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2019年8月

2019年8月30日 (金)

平飼い有精卵が選り取り

ある農家の「平飼い有精卵」の6個入りパックのなかに、手書きの文章をコピーして短冊風(あるいは栞風)にカットしたのが入っていました。そのまま引用します。
 
「朝夕はずいぶんと涼しくなってまいりましたね。先日農場で蛍を見つけました。蛍を見ていると環境に負荷の少ない取り組みを応援してくれているようにも思えました。このような取り組みができるのも皆さんのお陰です。本当にありがとうございます。(農場名)(代表者名)」
 
平飼いとは、下の写真のような飼い方のことです。北海道の農家は広いので鶏を地面で遊ばせておく。狭い団地のようなケージには閉じ込めない。写真は上の農家のウェブサイトからお借りしました。
 
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農家によって何を鶏の飼料(エサ)にするかはそれぞれに差がありますが、北海道で暮らすことのありがたいところは、ご近所野菜売り場の中の鶏卵コーナーの棚に「平飼い有精卵」が5種類ほど並んでいることです。5種類というのは5つの違う鶏卵農家からやって来たのがそこで買い手を待っている、という意味です。
 
たとえば、下のラベルの鶏卵を出荷している農家では、鶏用の飼料は
 
「北海道産を主体とした(一部国産を含む)米、大豆、牡蠣(カキ)殻、魚粉などの自家配合飼料と青草・野菜などを食べて育ちました」となっています。コメも大豆も牡蠣も魚も青草も野菜も全部北海道産が手に入ります。野菜なんかは自分で栽培するし、青草もそのあたりに自生しています。
 
北海道産以外の国産飼料は一部は含まれるかもしれませんが、外国産(たとえば米国産)のトウモロコシや大豆はまったく含まれていない。だから、消費者はラベルを読んで自分が鶏に食べてほしいという種類のエサで育った平飼い有精卵を買えばいい。本質的なことではありませんが、コメをよく食べる鶏の黄身の色は淡くなり、ニンジンや黄色いトウモロコシをよく食べると黄身はオレンジ色になります。
 
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いろいろと不可思議な政治文脈で「食べて応援」という言葉が溢れていたことがありましたが(今でも一部そうですが)、そういう文脈ではなく、消費者目線の非常に真っ当な意味でこういう鶏卵農家の卵は「食べて応援」だと思われます。


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2019年8月29日 (木)

夏の街並み、昼下がりと夕方と

下の2枚の写真は徳島県の脇町という「うだつ」の上がった家々が連なる街並みです。最初の写真では隣り合った二軒にそれぞれ「うだつ」が上がっていて、左の家の軒先では風鈴が揺れています。8月20日の暑い昼下がりの街並みです。
 
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山口県の柳井では毎年8月13日に「金魚ちょうちん祭り」というのがあり、本祭りの13日を挟んで8月の約1ヶ月間、古い街並みに金魚の提灯が吊り下げられます。可愛らしい金魚です。(写真は「OVO 柳井金魚ちょうちん祭り【絶景NIPPON】」からお借りしました。この場を借りてお礼申し上げます)
 
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「うだつ」の街並みにこの金魚の提灯を端から端まで吊るしたらどんな夏の夕方の風景になるか。そういう街並みのない札幌というところに住んでいるので、そんな勝手な想像をして愉しんでいます。軒下のないススキノに無理やり吊るしても、この風情はでません。


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2019年8月28日 (水)

小腹が空いたら個別包装の小ぶりな切り餅と甘酒

北海道はぼくたちが炊いて食べる普通のコメ(粳米、うるち米)の一大生産地ですが、糯米(もち米)の主要生産地でもあります。「はくちょうもち」や「きたゆきもち」が代表的な品種で、北海道のやや北部の上川(かみかわ)地区が生産の中心地です。細かくは名寄、風連、士別。
 
赤飯(おこわ)が好きな東京の知り合いから、最近は北海道産の「もち米」を使っていると聞きました。ご近所のスーパーマーケットの棚に最近は北海道産が常に並んでいるからだそうです。
 
小腹が空いたら、個別包装の小さなサイズの切り餅が便利です。原料は当然のことながら北海道産のもち米。小さな切り餅を横に二つに割り、グリルだと4分くらいで表に淡い焦げ目がつくのでひっくり返して2分弱。湯を沸かしている間に焼きあがります。ぼくは、自家製の味噌少々といっしょに食べるのが好きで、それに自家製の甘酒(をミキサーで細かくしたの)が加わるとちょっと贅沢なおやつになります。
 
大根の季節の「べったら漬け」には甘酒が必須なので甘酒はよく作ります。甘酒に使うのは一般的には「うるち米(白米)」と「米麹」ですが、「うるち米」でなく「もち米」を使ったほうが柔らかい甘さになるので、最近はもっぱら「もち米」バージョンの甘酒です。
 
以前にも書いたことですが甘酒は夏の季語で、「べったら漬け」には「コメのつぶつぶ」のままの甘酒を使い、「甘酒」という名の飲みものとして楽しむときはミキサーで「つぶつぶ」を小さく砕きます。その方が飲みやすい。

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2019年8月27日 (火)

また遺伝子組み換えトウモロコシの輸入ですか

以下のようなニュースが眼に入りました。

『日本、米産トウモロコシ輸入へ=米中対立の余波-首脳会談』

『トランプ米大統領と安倍晋三首相は(8月)25日の日米首脳会談で、日本が米国の余剰トウモロコシを購入することで一致した。米中の貿易摩擦が激化する中、米国産穀物の対中輸出は厳しい状況となっており、日本企業が代わりに引き受ける形となる。トランプ大統領は安倍首相が米国産トウモロコシを輸入することに同意したと指摘。安倍氏は民間企業に対する輸入支援措置を検討する意向を示した。トランプ氏によれば、日本のトウモロコシ輸入は「数億ドル(数百億円)規模」に上るという。』(時事通信 2019/08/26)

世界の四大主食は、米、小麦、トウモロコシ、そして、イモですが、それらは、生産量も生産消費地域も以前からだいたいきれいに棲み分けがされていて、その状態は現在もあまり変わらない。

つまり、世界の地域的なかたまりごとに、

・「米を炊く、ないしは蒸す」
・「小麦粉でパンやナンを焼く」
・「すり潰したトウモロコシでトルティーヤを焼く」
・「乾燥させたイモの粉を粥や団子風にして食べる」

といった主食文化がそれぞれに独立するような感じで存在しています。それぞれの年間生産量と主な生産消費地をまとめると(以下の年間生産量に関してはFAOSTAT 2012より)

・米         年間生産量は約7億トン 主な生産消費地はアジア
・小麦      年間生産量は約7億トン 主な生産消費地は欧米と中近東
・トウモロコシ 年間生産量は約9億トン 主な生産消費地は中南米
・イモ       年間生産量は約7億トン 主な生産消費地はアフリカ

トウモロコシに限ってもっと新しいトウモロコシの年間生産量を参照すると、ほぼ11億トンです(USDA/FASの2018/2019年度予測値)。国別の年間生産量とそのシェアは、

