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2015年3月13日 (金)

放射性廃棄物(核廃棄物)の処分と「測る知」

人間の知(性)を三種類に区分することができます。分析科学やシステム科学分野で顕著な働きを示している「測る知」、芸術や道徳において必須要素の「共感する知」、もうひとつは次元が異なるのですが「形而上的な知」ないしは「黙想する智」です。そして、それぞれの知(性)の背後には、それと適合的な、性格と性質の違う欲望の体系が控えています。

原子力発電の不可避の産出物であるところの放射性廃棄物(核廃棄物)をどう処分するかに関する最近の議論、つまり、放射性廃棄物(核廃棄物)の埋め立て候補地に関してさも客観性(「測る知」)が主導している風を装ったような不思議な議論、技術革新を待っていたらそのうち放射性廃棄物(核廃棄物)の処理もうまくいうだろうという根拠のない期待、あるいは原発再稼働と核廃棄物の処理はお互いにリンクしていないので別々に考えるといった論理の破綻した主張を聞いているときにしばしば思うのは、それぞれの意見の持ち主は、先ほどの三種類のうちのどういうタイプの知(性)の持ち主か、あるいは装いを含めた信奉者かということです。

さも「測る知」が主導している風を装った不思議な議論とは、かりに東京都や大阪府の一部がその「測る知」によって一等の候補地に選定されても、別の種類の「測る知」とその背後の欲望の体系が、その判断が外に出るのを強く防止するであろうという意味です。

あまり人の住まない田舎で、「危険手当」としての札束で頬を撫でたら合意がとれそうな場所をいくつか選び、その中で地震などに対して地盤が強そうなところに「絶対に安全だ」というお札を建てて原発を建設するというのが原発事業の暗黙の進め方でしたが、放射性廃棄物(核廃棄物)の処分に関する議論でもその考え方は変わっていないようです。

原発再稼働と核廃棄物の処理はお互いにリンクしていないので別々に考えたいという主張は、その主張者の知性が欲望の圧力によって両者のリンクが見えない程度まで破綻しているか、あるいは、原発再稼働は電力会社の仕事だが核廃棄物の処理という外部不経済をどうするかは国の仕事、したがって二つはリンクしていないという昔懐かしい「公害ロジック」がまた息を吹き返したかのどちらかです。ある原子力発電所の新規建設や再稼働に関して、放射性廃棄物(核廃棄物)の処分に関する実施計画がセットになっていない限り新設や再稼働は認めないと決定すれば、そういう人たちにも両者のリンクが見えてくるのですが、そうはならない。

ある原子力発電所から出た放射性廃棄物(核廃棄物)は、その原子力発電所の10㎞以内の同一自治体に埋め立てるとでもあらたに決定すれば(今も、原子力発電所内に保管中ですが)、あるいは、ある原子力発電所から出た放射性廃棄物(核廃棄物)はその原子力発電所で発電された電気の消費者が居住する地域のどこかで必ず処分するとでも決定すれば(たとえば、福島原発の場合だと東京電力の供給する電気の消費者の居住する地域、つまり、東京・神奈川・千葉・埼玉・山梨・茨城・栃木・群馬・沼津のどこか、北海道の泊原発の場合だと北海道のどこか、鹿児島の川内原発だと九州のどこか)原子力発電所再稼働を含めてもっと真剣に、原子力発電というものにぼくたちは向き合わざるをえない。言葉を換えれば「測る知」と同等以上に「共感する知」を発揮せざるを得ない。

そんなことになれば日本にはまともに住める場所がない、私は国外に逃げる、海外に移住するという人たち、本社は海外に移すという企業も出てくると思いますが、そういう事例は2011年3月11日の直後にすでにそれなりの数で観察済みなので、それはそれでしかたがない。

放射性廃棄物(核廃棄物)の処分に関しては強力な国家利害にもとづいて「札束で頬をなでる」戦略を国際的に展開する国もあるかもしれませんが、それについてはここでは触れません。

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