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2015年9月

2015年9月30日 (水)

北海道産のメロンで作ったジャムにびっくり

マーケティングに関する議論が目的の地元の加工食品の試食会というのがあります。その試食会に参加できるのは、主催者の意思で、北海道フードマイスターの資格保持者だけ。

試食対象が、北海道の野菜や果実を使った地元企業の調味料や加工食品である場合で、それから、自家製の(ないしは愛用している)調味料や加工食品と範疇が重なる場合は、消費者としての意見を伝えやすいのでできるだけ応募するようにしています。しかし、開催日時は、たとえば金曜日の午後の二時間というような場合が多いので、時間のやりくりに気を遣うことになります。

参加者は、当該企業の当該商品のマーケティングにかかわる感想や意見を、消費者としての立場、あるいは食べものビジネスの関係者としての立場、あるいは料理の専門家としての立場から、当該企業の商品担当者に対して自由に述べることを求められているので、それなりに楽しい会合ではあります。

今回の会合に参加することにしたのは、試食対象のひとつが北海道の「青南蛮(あおなんばん、青唐辛子のこと)」を使った「中辛」と「甘辛」の「青南蛮味噌」であり、それから、別の試食対象が数種類のジャムで、その中にハスカップのジャムと富良野メロンのジャムが含まれていたからです。

北海道産の激辛青南蛮は、例年、四国産の柚子と組み合わせて、柚子胡椒作りに使っています。2015年版の柚子胡椒はこのシルバーウィークに作ったばかりです。ハスカップのジャムは以前我が家でも作り、そのジャムでハスカップパイを焼いて何度か楽しんだことがあります。最近は、自宅の鉢植えで収穫したクランベリーの赤い実をジャムにし、それを使ったクランベリー入りのパンをホームベーカリーで焼いてみました。クランベリーに比べてもハスカップジャムの甘酸っぱい鮮烈さは別格です。

北海道産のメロンでは、ぼくは富良野産の赤肉メロンがいちばん好きですが、それをジャムにしたとはどういうことか。

さて、マーケティング目的の試食会です。青南蛮味噌の試食用におにぎり、ジャムの試食用にパンを持参することも考えましたが、そういう配慮は当該企業が用意してあるに違いありません。手ぶらで出かけました。参加者は10人、6人が女性、4人が男性でした。

今回は、まったくの新製品の試食会ではなく、既存製品のポジショニングの見直しや北海道以外への販路の拡大などに関する議論を軸としたタイプの試食会です。

ハスカップのジャムは鮮烈でした。しかし、予想通りの自己主張の強さで、そういう意味では驚きはありませんでした。我が家だと今は自家製豆乳ヨーグルトのトッピングにするのがいちばん便利です。ハスカップと云っても、北海道以外の消費者はその存在すら知りません。どういうものなのか手がかりがない。ハスカップにはそういう弱点がある。

甘辛と中辛の青南蛮味噌も考えていた通りの美味しさで、甘さのあとにゆっくりと力強く押しかけてくる青南蛮(青唐辛子)の辛さがたまりません。青唐辛子を使いながらも柚子胡椒とは性格の違う調味料なので、柚子胡椒とけっこうきれいな棲み分けができそうです。

ともかく驚いたのは、メロンのジャム。メロンでジャムという発想もすごいのですが、富良野産の赤肉メロンを八割程度にまで煮詰め、煮詰めたのを保存食品とするために若干の砂糖を加えたそれは、一般に云うところのジャムというよりも生メロンの香り立つ凝縮体で、生のメロンをスプーンですくって口に運んでいる感じです。豆乳ヨーグルトとの相性もいいはずです。

こういうジャムを北海道の手土産にすると大喜びしてくれるであろう何人かの顔が思い浮かびます。しかし、こういうのがあれば季節に関わらず富良野メロンを堪能できるわけで、これが近所のお店で手に入ればそういう人たちはおそらくはリピーターになるに違いない。土産物として持参するぼくも嵩張らないので助かります。

生のメロンは、独り暮らしには敷居が高い果物です。頑張って二日で食べるか、それとも穏当な量を四日で食べるか、いずれにせよ毎日食べることになります。そういうのがつらい方にも便利かもしれません。冬にメロンと云うのも、ありです。

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2015年9月29日 (火)

ミニトマトの味の比較

アイコというラグビーボール型のミニトマトを大きなプランターを使って三年間から四年間ほど栽培したことがあります。自家栽培なので、当然のことながら無農薬です。アイコは、赤いのも黄色いのも背が高くなるタイプのミニトマトで、放っておくとどんどんと上へ伸びていくのでそのあたりの対応はむつかしいのですが、基本的に育てやすい品種です。

その数年間の経験で、アマチュアが作るアイコの味(のレベル)というものがぼくの中に刷り込まれています。カラスもけっこうな頻度で、熟したアイコを見計らったように略奪しに来たので彼にとってもそれなりにおいしいトマトだったのでしょう。

プロの農家が生産したアイコを買ってきたときにはその味と、記憶の中の我が家のアイコの味とをおのずと較べてしまうようです。

あるミニトマトの有機栽培で有名な農家のアイコを口に入れた時は、さすがに、と感嘆しましたが、自然栽培農法や無農薬有機栽培の農家のアイコの中にも、味という点に関して、以前、配偶者とぼくが育てていたアイコとほとんど味の程度が変わらないのも少なくありません。(ほとんどではなく、まったくという副詞を使ってもいいのですが、そこは控えめに。)

ひょっとすると、あの数年間のアイコは結構水準の高い農産物だったのかもしれません。そう考えると気分がいいので、そうしておきます。

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2015年9月28日 (月)