・米国             3億7152万トン 33.8%
・中国             2億5600万トン 23.3%
・ブラジル        9450万トン  8.6%
・アルゼンチン   4250万トン  3.9%
・ウクライナ      3500万トン  3.2%
・世界計         10億9991万トン

その四大主食はヒトが食べるものですが、その四つのうちでヒト以外にもとても人気なのが家畜や家禽(鶏など)の飼料に使うトウモロコシです(それから大豆)。

そのトウモロコシの生産量が圧倒的に多いのが(上の数字からわかるように)米国と中国。中国は自国生産分だけでは自国需要に間に合わないので米国から輸入しています。米国はトウモロコシのような自分ではとくには食べない穀物を輸出目的で生産するのが好きな国です(コメと同じです、もっとも、トウモロコシは近ごろはファストフード店ではよく使われていますが)。

で、今回、いつものように、『米中の貿易摩擦が激化する中、米国産穀物の対中輸出は厳しい状況となっており、日本企業が代わりに引き受ける形となる』となったわけです。

トウモロコシの季節」で書いたような北海道産のおいしいトウモロコシ(トウキビ)とは違って、米国産のトウモロコシは80%以上が、米国産の大豆は90%以上が遺伝子組み換え品種です。だから今回の合意の結果米国から入ってくる数百億円規模のトウモロコシもすべて遺伝子組み換えです。輸入後にそれが加工食品の一部として直接ヒトの口に入るのか(コーン油、コーンスターチ、コーンミール、コーンシロップなど)、飼料として家畜や家禽の胃袋に入った後間接的に牛肉や豚肉や鶏肉としてヒトの体内に入るのかはわかりませんが、まあ、そういうことです。ヒトの身体は食べたものや、食べたものが食べたもので作られます。

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蛇足ですが、米国ホワイトハウスのウェブサイトで今回の二人の会談内容についての発言(Remarks by President Trump and Prime Minister Abe of Japan After Meeting on Trade | Biarritz, France)に目を通すと、上に引用した記事には書かれていない安倍首相の不思議な発言に出合います。

彼によれば「現在、日本の農産物に害虫被害が出ているので、トウモロコシのような農産物を緊急輸入する必要がある」そうです(淡い黄色を付けた部分)。ひょっとすると彼は、「遺伝子組み換えでない農産物は害虫に弱いので、遺伝子組み換え技術によって害虫耐性をもった米国のトウモロコシを緊急輸入することが必要である」とおっしゃりたかったのかもしれません。害虫耐性を持った農産物とは、それを食べた虫が死んでしまうような仕立ての農産物のことです。

PRESIDENT TRUMP: Perhaps you may want to discuss the additional purchase of all of that corn, because we have a tremendous amount right now.  (中略)  So perhaps you could say a couple of words just about the hundreds of millions of dollars of corn — existing corn — that’s there, that you’ll be buying.

PRIME MINISTER ABE: (As interpreted.) So with regard to the potential purchase of American corn, in Japan we are now experiencing inspect pest on some of the agricultural products. And there is a need for us to buy certain amount of agricultural products. And this will be done by the Japanese private sector. That means that Japanese corporations will need to buy additional agricultural products. And we believe that there is a need for us to implement emergency support measures for the Japanese private sector to have the early purchase of the American corn.


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2019年8月26日 (月)

指定ゴミ袋はスマホでは買えない?

たとえば、おにぎりと飲みものとそれからついでに地方自治体指定のゴミ袋を近くのコンビニまで買いに行く若い男性や若い女性は少なくないと思います。彼や彼女が携帯するのはスマホだけで、とうぜん財布は持ちません。買い物は大丈夫でしょうか?

スマートフォンというプラットフォームを使って小口の不用品取引をしたりすると仮想の小口現金やおまけポイントなるものがたまってきます。それを手数料をかけて別の場所に動かすのも面倒なので、それをそのまま使ってしまいたいと考えます。最近はそういう仕組みが充実してきました。そのような場合、とくに買いたいものもないのでそういう購買力は日々の必需品の購入に回すのが妥当です。だから、近所のコンビニで、日々の必需品のひとつであるところの札幌市指定のゴミ袋をQRコード決済で購入しようと某ナショナルブランドのコンビニに向かいました。

レジでお店のベテラン風の女性から言われたのは「ゴミ袋はダメだと思います」。ぼくが怪訝な顔をしたのでお店の人は、ゴミ袋がそういう決済の対象外なのはあたりまえなのだけれどそういうことがよくわかっていないお客もいる、この人も一応お客なので怒らせても何なので「なんなら実際にいっしょにやって見ますか?」

で、実際にいっしょにやって見ると確かにQR決済の対象外のようです。詳しい理由は聞きませんでしたが、地方自治体指定のゴミ袋は、ビールやお菓子やおにぎりとは違って市のゴミ収集作業というサービスの対価を買うということなので、つまり通常の商取引と違うので、「ゴミ袋は現金でお願いします」ということのようです。現金で購入しました。

それでは今回のQRコード決済のおためし実験が完結しないので、330mlペットボトルのミネラルウォーターという日々の必需品に準ずるものを何本かレジまで持ってきて、当該キャッシュレス決済を終了しました。

ぼくは、スマホを決済に利用することの便利さに依存してしまい、そういう情報プラットフォームに一消費者として知らず知らずにロックインされてしまうような状態をあまり好ましいとは思っていません。スマホ取引のようなインターネット取引には、その最中でもそのあとでも、各社のよくできたマーケティングツールが押しかけて来ます。それらが押しかけて来たとしても必ずしもロックイン状態に陥るとは限りませんが、そういう危険性には確実に晒されます。

そういう意味では現金の持つ無名性には価値があり、だから無名媒体であるところのキャッシュの利用もそれなりに好きで、だからマーケティングツールの跳梁を鬱陶しいと感じるときやそのあたりでのちょっとした買い物をするときは、ゴミ袋も含めて、現金が便利です。スマホを使おうとは思わない。キャッシュレス決済は用途によって使い分ける少数のクレジットカードと、それから公共交通機関発行の電子マネーカードがあればたいていの状況でこと足りますし、そうすることである程度は自分の情報が勝手に利用されるリスクの範囲が限定できます。もっとも最近のマーケティングツールは情報の追加収集と新たな関連付けや誘導が上手なので、ぼんやりしていると消費者は裸にされてしまいます。

さて、地方自治体の指定ゴミ袋を「簡単に」スマホ決済する方法はあるのかないのか。ダメだった某ナショナルブランド・コンビニと競合している別の大手コンビニならITシステムが違うのでその処理がうまくいく可能性がありますが、そこまで時間をかける類のことではありません。

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2019年8月23日 (金)

短編の集まりとして読むと味わい深い「無為で閑適な生活」小説

吉田健一の小説は、単行本や文庫本のページ数が二百ページくらいの、四百字詰め原稿用紙だと三百枚くらいの日本における一般的な分類上は長編小説になるもの(たとえば「金沢」や「絵空ごと」など)も、登場人物やストーリーがお互いになんとなく関連しているようなしていないようないくつかの短編の集まりとして読んだ方が、話の筋の展開を気にする必要もなくてその分個々が味わい深いかもしれません。

