« 二日と三日は九部屋の小分け皿 | トップページ | 大人向きの甘酒ゼリー、あるいはお米のスイーツ »

2019年1月 7日 (月)

「投刺」と「年賀状」

自分の名刺を他の人に届けることをかつては「投刺」と言いました。「刺」とは名刺のことです。森鴎外の「小倉日記」(明治32年)に次のような一節があります。

「歸途新二丁目なる書肆の主人長崎次郎を訪ふ。叉刺を茨木中將の家に投ず。大江村大字九品寺の邊に在り。旅舎に反りて午餐す。」(下線は「高いお米、安いご飯」による)

名刺を意味する「刺」という用語が定着したのが東漢時代(後漢時代)の中国で、その当時の「刺」は自分の名前を刻んだ竹の板でした。長幼の序を守るべきお相手やお世話になったかたがたに正月に年賀の挨拶に回るのが正式ですが、自分で多くの年賀の挨拶に回るのは時間的にも大変なので、その略式代替として「投刺」の風習ができました馬 興国 「正月の風俗-中国と日本」。「投刺」とは、もともとは年賀の名刺を届けさせることだったようです。

その「投刺」の日本版が年賀状です。年末には年賀の挨拶はできません。したがって年賀状も、本人は忙しいので家のものやお手伝いに届けさせることになりますが、年明けの行為です。

明治になって郵便制度が出来てからは年賀はがき(文字の多い手紙ではなく、はがきという簡単な媒体を使った年賀状)が人びとの人気を博します。年賀はがきを届ける郵便局員は、家のものやお手伝いの替わりです。

「これを届けておくれ」「はい」で、すべてがたとえば正月二日に片付けばいいのですが、そういうわけにはいかない。で、郵便局がきちんと元日に家のものやお手伝いの役割をするためには、前もって投函してもらった年賀状を集めてまとめて配達するという今の手順がいつの頃からか出来あがったであろうとは、容易に想像がつきます。

年賀はがきの印刷部分の余白に手書きされた一行から数行が歓迎されるのも、竹の板に自分の名前を刻み込むというそれなりに時間のかかる「投刺」行為の現在版だからかもしれません。明治生まれの人たちの中には、名刺は細筆で自筆というかたも少なくなかった。そばに正座してそういう名刺づくりを眺めていたことがあります。

人気ブログランキングへ

|

« 二日と三日は九部屋の小分け皿 | トップページ | 大人向きの甘酒ゼリー、あるいはお米のスイーツ »

季節と時節」カテゴリの記事

雑感」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「投刺」と「年賀状」:

« 二日と三日は九部屋の小分け皿 | トップページ | 大人向きの甘酒ゼリー、あるいはお米のスイーツ »