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2019年4月

2019年4月30日 (火)

春を感じるとき

春を実感するきっかけは桜だけとは限りません。むしろ、ある作業にもっと春を感じます。年の最初のルッコラの種蒔きです。

日中の気温が15℃くらい以上にならないと育たないのがルッコラなので、実際は季節が春に入ったのをそれなりに確認したあとであらためて種蒔き作業に春を感じていることになり、トートロジーみたいなものですが、天気予報サイトで提供される実測気温では感じられない春が、ルッコラの種蒔きと水遣りという作業からは染み出てきます。

昨日の早朝に種蒔きして1日たったばかりなので何の変化もありません。朝夕はまだ冷えるのでおそらく4日目あたりの朝に気の早いのは芽を出すと思います。土から出た新芽がある程度伸びるまでは、毎朝の水遣りは、下の写真のような状態の時から霧吹きだけを使います。なんとなく自分で見つけた水遣りの方法です。

20190430

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2019年4月26日 (金)

梅干し(3年8カ月もの)

食べものについての一般の国語辞典の説明としては、以下に引用するのは簡潔にまとまっています。

〈うめぼし【梅干し】梅の実を塩漬けにし、取り出して日光にさらした食品。6月ころに、赤紫蘇の葉を加えてつけることが多い。〉

下の丸皿に並べてある2個の梅干しは製造完成日が2015年8月2日です。なので、3年8カ月ものの梅干しということになります。

現在、毎日の朝ごはんでこの3年8カ月ものを食べています。梅干しは我が家の朝食では必需品で、この大きさの梅干しならひとり分は1個の半分、配偶者とぼくとで1個を分け合っています。きちんと分けないとクレームがつくので総合的に慎重に梅肉の量を二等分します。自宅の甕(常滑焼)で何年間も常温保存できるように伝統的な濃さの塩分濃度で作ってあるので、それくらいの量でちょうどいい。

20150802-38-b

その3年8カ月ものが出来たのが2015年8月2日。その製造完成日の朝の様子が下の写真です。

20150802-a 

梅干しは、できたら全部自家製にしたいのですが、ときどきは丁寧に作られた市販のものも食べます。自分で梅と赤紫蘇と塩を選んで作っていると、市販のものは出来のいいもの以外は食べる気がしません。そのあたりの梅干し売り場で適当に調達というわけにはいかない。店員の商品説明と違って、きちんと天日干ししていないに違いない梅干しにも出合いました。

梅干しは、名前の通り、梅などの素材の選択以外に、夏の太陽の光を最大限に利用することになるので、天日干しの数日間は、日中平カゴに干したのを夜は赤梅酢に戻して、また翌早朝に並べなおすという作業が続きます。けっこうしんどい作業です。でも、今年も頑張りますか。

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2019年4月25日 (木)

高血圧に関する、愉快な業界・愉快なコメント・愉快なデータ

高血圧 75歳未満は「最高130」目標に 降圧剤処方が増える可能性〉というタイトルの記事が眼に入りました。記事の一部と説明図を引用します。

「日本高血圧学会は19日、医療者向け「高血圧治療ガイドライン(指針)」の2019年版を発表した。75歳未満の成人の降圧目標について最高血圧(収縮期血圧)を「130ミリHg(水銀)未満」とし、前回の指針から10ミリHg引き下げた。血圧はより低い方が総死亡や脳卒中、心筋梗塞(こうそく)の発症率などが低く抑えられるという米国などの臨床試験の結果を反映した。治療をする1000万人以上もの高血圧患者への降圧剤処方が増える可能性がある。」

13080-2019

世の中にはスマートなかたがいらっしゃるみたいで、この日本高血圧学会の発表に対して愉快なコメントとデータがネット上で提供されていました。原文のママ、引用します。

『医者、薬屋は嘘は言わないが全部も言わない
血圧下げると脳梗塞は減ると言うが認知症、骨粗鬆のリスクは言わない
塩分控えろと言うが、糖分控えろとは言わない
脳梗塞、ガンで死んでる人は大体75歳以上だから自然死と同じですよ、とは言わない』

『降圧剤市場の遷移
160のとき 3000億
140のとき 6000億
130の今 1兆2000億
分かりやすいよねー』

『降圧剤市場の遷移』というのをもっとわかりやすく(あるいは冗長に)書き直すと次のようになります。

降圧剤市場の推移
・最高血圧が「160未満」というガイドラインのときの市場規模は3000億
・最高血圧が「140未満」というガイドラインのときの市場規模は6000億
そして
・最高血圧が「130未満」というガイドラインになった今、今後の市場規模は1兆2000億

記事にも「治療をする1000万人以上もの高血圧患者への降圧剤処方が増える可能性がある」とあったので、降圧剤市場の市場規模について別のソースを当ってみました。

【降圧薬】市場は5500億円』という記事があり、その内容は

『処方量と単価が分かっているので、各降圧剤の年間売上高を簡単に計算することができます。全部足し合わせれば、降圧剤の市場規模も分かります。結果は<表>のようになりました。
 NDBオープンデータには処方量の上位100品目までが掲載されています。それらの合計金額は、なんと5492億円。・・・101位以下がどのくらいになるかは分かりませんが、市場規模は大ざっぱに5500億円と言っていいでしょう。』

その<表>とは以下のようなものです。引用します。

2015

「140のとき 6000億」と「この表の金額」は同じものを指しているので「最高血圧ガイドラインが140のときは、降圧剤の市場規模は5500億円、ざっくりと6000億円」ということになります。だから「130の今 1兆2000億」という数字にとくに反対する理由はありません。

140から130になったときの、市場拡大効果(売り上げ金額の増加)が例えば5000億円だとして、その1%の50億円がロビーイング経費としてすでに関係各所に流れ出ていても不思議ではありません。ROIは良好。けっこう愉快な業界です。

関連記事は「血圧が「130/85」から「148/95」へ」、それから「現在の血圧基準値は?」。

特定の専門分野の尖った意見だけでなくいろいろな状況を勘案した場合、「正常」な収縮期血圧(最高血圧)は「年齢+90」以下という古い簡易指標がいちばんすっきりとしているようです。