たとえば「4」(第四章とは表記されていないことが多い)を開いて読み始めて、そのまま物語の展開に入っていって気が付けば「4」の終りになっていたら、そこで止めてもかまいません。「3」や「1」に戻る必要は必ずしもない。彼の小説はエッセイみたいなもので、わくわくするようなストーリーがあるのではないので、そういう読み方で差し支えありません。長編小説は短編小説集です。あるいは複数の物語風エッセイで構成されるエッセイ集とも言えます。

吉田健一が、実際になかばそういう世界に住んでいて、そしてその連続や拡がりを小説の中でも目指していたのは「無為な生活」あるいは「閑適な生活」だったようです。

それがどういう生活かというと、「実際に一つの、或は幾つかの職業に携わっていても或はいなくても外見には閑人であること、或は少なくとも何をやっているのか解らない人間であることが大切だった。・・・如何にも役人らしい役人だとか画家らしい画家だとかいうのが日本、それも今の日本人に限られた現象で、それ以外の場所で職業が顔に書いてある人間などというものは先ずないことだった」(「絵空ごと」)、そういう生活です。知の水準の高い「高等遊民」の生活とも言えるので、そういう「無為な生活」についてのおしゃべりに拒否反応を起こす人たちも少なくないかもしれません。

しかし、そういう生活を描いた彼の幻想的な小説やエッセイにおいて特徴的なことは、自然と人間の間に境がないということ、そして過去と現在が連続して一体化しているということです。こういう世界はすでにどこかで描かれているようであまり描かれていない。

時間(過去と現在の連続)に関して言えば、たとえば「現在の領分が過去まで拡つてゐるのが、我々が生きてゐるといふことなのではないだらうか。それならば、男は生きてゐた」(「逃げる話」)という具合です。

人と自然が地続きであることについては、「誰も行ったことがない海に誰か行っても海はいやがりはしないんですよ、人間を見て人間に姿を見せるのも自然がすることのうちなんですからね。」(「金沢」)

それから、人と自然が地続きであることと過去と現在が連続していることの両方について言えば「『貴方が私には見えてこうして二人で日が差している川の傍らにいてこれが過去でも現在でもなくてその両方であることがこれが現在である証拠なんですから。』そうすると相手が又椀に川の水を汲んで内山の前に置いた。」(「金沢」)といった按配です。同じような表現、似たような描写が彼のそれ以外の作品にしばしば登場します。

以下は老子と荘子からの引用です。

『道のいうべきは、常の道にあらず。名の名づくべきは、常の名にあらず。名無きは、天地の始めにして、名有るは、万物の母なり。・・・玄のまた玄、衆妙の門なり。』(老子)

『むかし、荘周は夢に胡蝶(こちょう)となる。栩栩然(くくぜん:ふわふわするさま)として胡蝶なり。・・・知らず、周の夢に胡蝶となるか、胡蝶の夢に周となるかを。』(荘子)

この二つを混ぜ合わせて頭の中でぼんやりとした出発点とし、その出発点のイメージを現代の(たとえば日本の昭和という時代の)流れと風景の中で、吉田健一流の同語反復の多いくねくねした文体と時間感覚で小説風に膨らませると、自然と人間が地続きになり過去と現在が一体化した「金沢」のような幻想的な作品が出来上がります。

そういう作品の欠点は、読む側がバタバタしているときには楽しめないことです。だから、長い小説が短編の集まり風というのは結構ありがたい。

 

  

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2019年8月22日 (木)

山椒の生命力と今年最後のルッコラ

香りの強い柔らかい葉は取りつくしたし、硬い葉が茂ったのをそのままにしておいても何かしようとすると山椒の鋭い棘で指を傷つけることあるので(実際のところ棘で何度かひどい目に合った)、棘のない一本を残して、棘ありタイプは数本全部を思い切って根元から剪定鋏で切ってしまいました。そのあとどう処分するかは後日考えるというわけです。

残った棘無しタイプのために水遣りを続けていたら、棘ありタイプはすべて切り株から緑の新芽が出て来て、今や写真のような状態です。生命力の強さというかその元気さにいささか驚いています。一方、棘無しは元気がなくて新しい葉を収穫する見込みもないので、根元から切り取ってしまいました。いちばん手前の新芽が出てないのが棘無し山椒です。

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元気いっぱいなので年越しをさせる予定です。彼らが札幌の雪と寒さの冬を乗り越えられるかはどうかわかりません。

今年は、誰でも簡単に栽培できるはずのルッコラで苦労しました。恐らく今年最後の種蒔きになるはずのものがあと数日から一週間でたべられる状態になってきました。棘あり山椒の元気を分けてあげたいのですがそういうわけにもいきません。ピリッと辛いのを数日間は野菜サラダの具材の一部として味わってそれでおしまいですかね。

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2019年8月21日 (水)

40~50年くらい前に出版された中古本を買う楽しみ

そういう中古本は通販経由やオークション経由で買うしかないのでそういう経路で必要な中古本を買うにしても、中には素性のいいのがあって、確率は低いですがそういう本とめぐり合う僥倖もあります。

出版されたあと取次店経由でそれなり規模の書店に運ばれ、そこの店頭に置かれていたのでしょうが、売れないので、出版社に戻ってきたか何かして、でも読者の本棚まで旅することはなくて、いくつかの古本流通を回りまわって結局どこかの街の古本屋さんの在庫になって眠っていたところ、出版から40年たって、やっと一般読者から注文が入り彼の手元に届いた・・・今回届いた本の歴史を要約するとそんな具合でしょうか。

外箱はやや汚れていますし小さなシミがありますが、1980年出版の個人全集本の一冊らしく作りが丁寧です。本体や本文はきれいで、箱に入っていたので紙に経年変化の後もあまり見られません(ただし箱に入っていても出版社によっては紙がしっかりと薄茶に変色しているのもあります)。

本が著作集や全集の一冊であるような場合で、またそれが流通経路だけを動いていたような場合は、月報や出版社のその月の出版案内や取次店(書籍や雑誌を出版社から仕入れて書店に卸している本の問屋)への本の注文書も挟まれていたりもします。

またそれほど古くない専門書に近いような種類でたくさんの部数が印刷されるとはとても思えない本で、「謹呈  □□書店」という栞(しおり)風の紙が表紙を開いたあたりに入っていたこともありました。その本の持ち主がお亡くなりになり、そのあと蔵書が大量に神田かどこかの古本屋に流れて、そのうちの一冊が古本の注文主であるぼくのところにやってきた・・・そんな想像をしています。

中古本にはそれなりに物語があります。

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2019年8月20日 (火)

サングラスの効用

知り合いの女性は、以前から、自分で車を運転するときはサングラスをかけています。サングラスがふさわしくない時間帯や天候の時は利用しませんが、そうでないときは、おとなしい色形のサングラスではなく、扱いにはちょっと気をつけないといけない相手かも知れないと思わせるデザインの濃い目のサングラスを愛用しています。そのほうが、見知らぬ車の対応がそれなりに丁寧になるからだそうです。

最近はやりの「あおり運転」の報道を見たり読んだりすると、彼女の考えと行動がある程度は正しいようです。「あおり運転」の実行者は、ターゲットに対して「あおり効果」を発揮することが目的ですから、どんな対象にでも「あおり」を仕掛けるわけではありません。自分よりも弱者であると瞬間的に判断した相手は安心してあおれます。

