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2016年1月13日 (水)

サウジアラビアのスンニー派とイランのシーア派に関する個人メモ

サウジアラビアとイランの関係が険悪ですが、サウジアラビアとイランは1000年以上前からそれほど仲がいいとはいえません。1000年以上前から多くの血が流れ続けました。新聞報道やテレビ報道だと、「サウジアラビアはスンニー派、イランはシーア派、宗派が違う、したがって仲が悪い」というだけでそれ以上の説明はとくにはありません。

配偶者から、スンニー派とシーア派は何が違うのかという質問があったので、以下のように答えました。もっともその回答には以前に複数回目を通したことのあるタネ本があって、その本とは「井筒俊彦著『イスラーム文化』」です。

この記事は、配偶者とぼく自身への簡単な備忘録です。上の本の一部を記憶をもとに勝手にまとめたものですが、備忘録なのでよしとします。

イスラム教は、アラビア半島のメッカで、商人であるムハンマド(マホメット)を預言者として生まれました。ムハンマドによれば、イスラム教は、ユダヤ教とキリスト教と対立するものではなく、その二つを包み込むという意味で、ユダヤ教とキリスト教のスーパーセットと云うことになっています(逆に云えば、ユダヤ教とキリスト教はイスラム教のサブセット)。だから、イスラム側からすれば、対立などあり得ない。サブセットと位置付けられた方は、憤慨しているかもしれませんが。

イスラム教の聖典はコーランです。コーランは宗教の聖典であると同時に法の聖典でもあるという二重の性格を持っています(二重という表現が適当かどうかは別にしてそうしておきます)。法教一致、政教一致の聖典です。

宗教も法も、もともとは一体化していたので、同じ重みをもっていましたが、時代の流れとともに、そして人々の思惟の方向や価値観の変化の流れとともに、どちらかに比重が偏ってきます。コーランに書かれた文字の意味するところを(法の条文を解釈するように)そのままに受け取る人たちと、書かれた文字の向こう側の見えない奥に深い意味を読み取ろうとする人たちが現れます。前者は法の人であり、後者は霊の人です。イスラム教は宗教なので顕教と密教という用語を使えば、前者は顕教的な文化、後者は密教的な文化です。

サウジアラビアのイスラム教宗派はスンニー派(一部はシーア派)で、イラン(ペルシャ)のそれはシーア派ですが、両者を先ほどの価値の重みのかけ方という座標軸に配置してみると、スンニー派は法の宗派・政治の宗派・現実主義的な宗派・顕教の宗派、一方、シーア派は霊の宗派・宗教的な宗派・神秘的な宗派・密教の宗派ということになります。

イランといえばペルシャであり、ペルシャといえば、ペルシャ絨緞、千夜一夜物語、光と闇のゾロアスター教です。神秘的で幻想的です。形而上学者・神秘哲学者である井筒俊彦は、1975年(61歳)から1979年(65歳)までイラン王立研究所の教授でした。イランとはそういう国です。サウジアラビアという土地は、どうも、形而上学や神秘哲学は似合わない。

そういう対立がメッカ期とメディナ期以来、ずっと続いています。二つがぶつかった時には、現実主義的な政治権力に価値を置く宗派が、そうでない宗派を、たいていは政治的に圧迫します。そういう場面で、聖職者の犠牲も多い。現在の対立の底にも、そういう歴史的な思惟の違いと価値の体系の違いが潜んでいる。

現在は、そこに非イスラム国の、例によって、押しつけがましい政治と経済の思惑が絡んでいます。

世界のイスラム人口のうち圧倒的に多いのはスンニー派です。シーア派は少ない(統計資料によれば、イスラム人口の10%から13%)。北海道でも食材の調達や礼拝設備などでインドネシアからの観光客誘致に苦慮していますが、インドネシアのイスラムはスンニー派です。

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