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2019年1月28日 (月)

削除することによる付加価値

スポーツ中継におけるアナウンサーの声や解説者の解説なるものは、ぼくにとってはノイズなので、できたらそういうものはないほうがいい。スポーツ中継でNHKが民放より少しいいところは、中継対象は非常に限定されているのだけれど、アナウンサーや解説者の声がカットされた音声チャネルが用意されているところです。

プロ野球中継ではときどきそういうことがありますが、直近ではテニスの豪州オープンやサッカーのアジアカップ2019がそういう扱いだったので、現場の映像と現場の音だけの臨場感が楽しめました。

付加価値とは価値を追加することですが、素なものにべたべたと何かを貼り付けても価値が増すわけではありません。アナウンサーの声や解説者の解説の声が入らないのは、余分なものを付け加えないという意味で、デフォな中継よりも「付加価値」があります。

それを仕事にしている人たちにはもうしわけないけれども、昔のベテランスポーツ担当アナウンサーのように最小限のことしか口にしないという美学や職人技はなくて、アナウンサーはしゃべり続けないと不安でしかたないみたいだし、解説者は高みからエラそうなコメントを出し続けないといけないという強迫に駆られているみたいです。それが放送電波で流れてきます。そういうのをウザイとかannoyingとか云うのでしょう。

飾り立てた小説の文体のような4Kや8Kも付加価値かもしれませんが、アナウンサーと解説者のいない削除の付加価値も捨てがたい。

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