ダンプカーの運転にイラっとしたからといってそれがナンバープレートもよく見えないほど薄汚れた砂利運搬ダンプであるような場合、あるいはそれが派手に飾り立てた長距離運送用の大型トラックで怖そうな金髪のオニーサンがハンドルを握っているような場合は、一般の乗用車は、そうした相手にイラっとしたからといって、すぐさま「あおり行動」に移れるわけではありません。なかにはリスク覚悟のワルもいるかもしれませんが、「あおり」の結果、万が一ぶつかったら相手が絶対強者になるという判断はそう難しいものではないので、「あおり行動」への移行にブレーキがかかります。

その場で弱者と判断した相手だとあおり行動への躊躇がなくなるとして、相手が(最近ときどき見かけるところの)茶髪の若い女性が運転する大型トラックの場合はどうでしょう。弱者でしょうか。あるいは、ひょっとして怖そうな筋と縁があるかもしれないという雰囲気のサングラスをかけた一般乗用車を運転する女性だとどうでしょう。弱者でしょうか。「あおり運転」のターゲットとして扱いやすいでしょうか。「あおり君」や「あおりオヤジ」は瞬間的な判断に迷うところだと思います。

そういうことなら、知り合いの女性の運転中のサングラスは一定の抑止効果を有していることになります。もっとも、「あおり行動」の主がよほどのワルで粘着質なら、これは国際政治と同じで、通常に想定される抑止効果は期待できませんが。

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2019年8月19日 (月)

きんぴらゴボウの翌朝は包丁研ぎ

包丁の主たるユーザーは配偶者でぼくは副次的な利用者ですが、包丁研ぎはもっぱらぼくの役割です。包丁は定期的に研ぎますし、当方のリクエストできんぴらゴボウなどをいっぱい作ってもらった後は包丁の刃がゴボウの硬い繊維で確実に傷むので、そのままにしておくと他の食材の切れ味が悪くなる。きんぴらゴボウの翌朝は早朝からその包丁を臨時に研ぐことになります。

包丁の切れ味に点数をつけて貰っています。「恐ろしいほどよく切れる」というのを100点満点とすると、そういうのは年に一度くらいはあるのですが、たいていは80点から85点くらいの評価です。気を遣ってもらって90点。

研ぐときのストロークを長くし、刃が砥石にあたる角度も一定に保つようにしている積りですが、切れ味に差が出るのはそのあたりにバラツキが出るのでしょう。「今日は恐ろしいくらいよく切れる」と評価されても、研いだ本人にはどうしてその日はそういう特別な仕上がりになったのか、いつもと同じことをしている積りなのでその理由がよくわからない。

しかし、そういうバラツキはあっても研いだあと刃先をすっと指の腹で撫でて味わう刃の感触は、たかが家庭用の包丁ではあってもなかなかにいいものです。

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2019年8月16日 (金)

台風レポーターが現場で静かになる時

札幌でも、今朝は5時過ぎからけっこう強い雨が降り始めました。風もあるし午後は強くなるという予報なので、ルッコラやバジルや青紫蘇はプランターと鉢植えを壁際に寄せて保護してやります。

台風10号の報道を見ていると、いつものことですが、現場のレポーターというのは、その場のリアルタイム映像が視聴者に同時に届いているにもかかわらず、現場の状況を視聴者に大げさに伝えたがるもののようです。全般的な気象庁の予報や警告や勧告内容と現場の様子の間に乖離があると、現実の姿があるべき現実でないのでおかしいというような口調にさえなります。

だから台風の目というか今回のようなとても大きな台風の大きな空洞的な中心に入った地域では、陽が差し波風もほとんどないような状況で、視聴者は、そこに知り合いや親戚がいる場合は、風雨の激しい大型台風というような一般描写ではなく、その場の正確な様子を(数時間前からの推移を含めて)伝えてほしいのに、そういう穏やかな場所でも雨が横殴りに降り風が飛び荒れているというふうにしゃべりたくてしかたがないみたいです。そうでないと自分が心地よい興奮状態になれないので仕事をしている感じがしないのでしょうか。

天気についての現場レポーターはたいていは饒舌で(レポートが仕事なのでそうでないと務まらないとしても)、それも住民への危険性が高い方向に傾いた饒舌がお好きなようです(あるいは、より安全性を重視する方向に傾いた饒舌が好みとも言えますが、しばしば「狼が出るぞ」口調になるようです)。気象庁の予報や観測と異なるローカルな個別事象がそこにあるならできるだけ見た儘を正確に伝えてほしいと思います。

視聴者はそれほどぼんやりとしているのではなくて、「雨雲の動き(高解像度降水ナウキャスト)」のような、1時間前の実際の雨雲の状態から1時間後の雨雲の状態まで、5分ごとの降水強度分布を、250メートルのメッシュ単位で報告・予測する気象庁のウェブサービスも参照しながらレポーターの報告を聞いています。

だからそういうレポーターが冗漫なおしゃべりをしている間はレポーターがいるあたりの地域の危険性のレベルは低いとも言えます。なぜなら、ほんとうにひどい状況、つまりレポーター自身が一瞬でも身の危険を感じるような状況に接すると、そのレポーターから饒舌が消え寡黙とは言わないまでも慎重な口調のレポーターへと変身するからです。そして状況をできるだけ「ケレン味」を排除して客観的になぞろうと努め始めます。そういう場面(というか人的な現象)を今回もテレビ画面上で観察しました。そういう場合は、レポーターの言葉と映像情報が一致しており、視聴者もレポーターの言葉に対してしっかりと聞く耳を持ち始めます。

【註】「雨雲の動き(高解像度降水ナウキャスト)」とは 気象庁が提供している、気象レーダーの観測データを利用した、250m解像度で降水の短時間予報ですが、詳しくは「高解像度降水ナウキャストとは」を参照。

札幌管区気象台では、学校が夏休みに入った7月下旬のある金曜日の夕方から夜にかけて、一日だけですが、オープンキャンパス風の気象台見学会を開いています。施設のさしつかえない主要部分を市民は自由に見学できます。職員とも気象台の仕事や天気予報について自由に会話ができる。立ち入りが許可された区域では写真撮影も大丈夫です。気象台活動のプロモーションが目的ですが、そういう機会がないと内供の様子がわからないので、都合が合えば参加するようにしています。いろいろと質問もさせていただきます。

下の写真は、その時(2016年7月22日)の2枚。時刻は午後7時。夜勤の担当者が仕事中です。株や債券のトレーディングルームではありません。

2016722-a

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2019年8月15日 (木)

トウモロコシの季節

東京の知り合いと電話で話しているときについでにという感じで、北海道産のトウモロコシはいつごろから獲れるのかと聞かれたので理由を尋ねると、トウモロコシはまだ近隣の県のものしか出回っていなくて北海道のほど甘くない、北海道産はいつごろから店頭に並ぶのか気になって、ということでした。昼夜の寒暖差が大きい方が一般的にはトウモロコシは甘くなります。おそらく味にその差が出ているのでしょう。

