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2019年6月

2019年6月28日 (金)

梅干し作りの手順の確認

今年の梅干しの梅は奈良の「南高梅」です。最初の梅干し作りも「南高梅」でした。2010年の夏に梅干し作りを「南高梅」で開始して、途中から無農薬栽培の「龍神梅」のお世話になっていたのですが、その「龍神梅」が入手困難になってきたので、今年はまた「南高梅」に戻りました。

南高梅というと、近所の野菜売り場で黄色に熟しかけた見事な出来の南高梅の袋詰めを、お店の人たちはその価値がわかっているのかどうか、なにげなく、さりげなく売っていたので、さっそく一袋購入して、梅ジャムにしました。当然、上品なまろやかな味に仕上がりました。

今年は、購入先の出荷の事情もあって梅干し用の梅の到着が例年よりも遅く、生梅の香りを嗅げるのが7月上旬の予定です。梅の量は8kg。それから梅といっしょに、梅酢を通した赤紫蘇も注文してあります。理由は赤紫蘇作業の「時短」です。

畑から収穫した生の赤紫蘇は、梅の色付けに使えるようにするまでにそれなりの準備が必要で、その準備作業は重労働というか、長時間の根気仕事です。たとえば、葉を茎から丹念に摘み取る、葉は土やゴミで汚れているので三回は水洗いをします。水洗いできれいになった葉を塩の力を借りてギューギューと二回はアク抜きをする。力作業です。そのあとアク抜きした赤紫蘇の葉を白梅酢で揉んでさらにきれいな赤に発色させる、そんな仕事です。配偶者と好みの邪魔にならない音楽でも聴きながらいっしょにやるのが向いている我慢作業です。

さて、梅干し作りの手順です。

その前に、必要な素材や材料や容器は以下の通り。

・「南高梅」 8kg

・「赤紫蘇(揉み紫蘇)」 2kg 前述の赤紫蘇処理を済ませてあるもの。今回は梅8kgに対して揉み紫蘇2kg.。

・塩(自然海塩) 1.5kg 我が家の梅干しの塩分濃度は伝統的な「18%」なので(8kg * 18% = 1.44kg)。18%だと決して梅がカビないし、常温保存で3年でも4年でも大丈夫です。2年以上寝かせると、塩辛さにまろやかさが加わります。最近はやりの「減塩タイプ」には興味がありません。

・「一斗樽」と「重石」 一斗樽とは、正確には取っ手のついた「19リットル容量の頑丈な業務用ホーロー容器」のこと、重石には常滑焼の大きな中蓋を複数枚利用します。

・「アルコール度数44度の麦焼酎」 消毒目的の焼酎の度数は40度以上のこと。最近は強い度数の焼酎はとても少ない。

・「竹串」と「楊枝」 梅のヘタを取り除くための道具

・「竹編み平籠」 2個 「天日干し」という梅干し作りの最後のプロセスで必要な竹編みの「ひらかご」(写真は以前の梅干し時の様子。籠は使っていると赤紫蘇の赤でピンクに染まります。湯で洗っても落ちない。)

Photo_20190628085801

手順です。

青梅をよく水洗いし、ヘタを竹串や楊枝でひとつひとつ丁寧に取り除き、水気を切ります。カビ防止のために、とくにヘタを取り除いたあたりに注意して、40度以上の度数の焼酎の浅いお風呂に浸します。

その後、19リットルのホーロー容器に、塩、焼酎で消毒した青梅、塩、青梅、・・・・という順番に、隙間を作らないように注意しながら積み重ねていきます。

積み重なったら、最後は、けっこうな重量の重石をかけて、梅酢が上がってくるのを待ちます。三日から四日したら梅酢が上がってくるはずです。この梅酢を白梅酢と呼び、余った白梅酢は貴重な自家製調味料になります。

その余った白梅酢をしっかりと何本かの壜に移した後で、白梅酢と重石の下でおとなしくしていた青梅(すでに黄色くなっている)の上に「揉み紫蘇」を隙間なく敷き詰め、軽く重石をかけ、色づけ工程に入ります。7月末から8月初めの三日間に実施予定の「梅の天日干し」まで、彼らにはそのままの状態で休んでいてもらいます(いつ干すかは天気との相談になるので、悩ましい。最適な三日間を逃さないように柔軟な判断が必要)。

赤紫蘇を上にまとめて敷き詰めるよりも、梅を層ごとに赤紫蘇でサンドイッチにする方が梅全体がまんべんなく赤に染まりますが、面倒なのでやりません。しかし、三日間の「天日干し」工程のなかで、全部の梅を遅い午後から翌早朝まで、毎回、赤梅酢に漬け戻すことで梅全部を均等に赤くします。

梅の天日干しのことを、その時期の季節の言葉を使って「梅の土用干し」と言いますが、必ずしも「土用」である必要はありません。天気予報と実際の気温推移と陽の光の強さとその日の天候を勘案しながら、天日干しの実施日を決めます。実施日数は望ましくは連続した三日間。午前6時前に空の様子を確かめて、その日をGOにするかNO GOにするかを決定します。

ホーロー容器の赤梅酢の中で(そして赤紫蘇の下で)寝ている梅を一つずつ取り出し、取り出した梅を、2個の平籠に、陽が満遍なく当たるように少し隙間を開けて順番に並べていきます。配偶者とぼくとの共同作業です。並べ終わったら、籠を外に持ち出し、陽の光をいっぱいに浴びさせます。

早朝から、梅に注ぐ陽の光が陰るまで、干し続けます。途中で平籠に並べてある梅をつまんで上下(あるいは裏表)をひっくり返し、梅粒全体が陽の光を享受するように配慮します。

その日の天日干しの後は、また梅を全部、ホーロー容器の赤梅酢の中に赤紫蘇といっしょに(赤紫蘇で覆うように)漬け戻し、翌日早朝まで休憩してもらいます。こうすることで着色が確実に進みます。

早朝から遅い午後まで天日干し、そのあと翌朝まで赤梅酢につけ戻す、早朝からまた外に干すというプロセスを三回繰り返します。陽射しのない日は休憩です。8月初めあたりまでに「土用干し」を完了できたらと考えています。

 

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2019年6月27日 (木)

少し不気味なスズラン

リラ(ライラック)は札幌市の樹ですが、では札幌市の花はというとこれがスズランです。漢字だと鈴蘭、漢字のほうがその形を思い浮かべやすい。そのあたりの植栽場や公園でよく見かけます。スズランを自治体の花としているところも日本では多いみたいで、必ずしも北海道や長野の自治体の独占というわけではありません。

