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2015年3月 9日 (月)

平安末期の桜と昭和初期の桜

平安末期に佐藤さんという方が『ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ』、あるいは 『ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比』と詠み、昭和になったばかりのころに梶井さんという方が『桜の樹の下には屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。』と書きました。

佐藤さんと梶井さんの感じ方は、ぼくたちの中にそのまますっと入ってきます。日本で暮らすぼくたちにはこの感性が千年以上かけて刷りこまれているらしい。

そういう美学をあまり感じさせない桜のひとつが、ぼくにとっては、仁和寺の遅咲きの「御室桜(おむろざくら)」。この真言宗のお寺の背丈の低い桜には、お酒とお重がよく似合います。その桜の下では、北面武士だった佐藤さんも、檸檬(れもん)が好きだった梶井さんも相当に酔っぱらうのではないかと思われます。ぼくはこの酔っぱらい美学が嫌いではありません。

梶井基次郎全集 全1巻 (ちくま文庫)

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