« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »

2019年5月

2019年5月31日 (金)

白いレンゲ?

白いレンゲのような花が道端に咲いていました。白いレンゲ?

レンゲはピンクで田んぼにいっぱい咲くもの、のはずです。ぼくのレンゲの記憶はすべてその範囲に収まります。しかし、白いレンゲというのがあるとは聞いたことがある。かりに今、目の前にあるのがレンゲとして、レンゲがなぜ札幌の湿った場所でもない道端に咲いているのか。

咲いている場所は、タンポポなんかが黄色い花を咲かせていたあたりか、その近所です。よくよく見ると、この白いのはどうもシロツメクサ(つまりクローバー)であるようです。それなら、この時期の札幌の道端のよく見かける風景になります。

Not シロツメクサ

人気ブログランキングへ

 

| | コメント (0)

2019年5月30日 (木)

日本国憲法九条と日米安保条約がいっしょになった場合のわかりやすさとわかりにくさと、「空母いぶき」という映画

かわぐちかいじ作の劇画「空母いぶき」を映画化した作品を観てきました。「空母いぶき」とは、日本国憲法九条を今後どう運用していくかに関する近未来の事例研究的なシミュレーション映画です。女性の観客が意外に多かったので少し驚きました。ぼくは映画の評価は払った金額に見合う価値があったかどうかで決めますが、支払金額に見合う価値は十分にありました。ここでは原作ではなく映画作品を対象に話を進めます。

映画なので、原作にはない娯楽性(女性に人気の男性俳優の配置や艦内からのネット配信描写やその他の日常生活関連描写)があり、それで僕が勝手に予想していた以上に観客の広がりが(少なくともぼくのいた映画館では)あったのでしょう。

いつかはわからない近未来が舞台なのですが、その時の日米安保や日米地位協定がどうなっているのかも、よくわかりません。現在よりもその役割が後退しているようにも思われますが、詳細は不明です。一方、国連の役割(安保理や国連軍)が現在よりも(もともとの意図通りに)強化されているように描かれていますが、これも詳細は不明です。そういうなかで、そして憲法九条の下で戦争には至らない自衛のための戦闘(自然権としての防衛権)がどういう形で可能かを描いた12月下旬のある24時間の物語です。

最新鋭の武器を使った現在の海戦がどういう風なのかを、現在のハイテク戦闘がどう瞬間的に決着がつくのかを最新のコンピューターグラフィクス映像で知るというのもぼくの関心事のひとつでした。

日本国憲法のユニークさは、象徴天皇制(第一条)と(侵略目的の)戦争放棄・軍備放棄(第九条)の存在にあります。これらは他にもわかりやすいユニークさです。しかし、日本国憲法は、同時に、他にはわかりにくいユニークさというものも包含してします。

この前の太平洋戦争で大日本帝国軍隊に対して嫌な体験記憶を持った連合国側の国々は、敗戦後の日本における国家神道的な天皇制の復活と再軍備を非常に恐れていました。彼らは天皇の戦争責任の追及を強く主張していたし、戦後の日本には軍事力を持たせないと論じていました。

彼らは、再軍備につながる可能性のある天皇制の存続には反対でした(なぜなら天皇には軍隊の最高指揮権であるところの統帥権を有していた)。しかし、敗戦処理をスムーズに混乱なく進めるためには、つまり、日本占領政策の遂行にともなう戦勝国側の犠牲者を発生させないようにするためには、何らかの形での天皇制の存続が必要だったので(とくに米国が必要と判断したので)、米国の主張によって、天皇制は存続することになりました。天皇制を廃絶すると旧軍人をコアとする暴動がおこるかもしれない。それを米国は恐れました。これが日本国憲法における象徴天皇制誕生の背景の景色です。

しかし九条ができたからといって日本における防衛体制を空白のままにはしておくということはできません。当時の世界情勢・アジア情勢は、日本を丸腰のままにしておくほど安穏ではありませんでした。だから戦勝国軍の軍隊(国連軍を想定)が防衛力として日本に駐留することになったのですが、実際には、朝鮮戦争を契機として、駐留部隊は国連軍ではなく米軍だけになり、米軍駐留と米軍による政治支配の中身は、日米安保条約&日米地位協定によってきわめて治外法権的な内容のものとなります。

日本国憲法「第九条」は、「戦勝国・占領軍と日本との安全保障システム(その後の日米安全保障条約および日米地位協定)」との抱き合わせをひそかな前提として(ごく一部の当事者以外にはその背景と関連が隠されていたという意味でひそかな前提として)成立しました。つまり、発足当初から「侵略戦争は日本としては放棄したけれど、第三者の遂行する侵略戦争の片棒を担ぐことができるという意味」での「矛盾」がビルトインされていましたが、当初はその矛盾がよく見えませんでした。しかし時間の経過とともに矛盾が明らかになってきました。

「日米安保条約と日米地位協定の組み合わせ」とは片棒担ぎの仕組みの取り決めです。きわめて治外法権的な内容のもので、これらに係る合意事項や決定がすべて公開されているわけではありません。これが他にはわかりにくい九条がらみのユニークさです。

言葉を換えれば、現在、沖縄や横田や横須賀や厚木などに駐留している米軍は、いわば侵略戦争の得意な「傭兵」です。ただし、この傭兵は日本という雇い主よりも権力がある。雇い主を実質的に支配しています。先日は、「専守防衛の自衛隊」が政府の解釈改憲によって「集団的自衛権」の行使に組み込まれました。