粗い意識と粗い執着、微細な潜在意識と微細な妄念

意識や無意識や潜在意識、わかりやすい執着心やわかりにくい執着心についての雑感です。最近はそういうことを考える機会が以前よりも増えてきました。

他の智の伝統にも同じような発想があるので仏教に限ったわけではないのですが、仏教は、ぼくたちの妄念や執着を、自分ではほとんど(あるいはまったく)気づかないような細かいものと、自覚的な人ならその存在や動きに簡単に気付く粗いものに分けています。よく三細六麁(さんさいろくそ)という表現が使われますが、三細六麁いうのは、ぼくたちの中を流れている三つの微細な妄念や執着と六つの粗大な執着のことです。「麁(そ)」はむつかしい漢字ですが、粗いという意味です。三や六という数字は、三界とか五大とか六塵とか六識という場合の三や六と同じ使い方での三や六だと思います。

自分ではほとんど気づかないような細かい妄念の流れとは、たとえばそのひとつは、言葉や概念という記号や象徴で世界や外界を区分・選別しながら認識するぼくたちの生来的な傾向、日常的な二元論的習性のことです。この二元論的習性は普段はその存在に気がつかないほど根深いし、かりに気がついても当然のこととしてやり過ごしてしまいます。

粗いもの・粗大なものとは、たとえば、ぼくたちのなかで止むことなく発生するおなじみの感情で、他者に対する突然の激しい怒りや消えることのない怨み、他者やモノや観念に対する深い愛着といったものです。執着の中では、観念への執着がいちばん強いかもしれません。

机とか花とか森とか粒子とか意識とかいっている場合にはそうした世界の区別もまだ穏やかなのですが(サトリという点からは障碍だとしても)、世界の区分や対象の選別に善や正義や悪、真実や虚偽といった言葉が登場してくると、言葉の区分は価値観の違いになり、価値観の違いは正邪の断定を呼び寄せます。ぼくたちが頻繁に経験することです。

仏教は、粗いものと微細なものという視座でぼくたちの執着や妄念の全体を掴もうとしただけでなく、ぼくたちの意識や無意識、潜在意識や集合意識を、意識と末那識(まなしき)と阿頼耶識(あらやしき)の三つの識で捉えようとしました。

ここでいう意識とはぼくたちが日常生活で自覚するところのいわゆる意識ですが、末那識とは意識の深層で働く潜在的な自我執着心のこと(自我の確立というのは現代では「美徳」のひとつですが、そういう文脈での自我が確立されていなくても自我執着心はとても強いようです)、それから阿頼耶識とは自我執着のさらに奥、ぼくたちの生存の奥底で流れている生存執着心のようなもののことです。外界を具体的な言葉や抽象的な概念で区画するといったぼくたちの日常に不可欠の行為も生存執着心の一部です。深層の自我執着心にはそれが浮かび上がってきたときに即座に気がついたとしても、阿頼耶識的なものの流れを自覚し体感するのはむつかしい。

粗大なもの・微細なものという区分からすれば、ぼくたちの通常の意識はまちがいなく粗いものです。末那識は粗大なものと微細なものの集合体です。だから、末那識は一部は微細ではあるけれども手がかりを持てない程度までは微細ではない。しかし、阿頼耶識は微細です。ぼくたちが生きている間は深いところで活動しながら横たわる識なので、禅定のようなものを重ねた人しかまともに相手にできないタイプの識です。

禅定とは瑜伽とか黙想という意味で止観と云い替えてもいいのですが、仏教一般における瞑想行為です。禅宗の独占物というわけではありません。また、仏教とは異なる智の伝統であるところの「荘子」を手にすると「座馳」と「座忘」という考え方に出会えます。「座馳」とは、かりに静かに座っていても頭の中や心の中を雑念と妄念が休みなく駆け回る状態のこと、「座忘」とは、比喩的に云えば、禅定のようなものを媒介とした、仏教で云うところの「空」の世界、区分が顕れるまえの原初の世界に住むことです。

阿頼耶識のような微細な生存執着心に支えられて、微細な自我執着心が生まれ、それが粗大な自我執着心や粗大な観念への執着を産み、その結果、たとえば、悪の枢軸や鬼畜云々といった表現が登場し、その表現が増幅され、増幅の結果、怒りや怨みや侮蔑といった粗大な感情が人々の中に引き起こされ、それぞれにとっての「正義の行為」が開始されるというのは、歴史の書物ではなく、ぼくたちの経験値の範囲内のできごとです。

そういう表現の改訂版や今様版が国会やメディアに溢れている状況に、平成二十七年の歌会始の「夕やみのせまる田に入り稔りたる稲の根本に鎌をあてがふ」という鬼気迫る御製を重ねあわせてみると、現在、ぼくたちの中やぼくたちの周りに流れている意識や無意識や潜在意識、微細な想念や粗大な妄念についていろいろと考えさせられることになります。

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2015年9月25日 (金)

柚子胡椒 2015年版

2015年版の仕掛中の、それから作ったばかりの柚子胡椒(ゆずこしょう)です。作ったばかりなので緑が鮮やかです。

材料は徳島県・木頭(きとう)産の柚子と、北海道産の激辛青なんばん、およびミネラル分の多い自然塩。緑の柚子の皮(果皮)と、タネをとった激辛なんばんをすりつぶしたものに塩を加えて熟成させると柚子胡椒という調味料になります。写真は、熟成前なので、まだ柚子胡椒とは呼べません。その潜在態です。我が家の塩の量は、柚子の果皮と激辛なんばんの合計重量の20%。

(青)なんばんとは(青)唐辛子のことで、北海道や東北での呼び名です。柚子胡椒はもともとは九州の調味料。九州では唐辛子のことを胡椒と云うので、柚子唐辛子ではなく柚子胡椒という名前になったようです。

2015

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北海道や東北地方には三升漬けと呼ばれる青なんばんを使った郷土料理があります。青なんばん・麹・醤油をそれぞれ一升ずつの分量で漬け込んだ保存食で(だから三升漬け)。漬物としてご飯といっしょに食べるそうです。ぼくはまだ食べたことがありませんが、おいしいに違いない。今度、市販のものを買ってみます。

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2015年9月24日 (木)

