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2019年12月24日 (火)

物理学者の「明日は晴れです、なぜなら明日は運動会だから」風な発想

ある必要から「古事記」を読み返していた時に、もっと無機質な「創世記」というか「創宇宙記」風に目を通したくなり、本棚に放り込んでおいた、アマチュア読者を対象にした宇宙論研究者ホーキンスの著作(講演論文集の日本語訳、1990年)を読んでみたら、そこで実証主義者ということになっているホーキンスや彼以外の物理学者の「明日は晴れです、なぜなら明日は運動会だから」的な発想や仮説や前提に出会うことになりました。仮説を突き詰めていくと文学的に、ないしは形而上的に、ないしはわからないものはわからないので、説明のためにはとりあえずジャンプして「人間的に」表現せざるを得ないところがあるのでしょう。

ここで実証主義者とは、我々が知ることのできるものは実験や観測によって知られることだけなので、その結果と矛盾しないそのための考え方や理論は、どれほど奇妙なものであっても(たとえば虚時間 Imaginary Time)正しいとする立場をとる科学者のことです。

その本の中からぼくが興味深かったことを二~三まとめてみます。

時間が、アインシュタインの相対論で予言されるように特異点で始まるのなら、始まりの前はどうなっていたのか、物理法則を定義できない特異点で宇宙の始まり方を決めたのは何か(あるいは誰か)という疑問がとうぜん生まれます。そこで無境界仮説が生まれました。無境界仮説とは宇宙には端(ビッグバンのような特異点)がないという仮説です。

宇宙の端(特異点)での物理量は物理法則で決めることができません(だそうです)。だから宇宙のすべてが物理法則で説明できる存在ならば(宇宙は摂理によってそう作られているならば)、そのような端はないに違いないという考え方です。なぜなら宇宙には物理法則が成立しない端(たとえば宇宙の始まり)があってはならないから、端がないのです。宇宙は時空の隅々まで物理法則のあまねく顕現する場として作られている。

「時間の矢」という考え方があります。時間の矢は時間に方向性を与え過去と未来を区別するもので三つある。

まず、熱力学的な時間の矢。これによって無秩序、つまりエントロピーが増加する時間の方向を与えられます。次が心理的な時間の矢で、我々が感じる時間の経過方向です。過去は憶えているが未来は憶えていないということ(時間の方向)です。三つめが宇宙論的な時間の矢です。これによって現在、宇宙が(収縮ではなく)膨張しているという時間の方向が与えられます。

とすれば「昔はよかった」といういつの時代にもある老人の感想は、「熱力学的な時間の矢」と「心理的な時間の矢」が組み合わさった時の必然的な時間感覚、方向感覚ということになります。時間は過去から今へと心理的に変化し、過去は今よりも無秩序が少ないので、無秩序状態が好きな人以外は昔の方がよかったということになります。

人間原理とは、宇宙が現にあるような姿をしているのは、それ以外の宇宙では、我々のような存在が現れず宇宙を観察することが出来ないから、宇宙は今のような姿だというけっこう強引な考えです。

観測結果からして、宇宙は現在確かに膨張しているそうです。しかし、宇宙は膨張(ビッグバンという特異点から始まって膨張)したのち収縮(ビッグクランチという特異点に収縮して崩壊)するのだとして(そういう考え方もあるので)、我々人類はなぜ収縮期ではなく膨張期に存在しているのかというと、そのほうが「宇宙の膨張と同じ時間の方向になぜ無秩序(エントロピー)は増加するのか、というような質問を発することのできる知的生物が存在するためには、膨張期の条件はふさわしいけれども収縮期の条件はふさわしくないから」だそうです。

解り易く書かれているので読んでいて面白いのですが、上記のような例は「明日は晴れです。なぜなら明日は運動会だから」という発想にとても近いかもしれません。つまり「明日は運動会、だから明日は晴れ」という子供らしい考え方もそれなりに役に立ちます。宇宙の平穏を維持するために、自分の作った方程式にあとで定数を追加して辻褄を合わせるというようなことも、あるいは神様はバクチをしないので偶然性と不確定性が内在する量子力学を信じないと権威的に主張することも実際にはあるので。


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