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2018年3月

2018年3月30日 (金)

Tシャツとアイスクリーム

夏も冬も家庭着にはTシャツが活躍します。冬は暖房のよく利いた居間でアイスクリームを喩しむといった家庭ではTシャツが便利かもしれません。実際、北海道では、地元産の牛乳を使ったアイスクリームやソフトクリームがとてもおいしいということもありますが、冬季のアイスクリームの売り上げが他の地域よりも断然多い。
 
知り合いの女性も冬のアイスクリームが大好きです。冬の地下街のお店や路面店では、コートを脱いでソフトクリームを楽しんでいる女性も目立ちます。ソフトクリームに関しては、北海道では、季節はまったく関係ないかもしれません。たいていのソフトクリームは美味しいですが、中からミルクが香り立ち唸るようなうまさのものもあります。
 
暑い時期の休日の半袖にはポロシャツやゆったり目のTシャツが便利です。半袖の時期でない季節の休日はどうするかというとノーアイロンではない綿の長袖ワイシャツに、ふた回り大きなサイズの厚手のTシャツを重ね着してます。理由は、ワイシャツだと洗い物のときに袖をまくり上げられて便利だし、寒いときは厚手のゆったりTシャツを重ねると邪魔にならないし暖かい。
 
長袖ポロシャツは、不器用なのか、袖を水で濡らしてしまう。ノーアイロンシャツは生地が形態安定用の薬品のせいでゴワゴワしていて気持ちがよくない。一度間違えて買ってしまい後悔し、それ以来、縁がない。やはりアイロンの必要な、柔らかい綿100%です。
 
ふた回りほど大きなサイズの厚手の綿Tシャツ(ぼくの場合はXX-LARGE)はそのあたりでは売っていないので、あるTシャツの専門店から地味な色の無地を何枚かまとめて通販購入しています。厚手無地の大判というのは、どこにでもありそうで、実際は気に入ったものがなかなか見つからないものです。
 
Tシャツとアイスクリームの間に一般的には何の相関関係もありませんが、季節を横断して需要があるという意味ではつながりがありそうです。

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2018年3月29日 (木)

IT関連の親切なかたに感謝

ここではITといっても大げさなものではなく、英語だとtipsという言葉が相当するようなもののことです(tipsは、たとえば「tips for cooking 料理の秘訣・コツ」という風に使われます)。
 
そういうtipsを惜しげもなく公開してくれる親切なかたがIT分野にはおおぜいいて(正確には、IT分野には限りませんが)、いろいろと助かっています。
 
たとえば、iPhoneに自分の好きな音楽(の一部)を着メロとして設定する方法や、古い型式のiPhoneから新しい型式に移行する時に、古いiPhoneのアプリや各種のデータを、ベンダーのクラウドサービスを使わずにこれを実行する方法などです。
 
これは、ぼく自身だけでなく、そういう場合に僕の支援を受けることをデフォと考えている知り合いを助ける場合に役に立ちます。そういう、複数の親切なtips提供者にこの場を借りてお礼申し上げます。
 
おかげで、ぼくのiPhoneは電話がかかってくると、お気に入りの50年代のジャズピアノトリオの静かな演奏が流れ始めます。
 
最近は何でもクラウドサービスみたいです。確かに便利ではあるのですが、あんまりすべてをゆだねるのはぼくの趣味ではないので、外に出すものとそうでないものは切り分けています。切り分けがややこしい場合には、クラウドサービスは利用しない。OFFにする。
 
このブログなども自分でサーバを管理運営しているのではないので第三者のクラウドサービスのお世話になっているわけですが、そういう場合は、自覚的にそうしているわけです。知らぬ間にその第三者に自分の個別情報が利用されていたという事態を確実に避けることは難しいのですが、まあ、できる範囲で。

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2018年3月28日 (水)

包丁を研ぎ直す

催促される前に、配偶者が使う料理用の包丁は研いでいたつもりだったのですが、定期の手入れを忘れてしまい、いちばん使用頻度の高い両刃包丁に切れ味がなくなったと文句を言われました。
 
春の彼岸の時期の札幌は、北の街なので朝が早い。そこで、研いでから使うまでに時間が十分にあるように早起きして朝の斜めの光で作業にとりかかったのですが、朝食準備のときの彼女の感想は、感激がない、ほんとうに丁寧に研いでくれた?ニンジンやリンゴやタクアンを切るときのスパッという感覚が味わえないらしい。
 
しかたないので、昔風に言うと主人の沽券(こけん)にかかわるので、翌日の早朝、やり直しです。とても寒いと早朝作業は嫌だけれど、今なら大丈夫。起きる前に、蒲団の中でどこがまずかったのか思い出してみます。刃を研ぐときの庖丁の入射角にバラツキがあったのか、いつもと角度がわずかに違ったのか、考えても顧客クレームの原因がよくわからない。
 
前回は他の事を考えながら作業を進めたのだろうと結論し、今回は気持ちを込め、包丁を砥石の上でゆっくりと長く前後に動かしながら研いでいきます。いつもやっていることですが、途中と終わりに、指の腹で刃を撫で、進行具合や仕上がり具合を確かめます。
 
今度は、顧客満足度は高かったようです。

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2018年3月27日 (火)

