おかず・漬物)、裕福な家庭だと「一汁三菜」(主食・味噌汁・主菜・副菜二品・漬物)。「菜(おかず)」も魚と野菜が中心で、主食(コメや麦ごはんや雑穀ごはん)をよく食べた。

現在のコンビニ弁当や宅配弁当を家庭料理として眺めてみると、シンプルなものから盛り沢山なものまでそろっていますが、平均的なものは「零汁三菜」のようです。「汁」はインスタントみそ汁にお湯を注ぐのか、それともそういう面倒なことはせずにペットボトルのお茶や缶コーヒーでその代替とするのか。汁物は持ち運びに向いていないし、まじめに作ると原価が高い。「一汁」を別にすれば、1940年と現在とで家庭料理の組み立て構造は変わっていません。しかし、ご飯(コメ)の量は減りました。

食べるものがなくなると、たいていの国ではボード―が発生します。国民の飢えと政情不安との間には関連がある。しかし、国民ひとりあたりのコメ消費量の多寡と、その国の為政者が好戦的であるかどうか、またそういう傾向の明白な為政者政党に票を投じて、あるいは投票という行為を放棄して安穏としている一部の国民の国民性との間には、とくには相関関係はないらしい。

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