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2015年8月18日 (火)

ある指標としての年賀欠礼状

わが国の年賀状というのは、年賀欠礼状をその一部とするなかなかにいい習慣で、次のような役割も果たします。

現在の平均寿命(とされているもの)に相当する年齢よりもある程度、ないしは相当に若い人たちの名前が本文中に記載された年賀欠礼状(年賀欠礼葉書)の、その年にいただいた年賀状に対する割合が高すぎるといった事態になれば、現在進行形のある事態の影響が本格的に出始めたことが確認できます。そうなれば遅きに失したということですが、そのことに関しては、ここでは触れません。

2011年3月以降であるところの2012年の正月から2015年の正月までは、そういう何かを感じさせる比率変化は、我が家に届く年賀状と年賀欠礼状を母集団にするかぎりは、観察できませんでした。

ヨモギと近縁のハーブの名前を持つある外国の都市があります。その都市で発生したある重大事故の被害者を時系列調査したデータの傾向がわが国にもそのまま妥当すると考えると、2016年の正月はわかりませんが、2017年の正月が近づくあたりから、年賀欠礼状の枚数が目に見えるような形で増加したとしてもおかしくありません。

定点観察にもとづく動画情報やその他の関連情報などを客観的に理解すれば、その事態の進行形の度合いが数か月前から急に上昇したようにも見受けられます。

年賀状とは違ってわずかな枚数だったのですが、今年の暑中見舞いや残暑見舞いを手書きしながら、改めて、そんなことを考えていました。

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