眼を「九条」だけに向けて、つまり「平和憲法」だけに向けて、そのビルトインされた矛盾を見ないようにしている人たちが多いことも事実です。この発想だと、たとえば場面を国内に限定した場合、警察の存在は不要になります。

警察は間違いなく国家権力の手足ですが、その手足は、泥棒や強盗や殺人事件やひどい交通事故が発生した場合には、市民の安全の確保に動きます。そういう事件は、ヒトの多層的な脳の構造に起因するせいか一定の頻度で必ず発生するので、警察のような機能の存在を不要だと考える人は決して多くはない。しかし、皆無というわけではありません。

自分の身は銃を使ってでも自分の手で守るのが基本、だから国家は警察も含め余分なことはしないほうがいい考えるひとたちの主張にも説得力があります。そういう人たちは米国に多い。だから、「government of the people, by the people, for the people」(人民の、人民による、人民のための政治、国民ではなく人民・人びと、政府ではなく政治)をそういう文脈で解釈し直すと、米国におけるdemocracyと銃の関連の背景が根深い状況も見えてきます。

警察というものを、特定の暴力から、(警察の持つ)暴力を使って市民を保護する機能だと考えると、警察も暴力装置になります。暴力装置という意味では軍隊と同じです。

現在の国際政治においては、その警察にあたるのが「国連軍」ということになっていますが、実際には(映画の「空母いぶき」とは違って)重要な局面では機能しないので、「自分の身は銃を使っても自分の手で守る」ために暴力装置であるところの軍隊(ないしはそれに相当する機能組織)を、装置の優劣と大小の差はおおいにありますが、国境線を持つ各国がそれなりに所有しています。

日本における先ほどの「矛盾」するもの、つまり、「平和を希求する、他国を攻める戦争はしないしそのための軍隊も持たない」、しかし、同時に「他国を攻撃する第三国の軍隊はその国の意のままに自由に駐留させるしそのための支援もする、要請があれば、実質的にはその第三国といっしょに自衛力を使って他国に侵攻する」という矛盾する意思を巧妙に組み合わせたものを、今後、平和やデモクラシーという観点からどのように納得できる形に解きほぐすか、それが現在と今後の課題です。

そういう課題を解決しようと思ったら、九条2項や日米安保条約・地位協定との関連事項を見直すというのは、集団的自衛権の行使が好きな好戦的なタイプの人たちの発想(「押しつけ憲法なので見直したい」という発想)とはまったく違った意味で、まっとうな憲法再検討の理由付けになるかもしれません。

「傭兵」との実質的な関係や「国連」の実質的な能力が不透明な近未来の環境で、自衛隊という既存の暴力装置を使った「戦争に至らない、防衛のための戦闘」というものの事例研究・事例シミュレーションのひとつが「空母いぶき」という映画のようです。

人気ブログランキングへ

 

| | コメント (0)

2019年5月29日 (水)

東京・大阪は「北海道物産展」、札幌は「京都老舗まつり」

着実な人気があって収益予想も確実なデパートの催事のひとつが、東京と大阪では「北海道物産展」です。

主催者やバイヤーと出品者は定番商品と目玉商品を毎年、一定量、用意するのに、けっこうな努力を継続していると思いますが、「北海道物産展」が失敗したという話はまず聞きません。東京と大阪の消費者にしてみれば、飛行機の往復運賃なしに、新鮮な魚介類やおいしい加工食品が手に入ります。だから常連客は3~4万円以上も購入するらしい。人気があるのは当然かもしれません。

逆に札幌の消費者に訴求効果があるのは「京都老舗まつり」のようです。配偶者宛てに、そこに参加するある茶舗から案内状が届いたので出かけました。しかし、お目当ては、お茶ではなくて、あるお店の鯖(さば)寿司です。ここの鯖寿司を食べると他の鯖寿司がかすんでしまいます。

締め鯖を自宅で作るのが好きなので、対面販売の魚売り場に新鮮な鯖が並んでいるときには必ず買うようにしています。つまり、美味しい締め鯖や鯖寿司には目がない。同時に、味のレベルの違いもよく理解できます。で、写真の鯖寿司です。京都の本店は夜には青い灯や赤い灯が並ぶ通りにあります。

2_1 一人前

上の写真は寿司にぐるりと巻いてあった昆布を丁寧にとりはずした状態。昆布は別においしくいただきました。

2_2

関連記事は「美味しい締め鯖」。

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年5月28日 (火)

続・ルッコラで確認する5月の気温

札幌でも5月末なのに日中の最高気温が急に30℃を少し超える日が2~3日とはいえ急に連続して現れて、ヒトにとってはいささかびっくりですが、ルッコラなどの夏野菜の生長にはけっこうな按配です。ヒトにとっていささかびっくりと言っても、びっくりするのは午後の話で、札幌のような大きな山脈の西側で日本海に近い地域では午前中の外気はひんやりとしています。日中も日陰だと過ごしやすい。

ただし、北海道には身体が寒冷地仕様のかたがたが多いので、そういう人たちにとっては「気温が28℃以上になると死にそうになる」というのが共通実感のようです。かつてスリムだったに違いない中年以上の女性は、数日間とはいえ外気温が30℃以上だと本当に死にそうな表情をしています。