「シンギュラリティは近い」の口直しには「ハーモニー」と「ホモ・デウス」:補遺

『シンギュラリティは近い』の口直しには『ハーモニー』と『ホモ・デウス』」、という先日の記事に関する補足です。補足内容は、「ハーモニー」と「ホモ・デウス」のそれぞれの著者がそれぞれにその本を書いたときの視点・視座に関することです。
 
ユダヤ教・キリスト教においては、万物が「全能なる神」により創造されたものであり、世界は決して永遠ではありえない(そういう意味ではイスラム教も同じです)、世界は天地創造から終末に向かって一直線に進行(進歩)していると考えられています。そういう「直線的な世界観」が特徴です。
 
つまり、世界には初めと終わりがあり、時間は直線的に進み、その直線的な思考を彩るのは進歩概念と黙示録的な終末思想です。この考え方を、それが出てきた風土を考慮して「砂漠の思想」と呼ぶ場合もあります。
 
マルクスの唯物史観 「原始共産制→古代奴隷制→封建社会→資本主義社会→共産主義社会」 などは、その典型例です。
 
また、マルクスから時代を少し遡ると、18世紀初頭の著作物に現れる「天地創造」の例として次のようなものもあります。「神による創造はおそらくこうではなかったろうか。初めに神は物質を創造の目的にそって、充実した、質量のある、堅固で貫くことができない可動粒子として創造し、その大きさと形などの性質や空間的な比率を定めた。」(ニュートン「光学」)
 
延長が性質であるところの外的世界は決定論的に動きますが、わたしという考える自我を含めた世界は直線的に進歩するということになります。
 
それに対し、仏教の場合、まず、万物が空なので、絶対的な存在(たとえば如来)もまた空ということになります。天地の万物は、空ではあるのですが、絶対的な存在の顕れとして絶対的な存在とともにあります。絶対者がなくなるということはないので、その顕れである天地万物もなくなることはない。死んだ動物と植物は土に帰り、そこからまた新しい生命が誕生する。そこに、万物は永遠に流転するという「円環的世界観」が成立します。
 
つまり、世界には初めも終わりもないし、時間は輪廻的に循環し円環する。この考え方を、「砂漠の思想」が誕生した場所との風土的な対比で、「森の思想」と呼ぶ場合もあります。
 
超越的な視点を持つには(あるいは超越的な視座に結果として至るには)、ユダヤ教・キリスト教の神のように天の高みから下界を見下ろすという砂漠の方法と、葉が鬱蒼と生い茂る森の樹の下に静かに坐って瞑想をするという森の方法があります。
 
後者に関しては松岡正剛「空海の夢」の次の一節、「まったく『座る』とは東洋のおそろしい発見だったとおもう。・・・その契機は雨期によってとじこめられた森林生活によって余儀なくされたのかもしれないが、そこに『意識と言語の中断』を加えたのは、やはり恐るべき発見だった。」も参考になる。
 
そういうことを考えると、ユダヤ人の歴史学者で「ホモ・デウス」の著者であるユヴァル・ノア・ハラリ (Yuval Noah Harari)は、彼の中ではやはり「砂漠の方法」がデフォで、その顕れのひとつが「アニミズム→神イズム→ヒューマニズム→データイズム」という世界の発展の推移(どんな虚構、換言すればどんな共同幻想が世界を実質的に支配しているのか、その発展の推移)についての考え方です。
 
それに対して、日本人作家で「ハーモニー」の著者である伊藤計劃(いとうけいかく)の発想のデフォは「森の方法」です。政治と経済やわれわれをとりまく事態が「直線的世界観」を軸に強く進行していくなかで、それに組み込まれない方法しての「森の方法」を、その小説を書くときに強く意識したようにぼくには思えます。
 

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2018年3月26日 (月)

ゴム長ブーツとゴム短の手入れをすると春の気分

週末に、この冬にお世話になったゴム長とゴム短の手入れをしました。まだまだ寒いですがこの作業をすると一応は春の気分になります。
 
履いた後は必ず簡単な拭き掃除は済ませてあるので、手入れといっても絞った雑巾で残った汚れを丁寧に落とし、靴の中に繊維くずのようなゴミがあればそれを取り除き、靴底をきれいにする。乾かし、次の冬に備えて定位置に保管する。
 
ゴム長ブーツは、配偶者のものもぼくのものも防水仕様・防寒仕様で、履くと暖かい。それなりに深い雪の中やアイスバーン状態の道路、それから雪解けで水浸しの歩道や道路で活躍します。配偶者のものはお洒落仕様、ぼくのは実用向けです。
 
ゴム短はぼくだけが持っています。運送業者や宅配業者の係員が雪と氷の冬季に履くヘヴィーデューティなものではありません。防水仕様が中心の製品で雪融けの道路では役に立ちますが、深い雪には使い物にならない。しかし、夏や秋の急な大雨で道路がひどい状態になった際には活躍します。
 
革靴でもなんでも靴の手入れはわりに好きなので、4月の適当な時期には、配偶者とぼくのそれぞれの冬用の革靴や短い革ブーツにクリームを薄く丁寧に塗りこめて、次の雪に備えます。

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2018年3月23日 (金)

「香り」と「香りの害」

シャネルの5番はどうも嫌いだというかたもいらっしゃる(いらっしゃった)かもしれないし、プアゾンが漂ってくると発生源が気になってそれとなくその人を確認するというかたもいらっしゃる(いらっしゃった)と思いますが、自然香料を使った香水や、きちんとしたオーデコロンなど自然香料が融け込んだものは好き嫌いはあっても、そこまでです。
 
