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2015年9月28日 (月)

粗い意識と粗い執着、微細な潜在意識と微細な妄念

意識や無意識や潜在意識、わかりやすい執着心やわかりにくい執着心についての雑感です。最近はそういうことを考える機会が以前よりも増えてきました。

他の智の伝統にも同じような発想があるので仏教に限ったわけではないのですが、仏教は、ぼくたちの妄念や執着を、自分ではほとんど(あるいはまったく)気づかないような細かいものと、自覚的な人ならその存在や動きに簡単に気付く粗いものに分けています。よく三細六麁(さんさいろくそ)という表現が使われますが、三細六麁いうのは、ぼくたちの中を流れている三つの微細な妄念や執着と六つの粗大な執着のことです。「麁(そ)」はむつかしい漢字ですが、粗いという意味です。三や六という数字は、三界とか五大とか六塵とか六識という場合の三や六と同じ使い方での三や六だと思います。

自分ではほとんど気づかないような細かい妄念の流れとは、たとえばそのひとつは、言葉や概念という記号や象徴で世界や外界を区分・選別しながら認識するぼくたちの生来的な傾向、日常的な二元論的習性のことです。この二元論的習性は普段はその存在に気がつかないほど根深いし、かりに気がついても当然のこととしてやり過ごしてしまいます。

粗いもの・粗大なものとは、たとえば、ぼくたちのなかで止むことなく発生するおなじみの感情で、他者に対する突然の激しい怒りや消えることのない怨み、他者やモノや観念に対する深い愛着といったものです。執着の中では、観念への執着がいちばん強いかもしれません。

机とか花とか森とか粒子とか意識とかいっている場合にはそうした世界の区別もまだ穏やかなのですが(サトリという点からは障碍だとしても)、世界の区分や対象の選別に善や正義や悪、真実や虚偽といった言葉が登場してくると、言葉の区分は価値観の違いになり、価値観の違いは正邪の断定を呼び寄せます。ぼくたちが頻繁に経験することです。

仏教は、粗いものと微細なものという視座でぼくたちの執着や妄念の全体を掴もうとしただけでなく、ぼくたちの意識や無意識、潜在意識や集合意識を、意識と末那識(まなしき)と阿頼耶識(あらやしき)の三つの識で捉えようとしました。

ここでいう意識とはぼくたちが日常生活で自覚するところのいわゆる意識ですが、末那識とは意識の深層で働く潜在的な自我執着心のこと(自我の確立というのは現代では「美徳」のひとつですが、そういう文脈での自我が確立されていなくても自我執着心はとても強いようです)、それから阿頼耶識とは自我執着のさらに奥、ぼくたちの生存の奥底で流れている生存執着心のようなもののことです。外界を具体的な言葉や抽象的な概念で区画するといったぼくたちの日常に不可欠の行為も生存執着心の一部です。深層の自我執着心にはそれが浮かび上がってきたときに即座に気がついたとしても、阿頼耶識的なものの流れを自覚し体感するのはむつかしい。

粗大なもの・微細なものという区分からすれば、ぼくたちの通常の意識はまちがいなく粗いものです。末那識は粗大なものと微細なものの集合体です。だから、末那識は一部は微細ではあるけれども手がかりを持てない程度までは微細ではない。しかし、阿頼耶識は微細です。ぼくたちが生きている間は深いところで活動しながら横たわる識なので、禅定のようなものを重ねた人しかまともに相手にできないタイプの識です。

禅定とは瑜伽とか黙想という意味で止観と云い替えてもいいのですが、仏教一般における瞑想行為です。禅宗の独占物というわけではありません。また、仏教とは異なる智の伝統であるところの「荘子」を手にすると「座馳」と「座忘」という考え方に出会えます。「座馳」とは、かりに静かに座っていても頭の中や心の中を雑念と妄念が休みなく駆け回る状態のこと、「座忘」とは、比喩的に云えば、禅定のようなものを媒介とした、仏教で云うところの「空」の世界、区分が顕れるまえの原初の世界に住むことです。

阿頼耶識のような微細な生存執着心に支えられて、微細な自我執着心が生まれ、それが粗大な自我執着心や粗大な観念への執着を産み、その結果、たとえば、悪の枢軸や鬼畜云々といった表現が登場し、その表現が増幅され、増幅の結果、怒りや怨みや侮蔑といった粗大な感情が人々の中に引き起こされ、それぞれにとっての「正義の行為」が開始されるというのは、歴史の書物ではなく、ぼくたちの経験値の範囲内のできごとです。

そういう表現の改訂版や今様版が国会やメディアに溢れている状況に、平成二十七年の歌会始の「夕やみのせまる田に入り稔りたる稲の根本に鎌をあてがふ」という鬼気迫る御製を重ねあわせてみると、現在、ぼくたちの中やぼくたちの周りに流れている意識や無意識や潜在意識、微細な想念や粗大な妄念についていろいろと考えさせられることになります。

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