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2016年1月28日 (木)

神社と神様

私的な旅行先や仕事で立ち寄った先で神社を見かけ時間に余裕がある場合は、ちょっとお参りでもしておくかという気分になります。そういう気分になることをぼくたちはとくには不思議だとは思わないし、そしてそういう場合にその神社にはどんな神様が祀られているのかもいちいちは気にしません。神社らしい空気が張りつめていれば、それで十分です。そういう気分は九百年近く前も同じだったようです。

十二世紀の後半に、「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」という歌の作者である佐藤さんという方が伊勢神宮に参詣したときに、「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」という歌を詠みました。そこになにがいらっしゃるのか知らないけれど、神々しくて涙が出る、というくらいの意味です。つまり、佐藤さんによれば、日本の神社の特徴は神々しさであり、そこにどんな神様が祀られているかなどと云うことは本質的には重要ではない。

ぼくたちも、その神社にどの神様が祀られているかをたいていの場合はあまり気にしません。札幌市内にある北海道神宮。北海道神宮は、明治の国家神道構築政策の一環でできた神社ですが、その祭神は、当該神宮のホームページを拝見すると、以下の四柱です。

大国魂神 (おおくにたまのかみ)
大那牟遅神(おおなむちのかみ)
少彦名神 (すくなひこなのかみ)
明治天皇 (めいじてんのう)

お正月やその他の機会に北海道神宮を参詣する人たちに、この四柱を意識しているかと尋ねたら、答えはおそらく否でしょう。明治神宮に参詣する人たちの多くが、明治天皇を意識していないのと同じです。しかし、祀られているがどの神様であれ、そういうこととは関係なく、神社には神々しさが存在しているようです。

日本の神様には成り立ちや性格の違いがあります。成り立ちと云うことでは、大和朝廷や明治政府が創った官製(政府御用達)の神様もあれば、その地域の人たちのなかで自然発生的に生まれた神様もあります。また神様の性格も、国家や為政者、あるいは民間の一般の人々を守る守護神タイプと、ある人を酷い目に合わせそのままにしておくと関係者(とくに為政者)に祟りをもたらすのでその人に神様になってもらったという障礙神(しょうげしん)タイプの二つがあります。

たとえば、天照大神は守護神タイプの官製の神様だし、菅原道真は官製で障礙神(祟りをもたらす)タイプの神様です。天満宮が入学試験の合格に役に立つかどうかはよくわからない。「国つ神」と総称される大和朝廷に滅ぼされた日本各地の先住豪族も、滅ぼされた人たちの祟りを鎮めるために大和朝廷が神様に祀り上げた障礙神タイプの神様といえます。現在は交通安全の神様と云うことになっている猿田毘古神(さるたひこのかみ)は、天照大神の孫の道案内を務め、平和裏に大和朝廷の支配関係に組み込まれた神様です。明治神宮や北海道神宮や日光東照宮は江戸時代以降に造られた守護神タイプの官製(政府御用達)神社です。

ぼくたちは、成り立ちや性格の違う神社に、そういうことをとくには意識せずに、自由に出入りしていますが、どうしてそうできるのか。佐藤さんは平安時代の終わりころに「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」と詠みましたが、ぼくたちが涙をこぼすかどうかは別にして、そこに祀られている神様(人から神様に昇格した神様も含めて)は、もっと奥に存在している古い神様(神々しさ)のぼくたちにとってわかりやすい媒体なのにちがいない。そう考えると佐藤さんの感性とぼくたちの感性が共鳴する理由もよくわかります。

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