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2019年4月24日 (水)

仏教の二重性、あるいは、生まれながらに「仏教徒」

ものごとにはたいていは二重性があります。仏教にも二重性があります。それをどういう位置から見るか、それをどういう立場で捉えるかによって、その二重性の意味と役割が変化します。

ここでいう仏教の二重性とは聖と俗の二重性のことで、俗とはここでは政治性のことです。だから、仏教の持つその二重性は「空と鎮護国家」や「空と治国平天下」という言い方をするとわかりやすい。(【註】「空と治国平天下」という表現は「西村玲」氏の著作から拝借しました。)

「空」とは「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」(般若心経)における「空」のことで、さまざまなものごと(物理的存在および観念や概念など)には固定的な実体がないという仏教の基本的な洞察(世界認識)です。この洞察(世界認識)は、坐ること(瞑想体験)によってもたらされましたが、「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」という言葉でなぞられた空の体験が解脱と呼ばれています。

「鎮護国家」とは、仏教には国家を守護・安定させる力があるとする思想です。また「治国平天下」とは「修身斉家治国平天下」(大学)ということで、その意味は、天下を平らかに治めるには、まず自分のおこないを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国を治めて、次に天下を平らかにするとする儒教の基本的政治観です。

仏教は、それに複数の人間がかかわりあう存在となった時点で、聖的なものと世俗的なもの(政治的なもの)が同時に存在するという意味での二重性をもたざるを得ません。だから、僧侶のような仏教者も「空」を指向する存在であると同時に「鎮護国家」「治国平天下」を支援する存在であるという意味と役割の二重性を持つことになります。ただしその二重性は時代によってその濃淡が変化します。

この二重性を自覚せずに、あるいはそういう二重性を意識して捨て去って「空」探求ひとつに打ち込む一群の僧は常に存在しますが、たいていの仏教者は政治的機能、社会的機能としての仏教とかかわりを持って生きるので、この二重性からは逃れられません。

二重性は時代によってその濃淡が変化します。そのとてもわかりやすい例が江戸時代の寺檀制度(じだんせいど)です。寺請(てらうけ)制度ともいいます。これは、現在では形式的になっているとはいえ、菩提寺(ぼだいじ)や檀那寺(だんなでら)や檀家という考え方や仕組みによって(まもなく令和となるところの)今でもぼくたちに受け継がれています。

寺壇制度とは江戸幕府が寺檀関係、つまり檀那寺(だんなでら)と檀家(だんか)の関係を利用して制定した戸籍管理の制度です。初めはキリスト教禁圧を目的としてつくられましたが(つまり、寺僧がその檀家がキリシタンでないことを証明するという意味での「寺請」の制度)、檀那寺が国家の行政支配網の末端として機能し始めてからは政治権力(「治国平天下」)の一部となりました。

檀那寺は檀家の祖先供養のための菩提寺(ぼだいじ)であり、菩提寺の僧侶(住職)は、葬式と法事だけでなく、出生,結婚,旅行,転住,奉公といった日常生活の節目相談までを寺請(てらうけ)証文の発行を通して引き受けたので、檀那寺には檀家(住民)に関するほとんどすべての情報が流入しました。寺はアナログ情報を使った当時のマイナンバー制度の地域ノードです。この制度により、すでに平安仏教や鎌倉仏教の信徒であった人たち以外のほとんどすべての日本人も、生まれながらに(檀那寺の宗派の)「仏教徒」になりました。

しかしそういう行政支配網の末端の「寺請」寺僧にとっても、朝夕の勤行はものごとの二重性のもうひとつの側面であるところの「空性」をあらためて自覚する時間帯でした。

この二重性をもっと濃密に保持し、この二重性を個人の内部で自覚的に激しく操作した人物も存在します。たとえば、平安初期の空海です。彼と真言密教における二重性とは「空と鎮護国家」の二重性です。「空の象徴である高野の山奥」に引きこもった時の瑜伽(瞑想)と、「国家権力と権威の代表である京都の嵯峨天皇」との親密な交友。高野の金剛峯寺と京都の教王護国寺(東寺)。書と言葉が媒介する、聖なるものと政治的なものの空間的・時間的クロスオーバー。

さきほど、江戸時代(徳川幕藩体制)になって、ほとんどすべての日本人が、生まれながらに(檀那寺の宗派の)「仏教徒」になったと書きましたが、寺壇制度の導入から400年後の現在の状況はどのようなのか。

寺は国家の行政支配網の末端としてはもはや機能していませんが、集合体としての一部の寺は、政治的な指向性を持った私的組織体としては、機能しているようです。菩提寺(ぼだいじ)や檀那寺(だんなでら)や檀家という考え方は、形式的ではあっても、今も葬儀や法事を介して持続しています。二重性のもう一つの側面である「空」に関しては、「無常観」「無常感」の浸透という意味では、状況は400年前とそれほど変わっていないと思われます。法事では般若心経を声に出すし、桜の花は毎年落ちる。

以下は「平成30年版『宗教年鑑』(文化庁)」の数字です。平成29年12月31日現在の奈良仏教と平安仏教と鎌倉仏教の信者を主な宗派別にまとめたものです。そういう仏教信者の数は4800万人。宗教年鑑のデータは、寺院(および神社や教会など)を対象にした調査で、信者数というのも寺院(神社や教会など)に提供してもらった数字なので、寺の場合は檀家数だと考えると、奈良仏教系と平安仏教系と鎌倉仏教系のそれぞれが占める割合も含めて、そういうものかと理解できます。ちなみに、2015年(平成27年)の国勢調査では、日本の人口は1億2710万人、世帯数は5333万世帯です。

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