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2019年4月24日 (水)

仏教の二重性、あるいは、生まれながらに「仏教徒」

ものごとにはたいていは二重性があります。仏教にも二重性があります。それをどういう位置から見るか、それをどういう立場で捉えるかによって、その二重性の意味と役割が変化します。

ここでいう仏教の二重性とは聖と俗の二重性のことで、俗とはここでは政治性のことです。だから、仏教の持つその二重性は「空と鎮護国家」や「空と治国平天下」という言い方をするとわかりやすい。(【註】「空と治国平天下」という表現は「西村玲」氏の著作から拝借しました。)

「空」とは「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」(般若心経)における「空」のことで、さまざまなものごと(物理的存在および観念や概念など)には固定的な実体がないという仏教の基本的な洞察(世界認識)です。この洞察(世界認識)は、坐ること(瞑想体験)によってもたらされましたが、「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」という言葉でなぞられた空の体験が解脱と呼ばれています。

「鎮護国家」とは、仏教には国家を守護・安定させる力があるとする思想です。また「治国平天下」とは「修身斉家治国平天下」(大学)ということで、その意味は、天下を平らかに治めるには、まず自分のおこないを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国を治めて、次に天下を平らかにするとする儒教の基本的政治観です。

仏教は、それに複数の人間がかかわりあう存在となった時点で、聖的なものと世俗的なもの(政治的なもの)が同時に存在するという意味での二重性をもたざるを得ません。だから、僧侶のような仏教者も「空」を指向する存在であると同時に「鎮護国家」「治国平天下」を支援する存在であるという意味と役割の二重性を持つことになります。ただしその二重性は時代によってその濃淡が変化します。

この二重性を自覚せずに、あるいはそういう二重性を意識して捨て去って「空」探求ひとつに打ち込む一群の僧は常に存在しますが、たいていの仏教者は政治的機能、社会的機能としての仏教とかかわりを持って生きるので、この二重性からは逃れられません。

二重性は時代によってその濃淡が変化します。そのとてもわかりやすい例が江戸時代の寺檀制度(じだんせいど)です。寺請(てらうけ)制度ともいいます。これは、現在では形式的になっているとはいえ、菩提寺(ぼだいじ)や檀那寺(だんなでら)や檀家という考え方や仕組みによって(まもなく令和となるところの)今でもぼくたちに受け継がれています。

寺壇制度とは江戸幕府が寺檀関係、つまり檀那寺(だんなでら)と檀家(だんか)の関係を利用して制定した戸籍管理の制度です。初めはキリスト教禁圧を目的としてつくられましたが(つまり、寺僧がその檀家がキリシタンでないことを証明するという意味での「寺請」の制度)、檀那寺が国家の行政支配網の末端として機能し始めてからは政治権力(「治国平天下」)の一部となりました。

檀那寺は檀家の祖先供養のための菩提寺(ぼだいじ)であり、菩提寺の僧侶(住職)は、葬式と法事だけでなく、出生,結婚,旅行,転住,奉公といった日常生活の節目相談までを寺請(てらうけ)証文の発行を通して引き受けたので、檀那寺には檀家(住民)に関するほとんどすべての情報が流入しました。寺はアナログ情報を使った当時のマイナンバー制度の地域ノードです。この制度により、すでに平安仏教や鎌倉仏教の信徒であった人たち以外のほとんどすべての日本人も、生まれながらに(檀那寺の宗派の)「仏教徒」になりました。

しかしそういう行政支配網の末端の「寺請」寺僧にとっても、朝夕の勤行はものごとの二重性のもうひとつの側面であるところの「空性」をあらためて自覚する時間帯でした。

この二重性をもっと濃密に保持し、この二重性を個人の内部で自覚的に激しく操作した人物も存在します。たとえば、平安初期の空海です。彼と真言密教における二重性とは「空と鎮護国家」の二重性です。「空の象徴である高野の山奥」に引きこもった時の瑜伽(瞑想)と、「国家権力と権威の代表である京都の嵯峨天皇」との親密な交友。高野の金剛峯寺と京都の教王護国寺(東寺)。書と言葉が媒介する、聖なるものと政治的なものの空間的・時間的クロスオーバー。

さきほど、江戸時代(徳川幕藩体制)になって、ほとんどすべての日本人が、生まれながらに(檀那寺の宗派の)「仏教徒」になったと書きましたが、寺壇制度の導入から400年後の現在の状況はどのようなのか。

寺は国家の行政支配網の末端としてはもはや機能していませんが、集合体としての一部の寺は、政治的な指向性を持った私的組織体としては、機能しているようです。菩提寺(ぼだいじ)や檀那寺(だんなでら)や檀家という考え方は、形式的ではあっても、今も葬儀や法事を介して持続しています。二重性のもう一つの側面である「空」に関しては、「無常観」「無常感」の浸透という意味では、状況は400年前とそれほど変わっていないと思われます。法事では般若心経を声に出すし、桜の花は毎年落ちる。

以下は「平成30年版『宗教年鑑』(文化庁)」の数字です。平成29年12月31日現在の奈良仏教と平安仏教と鎌倉仏教の信者を主な宗派別にまとめたものです。そういう仏教信者の数は4800万人。宗教年鑑のデータは、寺院(および神社や教会など)を対象にした調査で、信者数というのも寺院(神社や教会など)に提供してもらった数字なので、寺の場合は檀家数だと考えると、奈良仏教系と平安仏教系と鎌倉仏教系のそれぞれが占める割合も含めて、そういうものかと理解できます。ちなみに、2015年(平成27年)の国勢調査では、日本の人口は1億2710万人、世帯数は5333万世帯です。

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2019年4月23日 (火)

札幌でも桜

近所でいちばん気の早い桜が咲いているのを昨日(4月22日)確認しました。例年、一週間くらいは他よりも先を走るのが好きな桜の樹です。六~七分咲きですね(写真)。朝夕は(日によっては日中も)まだ寒いですが、一部の樹だけでも枝全体がそれなりに桜色に染まると、それなりに春の気分になります。

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札幌管区気象台の開花宣言用の「ソメイヨシノ」はいつ咲くのかはわかりません。気象台ウェブサイトでは細かい観察データは提供してくれないので。

