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2017年2月10日 (金)

続・さっぽろ雪まつり

一昨日の「札幌雪祭り」という記事で、大小の雪像が依代(よりしろ)だ、と書きましたが、その大きな雪像のひとつが、現在復元工事が進んでいる「興福寺 中金堂」です。お寺がかみさまの依代になっている。そういうことをぼくたちはじつに自然に納得します。
 
神仏習合という言葉や本地垂迹(ほんじすいじゃく)説という考え方があります。神仏習合はかみさまと仏さまがいっしょになってワイワイという曖昧な雰囲気があり、その曖昧さに魅力があります。本地垂迹説となると、「垂迹」(あとを垂れる)というのは難しい言葉ですが「化身」という意味なので、つまり、かみさまは、「本地」であるところの仏が衆生救済のために姿を変えたもの(すなわち、「化身」)である、という考え方です。妙に理屈っぽい。
 
Img_0600
 
本地垂迹説という理論に行き着くまでには、かみさまは仏教との関連で、その前にあたる段階を経験したようです。下の写真は、宇佐神宮(大分)にある弥勒寺(つまり、神宮寺)の跡ですが、神宮寺とはかみさまのために用意されたお寺という意味です。
 
Photo
 
仏教で六道という考え方があります。衆生が徘徊する六つの迷界のことですが、その六つとは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天で、仏教が伝わったころは、かみさまは「天」という迷界の住人でした。人間にお寺が必要なように、かみさまにも衆生救済の対象という意味で(なにしろ迷界の住人なので)お寺が必要で、神宮寺が作られました。かみさまが、仏様の化身として「菩薩」や「大菩薩」に出世するのはその後のことです(たとえば、八幡大菩薩)。
 
依代としての雪像寺院を彩るプロジェクションマッピングを見ながら、そんなことを考えていました。
 
蛇足ですが、「垂迹」(すいじゃく)と同じような意味の言葉に「権現」(ごんげん)があります。「権」(かり)に「現れる」ということなので、「化身」です。「■■権現」は各地にあります。

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