北海道では冷房供給機能としてのエアコンをお持ちでない家庭も少なくないので、風が窓から窓へと抜ける場合は問題ないとしても、空気の流れに動きのない夜は対策が必要ですが、扇風機で間接的に(直接は身体に当てないように)部屋の空気を動かしますか。次回、美容室での散髪のときに、エアコンを持っていないと言っていた若い担当者に暑さ対策を尋ねてみましょう。

写真は早朝の水遣り後のルッコラで、強い陽射しが気持ちよさそうです。彼らには申し訳ないのですが、あと数日くらいで最初の間引きなので、間引きされることになった葉には大切な夏の風味として野菜サラダに参加してもらいます。

30-2019527 早朝の山椒

山椒も期待通りに成長中で、早く「木の芽味噌」を作りたいのですが、木の芽味噌は「木の芽」の柔らかい部分を少なからず使うので、これも味噌まではもう少し時間がかかりそうです。

30-0527 朝の山椒

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年5月27日 (月)

掃除専用のすぐれもの布

マイクロファイバークロスというのは、品質に応じて、買いやすい価格帯のものから高級カメラレンズに対応する超高級品まで複数段階のバリエーションがあるみたいですが(だから最高級品はウソッというくらいの値段です)、配偶者は普及品クラスを雑巾の上位代替品として掃除一般に愛用しています。

乾拭きと水拭きのどちらも大丈夫で、普及品は、ざっくりと言うと、値段が綿の布巾の2倍以上くらいで、きれいになる割合も2倍以上だそうです。

乾いたままのそれで拭うとPCやタブレット型端末やスマホの画面がとてもきれいになると配偶者が言うので、一枚借りて使ってみると、確かにその通りでした。

空気で汚れを吹き飛ばすだけでは汚れ除去に対応できない場合にその掃除に繊細な配慮が必要なところの身近にある代表例は、カメラ(一眼レフ)のレンズや眼鏡レンズです。カメラや眼鏡の掃除にはブローワー、クリーナー、クリーニングクロスとけっこう気を遣っています(眼鏡の汚れに無頓着なかたもいらっしゃるみたいですが、それはさておき)。

タブレットやスマホの画面は指先でペタペタ触るので、カメラや眼鏡のレンズとは気遣いの度合いが比べものになりませんが、液晶画面も常にきれいにしておきたいとは思うので、こういう布が手軽な必需品になりそうです。

Microfiber-cloth-34cm-x-34cm

Microfiber-cloth

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年5月24日 (金)

ウォーキングの季節

ウォーキングの季節になりました。ランニングとかジョギングは苦手なので、もっぱらウォーキングです。それなりに速く歩きます。

服装は上は普通の半袖Tシャツとその上に長袖のスウェットシャツか、あるいは半袖Tシャツとその上にひと回り大きい厚手(heavy duty)の半袖Tシャツの組み合わせ、下は正確にはなんというのか知りませんが、裾を絞ってない(つまりストレート)タイプのスウェットパンツ風。靴はきちんとしたスポーツ用品メーカーのジョギング用シューズ。5月中旬の夕方の札幌にはそういう格好がいい感じです。

道路際の樹木の列の下や、若い緑が塀や地面に生い茂る様を横目で見たりしながら速足で歩きます。

週末は男性ジョガーと女性ジョガーの両方に出会いますが、週日の夕方にすれ違うのはほとんどが女性ジョガーです。たまに、すばらしいフォームとスピードで駆け抜けていく体育会系女子高生と思しきグループと遭遇すると、止まって見学。

高い頻度でお目にかかるのは、すでに何キロか走った後なのかよたよたと頑張る中年男性ジョガーです。着ているものはぼくのよりは断然お金がかかっている。よたよたジョギングなので、ぼくのウォーキング速度とさほど変わりません。走っているという意識、ジョギングしているんだという意識を運動中に常に頭のなかに置いておかないと落ち着かないのかもしれませんが(あるいは走ったという記憶がないとシャワーの後のビールが美味しくないのかもしれませんが)、あの速度で無理して走る必要があるのか疑問ではあります。

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年5月23日 (木)

ルッコラで確認する5月の気温

今年の札幌の5月の上旬と中旬はぼくたち人間には上着を羽織ってちょうどいいくらいの気温の流れでした。その流れの中に、上着を脱ぎたくなるような日中と、薄手のコートに袖を通したくなるようなリラ冷えの日が入り交じり、全体的には涼しかったと思います。

5月はまだ1週間ありますが、ルッコラにとっても今年の札幌の5月はやや寒かったらしい。種蒔き後の双葉や本葉の成長速度で、彼らが十分暖かいと感じているのかまだ寒いと思っているのかがわかります。根と葉を気持ちよく伸ばすにはもの足りない気温の推移だったようです。

左側の写真が今年のルッコラで、4月29日の種蒔きから23日後(5月22日)の様子です。まだまだ食べられない。

右側の写真は去年のルッコラで、5月17日の種蒔きから22日後(6月8日)の状態。野菜サラダの素材としてその日から使えます。

つまり、今年の札幌の5月はそれほど暖かくなかったということをルッコラが教えてくれる。

20190522-23 20180608-22

今年最初のルッコラは、ぼくが種を播き過ぎたのでけっこう混みあっていて間引きが必要ですが、サラダの一部になってもらうには、あと1週間くらいは必要みたいです。

下は以前の採りたて、食べ頃のルッコラの例。

67s

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年5月22日 (水)

競合品がおもちゃに見える頑健ピーラー

野菜をよく食べます。好きなのでよく食べる。だからピーラー(皮むき器)も必需品のひとつです。アスパラガス、にんじん、蓮根、大根などの皮をむくのに使います。だから、季節を問わず(季節変動はあるにせよ)、一年中使います。

