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2016年5月12日 (木)

名前がつけられる前の存在、そんな彫刻

札幌の中心部に、洋館建築の旧北海道知事公館があり、その裏庭にあたる芝生を敷き詰めた広い洋風庭園は冬季はクローズされていますが、ゴールデンウィークからは日中は市民に開放されます。その週のある晴れた日の午後、そこは家族連れや子供連れでおだやかににぎわっていました。終わりかけた桜や梅の風情を愛でながら芝生の上にマットを敷いて寝転んでいる人たちもいます。

そこに、安田侃(やすだ かん)という彫刻家の作品がひとつ置かれています。白くて滑らかで大きな大理石の塊(かたまり)で、近寄ってくる小さな子供に手や指で触れらたり頬ずりされたりすることをじっと待っているような雰囲気を漂わせています。

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この丸くて白い充実は、おおもとの存在が徐々に個別化して、やがて花とか樹とか石とかといった名前がつけられる、その少し前の状態としてそこにあるようです。

この白い塊と向かい合っていると、「名無きは、天地の始め、名有るは、万物の母」(老子)という一節や、友人の好意によって分析的な知性につながる七つの穴をあけられた結果七日間で死んでしまった「渾沌(こんとん)」の物語(荘子)を思い出します。

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