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2016年2月 4日 (木)

神と仏の二重構造や神と神の二層構造と、グローバリゼーション

経済のグローバリゼーションというのは、有体に云えば、商品やサービスやビジネスプロセスが世界中で均質化することです。グローバル企業で求められている人材も労働意識や一定以上の才能の均質化(たとえば、朝から夜中まで、時差を気にせずに、世界中どこへで移動して懸命に働く)が前提となっており、そういう止まりそうもない流れが世界にはあります。

同時に、もうひとつそれと並行する流れに管理化があります。社会はますます管理化の度合いを増しています。日本だとマイナンバー制度の導入などがその典型事例です。マイナンバー制度は、為政者や国民を管理する側にとってははなはだ便利な仕組みです。そして、管理対象が均質化の度合いを増せば、マイナンバー制度も運用範囲が拡大し運用効率が上昇するという意味で、グローバリゼーションによる均質化の波とマイナンバー制度は適合的です。

戸籍制度というものがあります。戸籍制度が、誕生と結婚と死亡という人の生の区切りの管理システムなら、マイナンバー制度は生まれてから死ぬまでの私生活のいろいろなプロセスや局面を継続的にトラッキングしながら管理するシステムなので、「うんざりするようなスーパー戸籍制度」と呼べなくもありません。

仏教や神道というものに関しては、ぼくたちの間で葬儀や法事や写経や仏像拝観、あるいは結婚式や初詣を通してそれなりに共通理解がある(と思う)ので、ここでは仏教や神道という言葉をそのまま使います。ただし、ここでいう神道とは、仏教伝来のはるか以前に日本に生まれ、記紀神話や神仏習合を経由して現在まで、日本という風土において日本人の霊性のあり方に関与してきた何ものかだとします。ぼくたちは神道というと、大和朝廷の記紀神話や廃仏毀釈をプロモーションした明治政府によってつくられた国家神道という国家(政府)御用達の神道に知らぬ間に影響されていますが、ここではもっと広い意味で神道ないしは神さまという言葉を使います。

今でも神棚のある家庭は多い。神棚のある家庭では、たいていは、国家御用達の普遍的な神様としてたとえば「天照大神(あまてらすおおみかみ)」ないしは近隣の有名神社の神さまが正面(座敷)に祀られ、裏(台所)には、その家の守り神である竈(かまど)の神さま、お荒神(こうじん)さまが祀られています。この普通の家庭で見かける正面と裏、言葉を換えれば、一般と個別、普遍と特殊、あるいは公的な神さま(あるいは仏さま)と私的な神さまという二重構造は、有名な神社や寺でも同じです。有名な寺や神社の二重構造(ないし二層構造)が家庭に持ち込まれたというよりも、同じ感性に基づいて二重構造がおのずと定着した。

たとえば、出雲神社では本殿の後ろに静かなたたずまいの素鵞社(そがのやしろ)があり(写真参照)、寺院では(この場合は仏さまと神さまという関係になりますが)、その寺の本尊の後ろに、「後ろ戸の神」(寺の守護神)として、たとえば摩多羅(またら)神や宿神(しゅくしん)と呼ばれる聞き覚えのない神道系の神様が座っています。神と神の二層構造というか仏と神の二重性というか、要は、公的なもの(鎮護国家的なもの)と私的なもの(それぞれの家や寺社の守り神的なもの)がおたがいに支え合う構造です。それを一般的な用語でくくると(神さまと神さまの習合を含んだ)神仏習合ということになります。

Photo
  出雲大社本殿の裏にある素鵞社(そがのやしろ)

明治の国家神道振興策のひとつである廃仏毀釈運動で当時まで残っていた神仏習合の状態が相当に破壊されたようですが、それでもそういうものが全部なくなったわけではない。寺には神社と鳥居があり、神社には神宮寺などのお寺があります。今でもよく見られる光景です。奈良の室生寺には龍谷神社があり、高野山の金剛峯寺では赤い鳥居と狛犬に出会えます。大分の宇佐神宮には弥勒寺の跡が残っている。

Photo_2 室生寺境内の龍穴神社

Photo_3 Photo_4
  金剛峯寺境内の鳥居と狛犬              宇佐神宮内の弥勒寺跡

公的な神さまや仏さまと私的なそれとの二重構造、二層構造を作り出したのは、被為政者である人々がそれぞれの仕方でそれなりに生きていくための知恵だったように思われます。国家や為政者は国家御用達の神さまや仏さまを通して国民の意識を均質化しようとしますが、そういう均質化政策への対抗策が、二重構造や二層構造にビルトインされています。

<国家御用達の神さまにおける本地(ほんち)と垂迹(すいじゃく)の二重構造は、目的が、より普遍的なもの(たとえば仏教の如来)を自身の本地とすることによる権威づけ、および自己の権力を他者の眼にわかりやすく正当化することなので、構造は同じですが意味合いは異なります。>

お客をおもてなしする場所である座敷には政府御用達の有名神社の神さまをお祀りし、私的な空間である台所には私的な守り神であるところの荒神(こうじん)さまを配するというのは、国という地域の集合体の中での均質化政策(つまり、当時の「グローバリゼーション」)に一応は従いながら、それに流されてしまうことなくしたたかに生きるという姿勢のおだやかな表明だったようにぼくには思われます。

そういう意味では、現代のグローバリゼーションや管理社会化の均質化の流れの中で、強い均質化の圧力を適度に受け流そうとすれば、仏さまと神さま、あるいは神さまと神さまの二重構造をぼくたちが個別に意識的にビルトインすることが必要かもしれません。

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