平成のうちに咲くのか、令和になるのか。ゴールデンウィークに咲きそろうのは間違いなさそうです。まあ、桜はそんなことを気にしているはずもないのですが(実際は気にかけているかもしれない)、地元のテレビ局は「令和になって日本でいちばん最初に桜が咲いたのは札幌でした」みたいな報道映像を撮りたいはずです。だから、札幌気象台の桜には5月1日の開花宣言にタイミングを合わせるようなんとか協力してもらいましょう。

関連記事は「札幌の開花宣言用の桜」。

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2019年4月22日 (月)

春眠暁を覚えず

今年はとくに「春眠暁を覚えず」を実感します。なぜだかはわかりません。札幌はまだ桜が咲いていないので、本格的な春はこれから、今は春の入り口です。

春になる前はどうだったと言うと、たとえば日曜の早朝に目が覚めます。今が何時かということは毎日の経験でほぼ予想はつくのですが念のためにアラームオフ状態の目覚ましで時刻を確かます。昨晩は遅かったからあと1時間眠ってもいいかと考えても、そういう時にさらに1時間眠るのはとても難しい。眠れないまま、5分か10分で起き出してしまう。

それが、今年の春は、「あと1時間」が、気がついたらたっぷり1時間たっていた、あるいは、とてもゆったりした時刻までぐっすり寝ていたという状況がしばしば発生しています。喜ばしいことです。いっぱい眠ると気分がいい。

『春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落つること知る多少』(春は暖かいので心地よく眠ってしまい夜が明けたのも知らなかった。ふと眼をさませばあちこちで小鳥の啼く声がきこえる。昨夜は風雨が激しい音をたてていた。あの風で花もたくさん散ってしまったことだろう)

しばらくして桜が咲いたら、唐の詩人のように、ぼくも夜の雨風がとても気になるかもしれません。

先日、すでに桜が咲いている地域へ急な用件で出かけました。慌ただしくてぜんぜん「春眠暁を覚えず」ではなかったのですが、そのおかげで鶯(うぐいす)の透き通ったようなホーホケキョを久しぶりに楽しむことができました。鳴き声はスマホに録音。1分程度の短いものですが、ときどき楽しんでいます。

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2019年4月19日 (金)

山椒(木の芽と実山椒と粉山椒)

筍(たけのこ)は、今、食べないと」という一昨日の記事に、

「木の芽とは一般的にはいろいろな樹木の新芽のことですが、食べものに関してはこの季節のデフォはサンショウ(山椒)の若芽のことです。」「隣に木の芽のプラ鉢植えもいくつか並んでいたので一緒に購入。家できちんとした鉢植えに植え替えて、「木の芽和え」のために夏までおつきあいしてもらいます。」

と書きましたが、その続きです。

で、きちんとした鉢植えに植え替えました。彼にとっては、三畳間から八畳への引っ越しです。

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木の芽はこの季節の家庭料理には不可欠な素材で、吸い物、豆腐、味噌と混ぜて木の芽味噌、それを使った木の芽和えなどけっこう使い途は多い。

しかしこれを芽山椒(あるいは葉山椒)とすると、山椒には別の利用の仕方があってそれは山椒の実。「木の芽」に対して「実山椒」と呼ばれています。収穫時期は初夏(北海道産は8月)。塩水で水煮をしてアクをとり、流水で洗い、ガラス瓶に茹で汁ごと保存しておくといつでも調味料として料理に使えます(写真は水洗い中の実山椒)。

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我が家ではやりませんが実を乾燥させて適度に粗めの粉に挽いたのを料理に振りかけてもいい。粉山椒です。鰻屋なんかに置いてあるのは粉のタイプの山椒です。

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2019年4月18日 (木)

「令和」は「和せ令(し)む」?

先日の記事「名前の付け方にもそれぞれに風情がある」の関連記事です。

「令和」という元号のもともとが、万葉集の向こう側の、後漢時代の「張衡(ちょうこう)」の「歸田賦」という韻文(「是に於いて仲春の令月、時は和し気は清む、原隰(げんしゅう)鬱茂し、百草滋栄す」〈いい月が出ている春のなかば、和やかな時節、澄んだ空気、鬱蒼と茂る丘と湿地、緑いっぱいの草と咲き誇る花)にあるということは理解したとします。

しかし、突然、何の前置き説明もなしに「令和」と並べた漢字二文字を見せられて、さて、これはどういう意味だと思うと問われたら答えのしようがありません。少し考えて思い付くのは次のどちらかです。「命令」「法令」の「令」に関連するなにか、あるいは「巧言令色」や「令夫人」の「令」に関係するなにか。

漢文の参考書などには、「使役」を表す文字として「使」「令」「教」「遣」などが、たいていは短い用例といっしょに並んでいます。使役形の基本的な訓読は「・・・をして・・・せしむ(ならしむ)」です。「漢文読解辞典」というタイトルの、紙が経年変化でいささか変色している本から「使役」の「令」に関する用例をひとつ(訓読形式で)引用してみます。

「遂に天下の父母の心をして、男を生むを重んぜず、女を生むを重んぜ令(し)む」〈白居易「長恨歌」〉

ぼくにとって「令和」の最初の印象は、「和せ令(し)む」でした。たとえば「民をして和せ令む」。「命令」「法令」の「令」に関連する解釈です。

なぜか。

安倍政権下では日本国憲法を改正しようとする動きが活発で、たとえば「日本国憲法改正草案(現行憲法対照)自由民主党」などというものも平成24年(2012年)に発表されています。最近は、それがうまく動かないので、解釈改憲(政府や議会などが、憲法改正の手続きを経ることなく、憲法の条項に対する解釈を変更することによって、憲法の意味や内容を変えること)で集団的自衛権の行使を推し進めています。

この自民党改正草案(引用部分は【・・・】)はなかなか興味深いものです。政府の勝手な行動(ぼくたちが1945年以前の昭和時代に経験したところの軍部の影響力が強い政府による侵略戦争、はその一例)を規制するものとしてあるのが現代の(ジョン・ロック以降の)憲法ですが、つまり、国民のために憲法を尊重し守るのはまず政府ですが、それが、以下のように、政府ではなく国民という具合に基本的な考え方が逆転しています。