とても広く解釈すれば自然香料でも特定の香りが特定のひとの「気分を害する」場合もありますが、最近話題になることが多くなってきた人工香料による「香害(香りの害)」とは別物です。
 
最近問題になっている「香害」は「柔軟剤、消臭除菌スプレー、制汗剤、芳香剤、合成洗剤などの強い香りをともなう製品による健康被害のこと。体臭は含まれない。」と定義されています(日本消費者連盟)が、納得のいく考え方だと思います。
 
「柔軟剤、消臭除菌スプレー、制汗剤、芳香剤、合成洗剤などの強い香り」に満たされている学校や職場で健康被害が出ているし、通勤・通学時やその他の混雑時の公共交通機関を利用できないひとたちも少なくないようです。
 
ぼくは、そういう人工的な香りは好きではないし、また心地よくも感じないのですが、幸いなことに健康被害を受けるまでの繊細な感受性は持ち合わせていないようです。しかし、そういう種類の香りの漂う場所には長くはとどまりたくはない。
 
エレベータの中やその他の場所で洗いたての制服を着た職員さんと応対するときはまだしも、歩道ですれ違う若い女性の身体や彼女の衣服から流れ出してくる「人工芳香」は勘弁してほしいと思います。しかし、消臭効果と芳香添加を謳った「柔軟剤、消臭除菌スプレー、制汗剤、芳香剤、合成洗剤」のコマーシャルが世にあふれているので、人工香料からの逃避は、今のところ不可能に近い。
 
ぼくはオーデコロンなどには縁のないタイプですが、エッセンシャルオイルのお世話にはなっています。外出するときは、仕事であれレジャーであれ、即席の自家製おしぼりを鞄(かばん)やバッグに放り込みます。たいていは自分で作る。
 
用意するのは30センチメートル角の白い薄めのタオルと、ジップロックの値段の安いタイプとハーブのエッセンシャルオイル。僕の好みのおしぼり用のエッセンシャルオイルはラベンダーかユーカリ。タオルをビニール袋に入る大きさに畳み、少し広げ戻し、エッセンシャルオイルを2~3滴振りかけ、また畳み、水道からの細い水でタオルを湿します。形を平たく整え、封のついたポリエチレン袋に入れたら即席おしぼりの出来上がりです。
 
ちょっと汗っぽいときに顔や手や首筋を拭くと爽快感でほっと一息つけます。おしぼりのハーブの香りを深く吸い込むとリラックスできます。
 
列車の指定席に出発時刻の数分前にあわただしく座ったあとなどに、その自家製おしぼりを鞄から取り出して使っていると、ハーブの香りがかすかに回りに漂い出ます。香りが届いたあたりから、女性のものと思しき柔らかい視線が感じられることもあります。
 
 

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2018年3月22日 (木)

まだ湯たんぽと加湿器が役に立つ

昨日の夜のニュースで東京西部や箱根の春の彼岸の雪の映像が流れていました。ノーマルタイヤで無理をして事故を起こした乗用車の運転手には同情しません。
 
しかし、旅行中の箱根で突然の雪に合った女子高校生らしいグループが、普段履かない高めのヒールの靴で雪の中を歩くことになるなんて罰ゲームみたいと「にこやかに」嘆いているのは印象的でした。彼女らには心から同情します。
 
札幌ではもうほとんど雪は降りませんが、そのニュース並みの雪はまだときどき積もります。しかし気になるほどではない。しかし寒さはなかなか和らぎません。
 
もともと札幌は乾いているうえにまだまだ暖房は必需なので、室内には加湿器も必需品です。加湿を忘れると静電気に襲われます。
 
も一つの必需品が、湯たんぽ。これがあると朝まで気持ちがいい。早朝に手洗いから帰った後、蒲団にまた潜り込んだときの湯たんぽは何とも言えない。(湯たんぽで注意したいのは低音ヤケド。長い時間続けて、足を湯たんぽの上に置いていたりくっつけていると、その危険があります。湯たんぽの温かい空気を足先で味わうくらいがちょうどいい。)
 
札幌で桜が、梅や桃と同時に咲くのは5月の連休中です。先は長い。

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2018年3月20日 (火)

ご飯も日本酒もあっさり系

以前にも書いたことだけれど、ご飯用のコメも、酒向きのコメで作った日本酒もあっさり系が好みです。つまり、最近の売れ筋トレンドからはずれています。
 
ご飯用のコメは、全国区でいうとコシヒカリ、それから人気が全国区に近づいてきた北海道生まれの「ゆめぴりか」など、甘くて粘りがあって艶(つや)やかに白いコメが70年代以降の主流で、その傾向はますます強くなっているようです。
 
日本酒は、白ワインのように、香りを含めて全体を味わう大吟醸の冷酒が主流になりました。最近は燗酒のコマーシャルにお目にかかったことがない。
 
ぼくの好みは、ご飯用のコメでは、北海道産の「ゆきひかり」。味わいという意味では、昔風の粳(うるち)米で、かつての有名ブランドにたとえてみるとササニシキに近い。無農薬栽培や特別栽培のコメはなかなか手に入らないのですが、「ゆきひかり」はそれが手に入る。ただし生産量は少ない。
 