北海道ではこの野菜をトウモロコシではなくトウキビ(唐黍)と呼ぶことが多いのですが、やっと近所の野菜売り場に緑の皮のついたトウモロコシが大きな籠(かご)といっしょに並び始めました。例年よりも遅れているようです。それとも今までぼくが気が付かなかったのか。

その日のトウモロコシを家族の人数分だけバラで買っていくお客向けに、大きな籠が床に置かれています。黄色い(あるいは白い、あるいは黄色と白が入り混じった)トウモロコシの実が薄皮で包まれているあたりまで外側の緑の皮を剥き、剥いた緑や薄緑の皮は皮ゴミ用のその籠に捨てる。それがお金を払う前の消費者の作業です。同じ作業を自宅でやると台所のゴミ箱はトウモロコシの皮ですぐに溢れてしまいます。小売店の配慮です。

皮付きのまま持ち帰っても問題ありません。夏休みの家庭教育にはその方がいいかもしれません。小さいお子さんといっしょに何重もの緑の皮を剥いでいく。いっしょに皮を剥いだトウモロコシを蒸していっしょに食べる。

トマトやカボチャやジャガイモもそうですが、北海道産のトウモロコシの種類とその名前もいろいろです。種苗会社が新種の開発競争にしのぎを削った結果なのですが、その色や味を消費者に直感的に想像させるような名前が増えてきました。スーパーやデパ地下の野菜売り場に置いてあるパンフレットによく登場する種類を順不同に列挙すると以下のようになります。

「あまいんです〈」「ピュアホワイト」「ゆめのコーン」「サニーショコラ」「味来コーン」「夏味甘(なつみかん)コーン」「味甘(みかん)ちゃんホワイト」「ゴールドラッシュ」「ランチャーイエローコーン」「ホワイトショコラ」「クリスピーホワイト」「シャイニングコーン」「恵味コーン」「ホワイトレディ」「グラビス」など。

名前から実の色はだいたいわかりますが、黄色の粒と白の粒が入り混じったバイカラーはわかりにくい。黄粒と白粒とバイカラーの例をいくつか挙げると

「あまいんです」 黄粒
「ゴールドラッシュ」 黄粒
「サニーショコラ」 黄粒
「ピュアホワイト」 白粒
「シャイニングコーン」 白粒
「グラビス」 バイカラー
「ゆめのコーン」 バイカラー

他の野菜と同じで、あるいはコメと同じで、トウモロコシも甘いものが人気です。「甘い」「やわらかい」「おやつに果物感覚で食べられる」といった特徴を複合的に備えたものが最近の消費者の好みに合っているようです。そういう「甘い」家庭ではセロリの入った野菜サラダなどが食卓に並ぶことはあるのでしょうか。どんな野菜がお好きなのか拝見してみたい気もします。

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2019年8月14日 (水)

今年はルッコラの栽培にけっこう苦労した

ルッコラ(ロケットともいいます)は育てるのが簡単な家庭菜園向きの夏野菜で、味は、その簡単さとは関係ないのですが、ピリッとした味わいがアクセントになり野菜サラダの風味を引き立ててくれます。お店で購入したブロッコリーとセロリと、家庭菜園のルッコラとバジルと青紫蘇を合わせて甘くない自家製ドレッシングをかけた野菜サラダなどというのは毎日食べて飽きません。

以前のブログ記事に「自家栽培のルッコラと自家栽培のバジルが毎晩のサラダの主要素材です。これらに買ってきた中南米産のアボカドを加えて亜麻仁油でドレッシングし、軽く塩を振りかけるととても贅沢なサラダができあがります」書きましたが、そういうのも美味しい。

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          食べ頃のルッコラ

ところが、バジルや青紫蘇は例年通りに(といっても今年の6月は寒かったのでその寒さなりにゆっくりと)サラダ素材を提供し続けてくれるのに、この簡単な野菜が、今年は例年ほどうまく収穫できません。タネそのものの種類の交替を始めいろいろやり方を変えたのですが、それでもその原因がよくわからない。新しい土が何らかの理由で酸性化したのかもしれないと石灰を播いて中性化してみても、葉がどんどんと伸びてくるいつものいい感じが出てきません。

で、いつもはプランターに横2列に種を播くのを、縦5列に変えたら、やっとそれなりに育ち始めました。「おまじない」や「雨乞い」の類の行為ですが、結果良ければすべて良しということにして、こういう悩ましいこともたまにはあります。

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2019年8月13日 (火)

「ケレン味」あるいは「ケレン味という言葉」が偏愛される世界

言葉そのものは、非常にとは言えないにしても、まあまあ、一般的なものです。しかし、それが多用される、偏愛されているらしいという意味で、スポーツ業界は一般世間とは少し違うのでしょう。

普段は見ないプロゴルフ中継ですが、先週末はミーハーになって女子ゴルフの中継を見ていたら、その中でベテランの女性解説者が、ある選手のプレイスタイルのことを「ケレン味がなくていいですね」と評していました。

「ケレン味(外連味)」とは「俗受けを狙ったいやらしさ。はったり。」という意味で、たとえば「外連味のない芸」「外連味のない演技」という風な使いかたをされます。だからもともとは多くの聴衆を相手にする職業から発生した用語なのでしょう。プロゴルフに限らず、プロ野球などプロスポーツ業界では偏愛される言葉のひとつのようです。ただし、好意的な文脈で使われるとは必ずしも限らない。

かつて、あるプロ野球選手のサードの守備は、普通に腰を落としたまま捕れるゴロを横っ飛びに倒れ込みながら捕球し、すぐに立ち上がって矢のようなボールを一塁に投げて打者を刺すというのが得意なパターンでした。そういうのをケレン味が満載なプレイと言います。

一方、その隣のショートで難しいゴロを当たり前に処理していた選手は、打球の予測を含むところの守備全般がうますぎて観客にはかえって地味(ないしは下手)と映ります。ケレン味のない、言葉を換えれば、華のないプレイです。当然人気はケレン味に富んだ選手に集まります。

先日ある政治家がインタビューで、『政治の世界って、私からすれば戦場。いつ、命を落とすか分からない。常にどこかこわばって緊張感を持ち、警戒心を解かず、寝るときもいつも鎧(よろい)を着たまま寝ているというかね。そういった環境がずっと続いてきた中で、・・(略)・・この場所は、鎧を脱いでいいんだな、武器を置いていいんだな、無防備でいいんだというふうに思えた」と答えていました(あるメディア記事から引用)。こういう発言をケレン味の多い発言と言います。(このインタビューは、私的な内容にもかかわれず、公的な施設で行われたのでその行為自体がケレン味いっぱいなのですが、それは、まあ、よしとします。)

これをケレン味の少ない風に書き直すと、たとえば以下のような感じです。

「他の世界もそうだと思いますが、政治の世界も緊張感を強いられることが多くそれが深夜まで継続することも多いので、そういう環境がずっと続いてきたので、その中で・・(略)・・この場所は、緊張感を解いていいんだな、リラックスしていいんだなというふうに思えた」

政治家も多くの聴衆を相手にする職業なので、「鎧」とか「武器」という単語が醸し出す雰囲気はNHKの大河ドラマの一部を切り出してきた感じで、主婦層を中心とする聴衆に対してはなかなかに(ケレン味いっぱいなので、その分追加的に)訴求力のある演説風の発言となります。