下は、札幌市内のある公園で、とくに手入れもされずにそのあたりに葉が拡がって控えめに花を咲かせていたスズランです。撮影は5月末です。いい匂いがしました。

Photo_20190627150901

可憐で芳香を発するところのスズランは、実は、有毒植物です。有毒物質はスズラン全体に存在しますが、花や根にとくに多く含まれているそうです。ある種の植物はたとえばレクチンなどで動物から食べられないように自分を護っていますが、スズランの毒も昆虫や小動物からの自己防衛のためでしょうか。そのあたりはよくわからない。

「耐寒性が強い、日陰でも育つ、強い香りがある」という風にスズランの特徴を並べると、たしかに薄暗いところでも平気で咲いているので、スズランには申し訳ないのですが、ぼくはドクダミを連想してしまいます。ドクダミは「蕺草」と書き、「毒を矯(た)める・止める」草という意味です。毒を持つスズランと毒を止めるドクダミ、似たもの同士かもしれません。

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                 ドクダミ

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2019年6月26日 (水)

札幌と、『荒地』の書き出し部分の季節感

以下はT・S・エリオット『荒地』 (The Waste Land, 1922) の第一部「死人の埋葬」の書き出し部分です(吉田健一訳)。

「四月は残酷な月で、死んだ土地から
リラの花を咲かせ、記憶と欲望を
混ぜこぜにし、鈍った根を
春雨で生き返らせる。
冬は何もかも忘れさせる雪で
地面を覆ひ、干からびた根で少しばかりの生命を養い、
それで我々は温くしてゐることが出来た。
夏は俄か雨となってスタルンベルガエゼを渡って来て、
我々を驚かせた。我々は柱廊の所で立ち止り、
日光を浴びてホフガルテンに出て行き、
そこでコオヒイを飲んで一時間ばかり話をした。」

札幌に住んでいると引用した詩の季節感を、表面的には、よく理解できます。著者の土地(英国)の緯度は札幌よりも高く(従って夏の日は長く)、しかし暖流の関係で冬は札幌よりも暖かいのですが、英国と札幌は季節の雰囲気が似ているのかもしれません。

「四月は残酷な月」の「残酷」の意味が、「その月」がもはや冬でもないけれど、しかしまだまだ寒くてとても春とは言えない、春の暖かさを期待しているのに毎日のように裏切られてしまう、そんな中途半端な感じなので「残酷」だ、というのでしょうか。

「冬は何もかも忘れさせる雪で地面を覆ひ」は確かにその通りで、冬は地面がどこまでも雪と氷で覆われます。でもその「死んだ土地」に「春雨」(根雪を溶かせる雨)が降ると、「死んだ土地」から「リラ(ライラック)」が、冬の「記憶」と春への「欲望」を「混ぜこぜにして」5月半ばに薄紫色の花を咲かせ始めます。

そして、翌月にはニセアカシアの白い花が続き、短い夏が俄かに、ちょうど「俄か雨」が来るようにやってきます。

「死んだ土地から、リラの花を咲かせ、記憶と欲望を混ぜこぜにし、鈍った根を春雨で生き返らせる。」

こうした瞬間の連なりがゆっくりと、しかし気がつけば急に動いているのを実感できるのは札幌に生活することの楽しみのひとつです。

 

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2019年6月25日 (火)

キュウリ(胡瓜)雑感

北海道産のキュウリの旬は6月から9月なので、6月になると野菜売り場には地元のキュウリがいっぱい並びます。キュウリ好きの身としてはご同慶の至りです。北海道産キュウリの出荷量は、全国のそれの3%くらいです。

キュウリは野菜サラダの具のひとつになったりもしますが、そしてそれも嬉しいのですが、いちばん嬉しいのは糠漬けです。じつに旨いと思う。キュウリのない夏の糠漬けは、夏の糠漬けの存在意義を半分以上失っています。ただし、キュウリはとても水っぽいので、他の糠漬け野菜(たとえばニンジン)と糠床を分けておかないと他の糠漬け野菜の風味を損なってしまう。

我が家では、手軽なお出かけ弁当はもっぱら自家製梅干し入りのおにぎりで、サンドイッチという選択肢は、まずありません。

しかし、そういえば、キュウリ入りのサンドイッチというのがありましたが(喫茶店や軽食屋風のお店でサンドイッチを頼むとミックスサンドしかなくてそこにそれが出てきたと思う)、美味しかったという記憶はありません。ところが調べてみると、作り方にもよるのでしょうが、評判は悪くない。とても美味しいとは書いてありませんが、うまいサンドイッチのひとつくらいの感じで紹介されています。

ある料理サイトを拝見すると、キュウリ・サンドイッチ(Cucumber Sandwiches with Cream Cheese)を上手に作るための細かい基準が並んでいました。なおそこで使う材料は、「良質で柔らかいパン・クリームチーズ・キュウリ・塩・胡椒・バター・セリの葉」です。

・パンはとても柔らかいもので、色は白であること
・クリームチーズやバターは厚く塗ること
・キュウリは、皮を剥いたのを、できるだけ薄くスライスすること
・パンの耳は取り除くこと

1974年に出版された吉田健一の「英国に就いて」というエッセイ集の中に「食べものと飲みもの」というのがあります。そのなかに「胡瓜のサンドイッチ」が登場します。ここでの評価はすこぶる高い。その部分を以下に引用してみます。

『英国のお茶の御馳走に、胡瓜のサンドイッチがある。これにも何か形容を絶するものがあって、よく西洋料理にあのパセリというつまが付いてくることがあるが、あの味をそのままサンドイッチに仕立ててもう少しみずみずしいものにしたら、まず英国の胡瓜のサンドイッチに近いものが出来るかもしれない。噛んでいると、眼の裏に緑色の芝生が拡がり、緩慢に流れて行く河の水面に白鳥が二三羽浮かんでいるのが見える趣向になっている。』

著者は酒や食べものにはうるさいので、本当に美味しかったのでしょう(ときどき幻想的な、夢か現かわからない記述が、現について書いたエッセイの中に境目なく混入しますが)。

ということであっても、ぼくはキュウリのサンドイッチは食べないと思います。それを口にするくらいなら、新鮮な生のキュウリをポンと手で割って、キュウリの割口をお皿に用意した自家製味噌につけて、ぬる燗の日本酒の肴にします。これはなかなかです。

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2019年6月24日 (月)

