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2019年11月11日 (月)

大袈裟な祝賀祭典はどうも肌に合わない、ふたつの情景が重なって見える

特定の政治団体や政治色のとても強いグループが主催するパレードや祝賀祭典といったものからは距離を置く生来の気質のせいか、この前の土曜日の「国民祭典」なるものもどうも肌に合わなくて、それを報じるニュースと、20年前に出版されたある小説に描かれた75年くらい前の東京の情景が重なって見えました。
 
その小説とは「東京セブンローズ」(井上ひさし著)という長編小説で太平洋戦争敗戦前後の東京の様子が詳細に記述されています。日常の細密叙述は圧倒的でほとんど百科全書の趣きです。副題は「日本語を救った女たちの物語」。占領軍による日本語簡略化(ローマ字化)政策を、七人の女性と敗戦で茫然自失にあった二人の男性(職人と新聞記者)がどうやってつぶしたかという内容の小説です。
 
最初に11月9日(土)のあるテレビ局のニュースより文字部分を引用します(一部省略、《…》が引用部分です)。
 
《即位祝う「国民祭典」に3万人》
《民間団体が主催する、天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」が、皇居前広場で行われています。この後、人気アイドルグループの「・・」がお祝いの曲を披露します。》
 
別のテレビ局の同一テーマのニュースから同様に文字部分を引用してみます(一部省略)。
 
《「国民祭典」で各地の郷土芸能も 「・・」がお祝いの曲披露へ》
《皇居前広場では、天皇陛下の即位を祝う国民祭典が行われている。このあと、両陛下がそろって姿を見せられ、人気アイドルグループ「・・」などによるお祝いの曲も披露される。フィギュアスケートの・・選手や俳優の・・さんらのテープカットで始まった、9日の国民祭典。皇居周辺で、天皇陛下の即位を祝うイベントが行われている。皇居前の内堀通りでは、全国各地の郷土芸能が祝賀パレードとして行われている。鳥取の夏の風物詩「しゃんしゃん祭り」の傘踊り。さらには、高知のよさこい鳴子踊りなど、全国各地のさまざまな郷土芸能が披露された。また、日枝神社や浅草神社などのみこしや、山車も登場。沿道には、多くの人が訪れた。・・・・》
 
この「国民祝典」はある民間団体の主催ですが、この民間団体を実質的に運営しているのは別の民間団体で、後者は「我々は、悠久の歴史に育まれた伝統と文化を継承し、健全なる国民精神の興隆を期す」というのを三つの綱領の最初に掲げています。
 
「東京セブンローズ」から百科全書風描写の一部を引用すると、
 
《・・・満蒙(まんもう)は帝國の生命線、昭和維新、高度國防國家建設、非常時の波高し、國民精神總動員、擧国一致、堅忍持久(けんにんじきゅう)、代用品時代・・・》
 
《大日本婦人會の襷(たすき)を大袈裟にかけて<進め一億、火の玉だ>と連呼しながら、そこの不忍(しのばず)通りを嬉しそうに提灯行列してゐたのはどこのだれだ》。
 
《大東亞新秩序、紀元二千六百年、月月火水木金金、一億一心、大政翼贊、八紘一宇、玉砕、どれもこれもぴかぴかの漢字、かういつた御立派な漢字で天下國家を論じて、それで日本はどんな國になりましたか。少しでも立派な國になりましたか。答えは出ています。すつかりだめな國になつてしまつた》
 
ぼくには、テレビニュースの言葉(文字)部分と、この小説からの引用部分が重なります。
 
その団体の設立宣言は(一部を省略)、以下の通りです。
 
 《・・・・明治維新に始まるアジアで最初の近代国家の建設は、この国風の輝かしい精華であった。また、有史以来未曾有の敗戦に際会するも、天皇を国民統合の中心と仰ぐ国柄はいささかも揺らぐことなく、焦土と虚脱感の中から立ち上がった国民の営々たる努力によって、経済大国といわれるまでに発展した。・・・・にもかかわらず、今日の日本には、この激動の国際社会を生き抜くための確固とした理念や国家目標もない。このまま無為にして過ごせば、 亡国の危機が間近に忍び寄ってくるのは避けがたい。我々は、かかる時代に生きる日本人としての厳しい自覚に立って、国の発展と世界の共栄に頁献しうる活力ある国づくり、人づくりを推進するために本会を設立する。・・・・》
 
「東京セブンローズ」から、国家と日本人(人々、英語だとPeople)に関する新聞記者の感慨を、すぐ上の設立宣言とを対比するために、下に書き写してみます。
 
《大日本帝國といふ國家がなくなれば當然、日本人は存在できなくなる。したがつて、最後の一人になるまで徹底して抗戰し、一億の日本人はみな玉砕するしかない。・・・・さう思い込み、さういふ立場で紙面をつくってゐたわけですよ。だが、ちがつた。たしかに大日本帝國はなくなった。それぢや日本人が存在できなくなったかといへば、さうではない。ここにかしこに日本人がゐて、日本語がある。つまりなくなったのはかつての支配層だったんです。もっといへば、大日本帝國の實體、その中身というのは、なんのことはない、當時の支配層のことだつたんですな。そんな簡単なことがわからなかつたのだから情けないといってゐるのです》
 
最初に「大袈裟なパレードや祝賀祭典はどうも肌に合わない、ふたつの情景が重なって見える」と言ったのは、そういう意味においてです。

さきほどの民間団体の綱領「我々は、悠久の歴史に育まれた伝統と文化を継承し、健全なる国民精神の興隆を期す」における「健全なる国民精神」という言葉は二重の意味で曲者で、どうしてかというと、それは、まず、ある政治的な主張に沿った国民精神だけが健全だと言っているからです。

 次に、精神と国民精神は別々のもので、「健全なる精神」という場合はそれが明るいものであっても暗いものであっても個性的な表情で各人と健全に共存することができますが、「健全なる国民精神」となった瞬間に人々の精神にひとつの政治的な型が押しつけられます。型とはつまり精神が国民精神の従者になるということで、そうなると考えるという精神の健全性が担保されなくなります。

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