今まで使ってきたドイツ製がくたびれてきたので(つまり切れ味が鈍ってきたので)、新しいのに買い換えました。新しいのもドイツ製で、次はこれにしようと考えてきたピーラーです。向かって左側が今までお世話になってきたもの、右側がこれからお世話になるものです。

Henckels-roesle-a

左側もレベルは高いのですが、右側は歯の鋭さと厚さ、持った時の手に伝わってくる持ち手の重量感が圧倒的です。ジャガイモの芽を取るための出っ張りもじつにしっかりしています(我が家では、札幌住まいにもかかわらずジャガイモはあまり食べないので宝の持ち腐れですが、それはさておき)。

一般のピーラーを普通の短刀だとすると、このピーラーは武士が戦場で組打ちに使った鎧通し(よろいどおし)みたいです。切れ味に凄みがあります。

人気ブログランキングへ

 

| | コメント (0)

2019年5月21日 (火)

外では白いライラック、室内で白いジャスミン、もう一つの春らしさ

満開に近づいているジャスミンにとっては外は風が強すぎたので、小さな一鉢を屋内に退避させたのですが、朝起きたら室内はジャスミンの香りでいっぱいでした。近所の花屋で購入したもので、それをプラスチックの鉢から素焼きに移し替えて、白い花と香りを楽しんでいます。桜と同じで花の命は長くありません。

_may2019 

札幌市のシンボルの木はライラックです。リラともいいます。5月の中旬から6月にかけては公園やそのあたりの道路際や遊歩道にライラックが咲いています。そのころに「さっぽろライラックまつり」も開催されます。

桜に花冷えがあるように、リラの季節にもリラ冷えの日があります。淡い紫や濃い紫の紫系の花が多いのですが、白にもそれなりの頻度で出合えます。

Photo_9

夏至に向かって段々と長くなる昼間の心地よさを実感できる季節です。

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年5月20日 (月)

変体仮名から漂う伸び伸び感

じつに奇妙な言葉だけれど、そういうことになっているのでとりあえずその用語を使います。奇妙な言葉とは「変体仮名」のことです。

「ひらがな」は現代では一音一字ですが、平安時代以来明治の半ばまで、さまざまな種類の字体が用いられてきました。現在、変体仮名と呼ばれている文字は、現在のというか、明治33年(1900年)に標準的な字体とされた平仮名に対しての異体字という意味です。ヘンタイという音はどうも変態を連想させるので、だから、異体仮名というほうが音からくる奇妙さは軽減されます。

下は『字典かな』という小冊子から「あ」の項をコピーしたものですが、「安」からできた「あ」という標準的な仮名字体と、「阿・愛・亜・悪」から派生したところの「あ」と発音される異体仮名が並んでいます。

Photo_10

こういうのは、今は、江戸時代やそれ以前の和本や文書を読むことが仕事の一部であるような人や仮名書の世界に遊ぶ人以外にはとくには必要のない知識ですが、まだ筆で書かれた手紙や葉書の遣り取りが珍しくなかった頃はある程度は必須でした。

「いろは歌」というのがあります。

「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす」

わかりやすく漢字かな交じり文で書くと(下の表記以外の表記法もありますが)

「色は匂へど 散りぬるを わが世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて 浅き夢見し 酔ひもせず」

「いろは歌」の漢字表記は、文献上の最も古い例(『金光明最勝王経音義』)を引用すると

「以呂波耳本へ止 千利奴流乎 和加余多連曾 津称那良牟
有為能於久耶万 計不己衣天 阿佐伎喩女美之 恵比毛勢須」

「あさきゆめみし」の「あ」はここでは「阿」と表記されていますが必ずしも「阿」である必要はありません。仮名や変体仮名にはけっこう自由な雰囲気が漂っているようです。

中国人は自分の発明品であり文明の源であるところの「漢字」を、必要に応じてどんどんと新しく作りましたが、日本人にとっては「漢字」は中国という文明先進国からの輸入品だったので、新しい熟語(とくに近代西洋生まれの概念や観念の漢語表現、たとえば「哲学」「意識」「観念」「左翼」など)をのぞいては新しい漢字(たとえば「峠」)はほとんど製造しませんでした。自制心のようなものが働いています。しかし(変体)仮名の世界ではその制約がないので、行書、草書と崩していく過程で、楽しく自由にその作成と適用を発想しているようにぼくには思えます。

 

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年5月17日 (金)

Prepaid Data SIMと観光案内アプリと「ここはどこ?」

札幌市内ではスマホを片手にあっちだこっちだと繁華街をうろうろしているおひとり様や二人連れや少人数グループの中国人観光客も少なくありませんが、そういう人たちは結構準備のいい人たちです。そういうスマホを手にした人たちと、そうでない(歩きスマホでない)人たちが占拠している通りで聞こえてくる主要言語が日本語以外の状態を「ここはどこ?状態」ないしは「ぼくたちは少数民族状態」とぼくは勝手に名付けています。

コンビニに「PREPAID DATA SIM FOR ENJOY JAPAN TRAVEL」(原文のママ)と大きな字で印刷したB5番くらいのペラ案内が置いてありました。英語のチラシなので外国人旅行者向けです。

その主要機能は、これも原文のママ引用すると、

・High Speed, Broad Area You can use Japanese local 4G/LTE line. The population coverage is over 99%.
・3-in-1 SIM standard SIM (mini SIM), micro SIM, nano SIM available.
・Tethering Available Data tethering available (3GB/10GB), if your device support it.
・Multilingual Support Multilingual customer supported by telephone: English, Japanese.