いい品質の音と味わいのある音など

あるところでビリー・ホリデイ (Billie Holiday) が流れていました。今までの記憶にないタイプのいい音です。最近のCDでしょうか。

ここ数年のうちに発売された彼女のいくつかの組み合わせCDアルバムの中から、最近それらを買った人たちの評価も参考にして、2種類、購入しました。視聴者評価欄には、音質がとてもいいというコメントが多いようです。届いたCDのジャケットには Digitally remastered for optimum sound quality とあります。

たしかにいい音です。しかしデジタル技術で人為的にステレオ風に修正したような音なので、二本のスピーカーのまん中からも流れてくる彼女の声はまだいいとしても、楽器が無理をしている風に聞こえます。音の全体に風味が欠けている、とぼくには感じられます。

無理をしている感じの音なので、聴いていてもどうも落ち着かない。ずいぶん以前に購入したモノーラル版のCDアルバムを取り出しました。Yesterdays,  I’ll be seeing you,  Embraceable you,  As time goes by,  Strange fruit などを聴きます。味わいのある音です。モノーラルなのに音に深みがある。

旧訳は最近の読者の傾向と合わないということで、外国の古典文学作品が新しい日本語訳で登場することがあります。新訳版はたいていはわかりやすいのですが、旧訳版が持っていた文体の格調に欠けるものもあるようです。Digitally remastered for optimum sound quality のビリー・ホリデイは、古典の新訳版だと思いました。

新訳版で楽しみたい曲もありますが、ゆっくりと聴きつづけるなら旧訳版に限ります。

ビリー・ホリデイの歌声が生理的に嫌いだという知り合いがいます。半分くらい、同意します。曲によって、たいていは彼女が歌いすぎるような場合、曲でなく、彼女の声そのものにうんざりとさせらることがあります。そういう場合のうんざり度に関しては新訳版でも旧訳版でも差はありません。念のため、モノーラル録音の As time goes by を聴き直してみました。ぼくには彼女のこの曲は、音量を絞って聴く方が合っているようです。

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2015年9月18日 (金)

花穂(はなほ)の時期と紫蘇からのメッセージ

写真は青紫蘇(大葉)の花穂と赤紫蘇の花穂(はなほ)です。花穂は、刺身のコンパニオンなので、野菜売り場の棚などには、長さのそろったのが箱にきれいにパッケージングされて並んでいます。

今年の七月、八月、九月の前半は、毎日のサラダの材料として自家鉢植え栽培の青紫蘇と赤紫蘇の葉にはずいぶんとお世話になりました。花穂が出てきたと云うことは、ヒトにとっては刺身のツマが収穫できるということですが、紫蘇にとっては、花を咲かせて種の存続のためにタネの準備にとりかかりはじめたということです。

つまり、葉は気前よくさしあげたけれども、これからはいろいろと忙しいので邪魔をするなという紫蘇のメッセージです。花穂を刺身用に若干いただくかどうかは別にして、今年の紫蘇とのおつきあいは、したがって、そろそろおしまいです。鉢植えや土を来年にそなえて整理します。

赤紫蘇の葉は全部収穫し、塩もみして翌年の梅干し作りのために保存しておきます。

枯れかかったら花穂からタネがとれますが、我が家では使いません。タネは固定種や従来種のタネを専門に扱っているタネ屋さんから購入したものを毎年利用しています。

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2015年9月17日 (木)

消費者が少ない種類の野菜

食欲が湧きたつ健康そうなセロリと朱色がかがやく調理用トマトには、旬の季節であっても、なかなか出会えません。セロリは最近は僥倖に恵まれる機会もそれなりにあるのですが、調理用トマト(イタリアントマトと呼ばれる場合も多いですが)は稀少です。だから、この二つに関しては需給が逼迫(ひっぱく)しているなどと大げさな表現をしてみたくもなります。こういうのが好きな消費者にとっては残念なことですが、要は全般的な消費量が少なくて、したがって生産量も少ないというだけの話です。

しっかりとした緑の採りたてのセロリや、ずしりと重い調理用トマトを野菜売り場で見つけると、配偶者は一瞬の躊躇もなく並んでいる分だけ買い物カゴに放り込んでしまいます。決してそれほど多くは並ばないので、つまりせいぜい二~三束か、調理用トマトだと大きなプラ袋詰めが二~三パックくらいなので、全部買ったとしてもたいした量にはなりません。

土曜日の午前中に配偶者がにこにこしながら帰ってきたのでどうしたのかと思ったら、背の高いご近所セロリが二束、買い物袋からはみ出していました。

ご近所農家が趣味で生産しているらしいいつもの調理用トマトには、今年はまだ出会えていませんが、別の札幌市内の農家が栽培した種類の違う調理用トマトが運よくまとめて手に入りました(品種はおそらく「なつのこま」)。トマトソースのストックがいっぱいできます。

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【註】生産者と直接お話しする機会があり、この調理用トマトは「なつのこま」ではなく、それより一回り大きめの「なつのしゅん」という品種でした。

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2015年9月16日 (水)

日米関係のサブセットとしてのTPP

札幌のあるところで、TPPの現況や北海道農業の今後を話し合うための小さな会合がありました。参加女性のTPPや農業を超えた活発な議論に刺激されたので、以前のブログ記事と内容が一部重複しますが、以下のような文章を書く気になりました。

◇ ◇ ◇

ある国の軍隊が、他の国に、治外法権状態で駐留しているという状態は、後者が前者の植民地、ないしは属国ということです。たとえばイギリスとインド、フランスとベトナム、オランダとインドネシアが長い間そういう関係でした。そういう事実からすれば、現在の(というか戦後の)日本は間違いなく米国の属国です。こんなことは、立場を変えて、かつて日本の軍隊が近隣他国に治外法権的に駐留していた頃の状況を想起し、日本が(あるいは当時の日本国民が)そういう国をどう位置付けていたかを考えたら簡単に納得できます。

植民地や属国という被支配国では「買弁」と呼ばれる被支配国生まれで被支配国の国籍を持った人たちが活躍します。活躍するとは実質的な政治権力を有するということです。買弁のもともとの辞書的な意味は「(中国)明・清時代の宮廷用物品の調達者」ですが、それが転じて「外国資本への奉仕によって利益を得、自国資本の利益を圧迫する者」ということになりました。