夏至は日本では平日、個人的には祝日

改めてカレンダーを見直してみると、今年の3月21日(木曜日)は「春分の日」で祝日だったし、9月23日(月曜日)も「秋分の日」で祝日です。今年の夏至は6月22日(土曜日)でしたが祝日ではありません。だから、普通の簡易カレンダーにはこの日が何の日であるかについての注記はありません。(夏至は6月21日であることが多いのですが、たまに今年のように22日になったりすることもあるようです。)

なぜ「春分の日」と「秋分の日」が祝日なのかその理由が知りたいと思い「国民の祝日に関する法律」を参照してみると以下のように書かれています。

『第二条 「国民の祝日」を次のように定める。
  春分の日 春分日 自然をたたえ、生物をいつくしむ。
  秋分の日 秋分日 祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ。』

残念ながら、そこに「夏至の日」は見当たりません。しかし、世界では、スウェーデンやフィンランド、ノルウェーやデンマークなど高い緯度に位置する国や地域では、「夏至祭」が夏至またはその前後で開催されています。

夏至の日が祝日でなくて残念だというのは、ぼくが札幌という日本では最も緯度の高い地域にいるからです。緯度が高いと湿気がないし(つまりジューンブライドの気候的な意味が実感できる)、同時に冬が長い。だから陽の射す時間がいちばん長い日は当然おめでたい。しかし、北海道以外にお住いの方々にとっては、6月21日や22日は梅雨の鬱陶しさや暑い夏の前触れの中の一日なので、お祝いの対象と考える動機がありません。

しかし、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことが「春分の日」が祝日であることの理由なら、札幌の夏至はまさに「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日だし、逆に3月21日は根雪が融け切らずに残り、つまり、まだ冬という季節の一日で春は実感できません。札幌の春は4月下旬から5月にかけて始まります。

『海の日 七月の第三月曜日 海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。
 山の日 八月十一日 山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する。』

「海の日」か「山の日」のどちらかを止めて「夏至の日」を追加したほうが嬉しいのですが、そうもいかない。従って、夏至は個人的な祝日ということになります。

その個人的な祝日のシンボルになるようなものは何かないかと探していたら、札幌大通公園で「花フェスタ」を開催中でした。開催期間は6月22日から30日まで。これを夏至のお祭りとみなしてもとくに違和感はありませんが、主催者はそういう風には考えていないかもしれません。

「花フェスタ」の会場からは少し離れた公園の一画にホップのアーチがありました。ホップとはビール醸造に使うあのホップです。毎年この時期に、札幌市職員の手が入って、濃い緑のアーチとなります。ホップなら祝祭のお酒に関係しているので、これを勝手にシンボルとします。

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                ホップのアーチ

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2019年6月21日 (金)

ニセアカシアは札幌の6月の樹

札幌で5月に可憐な紫色の花を咲かせる樹は「ライラック」です(リラとも呼ばれる)。樹によって濃淡の違う紫の花が開きます。たまに白い花もある。街路樹、公園樹です。

_0517d-s  ライラック

いい香りがその周辺に漂う白い花を咲かせる札幌の6月の樹は「ニセアカシア」です。用途はライラックと同じで街路樹、公園樹ですが、ライラックが植えっぱなしだと相対的にヒョロヒョロしているのに対し、ニセアカシアは大きくなると樹の風格が出てきます。

Photo_15 ニセアカシア

ニセアカシアは英語ではPseudo-acacia。直訳すると「アカシアもどき」「疑似アカシア」。可哀そうな名前ですが、別にアカシア(Acacia)という属があるのでしかたない。ニセアカシアは北米原産のマメ科ハリエンジュ属の落葉高木。和名は「ハリエンジュ(針槐)」だそうです。

札幌のすべての通りにニセアカシアが並んでいるのではなく、ニセアカシア通り(高木になって長大な並木が見られるのも、植栽されて10年未満の成長中のものも)は限定されていますが、そばを歩くと穏やかではあるのですがやや強い香りが花から伝わってきます。

北海道に限らず東日本ではニセアカシアの花は「蜜源」のひとつです。ニセアカシアの花から良質なハチミツが採れます。いい香りには理由があります。

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2019年6月20日 (木)

悪文雑感

「悪文」(あくぶん)の意味を、一般的な国語辞典で調べてみると、「へたな文章。文脈が混乱して、わかりにくく誤解されるような文章」(広辞苑)をはじめ、他の辞書でも「へたでわかりにくい文章。文脈が混乱して、まとまりのない文章。」「難解な言葉を使ったり、文脈が乱れていたりして、理解しにくい文。へたな文章。」「へたで、読みにくい文章。文脈が混乱したりして、わかりにくく、意味のとりにくい文章。」と説明されています。

「あの内野手は守備がへた」という場合は、その内野手は捕球がぎこちない、守備範囲が狭い、ボールへの一歩が遅い、打球の方向の予測能力が低い、ときどきトンネルするし、スローイングがピリッとしない、アウトにできるゴロを内野安打にしてしまうなど、そのへたさ加減は観ているだけでよくわかります(たとえば、広島カープで二塁を護る菊池涼介選手と比べると一目瞭然です)。

しかし「あの内野手は守備がへた」というのとは違って、「悪文とはへたな文章のことである」というのは何をもってその文章を「へた」とするのかわかったようでわからない。だからここでは「悪文」とは「わかりにくい文章、意味のとりにくい文章」とします。このほうがわかりやすい。

わかりにくい文章というのは確かにあります。その文章を書いた当人は、その文章を、たとえば、自分の意識の流れや思考の流れや感性の移ろいをそのまま言葉に素直に移し替えたと思っているのかもしれませんが、読む側にとっては難解で、何度読み返しても意味不明で、そんな文章はじつにわかりにくい。魑魅魍魎(ちみもうりょう)に悪戯されている気分になります。

しっかりとした文章を書ける人が悪文を書く簡単な方法のひとつは、相当に酔っぱらった状態でやや抽象的な内容を含む文章を書いてみることです。酔いの勢いに乗って、自分の意識の流れや思考の流れや感性の移ろいをそのまま言葉に移し替えるつもりで書いてみると、書いているときは思考と言葉が一致していると感じていい気分でも、起きて素面になって読み返してみると、文章の流れや完成度をある程度想定していた場合は、気分はけっこう落ち込みます。

酩酊状態の利用が役に立たないというのではありません。ともかく思ったことや頭の中を流れていることをフワッとした気分で乱雑なメモとして書きつけておくという方法ではあるので、そこにはいくぶんかのキーワードやキーコンセプトが整理されないままその他の言葉といっしょに放置されています。これは、あとで手掛かりになります。

以下に、ある作家の作品(小説ということになっていますが、小説ともいえるし、幻想的な雰囲気の随想ともいえる作品)から二つの短い文章を「そのまま」引用してみます。それらが上述の意味で「悪文」かどうか?