このPREPAID DATA SIMの値段は3種類で1800円、3000円、4500円。価格差は有効期限(日数)の違いか通信量の違いのはずです。利用期間の制限された使い捨てSIMなので、外国人旅行者には便利だし、フリーWiFiと違って歩き回れるし、安全です。旅行中に足りなくなれば買い足せばいい。ただ、スマホにある程度詳しい人でないとこの選択肢は向いていない。英語と日本語だけでマルチリンガルサポートとはちょっと言い過ぎですが、このカードを買う人たちにはそれでいいのかもしれません。

ともあれ、この手段で札幌の「ここはどこ?状態」がもっと強化されそうです。

裏面には、PREPAID DATA SIMという短期インフラを有効活用するためのアプリケーションの案内が印刷されています。観光案内アプリです。再び内容を原文のママ引用すると「Restaurants, Sightseeing spots, Route search and driving directions. Many coupons available when dining or shopping」。

案内言語は、英語、中国語(簡体字、繁体字)韓国語、そして日本語。そのアプリを日本語で少し使ってみました。使えそうなので、当分、インストールしたままにしておきます。

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年5月16日 (木)

見上げる春、地面の春

冬と雪の長い札幌に住んでいると春に貪欲になります。歩いている途中でも春を捜すし、公園や植物園や大学のキャンパスに行ったときは上下左右の春と仲良くなります。

見上げると、ぼくが名前を知らない(しかし、ニレっぽい)広葉樹の新緑とライラックの花が重なっていました。そこから少し歩いて視線を地面に落とすと松の樹の根元に黄色いタンポポです。

Photo_8

A_3

タンポポは広場でも道端でもそのあたりで黄色い花を咲かせます。タンポポは札幌だと例外なく「西洋タンポポ」です。在来種は、駆逐されてしまったのか、見かけません(関連記事は「野菜生産地帯のタンポポとカエルと加工食品」)。

札幌はニレ(漢字では楡、英語ではエルムelm)の樹がいっぱいです。とくにハルニレ。高く大きくなります。晴れた日の春の夕方には長く伸びた影がおとぎ話風で幻想的です。

201905

人気ブログランキングへ

 

| | コメント (0)

2019年5月15日 (水)

大きな活字の日本語ペーパーバック

学生時代にそれなりに熱心に読んだ文庫本で、だからまだ本棚の隅に存在しているなかから無作為に一冊を引っ張り出してくると(今、手元でページを繰っているのは岩波文庫、著者はマックス・ウェーバー、書名は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)、その活字の小ささに驚きます。

最近の文庫本は、以前よりも相対的に活字のポイント数が大きくなった気がしますが、出版社によっては、明らかに大きな活字で出してくれるところもあり(たとえば、ジョージ・オーウェル著「一九八四年[新訳版]」、ハヤカワepi文庫、この版の第一刷の発行は平成二十一年)、遠近両用メガネの利用者としては助かっています。

活字の実際の大きさではなく相対的な大きさで比較してみると、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を仮に9ポイントとすると「一九八四年[新訳版]」は12ポイントです。大きな活字は内容がシリアスでもくつろいで読めます。

一時、「大きな活字の文庫本」(正確には「ワイド版岩波文庫」で帯には「大きな活字で余裕の読書」と書いてある)が出版されて、手元には「華国風味(青木正児著)」がありますが、たしかに活字は余裕の大きさです。しかし、このシリーズは今でも手に入るのかよくわからない。

少し前に、文庫本という選択肢もあったのですが、「大きな活字の中型日本語ペーパーバック」とでも呼ぶのがふさわしい種類の本に出合い購入しました。

作りも紙質も、したがって値段も欧米のペーパーバックです。通常の単行本よりはひと回り小さい。押し付けるように無理にページを開くと背表紙に深い皺が入り、そのうちその部分から破れてしまうかもしれません。欧米版ペーパーバックではよくある話です。ただし活字サイズは大きくて、そこが嬉しい。小学館の「P+D BOOKS」というシリーズですが、活字を少し遠ざけて読むほうが楽な世代向きの現代日本文学が対象なので、市場はニッチマーケットということになりそうです。

人気ブログランキングへ

 

| | コメント (0)

2019年5月14日 (火)

繰り返し楽しめる本

回数の多寡やジャンルは問わないとしても繰り返し読む本というのはそれほど多くはありません。しかしとても少ないというわけでもない。繰り返し読むといっても、表紙から表紙まで全部に目を通す場合と、必要な章や気になるあたりを集中的に読み返す場合があります。40年ぶりに本棚の奥から引っ張り出すということもままあります。

そのひとつが1992年発行の(つまり30年近く前に出版された)単行本で書名が「男流文学論」。「論」の形式は女性三人の鼎談で、その三人とは「上野千鶴子、小倉千加子、富岡多恵子」、社会学系の学者二人と詩人でもある作家の組み合わせになっています。そして、たまたまなのか三人とも広義の関西文化圏育ちです。

