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2019年3月25日 (月)

昭和21年のいわゆる「人間宣言」などについての個人メモ

その内容骨子を伝え聞いてはいるものの、原文があっても原文全体にきちんと目を通したことがないというような事態はときどき発生しますが、これもそのひとつでした。昭和天皇のいわゆる「人間宣言」。

マスメディアの「人間宣言」という報道や番組を通して、あるいは他の媒体での一部引用を通して、あるいは三島由紀夫の「英霊の声」に登場する二・二六事件の青年将校や太平洋戦争の特攻隊員の「霊」が『などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし』(すめろぎは漢字では天皇)と、天皇の人間宣言を憤り呪詛する言葉を通してそう理解してはいたものの、実際にはどういうふうに彼は「人間宣言」したのか。

昭和21年1月1日付けの「官報」(号外)があります。原文は明治憲法や古い法律文のように漢字とカタカナで書かれていますが(下の画像)、その表記はいささか読みにくいのでカタカナをひらがなに替えると以下のようになります(難しい字の読みも追加)。誰がそう名付けたのかわかりませんが、この本文の文字数が1,011文字の「詔書」が昭和天皇の「人間宣言」と呼ばれているものです。

2111-1946

官報 号外 昭和二十一年一月一日


 詔書

ここに新年を迎う。かえりみれば明治天皇、明治のはじめに、国是として五箇条の御誓文(ごせいもん)を下し給(たま)えり。曰く、

一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。
一、上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし。
一、官武一途庶民に至るまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
一、旧来の陋習(ろうしゅう:悪い習慣の事)を破り、天地の公道に基づくべし。
一、知識を世界に求め、おおいに皇基を振起すべし。

叡旨公明正大、また何をか加えん。朕(ちん)は個々に誓い新たにして、国運を開かんと欲す。

すべからくこの御趣旨にのっとり、旧来の陋習を去り、民意を暢達し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、もって民生の向上をはかり、新日本を建設すべし。

大小都市のこうむりたる戦禍、罹災者の艱苦、産業の停頓、食糧の不足、失業者増加の趨勢等は、まことに心をいたましむるものあり。しかりといえども、わが国民が現在の試練に直面し、かつ徹頭徹尾文明を平和に求むるの決意固く、よくその結束をまっとうせば、ひとりわが国のみならず、全人類のために輝かしき前途の展開せらるることを疑わず。それ、家を愛する心と国を愛する心とは、わが国において特に熱烈なるを見る。いまや実に、この心を拡充し、人類愛の完成に向かい、献身的努力をいたすべきの時なり。

思うに長きにわたれる戦争の敗北に終わりたる結果、わが国民は動(やや)もすれば焦燥に流れ、失意の淵に沈綸(ちんりん)せんとするの傾きあり。詭激(きげき)の風ようやく長じて、道義の念すこぶる衰え、ために思想混乱あるは、まことに深憂にたえず。しかれども、朕は汝(なんじ)ら国民とともにあり。常に利害を同じうし、休戚を分かたんと欲す。朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。天皇をもって現御神(あきつみかみ)とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。

朕の政府は、国民の試練と苦難とを緩和せんがため、あらゆる施策と経営とに万全の方途を講ずべし。同時に朕は、わが国民が時難に決起し、当面の困苦克服のために、また産業および文運振典のために、勇往せんことを祈念す。

わが国民がその公民生活において団結し、あいより助け、寛容あい許すの気風を作典興するにおいては、よくわが至高の伝統に恥じざる真価を発揮するに至らん。かくのごときは、実にわが国民が人類の福祉と向上とのため、絶大なる貢献をなすゆえんなるを疑わざるなり。

一年の計は年頭にあり。朕は朕の信頼する国民が、朕とその心を一にして、みずから誓い、みずから励まし、もつてこの大業を成就せんことをこいねがう。

御名 御璽
昭和二十一年一月一日

「人間宣言」とはその中の以下の部分を指すようです。

『朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。天皇をもって現御神(あきつみかみ)とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。』

要は、天皇と国民(臣民)の結びつきは、天孫降臨や万世一系といった『神話と伝説』、ないし現御神(あきつみかみ)や神国日本といった『架空なる観念』によるものではない。

言葉通りに読むと、これは神話と伝説の否定、現御神(あきつみかみ)・現人神(あらひとがみ)としての天皇の否定ではあっても、天皇が自身を肯定形で人間だと宣言したわけではないようです。「神でなければ人間、だから、天皇は人間宣言をした」という「解釈」は成り立つにしても。

ところでこの詔書でいささか不思議なのは『朕の政府は・・』という表現がすぐそのあとに続くことです。『朕の政府』とは「私の政府」ということなので、ここに主権者(ないし絶対支配者)であるところの天皇が顔をのぞかせています。

その詔書に対する同日付でプレスリリースされたマッカーサーのコメントというのがあり、その内容は以下の通りです。

GEN. MACARTHUR SEES LIBERALISM IN IMPERIAL RESCRIPT

"The Emperor's New Year's statement pleases me very much. By it he undertakes a leading part in the democratization of his people. He squarely takes his stand for the future along liberal lines. His action reflects the irresistible influence of a sound idea. A sound idea cannot be stopped."