一方、いくつか年上だけれどいちおうアラフォーでケレン味の少ない政治家もいて、その二人の2012年以降の国会発言(2012年以降だと二人の議員活動がほぼ重なっているので)を、そこでの発言回数や発言文字数という「ケレン味のないデータ」で比較してみると次のようになります(データは「国会議員白書」というウェブサイトより)。

ケレン味の多い政治家の場合(国会活動は衆議院。演説は得意だが、議論・討論は苦手。)

□本会議発言
46期(2012/12/16~) 0回 0文字
47期(2014/12/14~) 1回 2281文字
48期(2017/10/22~) 0回 0文字

□委員会出席・発言
46期(2012/12/16~) 37回出席(うち幹部出席 2回) 1回発言 6297文字発言
47期(2014/12/14~) 95回出席(うち幹部出席 35回) 3回発言 18831文字発言
48期(2017/10/22~) 55回出席(うち幹部出席 6回) 1回発言 8984文字発言

□質問主意書
46期(2012/12/16~) 0本
47期(2014/12/14~) 0本
48期(2017/10/22~) 0本

ケレン味の少ない政治家の場合(国会活動は参議院。演説も議論・討論も得意。)

□本会議発言
23期(2013/07/21~) 0回 0文字
24期(2016/07/10~) 2回 6953文字

□委員会出席・発言
23期(2013/07/21~) 125回出席(うち幹部出席 0回) 82回発言 429649文字発言
24期(2016/07/10~) 149回出席(うち幹部出席 0回) 75回発言 545970文字発言

□質問主意書
23期(2013/07/21~) 74本
24期(2016/07/10~) 49本


「(プレイに)ケレン味がなくていいですね」と評したゴルフ解説者もいれば、政治家のケレン味に魅了されて喝采を送る選挙民もマスメディアもいます。ケレン味というものに対する人々の好みもいろいろのようです。

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2019年8月 9日 (金)

日本の食料自給率は37%で穀物自給率は28%、サウジアラビアの穀物自給率は7%

3日前に次のような報道がありました。

「農林水産省は6日、2018年度のカロリーベースの食料自給率が前年度より1ポイント低下の37%だったと発表した。天候不順で小麦や大豆の国内生産量が大きく減少したためで、コメの記録的な凶作に見舞われた1993年度と並ぶ過去最低の水準となった。政府は2025年度に45%にする目標を掲げているが、達成が遠のいた。」(共同通信)

「天候不順で小麦や大豆の国内生産量が大きく減少したためで」というのは苦しい言い訳で、小麦と大豆の国内自給率は以前から低いので、わざわざ小麦や大豆を持ち出すのもどうかと思います。四半期GDPがマイナスになったのを雨のせいにするのと同じです。

農水省のウェブサイトにお邪魔すると、品目別自給率の例として

「小麦の品目別自給率(平成30年度)
=小麦の国内生産量(76.5万トン)/小麦の国内消費仕向量(651.0万トン)=12%)

と小麦がとりあげられていました。

昭和40年から平成30年までの総合食料自給率の推移は以下の通り。

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OECD諸国の2018年(日本は2018年度)の食料自給率を比較したのが以下のグラフです。以前と同じパターンです。

2018-2018

ぼくは、食べ物は(他の財や産品と違って)自給したほうがいい(国のレベルでの地産地消)、という意見の持ち主ですが、諸般の事情でそういうわけにいかない国もあります。例えばサウジアラビア。2010年3月に「穀物自給率「ゼロ」をめざす国」というブログ記事を書きました。そこから一部を引用します。

「サウジアラビアは雨はほとんど降らないし、地下水も砂漠にまだ緑があった頃の雨水がたまったものですが、地下水は小麦生産などに今まで大量に消費してきたのでそのツケがたまって、今世紀なかばに石油よりも早く枯れてしまうとのこと。瑞穂(みずほ)の国の日本とは事情が違います。

そういう背景から、水を大量に使う小麦のような農作物は減産を続けて2016年までに国内生産を打ち切り、それ以降、穀物はすべて輸入。ただし、農業がないとさすがに困るので、あまり水を使わないもの、つまり温室野菜栽培や酪農、養鶏などの付加価値の高い農業へ転換するそうです。

穀物がないと国民は飢え死にしてしまいますから、そういう国のとる手段のひとつは、外国に農耕地や農場を確保し、それを自国の穀物供給基地にすることです。サウジアラビアの場合だと、上記報告書によれば、アフリカのスーダン、エチオピア、タンザニア、エジプトあたりでことが進行中です」

そのサウジアラビアがどうなったか

サウジアラビアにおける農業・水産業・食品産業の概況及び市場について」(野村総合研究所 2018年2月19日)によると、2015年のサウジアラビアの穀物自給率は6.8%だそうです。自国が所有するところの外国の穀物供給基地からの流入量も輸入とカウントされるので、実質的な穀物自給率は6.8%よりも高いはずですがこの資料では詳細は不明です。日本の2018年の穀物自給率は最初の折れ線グラフにあるように28%です。

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2019年8月 8日 (木)

北朝鮮と南朝鮮という呼び方

勝手なことを言えば、朝鮮半島の38度線以北の国を「北朝鮮」それ以南の国を「韓国」ではなく、「北朝鮮」と「南朝鮮」としてくれたほうがぼくにはわかりやすい。

北朝鮮の国名は漢字表記だと「朝鮮民主主義人民共和国」、南朝鮮は「大韓民国」で、英語では北が「Democratic People's Republic of Korea」、南が「Republic of Korea」です。通称は北朝鮮が「北朝鮮」、南朝鮮が「韓国」、英語ではストレートに「North Korea」と「South Korea」です。国名だけだと(とくに正式な英語表記)、「北」のほうがより民主的な響きです。

第二次世界大戦後の朝鮮戦争で南北に分断されたとはいえ、もともとは朝鮮(Korea)と呼ばれていた国を「朝鮮」と「韓」(韓は朝鮮半島南部を指す朝鮮古代の地域名、だから 日本の統治から解放されて1945年に成立した国家の名前も古名にちなんで大「韓」民国)という別々の歴史的名称で呼ぶのは外国人であるぼくにはどうもわかりにくい。両国が存在する半島は朝鮮半島だし、そこに住んでいるのは朝鮮民族です。「北朝鮮」と「南朝鮮」とするほうが理解がしやすいし、他者とコミュニケーションにおいても使いやすい。

気象予報などでは、日本を便宜上「東日本」と「西日本」に分けてそれぞれの天気の特徴や台風の進路予測をまとめたりします。その区分にとくに違和感はありません(ちなみにそういう場合は北海道と沖縄はしばしばその括りの外に置かれますがそれはそれでしかたないとしても)。

かりに日本が何らかの理由で東西に分断されているとして「東日本」を「日本民主主義人民共和国」、「西日本」を「倭」という古い地域名を使って「大倭民国」とでもしたら(したがって通称は「東日本」と「倭国」となる)、「北朝鮮」と「韓国」という表記の関係に近いでしょうか。