「男流文学論」なので、男性作家の著作とその著作についての他の男性による評論が対象です。手元の本の帯に印刷してあるアイキャッチャーをそのまま引用すると「有名男性作家六人と、それをめぐる評論を、真正面からたたき斬る!刺激的な鼎談」。賑やかに知的に、ときには猥雑に、そして匕首(あいくち)で気に入らない相手(この場合、男)をブスっと刺しかねない怖さを漂わせながら三人の濃密なおしゃべりが続きます(匕首が適当な手段でない場合は、男性作家が持てない視点で足を掬うとか)。

この平成初めの頃の鼎談で取り上げられている有名男性作家六人とは、「吉行淳之介、島尾敏雄、谷崎潤一郎、小島信夫、村上春樹、三島由紀夫」。議論の対象となった作品もあわせて書くと、以下の通りです。

・吉行淳之介 「砂の上の植物群」「驟雨」「夕暮まで」
・島尾敏雄 「死の棘」
・谷崎潤一郎 「卍」「痴人の愛」
・小島信夫 「抱擁家族」
・村上春樹 「ノルウェイの森」
・三島由紀夫 「鏡子の家」「仮面の告白」「禁色」

ぼくは、ここにある作品は、読んで面白かったかあるいはそうでなかったかを別にすると、三島由紀夫の「鏡子の家」と「禁色」以外はすべて読んでいて(退屈なので途中で放り出しそうになったのもありますがそれが何かはここでは言わないことにして)、また、鼎談者であるところの「上野千鶴子」と「富岡多恵子」の著書もそれぞれ複数すでに読んでいて、だから、本屋で遭遇したこの本をその場で買ったというわけです。

たしかに刺激的な内容の鼎談で、最初は机で一気に読了したと記憶しています。二回目以降は、ベッドで就寝前にページを繰ることが多いようです。なんとなく読みたくなると本棚から取り出してきてその夜の気分が求めるあたりに目を通します。ある作家についての三人のジャムセッションを再読したくなる場合もあるし、彼女らの発言内容の刺激を味わいたくなってページをランダムに開ける場合もあります。

吉田健一は繰り返し読むに足る本が五百冊あったそうですが(倉橋由美子の「偏愛文学館」による)、どんな分野であれ、その冊数を再読対象にできるいうことは並み大抵ではありません。イスラム学者の中には、必要な書物の内容はすべて頭の中に記憶していた人もいたらしい。そういう碩学はいつでも五百冊(たとえば)を、眼を閉じたまま味わえるし、また折々で切実度を変えるであろう一節を縦横に引用することもこともできるわけです。これはもっと並み大抵ではありません。

いずれにせよ「男流文学論」はぼくの本棚に坐り続けるはずです。

人気ブログランキングへ

 

| | コメント (0)

2019年5月13日 (月)

もう一つの「春を感じるとき」

シャクナゲです。上が四月上旬の様子。下が同じシャクナゲの5月上旬の姿。ひと月かけて新しい芽が柔らかい緑の葉の形になってきました。札幌にいると、そのあたりにあるこういう当たり前の春の変化、季節の循環が嬉しいものです。

4-tm

5-tm

夢には、形があるものもないものも言葉があるものもないものもすべてが含まれます。あらゆる存在が夢を見るなら、シャクナゲは今どんな夢を見、どんな夢の中にいるのでしょう。

お互いに常にそれぞれに夢を見ているとしても、彼らと一緒にもっといい夢を見るには、もう少し季節が進んで緑の色合いも深く落ち着いたものになってくるころまで待った方がいいかもしれません。濃い緑と強くなった光が遊びはじめ、それを見ているこちらも夢見心地になり、気がついたらお互いがお互いの夢の中です。

Photo_7

関連記事は「桜が散るということ」。

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年5月10日 (金)

桜が散るということ

満開の五弁の桜は風に落ちます。ハラハラと散る。あるいは、桜吹雪になって視界を遮りそのあたりの空の色を桜色に変えるように飛び散り、地面を花びらで淡いピンクに染めます。ぼくたちに馴染みの光景です。たとえば下の写真。

Photo_5  

Photo_6  

「埴谷雄高(はにや ゆたか)」晩年のインタビュー映像を偶然見る機会がありました。テレビ放送の再放送かなんかをとりあえず録画したものだと思います。映像にも音にもノイズが混じっていました。正確には覚えていませんが、とても印象に残った箇所がありました。だいたい次のような内容だったかと。

虚体という不思議な言葉が出てきます。

『我々だけでなく、あらゆる生物もあらゆる存在も夢を見ている、夢想している。・・・・・虚体は実現されていない夢の総体。実現したものはすべて夢の裏切り、つまり誤謬。椅子や靴下のようなモノも安心立命させたい。そういうものを書きたいけれど書けない。虚体は、生物の夢、物質の夢を全部集めたもの。・・・・・五弁の桜が散る。日本人には桜はワッと散るものだが、実際はいっきょに散るわけではない。五弁のうちの一枚が散る。四枚残っている。また一枚散る。まだ三枚残っている。残った三枚の気持ちになっていろいろ考えてみる。桜の花びらになっていっしょに夢想する。プルーストの「失われた時を求めて」の思索性とはそういうものだ。』

埴谷の「虚体」と「夢」を想起させる、老子と荘子の一部を下に引用してみます。

『道のいうべきは、常の道にあらず。名の名づくべきは、常の名にあらず。名無きは、天地の始めにして、名有るは、万物の母なり。・・・玄のまた玄、衆妙の門なり。』(老子)

『むかし、荘周は夢に胡蝶(こちょう)となる。栩栩然(くくぜん:ふわふわするさま)として胡蝶なり。・・・知らず、周の夢に胡蝶となるか、胡蝶の夢に周となるかを。』(荘子)