これを日本の状況に当てはめると、現在の(あるいは戦後の)日本における実質的な支配者は、スーパー買弁とでも形容するのがふさわしい霞が関の官僚です。霞が関の官僚といっても、全部の中央官僚組織ではなく、外務省や財務省、経産省や法務省のような省庁ピラミッドの頂点に位置する省庁のことです。そして、そういう官僚に定例的に指示を与えているのが「日米合同委員会」という名の委員会。合同委員会への出席者は、米国からは在日米軍の高官、日本からは外務省や法務省、財務省などのトップクラスの官僚です。 (「日米合同委員会」やその周辺については孫崎亨氏の著書「日米同盟の正体」「戦後史の正体 1945-2012」や矢部宏治氏の著書『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』を参考にしています。)

けっこう面白いのは、高級官僚という日本的買弁の人たちは、米国が直接に命令しなくても「前もって米国の気持ちを察して」、米国のためにいろいろと考えるということです。昔の時代劇には、お殿様の気持ちを察した家老や側用人が、お殿様に代わって、ひそかに事を進める場面がよく登場しましたが、つまり、あれ、です。歴史的に華夷思想の刷り込みの長かった日本人が共通に持つ気質のひとつかもしれません。

中央官僚は米国の気持ちを察して政策提案を行い、その周辺(取り巻きとも云います)の「大本営発表」報道が得意なマスメディアは、それを支援・増幅する記事を書きます。これはぼくたちが日常的に経験することで、TPP報道はそのひとつです。Under Controlということになっており、米国の利害との直接の関係は今のところはないとされている福島第一原発事故の報道も別のひとつです。

日米間の重要な条約のひとつが日米安保条約です。日米安保条約は、日米のどちらかが延長したくないと云えば、1年後に解消できるような取り決めになっています。

外務省のホームページには「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」、いわゆる日米安保条約が掲載されていますが、以下はその第十条の引用です(下線は「高いお米、安いご飯」による)。

『第十条
 この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。
 もつとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する。』

第十条の英文は以下の通り。

ARTICLE  X

This Treaty shall remain in force until in the opinion of the Governments of Japan and the United States of America there shall have come into force such United Nations arrangements as will satisfactorily provide for the maintenance of international peace and security in the Japan area. However, after the Treaty has been in force for ten years, either Party may give notice to the other Party of its intention to terminate the Treaty, in which case the Treaty shall terminate one year after such notice has been given.

この条約の締結日が1960年1月19日なので、十年間効力を存続した後とは1970年1月19日以降ということです。

なお、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍が日本国において使用することを許される施設及び区域や日本国における合衆国軍隊の地位は、別個の協定により規律される、となっています(第六条)。別個の協定とは、日米安保条約の補足協定としての日米地位協定のことで、その前身は日米行政協定です。普天間や岩国に配備されたオスプレイやオスプレイが日本各地で行うその飛行訓練は、この協定にかかわる最近の事例です。

1960年に締結された日米安保条約は、当事者のどちらかがこの条約が嫌になれば、「ご破算に願いましては」と通告することができる仕組みをとっています。言葉を換えれば、米国との軍事的な協力関係が今後も必要な場合でも、現行の条約をその補足協定である日米地位協定を含めて破棄し、日本にとって好ましい内容の「新・日米安保条約」と「新・日米地位協定」を結びなおすことができるということです。

だから、たとえば、新しい日米安保条約の骨格を検討する際に、(1)まず治外法権扱いであるところの米国の軍事基地は日本からすべて撤収してもらう、しかし(2)同時に両国間では軍事的の支援協定が当面の間は必要なので現行のものとは違った形で新しい支援協定を締結する、という二つの意思をもとに出発することもできるというわけです。

その解のひとつは、たとえば、小沢一郎氏のかつての発言にあったような「在日米軍は第7艦隊だけで十分」という考え方です。そこでは(1)における治外法権排除という意思と、(2)における軍事支援協定締結の意思という二つの意思が「現実的に」組み合わされています。

しかし、米国の意思を前もって慮る(おもんぱかる)ことに熱心な官僚は「現行の日米安保条約の破棄・変更などは米国は望んでいない」、「米軍は沖縄からグアムに引き上げたいのではなく、沖縄に治外法権状態でとどまりたいに違いない」と前もって慮り、そういう慮りに抵触・抵抗する動きを自ら排除しようとします。

戦後、日米安保条約や地位協定の改定や米国債の売却に関心を持ち、関心を持っていることをまわりに発言し、そしてそれらの実行に取り掛かろうとした人たちのうち、その時に政治の表舞台で顕職にあった政治家は、たいていの場合、なぜか、短期間のうちに不幸な事件に遭遇するか、その後に不運な境涯を経験することになりました。小沢一郎氏がそうでしたし、鳩山由紀夫元総理もそうでした。その前は、故・田中角栄元総理や故・橋本龍太郎元総理がそうでした。所属政党は無関係です。それから、元財務大臣の故・中川昭一氏もそうでした。彼は、実質的には売却に相当するところの10兆円規模の米国債の活用を2009年2月に実行に移そうとしていました(中川昭一氏に関する一行は後日追加)。

この国の政治の実質的な意思決定者・支配者が米国に対して買弁的な役割を担っている中央官僚であり、その支援団体が大本営発表報道を得意とするほとんどのマスメディア(NHK、ほとんどの民放、ほとんどの大新聞)だという構図を考えると、日米安保条約や地位協定の改定や米国債の売却に関心と熱意を持った政治家が、次々と失脚ドラマの主人公になったことに何の不思議もありません。

◇ ◇ ◇

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2015年9月15日 (火)

果実の入った大人向きのおやつパン

クランベリーのジャム」の補足記事です。

クランベリーをジャムにして、それをブドウパンのような感じでクランベリーパンにすると、クランベリージャムの軽やかな甘酸っぱさを堪能できます。休日午後の大人のおやつ向きのパンです。