【(憲法尊重擁護義務)】
【第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。】
【2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。】

現行憲法(引用部分は『・・・』)では、その部分は次のようになっています。

『第十章 最高法規』『第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。』

そして、改正案の考え方と整合性が取れるように、『現行憲法前文』の『そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。』という現行憲法の基底となる箇所が、【自民党改正草案】の【前文】からはきれいに剥(は)ぎとられています。

その代わりに、【改正草案】では、その箇所に、【日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。】という一文が置かれています。これを漢字二文字に凝縮すると「令和」になります。

現総理大臣は新元号発表の日にテレビ局をハシゴして「令和」に至った背景説明をされたようですが、その説明内容の骨子は【日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。】を、(たとえて言えば、万葉風に)柔らかく言い換えたものとぼくには聞こえました。【改正草案】の底にある考え方のプロモーション活動です。

ぼくにとって「令和」の最初の印象が「和せ令(し)む」、「民をして和せ令む」だったのはそういう背景からです。(政府ではなく)「国民をして(改正憲法を)守ら令(し)む」。

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2019年4月17日 (水)

筍(たけのこ)は、今、食べないと

木の芽とは一般的にはいろいろな樹木の新芽のことですが、食べものに関してはこの季節のデフォはサンショウ(山椒)の若芽のことです。筍(たけのこ)が野菜売り場に並ぶ季節が来ると、通常は木の芽もその隣かすぐ近所に配置され、料理好きな消費者に購入されるのを待ちます。

デパ地下の野菜売り場に京都産と熊本産の筍があったので熊本産を購入(写真)。隣に木の芽のプラ鉢植えもいくつか並んでいたので一緒に購入。家できちんとした鉢植えに植え替えて、「木の芽和え」のために夏までおつきあいしてもらいます。

筍は柔らかいところは、たけのこご飯、薄味のシンプルな煮物、木の芽和え、それから硬いところは味噌汁の具に。それで十二分に季節を堪能できます。

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2019年4月16日 (火)

「結局、思想の理解は感性だからね」

先日、ある新聞記事が眼に入りました。

『文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死』『大きな研究成果を上げ、将来を期待されていたにもかかわらず、多くの大学に就職を断られて追い詰められた女性が、43歳で自ら命を絶った。日本仏教を研究してきた西村玲(りょう)さんは、2016年2月に亡くなった。・・・後略・・・』(朝日DIGITAL 2019年4月10日

気になる記事だったので、彼女の著作「近世仏教思想の独創 僧侶普寂の思想と実践」の目次や内容の一部をネット通販サイトで拝見したのですが、その時に、「〔私家版〕西村玲 遺稿拾遺―1972~2016」という自費出版本があることを知りました。タイトルからしてご両親が編集された私的な彼女の遺稿集ということになりますが、その一部が、当該遺稿集を送られたかたがた(彼女の関係者であるところの編集者や研究者)によってネット上で紹介されていました。紹介された部分はそれぞれのかたが第三者に紹介しても差支えないと判断された箇所だと思われます。ぼくにはネット上の供養と映りました。

ちなみに、彼女の専攻は「日本思想史、日本仏教思想」、細かくは「日本の近世(江戸時代)における仏教・仏教思想研究」、ニッチな分野です。その中の18世紀の「僧侶・普寂(ふじゃく)」に焦点を合わせた研究が軸なのでさらにニッチです。たとえば、彼女の著作の主人公である「普寂」は、「日本仏教史入門」(田村芳朗著)では、「浄土宗では西山派に普寂徳文(ふじゃくとくもん、1707-81)が出て、宗風を高揚した。普寂は各宗に通じ、近代仏教学の先駆ともみられる」と言及されていますが、別のタイプの入門書であるところの「日本仏教史 思想史としてのアプローチ」(末木文美士著)では、彼の名前は登場しません。

ネット上の「〔私家版〕西村玲 遺稿拾遺―1972~2016」のなかから、ぼくにとってとても印象的だった部分を以下にいくつか引用させていただきます。「私家版」となっていますが、ご両親が本の形に整えて関係者に配ったものだし、お嬢さんの研究や自死に関して新聞社のインタビューにも対応しておられるので、その一部をこういう形で引用しても失礼にはあたらない、そう勝手に判断しました。

以下の『・・・』が引用部分です。なお、各文章の前のタイトル風の語句は「高いお米、安いご飯」が本文から抜き出したものです。

■「冗談ぬきでゼッサンの嵐だったのよ」

『さて、発表が終わった。本当に、冗談ぬきでゼッサンの嵐だったのよ。発表が終って皆が出たいった後、ある教授に開口一番「あなたは将来どうなさるつもりですか」てきかれた。「一応、院に」といったら「それは非常にケッコウなことです。いい研究者になれるでしょう。高校球児で150キロの豪速球を投げる人がいますが、あなたのキレにはそういうものが感じられる。投げようと思っても投げられない人は投げられないし、あなたみたいに最初から投げられる人もいる。」一介の三年生にそこまで言っていいのかよ、と思っちゃった。特に私の主張は「非常にわかりやすく聞かせるもの」であったそうだ。』

■「私は全体を見てるつもりなんだもの」

『本質しか見てないなんて思わないもの。私は全体を見てるつもりなんだもの。これは頭いいというよりは、こういう傾きとしか言いようがないな。
 しかしこういう自己認識は、随分楽になるね。私は特殊だから皆に分かってもらうためには、相当の作業が必要なんだ。分かってもらえないのは、当然なんだな。ああ、そっかあ。平凡じゃないってこういうことかあ。ということは、私の直感は正しいんだな。唯識の選択ににせよ、先生たちの選択にせよ、なんかの本質なんだな。ああ、ほんとに目から鱗が落ちた気がするよ。私は特殊なんだね。知らなかったわ。本質を突くという性格は現実から乖離する陥穽であるけれど、自分にとってどうか、というただその一点から出てくるものだ。』

