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2015年10月 2日 (金)

呉音と漢音と唐音に関して雑感

ある言語が他の言語の影響を受けるということはよくあることです。英語は11世紀の半ばのノルマン征服以降フランス語の影響を受け、食べものや政治やその他の文化的な用語が豊かになりました(もともとの用語と重複する場合も多いので複雑になったとも云えますが)。漢文や漢字の教科書にたいていは最初のあたりに出てくることですが、日本語の漢字言葉は、歴史上、中国から三度にわたって異なる発音の影響を受けました。日本ではそれらを古いものから順番に、呉音、漢音、唐音と呼んでいます。

「和尚」は時代背景の古いそれなりの雰囲気を持った映画などでは呉音でワジョウと発音されていますが、禅宗の僧である一休を題材につくられた「一休咄」の現代版である一休さんのテレビ漫画などでは和尚(さん)は唐音でオショウ(さん)です。ちなみに漢音では和尚はカショウです。

「無明」は伝統的にムミョウと発音されます。同じ明でも「文明」はブンメイで、日本語としては明治期の若い用語です。和紙に記録された古い文書は「古文書」と称されますが、発音はコモンジョ。一方、明治以降の政府の「公文書」はコウブンショです。スポーツ選手の好きな言葉のひとつである「精進」はショウジン、精神分析の「精神」はセイシン。ぼくたちは学校教育を含め、なんとなくそういう使い方に日常生活で慣れ親しんでいます。そのあたりを使い分ける日本人の柔軟性は、どうも、半端ではありません。

仏教用語や律令用語にはもっとも古くに日本に入ってきた「呉音」が使われ、その後、遣唐使たちが唐の長安で話されていた発音を「漢音」として日本に持って帰りました。仏教の世界でも漢音の使用が政府主導(つまり、朝廷主導)で奨励されたようですが、人気が出ませんでした。「阿弥陀仏」は、呉音ではアミダブツ、漢音ではアビタフツとなります。「アビタフツ」ではゴツゴツと硬すぎて感じが出ません。それから、鎌倉時代以降、禅宗の留学僧や貿易商人らによって伝えられたのが唐音です。「南無阿弥陀仏」は唐音では「ナムオミトフ」、ほとんど外国語です。

一方、儒学ではそのゴツゴツとした「漢音」が用いられました。明治時代ころから欧米語の概念や観念や術語を翻訳した和製漢語は儒学の伝統に沿って漢音です。漢籍の素読で鍛えられた人たちが見事な和製漢語を作りだしました。現象、印象、権利、工業、通貨、鉛筆などは確かに漢音が似合っています。Economyを、経世済民を縮めて経済(ケイザイ)としたのもそのひとつでしょう。その「経」が般若心経(ハンニャシンギョウ)や経典(キョウテン)の「キョウ」だと、これも感じが出ません。

ぼくの欠点なのか、それとも現代の日本語の発音体系となじまないのか、呉音にはたとえば老若男女(ロウニャクナンニョ)のように発音しづらい用語がすくなくありません。しかしサンスクリット語などではたとえばヴィジュニャーナ(Vijn~a-na、漢訳は「識」)のようにニャという音を含む用語も多いので、平安くらいまでの昔の人は「ニャ」といった発音も気軽にこなしたのかもしれないな、と勝手なことを考えています。

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