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2018年2月28日 (水)

我が家とぼくにおけるイタリア製の意味

我が家ではイタリア製とは基本的には褒め言葉です。といって、多くのイタリア製の製品や商品を愛用しているわけではありません。ひとつは配偶者用の洋服や靴。もうひとつがゼンマイ式のアナログタイマーなどの調理関連製品。
 
ジャケットでもコートでも縫い方が荒っぽい、場所によっては手抜きっぽいのだけれど、決して型崩れしない。ほとんで重量を感じさせないくらいに体にしなやかにフィットする(配偶者談)。
 
秒単位での正確性を期待してはいけない、そういうのを期待するひとはもともと買わないのが、ゼンマイ式のタイマーです。ジャラジャラ音の音量や音質が前回の製品と今回の製品と同じだと期待してはいけない。部品メーカーでも変わったのでしょうか。時間が来たよという、のんびりとした警告音さえ出してくれたらそれでいい。
 
けっこう以前、イタリア車が好きな友人が運転するその車の助手席に座ったことがありますが、セカンドでの加速力が恐ろしいくらいで、つまらない不具合も多かったようですが、そういう車は一度はまると抜け出せないかもしれません。
 
これも以前、仕事で付き合ったことのあるがっしりとした体形のイタリア系米国人は、他の系統の米国人と比べると独特の魅力、つまり、「縫い方が荒っぽい、場所によっては手抜きっぽいのだけれど、決して型崩れしない」ような種類のインターフェースの取りやすさがありました。
 

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