日本酒は燗が好きなので、ぬる燗に向いた純米酒をいろいろと試してきて、結局、落ち着いたのは、地元産の「吟風(ぎんぷう)」という酒米(酒造好適米)を使った純米酒です。贔屓にしているの特別純米酒で、この手の酒としてはコメを磨き過ぎかなとは思うのですが、燗酒の風味が、渋くて飽きません。最初に小さめのぐい呑み一杯は冷や(暗冷所の室温)でもおいしい。ただ、香りの満足感がないと落ち着かない向きにはお勧めしません。
 
どうでもいいことですが、誰がどういう意図で作ったのか特別純米酒とは不思議な分類名です。カテゴリー的には純米吟醸です。吟醸という表現では隠れてしまうコメの旨味を訴求したいというのならわからなくもない。純米酒の好きなぼくはその不思議な命名で、この日本酒を手にしたわけだから。
 
 

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2018年3月19日 (月)

健康診断を受けるのはいいとしても

ファンと呼ばれる顧客とのコミュニケーションが重要な職業に従事しているかたは、企業の新製品発表や四半期決算報告、不具合があった製品への対応策の発表などと同じで、自分や自分の身の回りの出来事などのファンへの報告も仕事のひとつ(ということになっているよう)です。そのなかには、仕事のスケジュールに影響がある場合に限定されると思われますが、自分の健康状態の報告も含まれています。
 
インターネットでニュースに目を通していたら、そういう記事に出合いました。そういう職業従事者のお話ですが、定期検診の胃カメラで早期の食道がんがみつかり、手術するか、抗がん剤で治療するかは、今後、決めていくそうです。
 
我が家では電子書籍は、IT関連の月刊誌から料理の月刊誌、電車の吊り下げ広告で内容を想像するのがいちばんわかりやすい種類の週刊誌といった最新雑誌の提供サービス以外には、もっぱら実用書です。読み捨てというよりは、ときどきは改めて参照したくなるような内容を含んだタイプの実用書が多い。紙の本でいえば、新書版タイプもあるし、普通の大きさの書籍もある。
 
そのうちの1冊が、最近購入したものですが、健康診断に関するもの。その新書版タイプの電子書籍の骨子は以下の通りです。
 
・日本人の多くは健康のために職場健診や人間ドックやその他の定期健診を受診しているが、欧米には存在しない。なぜなら、定期健診によって、受診者がより健康になる、あるいは寿命が延びるという効果を実証するデータがないからである。
 
・過剰な検診が、過剰な薬の処方や手術など、過剰な治療につながっている。人間ドックには早く見つけるほど、早く死にやすいという逆説がある。
 
・検査値より自分のからだを信じることこそが、健康の秘訣である。健康なときに健診など受けるものではない。
 
説得力のあるデータや引用論文や事例がそれなりに含まれているので読者としては参考になります。配偶者も僕も定期的に健康診断は受けていますが(つまり、健康なときに健診など受けるものではないという著者の意見には従っていないわけですが)、その結果に基づいて、今まで、何かの治療を積極的に勧められたということはありません。
 
この記事の最初に書いた「そういう職業従事者」のかたが今後どうされるのか、そのかたにとってはぼくのような外野の存在は失礼千万な話ではありますが、当該電子書籍の追加参照事例になるかもしれない。
 
そういえば、血圧の適正範囲というのも、最近は定期的に変化していて、何のための適正値なのかよくわからない。(製薬業界の定期的な景気刺激策という観点では、その変化はよく理解できるとしても。)だから、飲まなくてもいい(と、ぼくには思える)降圧薬(降圧剤)を服用している知り合いもいるので、教育的指導というのは、健診や人間ドックにおいて、それなりの勢力で存在しているみたいです。
 

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2018年3月15日 (木)

雪融けは嬉しい、が・・・

2~3日前から雪融けが顕著です。今日も早朝の空気がなごんでおり、窓を開けると外気が気持ちがいいい。気温は5℃でした。
 
雪融けは嬉しいのですが、雪融けの季節は札幌の通りがいちばん薄汚れる時期でもあります。
 
ぼくたちに自由に使われることを前提に道端の扉付き保管庫に置いてある融雪剤という太陽光を吸収する黒い砂状の粒粒が、道端の雪を黒っぽいグレイに染めて、それだけでも美しくないのに、そのあたりはその汚れた雪が融けた水で水浸しです。
 
ひどいところでは交差点が洪水状態になっていて、車も歩行者もゆるゆると進んでいきます。家庭では洗濯の対象が増えるし、クリーニング屋さんは注文が増えるに違いない。
 
こういう日の足元は、それが可能なかたは、雰囲気のいいゴム長に勝るものはありません。しかし、札幌に出張のビジネスマンはそうするわけにもいかない。ズボンの裾を濡らさないようにお気をつけください。

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2018年3月14日 (水)

マヨネーズとマーケティング

毎日の納豆に少量の塩といっしょに混ぜる亜麻仁油と、料理にたまに使うオリーブ油以外は、最近は植物油は利用しなくなりました。パウンドケーキなども北海道産のバターです。だから、マヨネーズは自宅では作らないし、買うとしてもごくまれにしか買いません(ごくまれには便利なこともあるので)。
 