『金沢には東京にも戦前にはあったような誰が客になって来るのでやって行けるのか解らない感じがする地下室の人気がなくて明るい西洋料理屋もあった。』

『その骨董屋がその次に内山が金沢に来た時に顔を出して内山はこの男に不義理をしたような気がしたが、それが何故か自分にも解らなくてそれが根拠があることであることも確かでなかったから内山もただそういう気がするだけということで片付ける他なかった。』

サッと読んで内容がサッと頭に入ってくる感じの文章ではありません。酔っ払いが、思いつくままの言葉で状況を説明してくれているようでもあるし、素面(しらふ)の語り手がゆっくりと言葉を選びつつ聞き手に語りかけてくれている風情でもあります。

試みに、オリジナルにはない「読点(、)」をいくつか追加してみると、わかりやすさの様子が少し変わってきます。

『金沢には、東京にも戦前にはあったような、誰が客になって来るのでやって行けるのか解らない感じがする地下室の、人気がなくて明るい西洋料理屋もあった。』(オリジナルに読点を三つ追加)

『その骨董屋がその次に内山が金沢に来た時に顔を出して、内山はこの男に不義理をしたような気がしたが、それが何故か自分にも解らなくて、それが根拠があることであることも確かでなかったから、内山もただそういう気がするだけということで片付ける他なかった。』(オリジナルに読点を三つ追加)

ところで、この作家が、酒や酒宴や酔っ払いや酔っ払い状態について書いたものは、酩酊とは遠く離れた状態で書いたのか、たいていは「わかりやすく意味のとりやすい文章」になっています。変な話ですが、たとえば、

『本当を言うと、酒飲みというのはいつまでも酒が飲んでいたいものなので、終電の時間だから止めるとか、原稿を書かなければならないから止めるなどというのは決して本心ではない。理想は、朝から飲み始めて翌朝まで飲み続けることなのだ、というのが常識で、自分の生活の営みを含めた世界の動きはその間どうなるのかと心配するものがあるならば、世界の動きだの生活の営みはその間止まっていればいいのである。』

という具合です。

文章がわかりやすいとか理解しやすいという美徳(それを美徳と考えて)が、あまり意味を持たない知や感性の世界もあります。わかりにくかろうが意味がとりにくかろうがそういう風に書くしかない、だからそう言葉を連ねた。そういう文章はここでの対象外です。

 

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2019年6月19日 (水)

「同行二人Tシャツ」と「サクランボ」

札幌の6月の早歩きは、Tシャツ1枚だと、勤め人が帰宅の途にある時刻をある程度過ぎたあたりの時間帯にするには寒いので、その上にダボっとしたグレーのTシャツを重ね着して、歩いていて暑くなってきたら重ねたのを脱ぐ、あるいは、歩き終わって汗をかいているので重ねを脱ぐといった使い方をしています。

下に着ているのは背中に「南無大師遍照金剛 同行二人」(なむだいしへんじょうこんごう どうぎょうににん)、そして胸に「ユ」という音の梵字が印刷されたTシャツです。その梵字の象徴的な意味は「弥勒菩薩」(みろくぼさつ)。お遍路さん用です。去年購入したもので、ときどきしか使いませんが、すれ違うジョガーはたいていがスポーツ用品メーカーのブランド衣類をお召しなので、けっこう雰囲気が違います。

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「同行二人」とはお遍路さんがいつも弘法大師(空海)と一緒に巡礼しているという意味ですが、その効果なのか、夏至前でまだまだ明るい帰り道の道路際の桜の樹の下で、母親二人と子供数人が楽しそうに騒いでいるのに出会いました。サクランボです。

低いところに実がなっているのは母親がそのまま手を伸ばして、それから少し樹に登ればその周辺のサクランボの実も採れるのでそこは身軽な子供の受け持ち範囲。熟したのを慎重に選んでその場で口に運んでいました。何年か前に、三人連れの元気な小学生と思われる女の子が、近隣の別の場所でサクランボ狩りをしていて、その子たちから収穫をお裾分けしてもらったことがありますが、それを思い出しました。

下の写真は、「同行二人」中は手ぶらだったので、翌日その場に出かけて撮影したもの。色を見ると完熟にはしばらく日がかかりそうです。

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関連記事は「木登りの女の子たちからもらったサクランボ」。確認してみたらこの関連記事のお転婆(おてんば)な小学生の女の子たちに会ったのが4年前の2015年の初夏、そのあとサクランボを同じ樹で確認したのが2017年の初夏なので、今回の樹はその樹とは別の桜ですが、わりに近い場所にあるので、どうも近所のサクランボは2年ごとに実がなるみたいです。

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2019年6月18日 (火)

サウジアラビアのスンニー派とイランのシーア派に関して

以前に書いたものの再掲です(ただし一部を変更、一部を追加)。

サウジアラビアとイランの関係がよくありませんが、サウジアラビアとイランの不仲は1000年以上前からです。1000年以上前から多くの血が流され続けました。そして、現在はそこに、例によって、ある非イスラム国家による政治と経済の無茶な介入が絡んで、不仲の状況はさらにややこしいものになっています。

配偶者からサウジアラビア(スンニー派)とイラン(シーア派)の違いについて聞かれたので、以下のように答えました。「ともにイスラム教だけれど、サウジは商売・ビジネスの国、イランは哲学と文学の国」。その回答の後ろにはある参考書の存在があって、その参考書とは井筒俊彦著『イスラーム文化』です。

この記事は、配偶者とぼく自身のための簡単な備忘録として書いています。『イスラーム文化』の読書記憶をもとに自由にまとめているので記憶違いや勝手なはみだしがあるかもしれませんが、個人的な備忘録なのでよしとします。

イスラム教は、アラビア半島のメッカで、商人であるムハンマド(マホメット)を預言者として生まれました。預言者とは神の言葉を預かり民に伝達する者という意味です。その意味では神託を伺い口寄(くちよせ)をする者であるところの巫女(みこ)やシャーマンも預言者です。