■「結局、思想の理解は感性だからね」

『「過酷な現実と高潔な跳躍を接近させること」こそ、宗教の役目、思想の役目。そのままでは蹂躙されてしまう切ない心情を、かなしい願いと祈りを、言語と論理によって普遍化すること。それこそが知識人の役目。つまり「先駆者がそれを救うために全力を尽くしたであろうものを救う」ことであるのだな。しかもこの寥寥たる荒廃を見るに付け、私がやるしかないではないか。・・なんたることか。
 しかしほんっとに日本の教理ないし思想を女がやってない(会った試しがないぞ)。いまだに私が初めてってのは、どういうことだ。まだキリスト教には、いるようだけれど。これは一体何なんだ。修道院の思想はおしゃれできれいだから?日本の僧房だって、おしゃれできれいだもんっ・・というのは、やっぱり特殊な感覚なのだろうな。内容において本当に同じことやってるのに。西洋の思想は、西洋庭園と同じく、言うほどわかりやすくはないよ、根幹において。結局思想の理解は感性だからね。』

■「だから、日本思想史には私が必要なんだ」

『学問に半分しか向いていないのは、けっして悪いことではない。それはそれ以上の器であるということ、より広い可能性を持っているということだ。半分だから、あとの半分に伝えられる。学会が嫌いで仕方がない坂口先生は、だから素人に伝えられた。唯識が大嫌いで仕方がない太田先生は、だから素人のために唯識を伝えられた。私は学会が大嫌いで日本思想史を心から軽蔑しているから、きっと思想史を伝えられるだろう。因縁というものだ。
 実際、思想史は駄目だ。思想がない上に史もない。名著を読んでも、思想史のものは歴史や哲学のものより二段ほど劣ってる。あれは思想がないからだ。イデオロギーしかない人間が思想を語れるはずがない。京大に日本哲学の講座ができたそうだが、とにかく日本の学界では、思想とか倫理とか哲学とか言うと、主体性のない人間、くずしか集まらない仕組みになっているらしいからな。だから日本思想史には私が必要なんだ。』

■「大丈夫。私は源水から海にたどりつける」

『分かった者は、伝えなくては。安易に流されず、丁寧に追っていくしかないと思う。飛ばすとイカン。その瞬間に退廃する。どこがどうなって、どこに行くのかは知らない。でもこれは、やる意味があることだ。この大衆化の、なし崩しの退廃の時代にあって、精神性、霊性、あの光が、どのように和光同塵していったか、霊性の通俗化、いやそれよりも倫理化の道筋を示すこと。そこを動かすな。そこがブレることはないはずだ。そこがブレなければ、見失わなければ大丈夫。私は源水から海にたどりつける。』

関連記事は『「井筒」と「死者への七つの語らい」』。

合掌。

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2019年4月15日 (月)

思弁的な阪神タイガーズ・ファン

ぼくは読んだことがないのですが、『プロ野球大事典』という本には「元服」という項目があって次のように書かれているそうです。
 
 「関西地方に伝わる古くからある風習で、幼いころジャイアンツ・ファンだった少年がタイガース・ファンに心を入れ替えること。子供のころはミーハー的にジャイアンツのファンであっても、おとなになれば、深く人生の不条理を味わわせてくれるタイガースのファンに変身するという風習」
 
「深く人生の不条理を味わわせてくれるタイガース」というのは言い得て妙です。カミュを読むよりも、甲子園に行って阪神タイガーズの試合を観戦するほうがひとはより哲学的、思弁的になれるみたいです。「哲学的であることや思弁的であること」が、大阪(ないしは阪神)という土壌でどういう風に「顕現」するかは比較的簡単に把握できます。たとえば、以下の事例(スポーツ記事より引用)
 
■「阪神4-9中日」(12日、甲子園球場)
 
<矢野阪神、甲子園で3連敗 投打にチグハグ、虎党からは「帰れ!」のヤジ>
<終盤に追い上げムードこそ作ったが、投打にチグハグな戦いが続く。スタンドからは凡打を繰り返す選手に向けて、「帰れ!」と痛烈なヤジが飛ぶ場面も。>
 
■「阪神2-10中日」(13日、甲子園球場)
 
<矢野阪神1試合2満塁被弾 虎ファン一斉に帰る、球団初の惨劇>
<気温も低けりゃ、内容もお寒い。八回、この日2本目となる満塁弾を浴びた瞬間、“寒くて見ていられない”とばかりに虎ファンが一斉に帰り始めた。>
 
守っているときに1試合で2度の満塁ホームランというのは、確かに「不条理」の極みです。「虎ファンが一斉に帰り始めた」というのは、その光景を想像すると、鬼気迫るものがあります。不条理を思弁し思弁結果をかみしめながら球場を後にするのか、それとも不条理の思弁プロセスをより深めるために混雑した阪神電車の甲子園駅に向かうのか。

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2019年4月12日 (金)

勝手にプロ野球ファン

その気になれば地元の競技場で楽しめるプロスポーツは、札幌だと、野球とサッカーとバスケットボールです。ビールなどを飲みながら楽しめないのは、ぼくにとってはプロスポーツとしては対象外なので(会場では売っているのかもしれないけれどお酒を飲んでいると熱心なファンから冷たい視線が注がれそうな気がするので)、会場に行ける候補は野球しかありません。バスケットボールは競技自体が(もっと言えば競技戦略自体が)サッカーや野球に比べると相対的に退屈です。中学生のころは妙にバスケに熱中したものですが。

それにしても地元のプロ野球チームは今年も弱い。野球は得点差のゲームなので、攻撃で点が取れない、守備で点を取られるということになると、勝てるわけがない。とくに20歳代前半で25歳に達しない選手が打てない。なら守備はいいかというとつまらないエラーをする、送球ミスをする。一塁に投げる姿とボールの軌跡が見ていても心地よくない。訴えかけてこない。肩が弱い。鋭利な上手さがない。いろんなポジションの掛け持ちもするのでそのせいかもしれない。投手が相手打者に巧妙に打たせたゴロをきちんと処理できない。あれでは、投手はよほど我慢強いタイプでないと途中で切れてしまう。