最近は北朝鮮との関係も南朝鮮との関係も白々しいわざとらしさが目立つ感じで悩ましいので、特別な情報はあるはずもないのだけれど念のために「外務省 海外安全 ホームページ」で「北朝鮮」と「韓国」を覗いてみると次のようになっていました。

北朝鮮: 危険情報

2017年4月10日
●全土:「渡航を自粛してください。」(継続)
目的のいかんを問わず,北朝鮮への渡航は自粛してください。

韓国: 危険情報

現在,危険情報や感染症危険情報は出ておりませんが,北朝鮮との関係において,朝鮮半島情勢は,引き続き予断を許さない状況にあります。最新スポット情報,安全対策基礎データ,在韓国日本国大使館/総領事館のホームページや報道等から常に最新の情報を入手し,安全対策に心がけてください。

「北朝鮮との関係において,朝鮮半島情勢は,引き続き予断を許さない状況にあります」というサラッとした一行を「デモが行われている場所には近づかず、慎重に行動し、無用のトラブルに巻き込まれないよう注意してください」という範囲の理解に止めるか、それとももっと大きな、北朝鮮・南朝鮮という区分を考え直すようなもっと切迫した政治文脈で考えるかは悩ましいところです。

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2019年8月 7日 (水)

春は梅、秋はさくら葉

寒い季節の訪れはできるだけ遅い方がいいのですが、先週ほどではないにしても今週の札幌もそれなりに暑いので、以前ひんやりとした季節に撮影した「紅葉・黄葉」の写真を見るともなく見ていたら、桜の紅葉を撮ったのがそれなりにありました。

あまり注目されませんが、秋には桜も紅葉します。楓(かえで)のような鮮やかな紅に染まるのではなくて、葉の色を地味な、渋い抑えた赤に変えます。短期間とはいえ春に花が他よりも目立ちすぎることを恥じて、秋にはつつましくしているのかもしれません。

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                                         紅葉した桜

「もみじ」とは、秋になって赤や黄色に変色した草木の葉のことを指します。漢字だと「紅葉」や「黄葉」と表記されます。「桜紅葉(さくらもみじ)」とは赤くなった桜の葉のことです。「もみじ」も「さくらもみじ」も秋の季語です。

「楓(かえで)」は紅葉の代表格なので「楓」の別称として「もみじ」を使うことも多い。だから、会話の中でそのときの「もみじ」がどちらを指しているのか紛らわしいことも少なくありません。「桜」の葉が赤くなるのは「楓」よりも早く、あまり来てほしくない寒い季節が近づいていることを「楓」よりも早めに教えてくれます。

下は上とは別の年の10月下旬、同日同時刻の札幌市内のある公園の「桜」と「楓」です。

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念のために季語の歳時記を当ってみると、【桜紅葉 さくらもみじ/さくらもみぢ 仲秋】〈桜の葉が色づくこと。桜の木は日本国中どこにでもあるが、あざやかな朱色にならないのであまり注目されることがない。比較的早く色づく〉とそっけない記述がありました。

「春は桜木、秋は桜葉」とすると、いくら桜紅葉が控えめであっても桜の自信が鼻につくので、「春は梅、秋はさくら葉」というのがいいかもしれません。

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2019年8月 6日 (火)

悪文と句読点

悪文雑感」の続きです。

今は文章は、文学も実用文も、古典も現代文も、紙に印刷された活字やそれの電子版であるところのIT端末の画面上の活字を通して読みますが、文章中の句点(。)や読点(、)が必須です。

しかし、奈良、平安の昔から江戸を経て明治中期くらいの日本の文学や記録文には読点や句点が原則としてありませんでした。句点(。)と読点(、)の総称である句読点は、明治以降に西洋の文章のピリオド(,)やカンマ(.)の代用として使い始めたもので、それ以前の日本にはそういうものは存在していませんでした。この伝統は今でも手書きの手紙や葉書に活きていて、そういう媒体では句読点はかえって煩わしい。

教科書に出てくるおなじみの文章例で、たとえば「枕草子/第一段」だと、今は(横書きに直すと)次のように表記されています(小学館 日本古典文学全集)。

 『春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、少しあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
 夏は夜。以下略。
 秋は夕暮。以下略。
 冬はつとめて。雪の降ふりたるは言ふべきにもあらず。霜などのいと白く、またさらでもいと寒きに、火などをいそぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもて行けば、炭櫃、火桶の火も、白き灰がちになりぬるはわろし。』

しかし、以前は、句読点のない状態なので、以下のようでした。

『春はあけぼのやうやうしろくなりゆく山ぎは少しあかりて紫だちたる雲のほそくたなびきたる夏は夜月のころはさらなりやみもなほ螢飛びちがひたる雨などの降るさへをかし秋は夕暮夕日花やかにさして山ぎはいと近くなりたるに烏のねどころへ行くとて三つ四つ二つなど飛び行くさへあはれなりまして雁などのつらねたるがいと小さく見ゆるいとをかし日入り果てて風の音虫の音など冬はつとめて雪の降ふりたるは言ふべきにもあらず霜などのいと白くまたさらでもいと寒きに火などをいそぎおこして炭持てわたるもいとつきづきし昼になりてぬるくゆるびもて行けば炭櫃火桶の火も白き灰がちになりぬるはわろし』

わかりやすい景色や情景の描写ですが、初めての文章だと、やはり読みにくい。

しかし、これが、手書き文字で書かれたものだと、文字の大きさや文字の勢い、文字の切れ目や墨の濃淡、そして改行などが句読点の役割を果たしていたので、句読点というものがなかったとしても(明治半ばくらいまでの人たちは)読みづらいということはなかったと思います。句読点を使わなかったということはその必要がなかったということです。

吉田健一という1977年に鬼籍に入った評論家・作家がいます。小説も評論もジャンルにかかわらずすべてがエッセイ風の趣きと言ってもいいのですが、彼の文体は句読点の使い方に独特のものがあります。

松岡正剛は吉田健一の文体を「いつも句読点が動く文体」と評しました。文体に応じて「その文体がほしがる句読点を打った」ということですが、吉田のたいていの作品は、文体と句読点に個性があり過ぎるので、普通は、それほど読みやすくはありません。

しかし、彼の文章を読みやすいと感じる読者にとっては、彼の文章は「作者の頭に生まれた言葉の流れをただ文章にしたもの」(倉橋由美子)なので、読みやすいとなります。

しかし、「作者の頭に生まれた言葉の流れをただ文章にしたもの」とは、いったんその時の意識の流れを文字に定着したあとでその文字列が必ずしも再構成されずに文章化されてしまうということも含まれるので、読者の頭の中の句読点が作者の頭の中の句読点と同調しない場合には、作者の文章はだらだらと落ち着きの悪い悪文、同じところを読み直さないと意味のとれない晦渋な文体、そして意味不明なところが残る悪文、ということになりそうです。

ある言葉で世界をなぞるということは、その言葉以外の言葉を使わないということによってある枠や方向に世界を切り取るということですが、句読点もそういう意味では同じ働きを持っています。吉田健一の文体と句読点は独特なので、彼が世界を区分する仕方に違和感や鬱陶しさを覚えると、彼の文章はだらだらと読みにくい悪文と化します。