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それから、これは、レーズンの入ったレーズンパン。天然酵母と北海道産の「はるゆたか」の組み合わせです。これも大人向きの味。久しぶりに「はるゆたか」を堪能しました。

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2015年9月14日 (月)

五大(ごだい)と五輪塔(ごりんとう)

写真は国東半島(九州)近隣のあるお寺の「五輪塔」です。素朴で小ぶりな作りの墓です。周りに草が生い茂っています。どなたが葬られているのかはわかりません。「五輪塔」という説明板がわざわざ建てられているので地元の役所の手が入っている種類のお寺の五輪塔だと思われます。「五輪塔」の隣や近所には「庚申塔」や「国東塔」とその説明板がありました。

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「お客さん、奈良の仏教は生きている間の仏教です。京都の仏教は死んでからの仏教です。」奈良市のタクシー運転手が、かつて、といってそれほど以前ではないかつてですが、そう語ってくれました。

南都六宗とよばれる奈良仏教は法相(ほっそう、たとえば興福寺)や華厳(けごん、たとえば東大寺)のような哲学的な仏教で、一般人を対象とした葬式は寺の仕事ではありません。空海の真言密教も、瞑想(禅定)をベースにした形而上学的な性格を持った仏教です。しかし同時に、鎮護国家や現世利益への指向性もけっこう色濃く絡んでいます。仁和寺の御室桜の下での酒宴の様子などは、いかにも真言密教の寺にふさわしい。

真言密教の形而上学性というのは、たとえば「五大に皆響きあり。十界に言語(ごんご)を具す。六塵(ろくじん)悉く文字なり。法身は是れ実相なり。」(「声字実相義」)あるいは、「六大(ろくだい)無碍(むげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり。」(「即身成仏義」)というようなことで、その中には「理趣経」的な昇華哲学も含まれます。(【蛇足的な註】五大とは、「地・水・火・風・空」からなる森羅万象のこと。六大は五大に「識」を付け加えたもので、全世界、森羅万象という意味です。)

真言密教のテーマは即身成仏です。人はそのままで仏、と云うことですが、仏という仏教的な表現と波長が合わないなら、そのままで空、あるいは老子や荘子がいうところのそのままで世界が顕れるまえの原初と考えることもできます。最近「大乗起信論」を読み返してみました。この六世紀後半の論書も、如来蔵や(大乗起信論が云うところの)阿頼耶識を媒介とした即身成仏についての書物だと言えるかもしれません。ともあれ、真言密教は奈良の運転手さんの云うように、生きている間の仏教だったと思います。

そのうち浄土思想という死んだ後のことを語る仏教が、そういうことに関心の高い末法の人たちの心を捉えました。極楽浄土をめざす仏教です。奈良の運転手さんが云うところの死んでからの仏教です。人々の関心があまりに高かったので(たとえば平安貴族だと平等院鳳凰堂)、真言密教にも即身成仏と極楽浄土を融合させたようなニューウェイブが草の根運動的な形で登場します。「高野聖(こやひじり)」と呼ばれる人たちです。そのニューウェイブの思想的な完成者が「覚鑁(かくばん)」、12世紀前半、平安後期の僧侶です。

               S  平等院鳳凰堂

この覚鑁が即身成仏と極楽浄土の融合体の象徴として作ったとされるのが「五輪塔」、つまり瑜伽(ゆが)するお墓です。覚鑁(かくばん)は「真言念仏」というシステムインテグレーション活動の一環として「五輪塔」の形式やそれを支える考え方を整備したのでしょう。

古代ギリシャでは哲学することは死の練習でしたが、そういう意味では、仏教的な形而上学的思弁や瑜伽はもっと明確な死のトレーニングです。瑜伽をする人の光景をそのままお墓に置き換えたのが五輪塔なら、五輪塔は、覚鑁風の云い方をすれば、生(真言による即身成仏)と死(念仏による極楽浄土)の接点になります。

「五輪塔」をもとにした日本人の葬墓のシステムは、高野聖の普及活動によって、それ以降、全国に広まっていったらしい。「梵字手帖」という本によれば「供養塔として造立された五輪塔には、各時代の風格があり、平安時代より始まった造塔は、鎌倉時代には形の上からも完成を見ます。室町江戸期には形も崩れだしました。五輪塔は時間を越えて、今日に何かを語りかけてくる様な存在。諸行無常。」

先ほどの国東半島近隣の五輪塔はいつごろ造られたものでしょうか。

以下は五輪塔の構成図です。図は「梵字手帖」(旧版)から引用しました(一部編集)。五輪塔は上から空(輪)・風(輪)・火(輪)・水(輪)・地(輪)の五大が組み合わさったものです。塔に刻まれている文字は梵字(サンスクリット語)。その表記方法から悉曇(しったん)文字と呼ばれています。

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2015年9月11日 (金)

クランベリーのジャム、それから大雨

大雨は現在も降り続いています。土砂災害や河川の氾濫など大雨の被害に合われた方が一日も早く災害から復帰できるようお祈り申し上げます。昔(たとえば古くは、5,000年から6,000年前の縄文時代)からの地名と、地名が記憶しているその土地の地勢や地盤の関係を改めて思い出しました。弱い地盤や低い地盤を意味する文字を含んだ地名を持つ地域は少なくありません。ところで、今回の大雨被害とは別の、しかし間接的には今回の大雨と関係しているかもしれない、目にはよく見えない被害も静かに進行中ですが、それについてはここでは深入りしません。

大雨とは関係のない話題ですが、上側の写真のクランベリーの実が、一か月後に下側の写真ようなジャムになりました。クランベリーは酸性の沼地や湿地帯が好きな果樹なので今回の雨を嫌ってはいないようです。

クランベリーは二つに切り、甘味に北海道の甜菜(てんさい)糖。品の良い赤みにするために徳島のスダチの搾り汁を少々。生のときは、そのままでは楽しめる酸っぱさではなかったのが、北海道や徳島の仲間と一緒になったら、いかにもクランベリーというおだやかな酸っぱさの上品なジャムになりました。ジャムの製作責任者は配偶者です。