メイジャーリーグの内野手の動きと肩の強さと体幹の強さを中継などで目にすると、メイジャーリーグで使いものになった日本人内野手が誰もいないのも肯けます。守備の上手い内野手も地元チームにはいるのですが、打者としての貢献は気まぐれホームランだけで、たいていはチャンスに「原フライ」、つまり高く上がった内野フライかキャッチャーフライで、確率からすると、相手チームが彼の前の打者を敬遠して彼と勝負するのは素人目にも正しい。あんな固まったようなフォームだと相手投手も安心でしょう。わずかにタイミングを外すだけでいい。舐めてかかれます。

個人的に贔屓の打者が今年は今のところ全く振るわない。相手チームに弱点をしっかりと見つけられたのかもしれません。内角球に腰が妙に引ける。読みがはずれて内角に来た球に慌ててバットを出してみっともない空振りをする。しかし「原フライ」は打ち上げない。

予想通りに2回で5点取られる投手は「やっぱりね」でしかたないとしても、最初の打者への凄い投球とその後の四球連発というのが定番になりつつあるベテラン投手はいったいどうしたのでしょう。監督はこういう事態を最初から織り込み済みで、だから打者ごとに思い切った守備シフトを敷かせて、守備のレベルの底上げ(というか失敗確率の低減)を図っているのでしょうか。

分析データ重視、確率重視の監督が(英語ではプロ野球チームの監督はmanager、つまり様々なレベルの管理職のひとつという意味なので「プロ野球の監督」という日本語の持つ権威的な雰囲気は薄い)、昨晩は、今までのデータでは3回しか持たない先発投手をたまたま調子がいいからと次の回まで投げさせるという事態は、今までを知っている素人にもいかにも思い入れの強い危ない決断と見えました。で、結果は、当該投手に思い入れのない、判断の気楽な外野の想定通りになったので、熟年監督には失礼な話ですが、目指す方向性とは逆の非分析的・非理知的な判断を彼はしてしまったようです。

ファンというのは、自分では本物のゲームに参加ができないので、こういう身勝手なことをほざきたいものらしい、です。

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2019年4月11日 (木)

キッチンペーパーと食器用の麻布ふきん

二種類の、ペーパータオルというのかキッチンペーパーというのか、を並べてみました。左側の大きい方は米国の製品で「ぺーパータオル」と名付けられており、右の小ぶりな方は日本の製品でパッケージに「キッチンタオル」と印刷してあります。


知り合いは、米国資本の倉庫みたいな会員制生活雑貨ディスカウントショップで他のものといっしょに左側の「12個入りのペーパータオル」を購入するそうです。我が家ではその倉庫みたいなところでほしいものはこのペーパータオルしかないので会員にはなりませんが、このタオルの良さはよくわかっています。大きい、厚い、しっかりしている、破れない。ミシン目が入っているので好みのサイズにちぎれる。優れものです。無地を使えば布巾(ふきん)は要らない。


しかし以前の利用経験だと、この大きな1本というのか1ロールというのか、その値段は(その当時の為替の影響もあるのですが)120円くらいだと記憶しています。せいぜい150円くらいまで。だから、この商品がどういう風に工場から日本に搬送され日本で流通しているのかよくわかりませんが、末端価格はけっこう高いなという印象です。


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だからというのではないのですが、食器用には、配偶者が生成りの麻布をけっこう以前にまとめて購入しそれを食器用の布巾(ふきん)に加工したのを使っています(引っ掛けられるように「わっか」付き)。ストックは台所の引き出しにたくさん。古くなると新しいのと入れ替えです。使ったのはまとめて洗濯してまとめて畳む。麻布ふきんとペーパータオル、キッチンタオルを適宜使い分けています。


食洗機というのもとても便利だしペーパータオルやキッチンタオルも重宝ですが、お皿やカップを麻布でキュッと拭く心地よさは提供してくれません。


Photo_3



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2019年4月10日 (水)

4月の三寒四温

風が冷たい。けっこう寒い。


プラス5℃の外気温はマイナス10℃の気温よりも暖かいということなのでしょうが、風が冷たい通りをダウンコートではなく普通のコートで歩くとマフラーをしていても、体感温度は雪の2月中旬よりも雪のすっかり消えた4月上旬のほうが明らかに低いようです。


冬ものを慌ててクリーニングなんかにだしてしまい、寒さに慌てている人もいるかもしれません。もっとも札幌では、四月になると寒くてもショーウィンドウに展示してあるような四月の格好をするかたも少なくないので、その気になれば我慢できる寒さなのでしょう。


三寒四温です。三寒四温は中国東北部や朝鮮半島の冬季の現象だと記憶していますが、札幌も似たようなものかもしれません。春であるところの今がまさにそういう感じで、それも三寒四温ではなく四寒三温です。しかし、シャクナゲは小さな新しい芽を準備し始めました(下の写真)。若い黄緑色の葉がまもなく見られそうです。


最新予測では、札幌の桜の開花日は5月1日、満開日は5月5日だそうです。札幌の桜は短い。ぼんやりしているとすぐに散ってしまいます。


Rhododendron-4


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2019年4月 9日 (火)

名前の付け方にもそれぞれに風情がある

最近、ぼくたちの耳に届いた名前のひとつが「令和」です。日本の元号は「漢籍から」という伝統は「令和」でも、密かに、そして同時にしっかりと守られており、しかも、当時(後漢時代のある時期)のうんざりするような政治状況からの個人的な離脱を韻文にまとめたある文人の思い(そこに「令」と「和」を含む情景描写が添えられている)を、この新しい年号はゆるやかになぞっているようにも思えます。

「シャクナゲ」や「ツツジ」や「タンポポ」といった花の名付け方には風情はありますが、それとは違った種類の風情を持つ名前の付け方も存在するようです。

以下は「Chinese ancient poetry」というウェブサイトからの「歸田賦(きでんふ)」の引用です。(「歸田賦」は「田園に帰ろう」というような意味の詩。下線は「高いお米、安いご飯」)