野菜などをマヨネーズを使って炒めものにするという「野菜のマヨネーズ炒め」のコマーシャルを、以前から繰り返し見かけますが、上手なマヨネーズのマーケティングだと思います。油(植物油)は、舌を刺激し食欲を増進させる力を持っています。その効果的な応用例のひとつがマヨネーズです。マヨネーズはサラダのドレッシングだけではない。
 
こういうのを新しいアプリ―ケーション(使い方)のお勧めによる販売促進と言います。この情報を売り場でポップ風の紙で提供するとアプリケーション・ノート。
 
同じ種類のコマーシャルを繰り返し見かけるというのは、新しい顧客が次々と登場してくるからです。新しい顧客とは簡単な料理を始めた独身男女や料理の得意でない新米主婦(そういうひとたちにとっては、出汁や味付けは敷居が高い)や、料理は得意なのだけれど料理にかける時間を節約をしたいひとたちのことです。味付けのマヨネーズへの「外注化」です。
 
自宅でマヨネーズを作ったことのある方にとっては何の不思議もありませんが、75%から80%は油(植物油)です。大量の植物油に卵(卵黄)と酢と塩を加えてよくかき混ぜると、マヨネーズができあがります。胡椒などの香辛料をどれだけ使うかはお好み次第です。適当な料理や加工食品にマヨネーズをかけると、何でも一応は喉を通る。マヨネーズ味を売りにしたおにぎりなども人気です。
 
放置してあったマヨネーズが分離しそのほとんどが油だったので驚いた、といった感想を耳にすることがあります。そこには、隠されていた真実を発見、というニュアンスが含まれているので、発言者が若い男性や若い女性なら特に違和感はありませんが、それが初心者とは言えない家庭の主婦であった場合は、逆にこちらが驚いてしまう。
 
マヨネーズは植物油がいっぱい、に関して手元に適当なものがなかったので、下の写真を「買い物の学校」というブログ(の「多すぎる油」という記事)からお借りしました。この場を借りてお礼申し上げます。
 
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【註】写真のようなきれいな分離状態を作り出すには、マヨネーズを冷蔵庫で一晩凍らせて解凍すればいいそうです。ただし、理科の実験としてはそれでいいとしても、いったん分離したのをもとの状態に戻したときに風味も元通りになるかどうかは保証の限りではありません。
 

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2018年3月13日 (火)

平均寿命と健康寿命

先日、厚労省から2016年の健康寿命に関する調査結果(約71万人を対象にしたアンケート調査結果からの推計値)の発表がありました。この調査は2010年から3年ごとに行われています。
 
「健康寿命」とは、健康上の問題がなく、日常生活の活動が病気などで制限・制約されることのない期間のことですが、2016年は男性が72.14歳、女性が74.79歳。前回調査の2013年と比べ、男性は0.95歳、女性は0.58歳「健康寿命」が延びました(なお、下の図表「都道府県別の健康寿命」は日本経済新聞から引用)
 
2016_20183
ちなみに、明治31年(1898年)から平成28年(2016年)までの、平均寿命の推移は以下のようです。
 
18982016
 
上のグラフでは細かい数字がわかりにくいのですが、2016年の平均寿命は男性が80.98歳、女性が87.14歳なので、「『非』健康寿命」期間が、男性は8.84年、女性は12.35年続くことになります。
 
「『非』健康寿命」期間とは、たとえば、具合の悪い方から言うと、自宅や介護施設で寝たきりか、そこまでいかなくても介護施設で車椅子を利用する生活をしているか、もっと広くいえば、たとえば介護保険の要介護の認定者で、病気や老齢で日常生活になんらかの支障をきたしているような不便な状態が続く日々のことです。
 
男性のほうが、身体の不具合をかかえた場合に諦めが早いというか、そういう場合の生への執着が、女性よりも、肉体的にも精神的にも希薄なのかもしれません。関連記事は「平均寿命と食べもの」。

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2018年3月12日 (月)

対面販売の魚売り場

魚介類はあるデパ地下の対面販売の魚売り場、と決めています。たいていは待遇者と一緒です。海が荒れて北海道も九州も不漁なときはそういうわけにいきませんが、たいていは一週間分をまとめて買い込みます。
 
まとめて買ったものは、刺身はその日か次の日に片づけますが、出番まで冷凍にするのもあるし、塩麹や醤油麹や味噌などに漬け込んで日持ちさせるのもある。白身魚を昆布や酢で締めるのも悪くありません。
 
土曜日の遅めの午後にその魚売り場の対面販売用の一画に行くと、鰆(さわら)の切り身が六切れ並んでいました。
 
時刻を考えると売れ残りに近づいていたという言い方が適当かもしれません。水揚げ地は福岡県です。六切れといっても、ひとつはカマ相当部分です。姿のいい四切れあればいいので、その四切れを買おうとすると、「六切れ全部どうですか」と顔見知りのベテランの女性店員から声がかかりました。「いいですよ」と答えます。
 
大きめのお皿に載せてラップしたパッケージに書かれた値段は四切れ分です。カマ部分とその他の一切れが売れ残っても困るので売る方としてはそういうサービスになるのですが、こちらもそういう場合は柔軟に対応します。こういうのが積もると、まあ、お互いにいい関係ができあがります。
 
ある日にある魚に興味を示すと「今日は、これは脂の乗りがイマイチなのでお勧めじゃないです。刺身なら別の魚にしてください」。別の日に、大きな赤カレイの大きな切り身を見ていたら「今日はこの赤カレイがお勧め。活締めです。」実に新鮮そうな身の色で、値段もとても穏当でした。
 