ムハンマドによれば、イスラム教は、ユダヤ教とキリスト教と対立するものではなく、その二つを包み込むという意味で、ユダヤ教とキリスト教のスーパーセットと云うことになっています(逆に云えば、ユダヤ教とキリスト教はイスラム教のサブセットということになる)。だから、イスラム側からすれば、対立などあり得ない。サブセットと位置付けられた方は、その位置づけに憤慨しているかもしれませんが。

イスラム教の聖典はコーランです。コーランは宗教の聖典であると同時に法の聖典でもあるという二重性(二重の性格)を持っています。法教一致、政教一致の聖典です。

宗教も法も、もともとは一体化していたので、同じ重みをもっていましたが、時代の流れとともに、そして人々の思惟の方向の変化や価値観の変化とともに、どちらかに比重が偏ってきます。つまり、コーランに書かれた文字の意味するところを(法の条文を解釈するように)そのままに受け取る人たちと、書かれた文字の向こう側の見えない奥に深い意味を読み取ろうとする人たちが現れます。前者は法の人であり、後者は霊の人です。イスラム教は宗教なので、かりに顕教と密教という用語を使えば、前者は顕教の世界、後者は密教の世界です。

サウジアラビアのイスラム教宗派はスンニー派(一部はシーア派)で、イラン(ペルシャ)のそれはシーア派ですが、両者を先ほどの価値の重みのかけ方という座標軸に沿って配置してみると、スンニー派は「法の宗派・政治的な宗派・現実主義的な宗派・顕教の宗派」、一方、シーア派は「霊の宗派・哲学的な宗派・神秘的な宗派・密教の宗派」ということになります。

イランといえばペルシャであり、ペルシャといえば、ペルシャ絨緞、千夜一夜物語、光と闇のゾロアスター教を思い浮かべます。神秘的で幻想的です。形而上学者・神秘哲学者であるところの井筒俊彦は、1975年(61歳)から1979年(65歳)までイラン王立研究所の教授でした。イランとはそういう国です。一方、サウジアラビアという土地は、形而上学や神秘哲学はあまり似合わない。

ただしそういう区分となじまない個人がいるのは当然のことで、以前、短期間ですがいっしょに仕事をしたことのあるイラン出身のITエンジニアは、アラブ以上にアラブ的な現実主義者でした。もっとも、それは昼間の仕事場だけで、夜は哲学的瞑想にふけっていたのかもしれません。

そういう世界観の対立がメッカ期とメディナ期以来、ずっと続いています。世界観の違う二つがぶつかった時には、現実主義的な政治権力に価値を置く宗派が、そうでない宗派を、たいていは政治的に圧迫します。そういう場面では、聖職者の犠牲も多い。現在の対立の底にも、そういう歴史的な思惟の違いと価値の体系の違いが潜んでいます。

世界のイスラム人口のうち圧倒的に多いのはスンニー派です。シーア派は少ない(統計資料によれば、イスラム人口の10%から13%)。北海道でも、イスラム教徒向けの食材の調達や礼拝設備を充実してインドネシアからの観光客誘致に努めていますが、インドネシアのイスラムはスンニー派です。

 

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2019年6月17日 (月)

再び、「気になるルッコラ」

気になるルッコラ」のパート2です。

ルッコラは、野菜サラダの一品として、ピリッとした辛味と苦みを楽しむもので、大人の味を演出します。先日(後述のように)ルッコラだけの野菜サラダを食しましたが、なかなかに良かった。セロリがお好きなかたはルッコラもお好きだと思います。ちなみにこの「大人の味」野菜はルッコラ(Rucola)以外に、ロケット(Roquette)とも呼ばれています。

今年最初のルッコラ栽培は満足な結果ではありませんでした。成長速度が遅かったし、変化を待ってもルッコラらしい葉にならない。原因はタネだったようです。だから食べられるところは全部食べ(野菜サラダ2日分になりました)、その2日後に新しく購入した種を播きました。

しっかりした種なら、最低気温も6月のほうが5月よりは明らかに高いので、3日後には発芽するであろうと予測したのですが、その通りになりました。最初の写真は播種3日後の朝の状態です。

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次は、種蒔き4日後の早朝。丸1日の生育の様子が実感できます。

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これは種蒔き5日後早朝の状態。成長が目に見えます。

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下の2枚は種蒔き8日後の朝の様子。大きくなりましたが、まだ双葉で、本葉はこれからです。毎朝水遣りをしていて10日か2週間くらいしたときに、ふと「お、本葉だ」と気付くがいつものパターンですが、こうして毎朝そばで眺めていると、成長が早いような遅いような。いずれにせよ、双葉の間からルッコラらしい形状の本葉が伸びてくるのが確認できたらひと安心です。

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種蒔き11日後に、一部の個体にやっと小さな本葉が出ました。

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ほとんど小学生の出来の悪い夏休み課題報告風の記事ですが、今年はルッコラにかける時間がこれを含めけっこう多い。こういうこともあります。

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2019年6月14日 (金)

北海道の日帰りバスツアー

ある旅行会社から観光旅行のパンフレットが送られてきました。以前、その会社の「日帰りバスツアー」に配偶者といっしょに参加したことがあるからです。

日帰りバスツアーのページを開けるといちばん目立つあたりに「夏の積丹(しゃこたん)へ」とあり、そのなかに、ぼくたちもお世話になったコースが全く同じ構成で掲載されていました。こういう構成は変えようがない。「積丹で食す!豪快!ごはんが見えないウニ丼。」

お酒の好きなひとは、団体ツアーであっても一杯やりながらゆっくり「ウニ丼」を賞味するのがいい。軽く酔ったあとで、積丹海岸の積丹ブルーを満喫できます。途中で北海道の地酒のひとつであるところの余市のウイスキーも味わえるので、こういうのはバスツアーに限ります。

配偶者は、以前はウニにはまったく興味がありませんでした。美味しくなかったからだそうです。理由はウニの保存(型崩れ防止)のために添加してあるミョウバンです。北海道で「塩水ウニ」を口にしてその評価が劇的に変わりました。殻から取り出したウニを海水と同じ濃度の塩水につけてあるのを「塩水ウニ」と云います。不味いわけがない。

ページを繰っていると、北海道(あるいは札幌)らしいユニークな日帰りツアーもありました。「日本の空を護り続ける戦闘機航空団最北の基地 千歳基地航空祭」。最近の事故ニュースや映画で話題のF-35ステルス戦闘機は無理だと思いますが、現地に行けば、政府専用機や編隊飛行をするブルーインパルス、離着陸し基地上空や周辺を低空飛行するF-15の爆音と空気振動を味わえると思います。