歸田賦

朝代:兩漢
作者:張衡

遊都邑以永久,無明略以佐時。徒臨川以羨魚,俟河清乎未期。感蔡子之慷慨,從唐生以決疑。諒天道之微昧,追漁父以同嬉。超埃塵以遐逝與世事乎長辭
於是仲春令月,時和氣清原隰鬱茂,百草滋榮。王雎鼓翼,倉庚哀鳴;交頸頡頏,關關嚶嚶。於焉逍遙,聊以娛情。
爾乃龍吟方澤,虎嘯山丘。仰飛纖繳,俯釣長流。觸矢而斃,貪餌吞鉤。落雲間之逸禽,懸淵沉之鯊鰡。
於時曜靈俄景,繼以望舒。極般遊之至樂,雖日夕而忘劬。感老氏之遺誡,將回駕乎蓬廬。彈五絃之妙指,詠周、孔之圖書。揮翰墨以奮藻,陳三皇之軌模。苟縱心於物外,安知榮辱之所如。

下は「歸田賦」の作者「張衡(ちょうこう)」についてのそのサイトの説明(Who is he的な)です。西暦78年に南陽に生まれ139年に死去。後漢の人です(中国では後漢は東漢、前漢は西漢)。それによれば、張衡は政治だけでなく理系と文系のさまざまな分野で才能を発揮した(今風に言えばマルチタレントな)高級官僚でした。文人というのがいちばんふさわしいようです。

張衡(78-139),字平子,漢族,南陽西鄂(今河南南陽市石橋鎮)人,我國東漢時期偉大的天文學家、數學家、發明家、地理學家、製圖學家、文學家、學者,在漢朝官至尚書,爲我國天文學、機械技術、地震學的發展作出了不可磨滅的貢獻。

今回の記事は長めの引用ばかりで恐縮ですが(ぼく自身の備忘録も兼ねているので)、「坂口安吾」が太平洋戦争の敗戦日の直後に書いた「続堕落論」の一部を続けて引用します。

 『いまだに代議士諸公は天皇制について皇室の尊厳などと馬鹿げきったことを言い、大騒ぎをしている。天皇制というものは日本歴史を貫く一つの制度ではあったけれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。
 藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか。何が故に彼等自身が最高の主権を握らなかったか。それは彼等が自ら主権を握るよりも、天皇制が都合がよかったからで、彼らは自分自身が天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分が先ずまっさきにその号令に服従してみせることによって号令が更によく行きわたることを心得ていた。その天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく、実は彼等の号令であり、彼等は自分の欲するところを天皇の名に於て行い、自分が先ずまっさきにその号令に服してみせる、自分が天皇に服す範を人民に押しつけることによって、自分の号令を押しつけるのである。
 自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼等は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。』

ある頃から権力ではなく権威しか持たない立場で、時代時代の権力者を立てながら自分の領分はしっかりと確保し、そして自分の思いもひそかに貫くことに千数百年以上にわたって長(た)けた方たちからすれば、「令和」という着地点への誘導はとくには難しい作業ではなかったのかもしれません。生きている中に自分の戒名を僧侶に作ってもらう伝統的なかたもいらっしゃいますが、そういう意味では「令和」は前もって用意された諡号(しごう《おくりな》)です。

そういうことを夢想することのほうが、欧州ではどういうわけで「シャクナゲ」を「ロード・デンドロン(rhododendron):バラ色の木」などと名付けたのかを考えるよりも刺激的です。

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2019年4月 8日 (月)

シャクナゲの葉、針葉樹風から本来の広葉樹へ(補遺)

シャクナゲの葉、針葉樹風から本来の広葉樹へ」の続きです。

「シャクナゲの葉、針葉樹風から本来の広葉樹へ」で、シャクナゲは「雪の時期や寒い季節には、広葉樹らしい幅広の葉を針葉樹の葉のように細長くしぼませて寒さを乗り切ります」と書きましたが、以前撮ったのを見直していたら、細長く葉をすぼめた最も寒い雪の頃のシャクナゲと、4月になって春の陽気に向かって葉を広げ出したシャクナゲの別の写真が見つかりました。同じ場所、そして時刻はともに早朝です。

こうやってペアにすると、針葉樹風と広葉樹の差がわかりやすい。

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シャクナゲの欧米語はRhododendron(原意は「バラ色の木」)ですが、調べてみるとRhododendronはどうもツツジ全般を指す言葉みたいです。つまり、シャクナゲはツツジの特殊形、風変わりなツツジということになります。花の形はずいぶん違いますが、その考え方にあえて反対する理由はありません。

シャクナゲ(漢字表記は「石楠花」)の原種が中国からヨーロッパに渡ったのは19世紀の半ばだそうです。その花の美しさが人々を驚かせた。しかし同系統のものにわざわざ新しい名前を付けるのが面倒だったのか、既存のRhododendronで括(くく)られてしまったらしい(勝手にそう推測しています)。

タンポポのことを英語やドイツ語では「ライオンの歯」(英語だとDandelion)と言います。ギザギザと尖ったタンポポの葉の形がライオンの歯に似ている(ライオンの歯を連想させる)ことからそういう名前がついたとずいぶん以前にモノの本で読んだことがあります。

名前の付け方はいろいろです。

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2019年4月 5日 (金)

シャクナゲの葉、針葉樹風から本来の広葉樹へ

シャクナゲは常緑広葉樹です。それにもかかわらず札幌のような雪の寒冷地にまで分布している。落葉広葉樹は雪の季節には雪の重みで倒壊しないように葉を落としますが、常緑広葉樹は葉をつけたまま越冬しなくてはいけない。

西欧語ではシャクナゲは「ロード・デンドロン(rhododendron)」と呼ばれており、語源的には「バラの、赤い」・「木、森」ということになります。シャクナゲの花に赤やピンクが多いのは確かですが、白いのもある。そのあたり一面にシャクナゲのバラ色の花が森のように広がっているのを見てそう名付けたのでしょうか。よくわからない。

雪の時期や寒い季節には、広葉樹らしい幅広の葉を針葉樹の葉のように細長くしぼませて寒さを乗り切ります。生活の知恵です(写真は1月中旬のシャクナゲ)。

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ぼくたちにはまだコートが必需な時期でも、「しゃくなげ」にとって心地よい外気温になると、それまで細く閉じていた葉を、本来の広葉樹に戻って葉の表面積を大きく広げます(写真は3月末の撮影)。