「マッカーサー元帥は、新年の天皇詔書に見られるリベラリズム、天皇が彼の人民の民主化について確固とした指導的役割を果たそうとしていることを歓迎した」といった内容です。「人間宣言」と直接に結びつく箇所はない。

もっとも『朕の政府』と言ったのは、GHQ (General HeadQuarters) の手になる「日本国憲法・草稿」ができたのが1946年(昭和21年)2月12日、「日本国憲法」の公布は昭和21年11月3日、その施行は昭和22年5月3日なので、当該詔書が出された昭和21年1月1日の時点では主権者はまだ日本国民ではないという事情もあったのかもしれません(それから、日本が国家としての全権を回復したとされているのはサンフランシスコ講和条約が発効した昭和27年4月28日)。

「日本国憲法」の「英訳」というものがあります。しかし英訳というのはヘンな話で、日本国憲法は(その草稿は)GHQが英語で作成したものです。それが日本国憲法のオリジナル。それにいくぶんの微調整を加えて、ほぼオリジナル通りに、しかし原文よりもわかりにくいところのある日本語に翻訳したのが「日本国憲法」です。だから「英訳」というものは「英文草稿」にその微調整分を英語表記で追加したものということになります。

【註】「日本国憲法」と同じように、上述の「人間宣言」にも、その骨子部分に関しては、GHQが作成した英文草稿が存在するようです。それをを翻訳修正し英文草稿にない部分を追加してまとめたのが、昭和21年1月1日の「詔書」らしい。ぼくは英文草稿を見ていないので詳しくはわからない。

日本国憲法は戦勝国・占領軍に押しつけられたものなので、それを理由に改正するという主張があります。敗戦国は当時それを受け入れるしかなかったとしても、その受け入れ内容がデモクラシーや平和という観点からして望ましいもの・納得のいくものならば、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」(英文草稿は “The Emperor shall be the symbol of the State and of the Unity of the People, deriving his position from the sovereign will of the People, and from no other source.”)のような日本風味を含めて、それでいいではないかと考えていました。

しかし少し前から、この憲法の『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』という根幹部分が気に入らなくて、その部分を、たとえば『全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う』というふうに憲法尊重義務の主体を政府から国民に逆転させたいと考える人たちが出てきました。そういう人たちにとっては、集団的自衛権を行使したいという願望の実現と合わせて、「押しつけられた憲法」というのは使い勝手のいい憲法改正理由(あるいは条文の巧妙な解釈によって実質的に憲法の一部改正と同じような状況を作り出す解釈改憲理由)になります。

昭和21年1月1日の詔書全体に目を通してみようと思ったのは、平成28年8月の天皇ビデオメッセージ(その骨子は『即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。』)、と、平成29年12月23日85歳の誕生日の天皇の発言『平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています』を見たり読んだりしたのががきっかけです。

日本国憲法は、戦勝国・占領軍と日本との安全保障システム(日米安全保障条約および日米地位協定)との抱き合わせをひそかな前提として(高位の当事者以外にはその背景がよく見えなかったという意味でひそかな前提として)発足したもののようです。

この矛盾するもの(平和を希求する、他国を攻める戦争はしないしそのための軍隊も持たない、しかし、同時に他国を攻撃する第三国の軍隊はその国の意のままに自由に駐留させるしそのための支援もする、要請があれば、「実質的には」その第三国といっしょに他国に侵攻する)を巧妙に組み合わせたものを、今後、平和やデモクラシーという観点からどう納得できる形に解きほぐすか。そういうことを考えようと思ったら(とくに9条2項や日米地位協定との関連事項)、「押しつけ憲法なので見直したい」というのは、集団的自衛権の行使が好きなタイプの人たちとは違った意味で、まっとうな理由付けになるかもしれません。

5月1日からの新しい天皇が、何十年後かの記者会見で、『□□が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています』と発言できるかどうか。

関連記事は「憲法雑感」。

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