最新鋭戦闘機は最新鋭の武器なので、つまり最新ハードウェアと最新ソフトウェアのある種の極致の組み合わせなので、それだけで拒否反応を起こすかたもいらっしゃるかもしれませんが、洗練されたロボットメカニズムやエンジニアリングに憧れる男の子や女の子、AIに憧れる少年や少女にはけっこう刺激的なイベントかもしれません。それに映画の「空母いぶき」効果で、今年は女性の参加者が増えるかもしれない。

まだ当時と似たような素朴なモデルが市販されているみたいですが、子どもの頃に木と竹・竹ひごと紙とアルミニウム管のゴム動力模型飛行機を組み立てて遊び(竹のプロペラの機体がまっすぐ飛んでいってどこかで行方不明にならないように左に大きく回転する風に作り、けっこう長く飛行しました)、それから、第二次世界大戦のイギリスやドイツや日本や米国などのレシプロ戦闘機の形と性能をほとんどすべて記憶していた身としてはけっこう戦闘機に対する思い入れがあります。

「千歳基地航空祭」のすぐ隣に「ススキノ・ホストクラブでお姫様体験」という案内があり、「戦闘機」と「ススキノ」は面白い組み合わせですが、「ススキノ」のほうが「千歳」よりも倍くらい値段が高い。それでも1万円未満に抑えてあります。博多でも東京でも同じことは簡単にできるので、札幌独特のツアーというのではないと思いますが、去年もパンフレットで見た記憶のあるツアーなので、最近はそういうニッチ市場が常に存在するということなのでしょう。今年から始まったツアーは「新コース」と書いてあり「お姫様体験」にはその注釈がないので、やはり定番コースのひとつのようです。

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2019年6月13日 (木)

オムニバス形式

オムニ(omni-)という用語(接頭辞)は「全部」という意味ですが、最近は流通の最先端でオムニチャネルといった使い方がよくされます。ある企業の持っているすべての流通チャネルの相互利用・相互乗り入れといった内容です。ある商品を自宅で受け取ってもいいし、コンビニで受け取ってもいいし、会社帰りに実店舗でピックアップしてもいい。受け取り場所は、その企業の持っている複数の流通チャネルを消費者の都合に合わせて自由に選択できます。

以前は、たとえば、ぼくなどが最初に英語に接したときなどはまだバスといっしょにオムニバスという単語も習った記憶があります。現代風のバスでなく、エンジンがフロント部分に位置している乗合自動車の雰囲気です。

オムニバスは死語ではなく、今でも、すでに発表されたある作家の(とくに同一作家の)複数の作品を集めた本という意味で「オムニバス形式の小説」と呼ばれます。この用語の日本語での使い方はもっと幅広くて、同じテーマを扱った複数の人の作品を一つにまとめたものもオムニバス作品と名付けられているようです。

今、ある日本人作家(故人)のオムニバス作品を読んでいます。二重の意味でオムニバス形式になっています。

特定のテーマを、別々の、しかし似たようなサブテーマで取り扱ったもので、サブテーマごとの短編は一冊の本にまとめられる前に雑誌にすでに発表されているので、そういう意味では、オムニバス形式の短編集です。

そして、同時に、あるサブテーマに関する短編の中に、複数の時間と記憶と場面がサブサブテーマ風に連続して流れます。小説ですが、随想風の味わいです。文体が読点が多くて独特で、そして読点から読点までの繋がりがときにねっとりと続くので、慣れるまでに少し時間がかかります。意識の流れや感性の流れ、時間の流れや記憶の流れ、夢と現の往還をゆらゆらと追いかけてそのまま言葉に移しているような文体なので、そのリズムに同調できると、作者の歩く速度で作者といっしょに過去の意識や無意識を散策できるといった按配です。しかし、リズムに同調できないと、流れを楽しんでいるのは作者だけで、読者は埒の外ということになります。

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2019年6月12日 (水)

北海道の6月

北海道は6月です。北海道は、たまには雨模様の日もありますが、6月がいちばん気持ちがいい。暑すぎず寒くなく早朝はひんやりとしていて湿度がない。それに夏至の6月なので、夜の入り口まで世界が明るい。

ジューンブライドという言葉が生まれたのも、ヨーロッパでの本当の背景はわからないにしても、こういう気候が前提になっているのに違いない。それがよく実感できます。湿っぽい梅雨空の土地では6月に結婚式を挙げたいとは普通はあまり思わない。

だから、北海道以外の日本でジューンブライドを宣伝するのは、消費者ビジネスの谷間である2月にチョコレートや恵方巻きをプロモーションするのと動機は同じです。鬱陶しい6月にも結婚式を途切れさせたくない。

ジューンブライド(6月の花嫁)の北海道というのが、北海道の形容としてはなかなかにいいのですが、北海道以外のかたがたが結婚式のために北海道にやってくるのは負担が大きすぎます。

しかし、ゴルフなら3~4人か7~8人でいいので、お仲間と簡単に6月の北海道を満喫できます。しかし、まれに、ひどく暑い日もあり、そういう日がプレー日と重なるとプレーヤーの恨みは北海道そのものに向かうので、夜はススキノで美味しいラーメンでも食べて帳尻を合わせてください。

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2019年6月11日 (火)

北海道産の大根で「べったら漬け」

北海道産の夏野菜の季節です。アスパラガス、キュウリ、小松菜、大根、レタス、ミニ白菜、早世キャベツなどが野菜売り場に溢れます。

甘酒は夏の季語ですが、甘酒を利用した「べったら漬け」は素材が大根なので一般的には寒い時期の食べ物です。しかし、北海道の大根の旬は6月から10月なので、さっそく大根で「ベッタラ漬け」です。ちょうど、自家製のタクアンをひと月ほど前に食べ切ってしまったので大根の漬物の交代時期ではあります。

なお、北海道産の大根は出荷量は全国でいちばん、そのシェアは約14%。

縦に二つに切った大根のまとまった大きさの切り身を塩漬けにしたのを、わずかな塩と唐辛子と柚子を加えた甘酒に、5日から1週間くらい漬けこんでおくと、「べったら漬け」ができ上がります。軽い塩味と軽い甘みがコラボした、タクアンなどとは方向のちがう軽快な感じの東京生まれの漬物です。

我が家では、「べったら漬け」は夏から秋は北海道産の大根で、寒くなると、もっと南の産地の大根を利用します。

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下は、以前、お世話になった方に送った北海道産大根を使った自家製「べったら漬け」の納品書の写し。そこには「賞味期限」と書きましたが「消費期限」のほうが適当だったかもしれません。