対面販売の魚売り場ではそういう楽しみに出合えます。今風に言うと、結局はコスパのいい買い物ができるようです。

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2018年3月 9日 (金)

山葵(わさび)と山わさび

上の緑が「山葵(わさび)」、下のベージュが「山わさび」です。山わさびを漢字で書くと「山山葵」となって紛らわしいので「山わさび」と表記する習慣らしい。
 
写真の山葵も山わさびも、以前、冷蔵庫に保管中のものを取り出して撮ったものなので、色がくすんでいます。m(_ _"m)
 
Photo
 
「山わさび」とは「ホースラディッシュ」「西洋わさび」のことで、ローストビーフを食べるときに薬味としてよく使われます。東ヨーロッパの生まれですが、明治時代に北海道に導入され、現在では北海道の特産品になっています。
 
山葵(わさび、「本わさび」ともいう)は、たとえば伊豆・天城のように湧き水を利用した石の段々畑風のわさび田で育てますが、山わさびは畑で栽培します。畑の多い北海道向きです。山葵は保存がききませんが、山わさびは農家の倉庫で保存ができます。必要な時に必要な分だけ、洗浄しカットして出荷する。
 
山葵を、たとえば、ファストフードばかり食べていて刺身の味がよくわからないであろうタイプの外国人のために英語に訳すときには、面倒なので horseradish としてしまいますが、両者は似て非なるものです。実際には似てもいない。
 
しかし、似ているところはあって、卸すには、どちらも鮫皮が最適だということです。
 
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いろいろな料理と合いますが、やっぱり、魚介類には「山葵」、肉類には「山わさび」ということでしょうか。野菜だけのサラダには、どっちでしょう?

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2018年3月 8日 (木)

椅子の肘掛けの修理用カバーは靴下で

あるメーカーの椅子を購入してから14~15年になります。自宅で使い続けてきたお気に入りの椅子です。座り心地がよくて、あまり大きすぎないのがいい。
 
淡いベージュ色の頑丈な板面がただ広がっているだけといった風情のシンプルな作りの机と組み合わせて、ちょっとした作業をしたり、背もたれをリクライニングさせて本を読んだり、仕事の続きをしたり、今書いているようなブログをパソコンに向かって書いたりするときに使っているのですが、最近、その椅子の肘掛けの表面の樹脂がひび割れてきました。このままだとまずいことになりそうです。
 
不思議なこともあるものだと理由を調べてみると、肘掛けの樹脂が湿気を吸収して加水分解し、それでひび割れになるらしい。少なからぬ回数の水拭きがよくなかったのかもしれませんが、注意書きや説明書に水拭きするなとは書いてなかった。
 
同じ現象(不具合)を経験しているユーザーは少なくないようです。買ってから7年目くらいでモザイク状のひび割れが発生し、樹脂が剥がれ落ちたかたもいらっしゃる。つまり、もともとの部品品質(樹脂品質)に問題があるらしい。しかし、それ以外の椅子としての機能はまだまだ大丈夫です。
 
部品交換を検討したのですが、樹脂部分だけの取り換えはできなくて、左右の肘掛けモジュール全体が買い替え対象部品となっているらしい。しかし、それを購入した人たちの評価がどうもあまり芳しくない。モジュール全体の買い替えになるので価格も安くない。
 
で、とりあえずの解決策(といってもそれほど短期間の解決策とは思っていないのですが)黒い肘掛けを黒い使い古しの綿の靴下ですっぽりと覆うことにしました。ぼくの使い古しと、配偶者のゴムの部分が緩んできた夏用の使い古しを試してみると、配偶者の靴下のほうが素材の厚さもサイズもぴったりだったので、そちらを被せました。短期ソリューションの出来上がりです(写真)。
 
Baron

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2018年3月 7日 (水)

種子法の廃止

「種子法(主要農作物種子法)」という、一般にはあまりなじみのない法律が来月に廃止されます。
 
「主要農作物種子法」は、第二次世界大戦後の食糧の増産のためには、優れた穀物種子の生産・普及は国・都道府県が主導して進める必要があるという趣旨で昭和27年に制定された法律で、その対象は「稲・麦・大豆」です。しかし、平成30年(2018年)の4月に廃止されます。
 
農林水産省のウェブサイトから、廃止の背景と理由をまとめた資料を以下に引用します。
 
201804__
 
この資料にある民間ノウハウというのは、どこの国のどういう民間のノウハウを指しているのか判然としませんが、要は、この法律の存在意義がなくなったということのようです。
 
「米(コメ)」は別にしても、下のグラフ(ソースデータは農水省「食料需給表」)からわかるように、「種子法」の66年間の存在にもかかわらず、あるいは「種子法」の存在とは関係なく、「小麦」も「大豆」もその自給率は継続的にとても低い。
 
うどん用の小麦はほとんどがオーストラリアなどからの輸入だし、大豆も国産大豆の国内大豆消費量に占める割合は、数%程度です(ただし、豆腐や納豆や味噌として食べる食品用の大豆の自給率は20%くらいあります、あるいはわずか20%しかないとも言える)。外国産大豆は、大部分が遺伝子組み換えなので、食品用でもそういうタイプの大豆が大量に輸入されています。