このジャムはパンに混ぜ込まれ、おいしいクランベリーパンになる予定です。

   H_20150810 8月上旬

   Photo 1ヶ月後

関連記事は「クランベリーとハスカップ」と「クランベリーは、ハスカップと違って、酸っぱさを楽しめない」。

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2015年9月10日 (木)

セロリ雑感

好き嫌いがはっきりと分かれていて、嫌いな人の方が圧倒的に多いと思われる野菜のひとつがセロリ(セルリーとも呼ばれている)です。嫌いな人はセロリの香りと味と繊維質の食感が受け入れられないに違いない。セロリ好きのぼくに云わせたら、じつにもったいないと思いますが、嫌いな人にとってはセロリ好きは「蓼(たで)食う虫も好き好き」の変わった虫に相当するのでしょう。

だからなのか、食べたい量が手に入らない野菜のひとつもセロリです。夏から秋にかけては北海道産のセロリが旬で、北海道では道南地域や札幌の近郊でも栽培されていますが、野菜売り場でいいのに出会えたら幸運という感じなので、栽培量は少しだと思います。

冬は、以前からの付き合いをなんとなく継続していて、渥美半島(愛知県)のセロリが好みです。最近は冬場には沖縄のセロリも手に入ります。ただし、見かけだけがセロリというひ弱なのはたとえ地元のものであっても購入対象外です。葉も茎もほとんどすべてがおいしく食べられるような香りの濃い緑色のセロリにしか関心はありません。だから余計に食べたい量が手に入らない。

そういうセロリは、買ってきたあと(あるいは届いたあと)冷水につけておくと、どうだというくらいに葉も茎もシャキッとしてきます。無駄にするところがほとんどありません。いろいろな食べ方もできます。葉の柔らかいところや茎はサラダに、茎は糠漬けに、葉のかたい部分は炒飯の具材や佃煮に。

農林水産省の統計で、国産野菜の収穫量・出荷量などを都道府県別に整理したものがありますが(最新は平成26年分)、セロリ(セルリ―)もその統計の対象野菜のひとつです。地元の資料によれば北海道の年間セロリ生産量は1,000トン(平成22年)くらいで、農水省統計では日本全体の年間セロリ生産量は34,000トン(平成26年)なので、統計誤差というほど微量ではないのですが、統計上は北海道の生産量は全国生産量の一部としてその中に溶け込んでおり、個別の独立した生産量としては存在しません。

セロリの収穫量が日本でいちばん多いのは長野県、二番目が静岡県、両県を合わせると全国収穫量の64%です。愛知県は四番目。収穫量の多いのは、夏が涼しい長野県、そして冬があたたかい静岡県ということだと思いますが、その気候配置は、我が家の場合で云うと夏が冷涼な北海道、冬が温暖な愛知県(の太平洋側)ということになります。

セロリと、たとえば下の写真のような葉物野菜を適当に組み合わせると、満足感の高いサラダになります。それからセロリは(セロリに限りませんが)冷蔵庫では立てて保存。寝かせておくと起き上がろうとしてエネルギーを使ってしまい味の劣化につながります。

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2015年9月 9日 (水)

クランベリーは、ハスカップと違って、酸っぱさを楽しめない

クランベリーとハスカップ」の続きです。

熟して地面に落ちたのもあったので適当に赤みがかったのを収穫してみました。さほどのことはあるまいと高をくくっていたのですが、それなりに赤くなり柔らかく熟しているでも、ハスカップと違って、あるいは予想と違って楽しめる種類の酸っぱさではありませんでした。言葉を換えると、ハスカップの酸っぱさは軽やかな甘みをひそませており次々と口に入れたくなるという意味で後をひきますが、クランベリーの酸っぱさはそうではありません。二~三粒で味の確認をしましたが、それ以上の食欲は湧いてきません。

(ハスカップをご存じない方は、以前食べた時の写真が手元にないので、Wikipediaの写真をご覧ください。)

ジャムかジュースか。あるいは「あかね」という紅玉系のリンゴと一緒に炊いて、クランベリー入りのアップルパイにするか、ブドウパンのようにパンに入れるか。配偶者とそんな相談をしています。

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2015年9月 8日 (火)

やっと茗荷(みょうが)の花穂

茗荷は「花穂(はなほ)」つまり「蕾」が土の上に二~三センチ出てきたら採取するので、この二つの花穂(下の写真)はあと二日くらいで収穫できそうです。苗の植え付けから待つこと90日。そのあたりに勝手に自生する野菜なので、まだかまだかと騒ぐことはないのですが、初物(自分で栽培するのは初めて)には緊張します。

Photo_2

茗荷(みょうが)の地下茎栽培は失敗したので、苗を植え付け」(2014年6月8日)と「茗荷(みょうが)は花穂の収穫まで、あと、しばし」(2015年7月24日)の続きです。

ある種苗会社の定期刊行雑誌によれば、早生茗荷と秋茗荷の違いは以下のようです。我が家の茗荷がどちらかはわかりません。今後、花穂がいっぱい出現することを期待して「秋茗荷(みょうが)」と云うことにしておきます。

【早生みょうが】日陰で作る風味のよい多年生野菜で極めて強健。花穂は吸い物、若芽はみょうがたけなどに用いる。ショウガ科。収穫期:4~5月(若芽)、7~9月(花穂)。高さ100~120cm。耐寒性は強。

【秋みょうが】早生種に比べ収量が多い。性質や用途は早生種と同様。ショウガ科。収穫期:4~5月(若芽)、9月中旬~11月上旬(花穂)。高さ70~100cm。耐寒性は強。

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2015年9月 7日 (月)

顔が見える農家、生産や栽培の日常が見える農家

数年間ほど、ラグビーボールかアメリカンフットボール用のボールを小さくしたような形のミニトマトを大きめのプランターで作っていたことがあります。このミニトマトは背が高くなるタイプで、そういう環境だと上へ上へと伸びていく茎とのお付き合いは趣味のアマチュアにはなかなかにやっかいでした。旬の間にある程度の数を確保するのは比較的簡単でしたが、どうも味に深みが出ません。