というのも、食べものの期限表示には「消費期限」と「賞味期限」があり、通常は、品質の劣化が早いものは「消費期限」、品質の劣化が比較的緩やかなものは「賞味期限」を記載しているからです。でも「べったら漬け」は一応は漬物で、冷蔵庫保管だと2週間は大丈夫なので、やはり「賞味期限」でよかったと思います。

数日後に先方から届いたメールには、「おいしいので2日間で食べ切った」とあり、どちらの「期限」でも大丈夫でした。

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2019年6月10日 (月)

札幌の6月の踊り

6月は北半球では夏至の月です。北欧など年間を通して太陽の光の量が少なく昼間の長さが短い地域では、太陽がいっぱいということ自体が至福なので、夏至を祝う祭りが存在します。南欧や瀬戸内など、冬でも太陽がいっぱいの地域ではそういうお祝いはおそらく発生しない。似合いません。

「よさこいソーラン祭り」という不思議な踊りを大きなグループ単位で踊るお祭りがあります(比較的大きなグループ単位で踊るのは「阿波踊り」と同じ)。今年は28回目で、開催期間は6月5日(水)~9日(日)でした。

最初に始めた人たちがどう考えていたかはわかりませんし、その後、それを運営しそれに参加している人たちがどう感じているかわかりませんが、ぼくの勝手な位置づけでは「よさこいソーラン祭り」は札幌で30年近く前に発生した夏至のお祭りです。

個人的には奇妙な(と感じられる)種類の、好きになれない、見ていて飽きてしまう種類の踊りのお祭りですが(最近はバカ騒ぎはなくなった)、秋をわずかに感じさせる8月には似合わない。太陽神を愛でるところの夏至をこれから迎えるにふさわしい踊りです。

踊りや音楽の素材が、高知県生まれの「よさこい」と北海道のニシン漁の漁港生まれの「ソーラン節」のコラボなので、「よさこいソーラン」と命名されていますが、外国人観光客にはこの踊りのお祭りを「midsummer feast」や「summer solstice celebration」と説明するほうがわかりやすいかもしれません。しかし、夏至というものの存在価値が少ない中国南部や東南アジアからのお客は、そういう説明を聞いても、「あ、そう」で済ましてしまいそうです。

8月は札幌でも盆踊りです。盆踊りは月(ムーン)と適合的です。

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2019年6月 7日 (金)

冬越しも想定して山椒を育成中

野菜売り場に「和歌山産の実山椒」が並んでいました。「北海道産」もそのうち、ゆっくりと登場します。北海道では山椒は栽培できないと思っていましたが、実際には、北海道の南半分くらいでは山椒の木は生育可能だそうです。そうでないと北海道産の実山椒が8月に店頭に姿を見せることはありません。

下の写真が「実山椒」です。体は小さくても才能や力量が優れていて侮れないことのたとえとして「山椒は小粒でもぴりりと辛い」といいますが、その山椒です。その小粒でもぴりりと辛い実山椒を水で煮てアクをとり、ガラス瓶に塩漬け保存しておくといつでも料理、たとえば、ちりめん山椒作りなどに使えます。

_-s_1  実山椒(水洗い中)

自宅で実山椒を収穫するつもりはさらさらないのですが、木の芽(山椒の若芽)を使った料理は簡単に作れます。たとえば、時期を過ぎましたが「筍(たけのこ)ご飯」。木の芽は香りを味わう日本のハーブなので「筍ご飯」にはその特徴がうまく生かされています。その特徴を活用した調味料であるところの「木の芽味噌」も作る予定です。木の芽をすりこぎで細かくすって白味噌(白味噌は自宅で簡単に作れます)と合わせれば、「木の芽味噌」が完成します。「木の芽味噌」にはたくさんの木の芽を使うので、山椒を育成中です。冬越しも視野に入れていますが、どうなることやら。

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白味噌に関する最近の関連記事は「白味噌も年に一度くらいは自家製を楽しむ」それから「続・白味噌も年に一度くらいは自家製を楽しむ」。

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2019年6月 6日 (木)

札幌市内の熊と小さな笛

ぼく自身は、札幌で熊(北海道の熊はヒグマ)に遭遇したことなないのですが、藻岩山(もいわやま)という札幌市内の標高500メートルくらいの山(札幌市内と日本海を見渡したくなったときの休日の散歩コース)の頂上にロープウェーとケーブルカーで到着し、頂上付近を散策していた時に写真のような「熊出没注意 札幌市」の看板に出会ったことがあります(写真は一昨年の秋)。

H291024 

札幌市のウェブサイトに「札幌市ヒグマ出没情報」というコーナーがあり、そこから一昨日までの6月分(6月1日から6月4日まで)の出没情報を引用してみると以下のような具合になります(4日で6件)。

201906 

藻岩山や定山渓温泉のある南区では出没情報や目撃情報が多いのですが、南区と隣り合った清田区の市街地でも(たとえばコンビニのそば)ヒグマは散歩を好むみたいです。餌を捜しているのかもしれませんが。

4月下旬(1ヶ月半ほど前)に清田区の市街地にヒグマが現れたときはその映像がテレビでも流されました。スポーツクラブ勤務の青年と話していると、「テレビに映っていたコンビニはぼくがよく行くところです。あまりニュースにはなりませんが、熊はぼくの住んでる近所によく出没していますよ。」

写真は、緊急連絡用の笛(警笛)です。長さが4㎝の小さい笛ですが、強い息で吹くと高音で大きな音が出ます。災害でどこかに閉じ込められた時に外部への所在連絡用になるし、女性なら痴漢撃退用に使えるし、また熊と遭遇した時にもピーと吹いて安全を確保することができます。普通の世慣れていない熊ならと突然の大きな警笛音に驚くに違いない。しかし、人里慣れしているベテランの熊なら・・・?使う機会はないほうがいい。

4cm 

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2019年6月 5日 (水)

イカは生では食べない?