つまり、この法律は、制定目的の遂行のためには、あまり役には立たなかったみたいです。
 
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2018年3月 6日 (火)

3月初めの雪融けと急な雪とシャクナゲ

3月上旬に日中の気温がプラス一桁の真ん中くらいになる日が2日続くと、道路は雪が融けて洪水になります。そういう場合は歩道を歩くときには二重の注意が必要です。
 
歩道は雪のぬかるみと水たまりなのでできたらゴム長で歩きたいのだけれど、そういうわけにもいかない。短い革ブーツということになりますが、そろそろっと、まだ雪の比較的硬そうなところを選んで歩く必要がある。それが注意のひとつ。しかし、気をつけていてもやっかいな状況に陥ってしまう場合があります。途中で立ち往生することもある。
 
もう一つは、車道の端は洪水なので、そこを平気な顔で駆け抜けていく自動車への用心です。とくに、大型車。有体に言えば、トラックやバスや車高の高い乗用車。そういうのが大きなタイヤでその洪水を走ると、汚い水しぶきが歩道に勢いよく飛んできて、コートやズボンが哀れな状態になってしまう。トラックやバスや乗用車の運転手がそれに気づいているとは思えない。
 
しかし、そういう時期でも、夕方から急に冷えてきて夜中から早朝まで雪が降り始めると、せっかく葉を広げ始めたシャクナゲにも雪が降り積もるので、最初の写真のように彼らはたいていの植物がそうするように葉を細く折りたたんで防御態勢に入ります。
 
でも、6月の上旬になれば2番目の写真のように葉はきれいな緑に広がります。あと3か月です。
 
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2018年3月 5日 (月)

外気温が氷点下なのに、これは蚊?

北海道にはゴキブリがいません。冬の寒さと乾燥を生きのびることができないからです。だから、我が家ではまったく出合ったことがない。
 
しかし、例外はあって、例えば札幌だと、きれいなオネーサンがたくさんいる街であるところのススキノなどは飲食店が多く、室内温度も湿度も常に高いので、冬でもゴキブリが死なないそうです。ぼくはこの目で見たことはないのですが、街のうわさではそういうことになっています。多分そうなのでしょう。
 
日中の最高気温が5℃以上に転じた日曜の午後に、二重の窓ガラスの外側部分の内側に付着した湿気を拭いていた配偶者がなにやら騒がしいので、そばに行ってみると、窓ガラスの外側に蚊とおぼしきものが止まっていました。どう見ても蚊です(写真)。
 
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蚊は夏の昆虫です。暑いと活躍する。つまり暑いと人間をはじめ動物の血を吸い始める。しかし、寒いと活動できなくなる。氷点下では死んでしまうに違いない、と思っていましたが、そうでないのもいるらしい。
 
蚊はとても種類の多い昆虫なので、そういう変わったのがいてもおかしくはないのだけれど、どうやってこの寒さを生きのびたのだろうと不思議だし、実際のところ、その生存力の強さに感心してしまいました。まさかどこかの隠れ場所で氷点下の中を冬眠?

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2018年3月 2日 (金)

春の吹雪

今回の春の吹雪は、こういうことを言うと失礼ですが、天気予報通りでした。昨日は南東から湿った雪が吹き付け、今日は北西から吹雪いています。
 
札幌なので、北海道の中央部や東部に比べるとたいした吹雪ではないのですが、それでも、この冬の雪はもうお終いにしてほしいとは思います。
 
幸いなことに気温は高い。日中だと1℃くらい。雪よ、融けろ。
 
写真は昨日の朝の雪模様。
 
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2018年3月 1日 (木)

グローバル・ガバナンスというもうひとつの共同幻想

ある程度の社会的安寧がもたらされる限りにおいては、その社会経済的虚構、あるいは政治的共同幻想は持続します(どういう状態を指して社会的安寧があると呼ぶのかは難しい議論ですが、ここでは深入りしません)。
 
グローバリズムやそれの支持観念であるところのリベラリズム(自由主義)は、この数十年で世界にひとつの大きな三角形(ないしはピラミッド)を作り出しました。三角形(ピラミッド)とは、富や権力のヒエラルキーのことです。人間の特性のひとつとして、富や権力に対する基本欲求がなくなることはありません。グローバリズムでは、とりあえずWin-Winの関係を享受することのできた参加者(参加国)が多かったので、各人(各国)の基本欲求は、全体としては満たされ続けました(ということになっています、南北格差は大きかったのですがそれは気にしないことにして)。
 
歴史上、世界にはいろいろな種類のヒエラルキーがありましたし、現在も多い。前の世紀とその前には、サイズが大きくて乱暴なものは帝国主義国家と呼ばれました。自分のサイズをもっと大きくして、他の乱暴な三角形を飲み込もうとする。すると、衝突が起こり、戦争ということになります。実際にそうなったのですが、第二次世界大戦後は、そのままではリスクが高すぎて先進国の生存が脅かされるというので、共同で知恵を出し始めました。その結果が経済優先のグローバリズムとリベラリズムです。ヨーロッパではECが誕生しました。
 
つまり、この数十年は、グローバリズムとリベラリズム(自由主義)が世界の主要国における共同幻想でした。それなりにきれいな夢だったのですが、夢の成果が一部の人や一部の国の専有物になり始め幻想効果が薄れてきたので、その共同幻想を捨てたいという人たちが各地で現れました。日本も例外ではなく、たとえば、共同幻想の枠外に置かれたような位置づけの非正規雇用者が増加している。
 
