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2015年3月10日 (火)

比較生産費説について以前から気になっていたこと

「ある国」では農産物の生産と自動車の生産の両方を行っており、両方とも効率的に生産しているのですが、自動車生産の方が農産物の生産よりも生産性の度合いは勝っています。

「別の国」でも、農産物の生産と自動車の生産の両方を行っています。しかし、両方とも「ある国」ほど効率的には生産できていません。農産物にせよ自動車にせよ、生産性は「ある国」よりは劣っています。しかし、「別の国」の自動車生産の効率と農産物生産の効率を比較してみると、農産物生産の効率(生産性)の方が高いことがわかっています。

こういう場合は、農産物と自動車の生産効率のともに高い「ある国」が農産物と自動車の両方を生産するのではなく、「ある国」は産業を自動車生産に限定し、「別の国」は、農業の絶対的な効率比較では「ある国」に劣っているのですが、自国内では自動車生産よりも相対的に生産性の高い農産物生産に従事した方が、労働力の活用を含め、両国の経済はうまく回るという考え方があります。

以上のような考え方を比較生産費説といいます(比較優位論とも呼ばれています)。リカードウという英国の経済学者が19世紀の初め頃に提案しました。グローバル企業やグローバル経済ととても適合的な世界分業論なので、この考え方がお好きな方も多いようです。

ぼくの以前からの素朴な疑問はこの考え方のよって立つところののんきな前提に関することです。自国にないもの、自国で生産を中止したものは、他国が喜んで供給してくれる、そういう貿易の予定調和が保証されるという暢気な前提に立っています。

リカードウが議論に使った架空の素材は、産業革命の英国を反映してか、ワインという農産物とラシャ(毛織物)という工業製品ですが、これを現代風に、自動車とスマホと衣服と農産物に置き換えてみます。比較生産費説のお好きな方には、自動車とスマホと衣服と農産物は同じ性格の商品ではないという意識が希薄のようにぼくには映ります。かりに輸入が停止しても、自動車や衣類はその気になれば(追加的な消費をせずに)数年以上同じものを使い続けることができますが、農産物という食糧はそうはいかない。食糧は使い方によっては武器になる。

ついでにやや気になることは、ワイン生産をやめてラシャ生産に移行すると決定しても(あるいはその逆でもいいのですが)、放棄する産業インフラや産業従事者が、別の産業に移行して旧来通り稼げるようになるまでのスイッチング期間(長ければ数十年)やスイッチングコストの配慮も、比較生産費説のお好きな方の主張では、ほとんど見かけない。

リカードウは金融関係の仕事で財を成した方のようですが、「ある国」と「別の国」の両国の設備投資などにお金を貸すという立場の人なら、自動車とスマホと衣服と農産物の性格の違いやスイッチングコストなどは気にしなくても済みそうです。気にしなくても済むというよりも、そういったものはビジネスチャンスの材料です。

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