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2019年5月10日 (金)

桜が散るということ

満開の五弁の桜は風に落ちます。ハラハラと散る。あるいは、桜吹雪になって視界を遮りそのあたりの空の色を桜色に変えるように飛び散り、地面を花びらで淡いピンクに染めます。ぼくたちに馴染みの光景です。たとえば下の写真。

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「埴谷雄高(はにや ゆたか)」晩年のインタビュー映像を偶然見る機会がありました。テレビ放送の再放送かなんかをとりあえず録画したものだと思います。映像にも音にもノイズが混じっていました。正確には覚えていませんが、とても印象に残った箇所がありました。だいたい次のような内容だったかと。

虚体という不思議な言葉が出てきます。

『我々だけでなく、あらゆる生物もあらゆる存在も夢を見ている、夢想している。・・・・・虚体は実現されていない夢の総体。実現したものはすべて夢の裏切り、つまり誤謬。椅子や靴下のようなモノも安心立命させたい。そういうものを書きたいけれど書けない。虚体は、生物の夢、物質の夢を全部集めたもの。・・・・・五弁の桜が散る。日本人には桜はワッと散るものだが、実際はいっきょに散るわけではない。五弁のうちの一枚が散る。四枚残っている。また一枚散る。まだ三枚残っている。残った三枚の気持ちになっていろいろ考えてみる。桜の花びらになっていっしょに夢想する。プルーストの「失われた時を求めて」の思索性とはそういうものだ。』

埴谷の「虚体」と「夢」を想起させる、老子と荘子の一部を下に引用してみます。

『道のいうべきは、常の道にあらず。名の名づくべきは、常の名にあらず。名無きは、天地の始めにして、名有るは、万物の母なり。・・・玄のまた玄、衆妙の門なり。』(老子)

『むかし、荘周は夢に胡蝶(こちょう)となる。栩栩然(くくぜん:ふわふわするさま)として胡蝶なり。・・・知らず、周の夢に胡蝶となるか、胡蝶の夢に周となるかを。』(荘子)

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