共同幻想の剥落とは、グローバルな現象面では、たとえば、Brexit(欧州連合からのイギリスの脱退)だし、米国におけるトランプ政権の誕生です。つまりは、ナショナリズムへの回帰です。ロシアのプーチンもそういう方向で動いています。ナショナリズムが正しい(というか、今後長期間、有効な)回帰先かどうかはわかりませんが、それ以外に実行可能な代替案は思いつかない。だからとりあえずナショナリズム回帰です。
 
安倍政権(というか、安倍総理というか)は、そういう意味では不思議な動き方をしています。アベノミクスはグローバリズムとリベラリズムそのものの純粋培養政策みたいなもので、最近議論になっている働き方改革もそのサブセットです。しかし同時に、安倍政権は1945年以前の、つまり戦前の日本に回帰したくてしかたないらしい。二つの逆方向のベクトルが彼の頭の中では矛盾なく共存しています。
 
1945年以前への回帰という思いはナショナリズムという虚構のひとつのあり方で、そのあり方は、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)の信じる虚構のあり方と通じるところがあります。そういう意味ではふたりは同じ種類の「幻想」を共有している。二人は深層心理面でお互いに気が合うに違いない。
 
そういうナショナリズム回帰という状況のもとで、現れてきたのが「グローバル・ガバナンス」という考え方です。以前、世界政府という言葉が根のない人気を博した時期もありましたが、舞台と衣装を変えたその再来と呼べるかもしれません。
 
国家単位、あるいはECのような地域集合体単位では解決できない問題(そういう場合にすぐに安易に引き合いに出されるのが地球温暖化対策、それから南北経済格差、そして、AIなどの進展の結果、先進国にも途上国にもあふれだす大量の「仕事のない人たち、役に立たない人たち」に各国でまたグローバルレベルでどう対処するかなどの今後の大問題)は、ナショナリズムでは対応のしようがない。だから、国を超えたもっと大きな、もっと上位の「共同幻想」を創らないかという提言が「グローバル・ガバナンス」です。
 
国家を超えた共同幻想の実効力のある例は過去に実際にありました。既存の宗教です。キリスト教やイスラム教や仏教には国家の壁はありません。しかし、これから、グローバル・ガバナンスのために、たとえば、キリスト教の幻想をいっしょに見ようと言われても、ぼくは、願い下げです。
 
グローバル・ガバナンスとは、ひとつの巨大なヒエラルキーに、世界全体を、明示的に、意識的に当てはめることです(参加者の同意を強引に、そして、無理やりにでも取りながら)。出来上がるのは、現代版のグローバルな士農工商制度かもしれません。そこには「家族(の幸せ)よりも国(の存続と繁栄)が大切だろう、国よりも、国を超えたなにものかが重要だろう」というロジックが持ち込まれます。そうでないと「共同幻想」にならない。しかし、実際には、どういう訴求力のある「共同幻想ロジック」になるのかは誰もよくわからない。
 
現在のグローバリズムを眉に唾をつけて眺めている人たちが、その内容はわからないにしても、そんな「共同幻想ロジック」に賛同するはずもない。なぜなら、グローバル・ガバナンスとは、すでに彼らが組み込まれている複数のヒエラルキーの外側に、さらに、スーパーセット的なヒエラルキーをもうひとつ覆いかぶせることだからです。窒息してしまう。
 
ところで、「ホモ・デウス」の著者であるユヴァル・ノア・ハラリは、あるインタビューで、「グローバル・ガバナンス」について歴史学者らしい興味深い意見を述べていました。
 
グローバル・ガバナンスなるものを考えると、グローバル・ガバナンスとはそもそも何か、どこの誰が実質的なガバナー(統治者)になるのかということが問題になりますが、ハラリにおけるグローバル・ガバナーのイメージとは、昔の中国の皇帝だそうです。秦の始皇帝、あるいは漢の高祖や武帝を思い浮かべているのでしょうか。そのあたりはよくわからない。しかし、つまり、中華(中華思想)のイメージです。中華の四方に居住していた異民族は東夷・北狄・西戎・南蛮(とうい・ほくてき・せいじゅう・なんばん)と蔑称されました。「日、出(い)ずる国」であるところの日本は中華から見れば、東夷のひとつということになります。
 
米国のトランプや北朝鮮の金正恩、ロシアのプーチン、EC、それから中国の習近平をも含めて、彼らを東夷・北狄・西戎・南蛮とみなして、彼らにあたらしい共同幻想を納得させる「強い力」がこのガバナーには必要なので古代中国の皇帝のイメージということになるのでしょうか。なかなかに面白い。
 
 
さきほど、グローバル・ガバナンスのためにキリスト教の幻想をいっしょに見ようと言われても、ぼくは、願い下げだと言いましたが、それが以下に引用するような種類の共同幻想なら喜んで引き受けると思います。
 
ただし、普通の意味でのガバナンスには役に立ちそうもない。しかし、AI(アーティフィシャル・インテリジェンス:人工知能)では対応できないような、形而上学的な次元で考えるガバナンスには向いています。
 
「道(みち)の道(い)う可きは、常の道(みち)に非ず。名の名づく可きは、常の名に非ず。名無きは、天地の始めにしてして、名有るは、万物の母なり」(老子)
 
 

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