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年5月 9日 (木)

開けやすくて捨てやすいパッケージ

商品を美しく包むのも、運送中の衝撃からモノを護るのもパッケージの役割です。近ごろは本物の自動車も通販サイトで買えるみたいですが、それがどんな豪華な(あるいは簡素な)パッケージに包まれて通販サイトから送られてくるのか、いくぶんの興味が涌きます。

しかし、ここでは、普通の通販サイトで不通に販売されている商品(本や文房具、衣類や家電用品や加工食品など)のパッケージングと、既存顧客に定期的に送られてくるプロモーション雑誌やカタログ類のパッケージングを対象にします。

前者は、たいていは段ボール箱や内側にプワプワを貼ってある封筒で送られてきます。後者は、窓付きの特注紙封筒という場合もありますが、多くは、透明ないわゆるビニール(ポリエチレン)袋風できっちりと覆われたのが郵便受けに入っています。

品物の入った箱やプワプワ封筒を受け取った後、おそらく購入者にとって重要なのは

・パッケージが「開けやすく」
・そして、「捨てやすい」こと、

たとえば段ボール箱の場合だと、ゴミとして出すときにすぐにスッと平たく折りたためることです。

頑丈なハサミで中央と端の粘着力の強い梱包テープを切り裂いて中の商品を取り出すひと手間が必要というのは「開けやすい」とは言えません。同じ作業を底面も対象に実施しないと折りたためないパッケージは「捨てやすい」とは呼ばない。一方、ワンタッチ式の段ボールは底面がサッと折りたためるので、こちらのほうが捨てやすい。(ただし、酒屋からクール便で届く一升瓶の地酒などは、瓶が割れないことが一番重要なので、その限りではありません。)

プロモーション雑誌や商品カタログは、ビニール袋の裏面左3分の1くらいのところに、その気になればすぐに破れるミシン目が、その点線がわかりやすい格好で縦に入っていたら「開けやすい」。そういう風でないのは結局はハサミがいるので「開けにくい」。乱暴にビニール袋を引き裂きます。実際はハサミで切り開けます。その作業がけっこう面倒くさい。

「開けにくい」のは、パッケージングが下手ということで、したがって中身も同じようなレベルだと考えてそのまま他の雑誌や折り込みチラシといっしょに捨ててしまいたくなりますが、プラ類とチラシのような紙ごみは札幌市の規則で分けて捨てることになっているので(他の地域もほぼ同じでしょうが)、いちおうそれに従います。

なお商品そのもののパッケージングに関しては、そこに当該企業の生産技術力が現れるし同時に顧客とのインターフェースなので、パッケージングの上手い商品は、たいていは機能や品質もすぐれているようです。

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年5月 8日 (水)

引っ掛けるタイプの風呂掃除用具や、窓ガラス掃除のことなど

休みが続いたし暖かくなったので掃除の話です。

配偶者は熱心に掃除をします。ぼくも掃除が嫌いではない。普段はそれぞれの持ち場を担当しているのですが(たとえば、台所やお風呂や手洗いは配偶者の担当、床全般や窓ガラスはぼくの担当)、ぼくの床掃除の結果が気に入らない場合は、配偶者が同じ場所や隅をフロア用シートでオーバーライドする場合もあります。

写真は浴槽・浴室用の抗菌スポンジです。汚れがよく落ちる上に、水切れがいい。使わないときは壁のタオルバーにスポッと引っ掛けられます。そういう大きさの穴と切り込みがついている。配偶者のお気に入りです。どなたが最初に考案したのか知りません。よくできています。

これは各家庭の好みの問題ですが、台所にせよ風呂場にせよ、使わない時間帯にはそこに何もない状態が気分がいい。床でたとえてみると、お掃除ロボット(を使うとして、それ)がストレスなく自由に動き回れるような状態です。だから、風呂場にも床や棚には何もない方が望ましい。

最近は風呂場の掃除のしやすさと(石鹸やシャンプーを含むところの)浴室関連用品のきれいな収納を追求した結果なのか、吊るすことのできる、ないしは、汚れの原因となる余分なものを使わずに引っ掛けることのできるタイプの商品が増えてきたようです。写真の商品もそのひとつです。

しかし、何でも壁に吊り下げる、何でも空中に引っ掛けるを遣り過ぎると、ちょうど、プロの調理場の雰囲気だけをまねて、調理器具や調理道具を(日常的に使うものもそうでないものも)やたらとぶら下げてある料理の下手な家庭の台所と同じで、とても使い勝手が悪くなるかもしれません。

A_2

B

窓ガラス掃除はスクイジーです。

風呂場でも濡れた鏡や壁をサッときれいにするのに簡易スクイジーが便利ですが、窓ガラス掃除担当のぼくが使うスクイジーはそれなりに本格的なタイプです。春になると冬の吹雪や冬の外気などで汚れた窓ガラスの掃除が必須です。暖かい休日の風のない昼過ぎくらいがいちばんやりやすい。春の最初の窓ガラス掃除は、一度ではきれいにならないので、好みの濃さに薄めた洗剤を用意し、続けて2回か3回スクイジーをかけます。そこに窓ガラスが存在しないような仕上がり具合だととても気分がいい。

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年5月 7日 (火)

「春を感じるとき」のその後

春を感じるとき」のその後です。

最初の写真がルッコラの種蒔きの5日目昼頃、二番目の写真が種蒔き6日目の早朝、三番目が7日目の早朝、いちばん下が8日目の早朝の様子です。札幌はまだ春の入り口。ときには25度の日中もありますが、朝夕はひんやりとして湿度がなくて心地よい。

ルッコラは季節の野菜サラダの素材のひとつとして育てています。そのうちぼくたちが食べてしまうのですが、春の深まりを感じさせてくれる植物でもあります。

こうやって4日連続で並べてみると成長の様子がよくわかる。でもまだ双葉の段階で、本葉は出ていません。ちょっと込み合っている感じで彼らに申し訳ない気もしますが、本葉が食べられる程度に伸びたら間引きします。それまで我慢してもらいましょう。

5-20190504

6-20190505

7-20190506

8-20190507

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年5月 2日 (木)

憲法週間の意味?