そういう例(ただし控えめな例)を下に二つ引いてみます。

 『・・・別にそれを見てこれから一日が始まろうとしている気配を感じるのでもなければ前の日にあったことの結果で今日することになることを思い浮かべるのでもなくてただ眠気が去って朝になり、ものが自然の光で見えて来て体も一日の間覚めているのに堪える状態に戻っている朝というものがもの心が付いたその日からのことであっても、或はそのこともあって懐かしかった。』(「本当のような話」)

 『併しその碑がロッピアが作ったものであるということがあり得なければその作の精巧な模写で、それを見ていて思いがその紺と白が新鮮なものに感じられながら普通でもある場所に向かわざるを得ず、それは金沢に、又金沢のその店に自分がいなくなるのではなくて他所である筈のことが自分がいる場所を豊かにした。』(「金沢」)

一方、作者の息遣いや思考プロセスと読者のそれが重なっている場合は、つまりその文章における作者の句読点感覚と読者の句読点感性が重なっている場合は、急に立ち止まり、先ほどの近所を今度は歩幅を変えて歩き、あるいは意想外の場所に飛んで行って気が付けば元の場所に戻っていたというふうな癖のある文体が作る世界を賞味できます。

「時間」というエッセイの書き出し部分を引用します。「枕草子/第一段」のように冬と春が出てきます。行替えはありません。

『冬の朝が晴れていれば起きて木の枝の枯れ葉が朝日という水のように流れるものに洗われているのを見ているうちに時間がたって行く。どの位の時間がたつかというのではなくてただ確実にたって行くので長いのでも短いのでもなくてそれが時間というものなのである。それをのどかと見るならばのどかなのは春に限らなくて春は寧ろ樹液の匂いのように騒々しい。そして騒々しいというのはその印象があるうちは時間がたつのに気付かずにいることで逆に時間の観念が失われているから騒々しい感じがするのだとも考えられる。・・・・』(「時間」)

 

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2019年8月 5日 (月)

日の丸弁当と梅干しと梅漬け

このままだとまだ日の丸弁当ではありません。ご飯と梅干しだけで、おかずがない。秋田杉の香りをおかず代わりにするというのだと実際的でないし、また蓋もないので外へ持ち運べません。

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上の写真は「曲げわっぱ」・「樵(きこり)弁当箱」の一部で、下の写真のようにご飯を入れる容器(右下)、おかずを入れる容器(右上、「中子」と呼ばれていて、ご飯の容器にきれいに重なります)、そして全体をスポッと覆う蓋(左)を組み合わせて使います。

写真は梅干しを置いただけですが、実際には梅干しがご飯の平面からからはみ出さないように(ご飯の中に入り込むような具合に)します。そうするとおかずの容器が梅干しにくっつかずにきちんと重なって収納できます。食べるときは、焼鮭や厚焼き卵やインゲンの胡麻和えなど水分の少ないおかずが隙間なく並んだおかず容器を取り出していただくことになります。

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日の丸弁当の梅干しは、「日の丸」弁当なので、食欲をそそる赤でないといけない。食欲をそそる赤はよく天日干しした梅の赤です。

その「梅干し」ですが、北海道では梅干しをする家庭は少なくて、どうも、「梅干しという名の梅漬け」で済ましているらしい(幅広く調査したのでないのであるいは間違えているかもしれませんが)。

以前、専門的な職業で活躍しているアラウンドサーティの女性とお話ししているときに、何かのきっかけで話題が梅干しに移り、そのときに我が家の梅干し作りについてお話したら、彼女が「梅干しって、やっぱり干すものなのですね」とおっしゃったのが記憶に鮮明です。

札幌生まれのその女性のお宅では、彼女のおばあさんが「梅干し」を作っていたそうですが、その「梅干し」は天日干しをしないタイプ、つまり「梅漬け」だったようです。

「干したのを見たことがないのに、なぜ『梅干し』というのかずっと疑問でした。変だなと思っていたのですが、梅を干すから梅干しなんですね。やっと意味が分かりました。」

しっかりと天日干しした梅干しのほうが、梅漬け派の人たちには申し訳ありませんが、断然美味しいと思います。

 

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2019年8月 2日 (金)

赤紫蘇で染まってきた梅干し用の竹の平籠

梅の天日干しが終了すると、柔らかくシャワーで湯洗いして、その後三日間くらい乾燥させ、無地の布に包んで翌年の同じ時期まで仕舞っておきます。

梅干し作りの「土用干し」工程で使うこの竹の平籠は毎年少しずつ赤紫蘇の赤に薄く染まっていくのが風情です。サイズは60㎝と90㎝の長方形で、二枚セットで、青梅8kgから10kgに対応できます。今年は8kgの南高梅を梅干しにしたのですが、個数は396個でした。

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使い始める前のこの平籠の色味は、6年前には下の写真のようでした。目をずらしてやや複雑な交叉に編んだ竹がこの6年間で渋い淡い赤に染まりました。(この編み方は、網代〈あじろ〉編みといい非常に頑丈な竹編みです。)

全体を支える木枠は杉板で作られています。料理で使う「へら」は、杉やヒノキの木べらはすぐに乾きますが、竹べらはなかなか乾きません。だから、台所で竹べらは使わない、というのはさておき、竹の平籠なので、時間をかけて乾かします。

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2019年8月 1日 (木)

シイタケは、やっぱり、原木栽培

とても美形で色白の菌床栽培の生シイタケが手に入りました。北海道産です。原木栽培とは違って菌床栽培の生シイタケを美味しいと思ったことはほとんどないのですが、あまりに美形だったので、ぼくの好みの食べ方でいただくことにしました。

簡素で野趣のある酒の肴を二つだけ選べと云われたら、丸ごと焼いた慈姑(くわい)と、原木栽培の生シイタケの蒸し焼きを選びます。

シイタケの蒸し焼きは、半日ほど天日干しした生シイタケの軸をカットし、短くなった軸の部分を上にした状態(英語だとアップサイド・ダウンな状態)で軸に塩をのせて蒸し焼きにし(フライパンにクッキングペーパーだと手軽)、じわっとなった傘の内側にスダチかユズをかけて食べます。(時間がないときは天日干し工程は省略可能です、ただし旨さはその分減少します。)

慈姑の出荷時期は現在は正月に限られていますが、原木栽培のシイタケも、もともと生産量が少ないうえに2011年に原木が放射性物質で汚染されて以来、事故前よりは入手が難しい。

「蒸し焼き」を晩ごはんの最初の一品としてスダチをかけて配偶者と食べてみました。蒸し焼きの最中にシイタケの匂いが漂い出なかったので変だと思いながらです。食感だけは生シイタケでした。しかし、それ以外は存在感がありません。味もなければ香りもない。ぼくの味覚と嗅覚がどうかしたかと、配偶者を見ると、彼女もぼくと同じ表情をしています。

原木栽培だと「蒸し焼き」以外にいろいろと繊細な味の美味しい食べ方はあるけれど、菌床栽培の生シイタケは、醤油やなにかでわかりやすい味付けで他の食材といっしょに調理するしかないのかもしれません。つまり、我儘な消費者として勝手なことを言えば、わざわざ菌床栽培のシイタケを食べることもないということになりそうです。

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