« キュウリ(胡瓜)雑感 | トップページ | 少し不気味なスズラン »

2019年6月26日 (水)

札幌と、『荒地』の書き出し部分の季節感

以下はT・S・エリオット『荒地』 (The Waste Land, 1922) の第一部「死人の埋葬」の書き出し部分です(吉田健一訳)。

「四月は残酷な月で、死んだ土地から
リラの花を咲かせ、記憶と欲望を
混ぜこぜにし、鈍った根を
春雨で生き返らせる。
冬は何もかも忘れさせる雪で
地面を覆ひ、干からびた根で少しばかりの生命を養い、
それで我々は温くしてゐることが出来た。
夏は俄か雨となってスタルンベルガエゼを渡って来て、
我々を驚かせた。我々は柱廊の所で立ち止り、
日光を浴びてホフガルテンに出て行き、
そこでコオヒイを飲んで一時間ばかり話をした。」

札幌に住んでいると引用した詩の季節感を、表面的には、よく理解できます。著者の土地(英国)の緯度は札幌よりも高く(従って夏の日は長く)、しかし暖流の関係で冬は札幌よりも暖かいのですが、英国と札幌は季節の雰囲気が似ているのかもしれません。

「四月は残酷な月」の「残酷」の意味が、「その月」がもはや冬でもないけれど、しかしまだまだ寒くてとても春とは言えない、春の暖かさを期待しているのに毎日のように裏切られてしまう、そんな中途半端な感じなので「残酷」だ、というのでしょうか。

「冬は何もかも忘れさせる雪で地面を覆ひ」は確かにその通りで、冬は地面がどこまでも雪と氷で覆われます。でもその「死んだ土地」に「春雨」(根雪を溶かせる雨)が降ると、「死んだ土地」から「リラ(ライラック)」が、冬の「記憶」と春への「欲望」を「混ぜこぜにして」5月半ばに薄紫色の花を咲かせ始めます。

そして、翌月にはニセアカシアの白い花が続き、短い夏が俄かに、ちょうど「俄か雨」が来るようにやってきます。

「死んだ土地から、リラの花を咲かせ、記憶と欲望を混ぜこぜにし、鈍った根を春雨で生き返らせる。」

こうした瞬間の連なりがゆっくりと、しかし気がつけば急に動いているのを実感できるのは札幌に生活することの楽しみのひとつです。

 

人気ブログランキングへ

|

« キュウリ(胡瓜)雑感 | トップページ | 少し不気味なスズラン »

季節と時節」カテゴリの記事

植物と花」カテゴリの記事

存在が花する」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« キュウリ(胡瓜)雑感 | トップページ | 少し不気味なスズラン »