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原種は亜寒帯から熱帯山地に分布し、ネパールや(中国)雲南省には多くの種が存在しているそうなので、札幌もそれなりに好みの土地なのかもしれません。

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2019年4月 4日 (木)

一足早いお花見

急な用事で、一昨日昨日とたまたま桜が満開の地域に、出かけました。札幌の桜は、今の予想では開花が5月2日満開が5月6日なので、令和の桜と云うことになります。大した意味はありませんが、2019年は平成の桜と令和の桜をひと月の間に続けて楽しむことができそうです。

よく知っているつもりの土地でも、桜の季節はこんなところにも桜があったのかという意想外の驚きに出合うことがたびたびあります。

風情のある桜並木がふと眼に入ったので少しだけ寄り道をしてそちらに入ると、満開の桜がほとんどアーチのような状態で咲いていました。一瓢(いっぴょう)を携えてしばらく遊ぶ、といきたいところでしたがそうもいかない。

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2019年4月 2日 (火)

アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ

「彼女に作ってほしい手料理ランキング」という投稿欄にまた味わい深い投稿がありました。内容的には先日の記事「イタリア産調理用トマトの缶詰」で引用させてもらった投稿の親戚です。

投稿者が前回と同じかたなのかどうかはわかりませんし、その内容が、前回と同様、実際にあったことなのか、それとも投稿者の創作なのかもわかりませんが、実際にありそうな話だし、味のある話なので再び「原文のママ」引用させていただきます()。

『結婚して初めて、嫁がペペロンチーノを作った。
おそらく、俺の言い方も悪かったのだろう。
嫁はよかれと思って作ったはずだ。
すっかり反省した俺は嫁の実家へと足を運んで非礼を詫び、なんとかなだめて家へ連れ戻した。
嫁も挽回しようと思ったのだろう。
翌日の夕飯はペペロンチーニだった。
「自信があるの。大丈夫でしょ?」
と聞かれたので、
「ああ、とても美味かったよ」
と前置きしてから、以下の改善点をメモ帳に列挙して一項目づつ読み上げた。
・なぜニンニクを焦がした
・なぜタマネギとピーマンの千切りを入れた
・輪切りのウインナーが入ってるのは何かの冗談か
・唐辛子の種を入れた判断の根拠は何だ
・醤油かけんな
・1.8mmのパスタを使うのはこっちじゃない
・海苔も紫蘇も頼んでない
・バターで全てが台無しだ
・お前の育った村ではこれをペペロンチーニと呼ぶ風習があったのか
義母から、
「涙で顔をぐちゃぐちゃにした娘が突然戻ってきた。心当たりは無いか」
という電話が入った。
俺が悪いのか。』

ペペロンチーノはニンニクとオリーブオイルと唐辛子だけでソースを作り、パスタとしてはスパゲッティよりも細目の、スパゲッティーニ(約1.6 mm)やフェデリーニ(約1.4 mm)を使うもので、長く言うと(パスタ・)アーリオ・オリオ・ペペロンチーノです。アーリオはニンニク、オリオはオイル(オリーブオイル)、ペペロンチーノは唐辛子なので、名前の通りニンニクとオリーブオイルと唐辛子のパスタです。

お昼ごはんにイタリアの簡易な家庭料理であるところのペペロンチーノを食べるのは、和食だと、炊き立ての熱々ご飯と出汁の効いた味噌汁とポリポリと香り立つタクアンを食べるようなものです。シンプルだけれど難しい。味に差が出ます。

奥さんも、そのパスタをペペロンチーノなどと呼ばずに、異文化風味のにぎやかパスタとでも言えばよかったのに。ニンニクを焦がしたのと唐辛子の種を入れたのは反省するとしても。ご主人も、どんな表情だったかはわかりませんが、「ああ、とても美味かったよ」と言ってくれたわけですから。

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2019年4月 1日 (月)

焼き海苔は食べやすい大きさにカットして真空パック

食べやすい大きさにカットした海苔は付加価値以上に高価なので、基本サイズの焼き海苔(板海苔)100枚入りを買います。それを朝食で食べやすい大きさ(そして料理でサッと使いやすい大きさ)にカットし(ハサミではなく手でカット)、それを一定枚数ずつ揃えて真空パックします(下の写真)。

Photo  海苔の真空パック

板海苔の基本サイズは「縦が21cm、横が19cm」で、そのサイズが「全形(ぜんけい)」と呼ばれていますが、それをおのおの8つに切り分けると(八つ切り)、800枚の「おかず海苔」ができあがります。朝食や料理でだいたい3か月と少しくらいで使い切ってしまいます。

海苔は密閉容器でも簡単に湿気(しっけ)てしまいますが(だから実際にはしっかりとした密閉容器になっていないというわけです)、そうしておくと湿気ません。海苔にはシリカゲル(乾燥材)はあまり役に立ちません。シリカゲルよりも湿気を吸収するので、両方を例えば缶にいっしょに詰めておくシリカゲルの湿気取りに海苔を使うという逆転した事態になってしまいます。だから自宅で真空パックにして冷蔵庫に保管しておきます。

ただし、この真空パックを開けるのはゆっくりと常温に戻したあとです。急に開けると湿気ってしまいます。常温に戻った真空パックから取り出した後の普段使いは、複数の「石灰乾燥剤」を入れた密閉度の強いステンレス容器です。

Photo_1

葉酸を最も多く含む食べものが焼き海苔です。色素(葉緑素・カロテノイド・紅藻素・藍藻素)もたくさん含まれています。グルタミン酸(昆布のうまみ成分)やイノシン酸(鰹節のうまみ成分)なども多い。だから、朝ごはんでパリッと乾いたのをそのままパリパリと食べてもおいしい。世の中には味付け海苔というのがあるらしい。なぜそういうのがあるのか、正直なところよくわかりません。

他の海産物と同じように、海苔にも旬があります。いちばん柔らかくて香りが立つのは秋に摘み取られた「初摘み」(ないし「秋芽海苔」)です。これが手に入らないときは、「冷凍初摘み」と呼ばれているもの。秋に採れた海苔の芽を保管し、海水温が下がったころに網張して収穫したもので、これも美味しい。

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