我が家に限ったことではないのですが、たいていのアマチュアは味が期待に達しなくても、我慢して自家栽培ミニトマトを毎日食べます。だから、その時期は、ミニトマトの生産農家の販売量がその前後よりもやや落ち込むことになるそうです。「おいしくてもまずくても、自分の作ったものは食べますから。」ミニトマトの大きな生産農家と話をしていた時に出た話題のひとつです。

近所の二年ほど前から野菜の品ぞろえが良くなってきたある小売店の野菜売り場には、近隣農家で生産されたご近所野菜のコーナーと、別の近隣農家が栽培した有機野菜のコーナーがあり、赤いミニトマトも一人用ないし二人用のパック詰めや家族向けの袋詰めが並んでいます。商品ラベルにはカタカナ表記の生産者名も含めた生産農家の名前がそれぞれ「墨痕鮮やかに」印刷されてあるので、農家の名前と野菜の種類と味の組み合わせが、消費者のデータベースにだんだんと蓄積されていきます。

お気に入りの農家のミニトマトを朝食用に購入しました。甘くて、味が濃い。洗ってヘタを取り、いくつかを縦に二つに切れば、それだけで朝のサラダになります。

北海道や九州には有機農産物の生産者の組合があります。それぞれに得意な農産物と得意な季節があるので、不足分はお互いに都合しあっています(たとえば、レンコンや里芋)。そこの農産物を買うと、箱の中には必ず組合員であるところの農家の紹介レターが入っており、そのペラものでその農家の得意な農産物や農産物生産に関する考え方や栽培方法へのこだわりなどがわかります。 

面白いのはある農家の放し飼いの鶏の卵。10個入りパックが購入単位なのですが、その厚紙製のパックの中に、月替わりの小さなニューズレター(大きさからするとニューズメモ)が入っていて、そこには、カボチャの季節には自分で栽培しているカボチャくずを、基本飼料以外に、いっぱい食べさせるので卵の黄身はオレンジ色に、コメを多めに食べさせる時期には黄身は白っぽくなる、といったことが鶏の様子の簡単な描写と一緒に書かれています。

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2015年9月 4日 (金)

北海道観光はカニと牛肉

札幌のデパートの外国語案内放送は中国語がデフォ(古い翻訳IT用語風に云うと、外国語案内は、省略時解釈では中国語)でしたが、最近ではタイ語も加わっています。タイ語ができるわけではありませんが、なんとなくわかります。

地元テレビの報道や巷の声によれば、タイからの観光客のお目当てのひとつは、カニ。といっても、毛ガニや花咲カニのような手先の器用な人でないと食べにくい種類ではなく、やはり大きなタラバガニです。それも、タラバガニの食べ放題。だから、たいていはロシアからの輸入物です。しかし、北海道のすぐ北の海域で獲れたタラバガニなので、観光客にとっては北海道のカニです。

最近は、ロシア国内のさる事情のせいで日本へのタラバの輸入量が減少中で、カニ業者やホテルや飲食店はたいへんですが、短期では観光客にその貿易事情は関係ありません。

こういうカニ好き傾向は外国人だけかと思っていたら、必ずしもそうではないようです。以下は、東京にお住いの、食べることと温泉が好きなある知り合いとの最近の会話です。

以前、札幌近郊の温泉地の旅館に泊まり、それなりにおいしい料理を食べたのだが、料理にはすべてフラットに北海道がまぶされていて、キックが足りない。その知り合いにとってのキックとは、焼いたタラバガニの足、あるいは北海道産牛肉のステーキを満喫することだそうです。しかし、カニ専門店やステーキ専門店は好みではなく、北海道素材を使った会席料理風の流れの中で、納得する量のタラバガニや柔らかい牛肉を食べたい。そんなところを知らんかね。タラバか白老牛でも別に注文して、流れの中に取り入れてもらえばいいんじゃないですか。むつかしくはないと思いますよ。まあ、それなりにお金はかかりますが。

タイからの観光客にはカニなしでは北海道観光が成立しないように、一部の日本人観光客にとっても、料理にタラバガニか北海道の畜産物がないと、北海道観光は焦点のボケたものになるみたいです。

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2015年9月 3日 (木)

野菜や果実の抗酸化力の新しい測定方法と、その一部の結果

2012年4月のブログ記事(「食と3種類の知とヘルシーエイジング(3)(3-2)(その2)」に次のように書きました。長いですが、一部を引用します(引用部分は、◇◇から◇◇まで)。

◇◇

たいていの生物は呼吸する空気に約21%含まれている酸素がないと非常に困るけれども、同時に酸素は、生物にとっておそろしい存在です。呼吸で体内に取り入れた酸素から一定割合(吸った酸素の2%)で発生する活性酸素(スーパーオキシド)やそれが変化したもの(ヒドロキシルラディカル)、あるいは紫外線を浴びると発生する活性酸素などが、私たちを、細胞レベルでゆっくりと傷つけ劣化させます。若いとき、つまり再生産可能年齢に達するあたりまでは、活性酸素は私たちの体を病原菌から防御しますが、私たちが再生産可能年齢を過ぎてしまえば、その同じ活性酸素が逆に私たちを静かに攻撃し始めます(ニック・レイン「酸素-世界を作った分子」)。

だから、その活性酸素が発生した時点でそれをある程度消すことができたら、我々の細胞の劣化はそれだけゆっくりとしたものになります。活性酸素を消すには抗酸化力を持ったなにかが必要です。私たちも活性酸素から体を防御する機能を持ってはいますが、それだけでは足りない。年齢とともにだんだんと足りなくなる。

