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2015年8月20日 (木)

「刺を投ず」あるいは「刺を通ず」に関して雑感

会場で名刺を交換した、とか、相手に名刺を渡した、とか、名刺を頂戴した、とかいうぐらいの表現しか最近は使われていないし、僕も使いませんが、日本でも少し以前の日記やいくぶん硬い文章には「刺を投ず」や「刺を通ず」と云った緊張感のある漢文調表現が見られます。

たとえば、

「歸途新二丁目なる書肆の主人長崎次郎を訪ふ。叉刺を茨木中將の家に投ず。大江村大字九品寺の邊に在り。旅舎に反りて午餐す。」(森鴎外「小倉日記」明治32年)、

あるいは、

「空海が最澄に刺を投じたのは、帰朝後の大同四年(809)二月三日である。その後まもなく、最澄は空海からしばしば密教の経典の借覧を申し出ている。」(宮坂宥勝「仏教の思想 9」 生命の海〈空海〉昭和43年)。

好奇心から、手もとの大きな国語辞典を引いてみると、「刺を通ずる」は出てきますが、不思議なことに「刺を投ずる」は見あたりません。その辞典によれば「刺を通ずる」の意味は、「名刺を出して面会を求める」となっており、それなら「刺を投ずる」があってもよさそうなものです。

ついでに手元の漢和辞典で「刺」を探してみました。「相手に名を知らせて都合を探るのを『刺を通ず』といい、その名札を『名刺』という」、そして例文としては「・・刺ヲ投ジテ郵亭二謁ス」。「郵亭」とは「宿場、旅宿、駅逓(えきてい)」といった意味なので「郵亭二謁ス」というのがどうもすっきりとしないし、説明が「刺を通ず」で例文が「刺を投ず」というのもすっきりとしないのですが、ここではその不可解には立ち入りません。

またついでに手元の(現代)中国語辞典を調べてみると(といってもこの場合はウェブ検索ですが)「投刺:名刺を差し出す」となっています。

鷗外が「刺を・・の家に投ず」と書くとなれば、古い中国の漢籍に「投刺」の源泉があるはずです。一杯やりながらインターネットで遊んでいたら、興味深いエッセイが見つかりました。

「しかし、(正月に)自分でいちいち(年賀の挨拶に)回るのは大変なので、『投刺』の風習が出て来ました。刺は名刺です。西漢時代、『名刺』を『謁』と言い、東漢時代に『刺』を祢しました。すなわち、自分の名前を刻んだ竹の板です。『投刺』とは、他の人に年賀の名刺を届けさせることです。」(「正月の風俗-中国と日本-(Customs of the New Year: China and Japan)馬 興国(Ma Xing-guo )遼寧大学日本研究所副所長」)

「投刺」とは、中国でのもともとの意味は、他の人に年賀の名刺を届けさせることだったようです。もともとの意味は別にして、ぼくも「名刺を差し出した」ではなく「刺を投じた」が似合うレベルの文章を書いてみたいものです。

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