日本は世界一のイカ消費国だそうです。これは直感的に納得できます。ただし、イカの漁獲量が世界で圧倒的に多いのは中国、次いでペルー、日本の漁獲量は7番です(FAOデータ)。

北海道で獲れるイカは「スルメイカ」と「ヤリイカ」ですが、イカに関して道産子(北海道生まれの人たち)の特徴は、

① 生のイカの皮を素手で剥くのが天才的にうまい
② 生のイカをとても好む地域と、生のイカは決して食べない地域に分かれている。生のイカは食べないとは、焼くとか煮るとか揚げるとか熱を通したものだけを賞味するということで(この中には干したのを焼くのも含まれる)、おそらくは寿司と塩辛を唯一の例外として、生のイカは口にしない

と、まとめるといささか乱暴すぎるかもしれませんが、料理好きな、海に近い北海道東北部出身の知り合い女性と話してみると、その断定がますます確かなものに見えてきます。

「生のイカは口にしない」ということはイカの刺身を食べないということで、「おそらくは寿司と塩辛を唯一の例外として」という想定も間違っているかもしれません。その理由を聞くのも失礼なので、無理に尋ねることはしなかったのですが、彼女のまわりは皆さんそうらしい。イカの刺身の好きな我が家とはずいぶんと違います。イカはアニサキス寄生虫の宿主で、アニサキスは醤油や酢やワサビでは死滅しません。アニキサス対応には加熱料理が望ましい。おそらくそれが生で食べない理由だと思われます。

だから、〈「身が透き通っている」「今まで食べたことがある食感と全然違う」「コリコリしている」......。函館を訪れた人が、いかの刺し身を食べた際に思わず発する言葉です。〉(函館市公式観光情報サイトより引用)という函館のイカの刺身文化とはずいぶんと違います。保存料を使っていない、したがって消費期限のとても短いイカの塩辛や松前漬けを楽しむ松前の食文化ともずいぶん違う。

北海道南西部はイカの生食文化、北海道の東部や東北部はイカの加熱料理文化。函館の「がごめ昆布」と羅臼の「羅臼昆布」も食べ方や料理での使われ方がずいぶんと違いますが、それ以上に違うようです。

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2019年6月 4日 (火)

気になるルッコラ

今年は、今までのところは、ルッコラの生育速度が相当に悪いようです。だいたい葉がいつものルッコラらしくない。気になります。

上の写真は今年(2019年)の4月29日の種蒔きから34日目、6月2日(日曜日)の朝のルッコラの様子です。

下の写真は5年前(2014年)の5月31日で、今年とほぼ同じ日付。写真メモによればその日の夕方がその年の最初の収穫で、その夜の野菜サラダの一部としてさっそくおいしく食べたらしい。

今年は生育が悪いのは何故か?暑い5月と言われながら、実際は5月の平均気温は低かったのか?今年のタネはたまたま出来の悪いタイプだったのか?土は新しいのを使ったので問題ないはずだが、地中養分が何かの理由で不足しているのか?けっこう薄くしたはずだが途中で遣った肥料が余計だったのか?水を遣り過ぎたのか?簡単に育つはずのルッコラがそうでないのでいろいろと考え込んでしまいます。

配偶者と協議したところ「どうも、原因はタネね」。今のタネとは別のところから新しいのを買うことにしました。現在生育中のものは、食べられるところを食べてしまい、また種蒔きです。

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2019年6月 3日 (月)

「前項の航空機については、航空法第六章の規定は、適用しない。」

次のような報道がありました。

「5月30日夕方、長野県佐久地方で、低空飛行する航空機2機の目撃情報が相次いだ。極めて低い高さを飛行し、自衛隊機ではないこともわかっていて、住民からは、不安の声が上がっている。

30日午後5時半頃の佐久市役所に設置された情報カメラの映像。画面を右から左に横切るように、住宅地の上を2機の航空機が飛行している。高度は200メートルほどだっとみられる。

長野地方協力本部によると、映像を解析した結果、機体は「C-130」と呼ばれる輸送機で、プロペラの形状から、米軍機とみられるという。」

飛行機に、それも米軍軍用機に日本の市街地上空を(米国国内では厳格に禁止されている高度で)低空飛行されるとその傍若無人ぶりと危険性に腹が立ちますが、これが日本において法的に問題かどうか、「事実の確認」風に確認してみると、次のようになります。

これは航空法に関する問題なので、「航空法」「第六章 航空機の運航」「第八十一条 最低安全高度」を見ると

(最低安全高度)

『第八十一条 航空機は、離陸又は着陸を行う場合を除いて、地上又は水上の人又は物件の安全及び航空機の安全を考慮して国土交通省令で定める高度以下の高度で飛行してはならない。但し、国土交通大臣の許可を受けた場合は、この限りでない。』

では、「国土交通省令」で定める「航空法施行規則」はどういう内容かを見ると、

(最低安全高度)

『第百七十四条 法第八十一条の規定による航空機の最低安全高度は、次のとおりとする。

一 有視界飛行方式により飛行する航空機にあつては、飛行中動力装置のみが停止した場合に地上又は水上の人又は物件に危険を及ぼすことなく着陸できる高度及び次の高度のうちいずれか高いもの

イ 人又は家屋の密集している地域の上空にあつては、当該航空機を中心として水平距離六百メートルの範囲内の最も高い障害物の上端から三百メートルの高度

ロ 人又は家屋のない地域及び広い水面の上空にあつては、地上又は水上の人又は物件から百五十メートル以上の距離を保つて飛行することのできる高度

ハ イ及びロに規定する地域以外の地域の上空にあつては、地表面又は水面から百五十メートル以上の高度』

従って、「人又は家屋の密集している地域の上空にあつては」「高度は200メートルほど」での飛行は明らかに航空法違反です。

ところで、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定及び日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定の実施に伴う航空法の特例に関する法律」(1952年7月15日施行)という特例法があり、その内容は、

『日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定及び日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定の実施に伴う航空法の特例に関する法律

3項

前項の航空機(【註】米軍機と国連軍機のこと)およびその航空機に乗り組んでその運航に従事する者については、航空法第六章の規定は、政令で定めるものを除き、適用しない。』

つまり、米軍機のC-130は佐久市の上空を好きな高さで飛ぶことができるというわけです。沖縄上空を各種の米軍軍用機(戦闘機や輸送機やオスプレイや軍用ヘリなど)が航空法の制約なしに自由に飛行しているのと同じことです。「前項の航空機については、航空法第六章の規定は、適用しない。」国内法の存在価値がないので、治外法権状態とも言えます。

なお「日本本土における米軍機の低空飛行訓練ルートとエリア」は以下の通りです(この資料は、衆議院議員 塩川鉄也氏のウェブサイトから引用)。

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関連記事は「日本国憲法九条と日米安保条約がいっしょになった場合のわかりやすさとわかりにくさと、『空母いぶき』という映画」。

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