ありがたいことに、私たちが食べる野菜・果物・穀物にはファイトケミカルという形で抗酸化力が保持されています。虫の攻撃、紫外線で生じる活性酸素の攻撃などから身を守るために植物が自ら作り出した物質がファイトケミカル(ファイトはギリシャ語で植物の意味)で、植物栄養素とも呼ばれますが、おもに植物の色素や香り成分、アクなどに含まれています。サプリメント製造販売会社の露出頻度の高いコマーシャルなどを通じて、私たちにおなじみになったファイトケミカルには、リコピン(トマト)、アントシアニン(赤ワインやブルーベリーや黒豆)、カテキン(緑茶)、ケルセチン(タマネギ)などがあります。

野菜・果物・穀物の抗酸化力の公開という点では、自国民が野菜を食べないのでその健康状態に政府がイライラした米国が先を走っていますが、米国の抗酸化力指標であるORAC (Oxygen Radical Absorbance Capacity)には不十分なところ(たとえば、ORAC分析法は分析精度が低い、ORACでは緑黄色野菜に多く含まれるカロテノイド系抗酸化物質〈β-カロテンのような化合物〉の抗酸化能を評価できないなど)があるので、日本ではORACの欠点を補ったAOU (Anti-Oxidant Unit)という指標が測定データの整備も含めて標準化の確立中・普及中といった状態です。

◇◇

ある会社からニューズレターが送られてきました(「ベジマルシェ通信VOL 56」)。そこに、次のような興味深い記事がありました。

新しいタイプの測定法(SOAC法)によって野菜や果実の抗酸化力を測定してみると、従来の測定方法ではよく見えなかった特定の野菜や果実の抗酸化力の様子が見えてきた、というのがその骨子です。

下はその記事の中のグラフです。こういうデータにはなかなかお目にかかれないのでそのグラフを引用させていただきました(引用に関しては、この場を借りてお礼申し上げます)

Dpphsoac

このSOAC法と呼ばれている測定方法は、ある民間の食品会社とある国立大学によって数年前に開発されたものです。簡便な測定方法なので、それを研究やビジネスに利用しているところも多いらしい。したがって測定データは企業や大学の研究室や開発部門に蓄積していると思いますが、それらが一般消費者の目に触れる機会はほとんどありません。上記のニューズレターの中のデータ(パプリカの抗酸化力の相対値)は、だから、ぼくたちには興味深い。

農産物の抗酸化力に関しては、ブドウなどに多く含まれる抗酸化物質である「ポリフェノール(アントシアニンなど)」については測定方法がほぼ確立していましたが、ニンジンやトマトなどに含まれる抗酸化物質の「カロテノイド(リコピンやβ‐カロテンなど)」の正確な抗酸化力についてはよくわからなかった(換言すれば、実際よりも低く見積もられていた)。SOAC法の登場によって、カロテノイドの抗酸化力についても実態に即した結果が手に入るようになりました。

(最初に引用した部分と一部重複しますが、)野菜や果物の抗酸化力の対象であるところの活性酸素は、呼吸などによって発生する「ラジカル」と、紫外線などによって発生する「一重項酸素」とに大別されます。そして、そうしたタイプの違う活性酸素の消去に効果のある農産物の抗酸化物質もそれぞれ異なっています。たとえば、赤ワインに含まれる「アントシアニン」(総称して「ポリフェノール」)は「フリーラジカル」に強い。一方、赤やオレンジ色の野菜に多く含まれる「リコピンやβ-カロチン」(総称して「カロテノイド」)は「一重項酸素」という活性酸素に強い。

こういう数値がわかれば、たとえ野菜ごとや季節ごとの相対数値であっても、野菜好きな消費者には役に立ちます。ちなみに、季節ごとというのは、旬とそれ以外の時期という意味です。関連記事は「バジルと旬(しゅん)と抗酸化力」。

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2015年9月 2日 (水)

少し智恵が足りないかもしれないシンジュ(神樹)

たくさんのタネ(種)をつけるのは植物としてはいいことですが、その自分のタネがぶら下がるところの自身の枝の強さに無頓着でタネをふさふさにつけすぎてしまうという不思議な傾向が、「シンジュ」という落葉広葉樹にはあるようです。

台風の間接的な影響で強い風の吹いた日の翌日に、シンジュのタネが枝付きのまま、地面の草むらにいっぱい落下しているのを見つけました。写真は小枝ですが、もっと大きな枝ごと地面に横たわっているのもあります。これではタネは竹トンボになれません。シンジュ(神樹)という大げさな名前(Tree of Heavenの翻訳名だそうです)の割には、少し智恵が足りないようです。もう一つの控えめな名前のニワウルシ(庭漆)の方が向いています。

しかし、本当は不思議な傾向ではなく、タネの生存率を計算しつくした上での意識的な枝ごとの落下かもしれません。言葉を換えれば、自然を利用した自発的な間引きです。タネが多すぎるので、この程度の風で落下してしまうような弱いのは、落下しても仕方ない。強いのを竹トンボの候補として残す、そういう作業のひとつだと考えると、まあ、納得がいきます。しかしそう考えても、どこか無駄なことをわざわざやっているという雰囲気があって、やはりちょっと変わった落葉高木(こうぼく)です。

関連記事は「続・緑色のシンジュの種、あるいは、竹トンボのもとがいっぱい」と「緑色のシンジュの種」。

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2015年9月 1日 (火)

包丁を研ぐ

包丁を研ぐといっても、対象は家庭用の包丁です。

たとえば木曜や金曜の夜に包丁の切れ味が悪くなったと配偶者が云ったら、土曜か日曜の早朝に包丁を研ぐことにしています。仕上げ用の砥石で刃を整える。慣れてくると研ぎに時間はかかりません。

粗研ぎ用と仕上げ用の砥石を張り合わせて両面仕様にしたのがストッパー付きの容器におさまった形で売られているので、最近は、もっぱらそれを愛用しています。人造研磨材の微粒子を使ったタイプの砥石です。プロ用ではありません。これは、研ぐ前に砥石を10分から15分ほど水につけておきます。全体を水に浸すとブクブクととても細かい気泡が出ますが、気泡が出なくなったら砥石としての用意ができたということです。

研ぎ終わったあと、刃先を指の腹でなでて滑らかさを確かめます。この確認作業はそれなりに楽しいものです。

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