五大(ごだい)と五輪塔(ごりんとう)
写真は国東半島(九州)近隣のあるお寺の「五輪塔」です。素朴で小ぶりな作りの墓です。周りに草が生い茂っています。どなたが葬られているのかはわかりません。「五輪塔」という説明板がわざわざ建てられているので地元の役所の手が入っている種類のお寺の五輪塔だと思われます。「五輪塔」の隣や近所には「庚申塔」や「国東塔」とその説明板がありました。
「お客さん、奈良の仏教は生きている間の仏教です。京都の仏教は死んでからの仏教です。」奈良市のタクシー運転手が、かつて、といってそれほど以前ではないかつてですが、そう語ってくれました。
南都六宗とよばれる奈良仏教は法相(ほっそう、たとえば興福寺)や華厳(けごん、たとえば東大寺)のような哲学的な仏教で、一般人を対象とした葬式は寺の仕事ではありません。空海の真言密教も、瞑想(禅定)をベースにした形而上学的な性格を持った仏教です。しかし同時に、鎮護国家や現世利益への指向性もけっこう色濃く絡んでいます。仁和寺の御室桜の下での酒宴の様子などは、いかにも真言密教の寺にふさわしい。
真言密教の形而上学性というのは、たとえば「五大に皆響きあり。十界に言語(ごんご)を具す。六塵(ろくじん)悉く文字なり。法身は是れ実相なり。」(「声字実相義」)あるいは、「六大(ろくだい)無碍(むげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり。」(「即身成仏義」)というようなことで、その中には「理趣経」的な昇華哲学も含まれます。(【蛇足的な註】五大とは、「地・水・火・風・空」からなる森羅万象のこと。六大は五大に「識」を付け加えたもので、全世界、森羅万象という意味です。)
真言密教のテーマは即身成仏です。人はそのままで仏、と云うことですが、仏という仏教的な表現と波長が合わないなら、そのままで空、あるいは老子や荘子がいうところのそのままで世界が顕れるまえの原初と考えることもできます。最近「大乗起信論」を読み返してみました。この六世紀後半の論書も、如来蔵や(大乗起信論が云うところの)阿頼耶識を媒介とした即身成仏についての書物だと言えるかもしれません。ともあれ、真言密教は奈良の運転手さんの云うように、生きている間の仏教だったと思います。
そのうち浄土思想という死んだ後のことを語る仏教が、そういうことに関心の高い末法の人たちの心を捉えました。極楽浄土をめざす仏教です。奈良の運転手さんが云うところの死んでからの仏教です。人々の関心があまりに高かったので(たとえば平安貴族だと平等院鳳凰堂)、真言密教にも即身成仏と極楽浄土を融合させたようなニューウェイブが草の根運動的な形で登場します。「高野聖(こやひじり)」と呼ばれる人たちです。そのニューウェイブの思想的な完成者が「覚鑁(かくばん)」、12世紀前半、平安後期の僧侶です。
この覚鑁が即身成仏と極楽浄土の融合体の象徴として作ったとされるのが「五輪塔」、つまり瑜伽(ゆが)するお墓です。覚鑁(かくばん)は「真言念仏」というシステムインテグレーション活動の一環として「五輪塔」の形式やそれを支える考え方を整備したのでしょう。
古代ギリシャでは哲学することは死の練習でしたが、そういう意味では、仏教的な形而上学的思弁や瑜伽はもっと明確な死のトレーニングです。瑜伽をする人の光景をそのままお墓に置き換えたのが五輪塔なら、五輪塔は、覚鑁風の云い方をすれば、生(真言による即身成仏)と死(念仏による極楽浄土)の接点になります。
「五輪塔」をもとにした日本人の葬墓のシステムは、高野聖の普及活動によって、それ以降、全国に広まっていったらしい。「梵字手帖」という本によれば「供養塔として造立された五輪塔には、各時代の風格があり、平安時代より始まった造塔は、鎌倉時代には形の上からも完成を見ます。室町江戸期には形も崩れだしました。五輪塔は時間を越えて、今日に何かを語りかけてくる様な存在。諸行無常。」
先ほどの国東半島近隣の五輪塔はいつごろ造られたものでしょうか。
以下は五輪塔の構成図です。図は「梵字手帖」(旧版)から引用しました(一部編集)。五輪塔は上から空(輪)・風(輪)・火(輪)・水(輪)・地(輪)の五大が組み合わさったものです。塔に刻まれている文字は梵字(サンスクリット語)。その表記方法から悉曇(しったん)文字と呼ばれています。
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