たまたま札幌高等検察庁の入っている建物の前を通りかかったら、以下のような看板風のものが立っていました。少し違和感がありました。なぜ検察庁が札幌市民などをターゲットにした憲法プロモーションの主体者なのか、そういうことにともなう違和感です。(写真は、札幌高等検察庁のウェブサイトからお借りしました。)

Hp-20194

「札幌高等検察庁」のウェブサイトを拝見すると以下のように説明されています。

『憲法週間
 5月1日から5月7日までは憲法週間です。

~憲法週間とは~
 5月3日は憲法が施行された憲法記念日で,この日を中心として毎年5月1日から5月7日までを憲法週間としています。憲法の意義である国民主権,平和主義と基本的人権の尊重を再確認する絶好の機会です。』

念のために「法務省」のホームページに飛ぶと

『憲法週間を迎えて
 憲法記念日 5月3日
 憲法週間  5月1日~5月7日

・憲法週間とは
 毎年5月3日の憲法記念日を含む5月1日から7日までの1週間を「憲法週間」とし,法務省の機関では,裁判所や弁護士とも協力の上,憲法の精神や司法の機能を国民に理解してもらうための取り組みを行っています。

・憲法週間の意義
 憲法週間は,国民主権,平和主義と基本的人権の尊重を定めた日本国憲法の意義を再確認する絶好の機会です。』

司法とは直接のかかわりあいを持たない人が書いたであろうと思われる他のソース(Wikipedia)を当ってみると、

『憲法週間(けんぽうしゅうかん)とは、日本において、憲法の精神や司法の機能に対する理解を啓発をするための週間。・・・1953年からは法務省、検察庁、弁護士会の協力で実施され、昭和31年から現在の「憲法週間」に改称している。・・・この期間には官民問わず、各種団体が憲法に関する講演会等を開催している。』

違和感は消えません。なぜなら、『憲法の意義である国民主権,平和主義と基本的人権の尊重を再確認する絶好の機会です』というところはいいとしても、『憲法の精神や司法の機能を国民に理解してもらうための取り組みを行っています』というところは、「われわれ司法が(不勉強な)国民に憲法について丁寧に教えてあげるので、国民はこの憲法をきちんと守ること」と読めなくもないからです。少なくともそういう気分が行間に濃く漂っているようにぼくには思われます。

以下は「日本国憲法九十九条」です。

『第十章 最高法規』『第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。』

九十九条には特定の強い機能と役割を担った人たちが列挙されています。条文作成者がよく考えてそういう人たちを列挙したのでしょう。過去(近い過去から遠い過去まで)を振り返ると、列挙された人たちとは、国家権力を握りその逸脱的な権力の行使に強くかかわりのあった人たちのことです。換言すれば、日本国憲法をいちばん「守らない」可能性のある人たちのことです。だから、わざわざ彼らは『この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』となっている。

つまり、体験上、憲法を守らない可能性の強い機能集団が、国民を憲法に従わせるための啓蒙活動を集中的に国民に対して行っているように見受けられるのが「憲法週間」です。啓蒙活動の対象者が、憲法立案者のもともとの意思とは、ずれている。それが違和感の理由です。

関連記事は『「令和」は「和せ令(し)む」?』。

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年5月 1日 (水)

「札幌でも桜」のその後と、季節の呼び寄せ

2019年4月23日 (火) の記事「札幌でも桜」の続きです。札幌の桜の開花(宣言)は4月24日でした。満開は29日。花びらが地面や道路に散り始めます。

参考のために下の図を「ウェザーマップ予想 2019 さくら開花前線」サイトより勝手にお借りしました(この場を借りてお礼申し上げます)。あらためて札幌の春は東京などよりも1ヶ月遅いことがよくわかります。阿寒湖など北海道東部まで足を伸ばせば、これからでも、ソメイヨシノでない地元の桜と出合えます。

2019_1

22日に六分~七分咲きだった気の早い「札幌でも桜」の「その桜の樹」は、葉桜になりかけています。すべての花びらが散ってしまったのではありませんが、落ちたのは風で道路の端の辺りに吹き寄せられています。まだ落ちたばかりなので花びらの色合いはそのままです。連休中で車がほとんど通らない早朝のこういう風情も捨てがたい。

422_1

日本の伝統のひとつにに季節の香りや色を身近に呼び寄せるという行為があります。季節の香を袖に移し、草木染めで季節の色を繊維に染め込む。紅葉は紅葉狩り。桜は桜狩り(つまり花見)、それから桜の花の塩漬けと桜餅。桜餅の販売時期の旬は過ぎてしまいましたが、もしまだ売っているようなら食べてみましょうか。

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »