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2020年1月

2020年1月31日 (金)

悪役と悪い奴

悪役の登場する映画やドラマでの需要が少ないのかもしれないにしても、テレビドラマでは年配のそれらしい悪役を見なくなりました。それらしい悪役というのは、若い俳優が簡単に演じられるようなわかりやすい悪さとは隔たっていて、得体のしれない凶悪さが存在の凄みを通してふと奥から滲み出てくるような人を指します。以前はそういう役者がもっと多かった記憶がありますが勘違いかもしれない。最近はどちらかというと線の細い悪役が多い。

ぼくのお気に入りの悪役は最近の日本人俳優だと「岸部一徳」。彼の出す悪の味は他の人にはなかなか出せない。

事実は小説より奇なり、というもともとは誰かが作った表現がことわざ風になったものがあります。現実の世界で実際に起こる出来事は空想や妄想によって書かれた小説よりも不思議であるという意味ですが、最近の実際の事件を見ていると、かりにそれがドラマの脚本なら、プロデューサーがその脚本を、これじゃリアリティがなさ過ぎる、と貶(けな)すに違いない類のものも増えているようです。

事実は小説より奇なりなら、悪役を映画やドラマの俳優や演技者に求めるのではなく、メディアが日々報道する政治や経済や金融の場面に悪役(この場合は悪役ではなく悪い奴ということになりますが)を求めたほうが楽しいかもしれません。

「得体のしれない凶悪さが存在(の凄み)を通してふと奥から滲み出てくるような人」を悪い奴だとすると、そういう眼つきや眼の表情をもった人物を、直接的な殺害事件などとは関係のない政治・経済・金融関係の報道映像のなかでときどき(屡々ではないにしても)観察することが出来ます。そういう眼つきの人物の決して表には出さない(ようにしている)内面の凶悪さとそれが外に出る実際の場面を勝手に想像するほうがテレビドラマを見ているよりも面白い。そういう人物の線は決して細くない。

聊斎志異(りょうさいしい)や泉鏡花や内田百閒の物語の奇や怖は、呂后(りょこう、漢の高祖劉邦の皇后)にはかなわないようです。


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2020年1月30日 (木)

「はじめての、IOTキッチン家電」補遺

はじめての、IOTキッチン家電」の続きです。

この「水なし自動調理鍋」を購入した目的は、配偶者が

・「無水調理」という調理法を利用すること
・「無水調理」だけでなくこの調理家電にその得意技をさせながら、鍋やフライパンやグリルやオーブンなどを利用して従来通りに作る料理とを「並列処理」することで、料理全体の手間と時間を節約すること

でしたが、このIOT家電は期待通りに活躍中のようです。

サツマイモをごくわずかな水を加えて手動で蒸してサラダの一部としたのがいちばん最初の使い方で、その後、メーカー作成のアプリケーションノート記載の対応カテゴリーをこのひと月でほぼすべて試してみたようです。

アプリケーションノート上のカテゴリーは、《煮物》、《カレー・シチュー》、《スープ》、《ゆで物》、《蒸し物》、《めん類》、《発酵・低温料理》、《お菓子・パン他》、《手動メニュー》に分かれています。

なんとなく覚えているものの中から当該器具を使って(そしてぼくも賞味した)料理をアプリケーションノートのメニューに沿っていくつか挙げてみると、

《煮物》では、「豚肉のトマト煮込み」「ふろふき大根」「きんぴらゴボウ」「里芋の煮ころがし」、
《カレー・シチュー》では、「(牛肉と野菜の)無水カレー」、
《スープ》では、「カボチャのポタージュ」、
《ゆで物》では、「(無水で)小松菜」
《発酵・低温調理》では、「温泉卵」、
《お菓子・パン他》では、「(小豆の)つぶあん」
《手動メニュー》では、「サツマイモ(ほぼ無水で、蒸すというのか茹でるとというのか、それ」

となります。他にもあったかもしれませんが覚えていない。

大雑把に言えることは、《煮る》のはとても得意なのですが、《炒める》は苦手のようです。だから《煮物》カテゴリーに入っているなかでとても美味しく出来上がるのは、たとえば「大根」や「豚肉の煮込み」、次回からは従来調理法に復帰するのは、たとえば炒めるという工程がないと始まらない「きんぴらゴボウ」。

「(無水)カレー」もとても得意みたいです。カレーは作った当日よりも翌日のほうが味がまろやかになりますが、この調理家電だとそのまろやかな味わいが最初から手に入ります。

というわけでこのIOTキッチン家電は、「無水調理」と「並列処理」で期待通りの「コスパ」を発揮している。

 


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2020年1月29日 (水)

令和二年の味噌作り(寒仕込み)

味噌作りは年に一回の作業なので、開始前に手順(工程と云うほうがモノづくりらしい)を一応確認しておきます。味噌づくりは配偶者との共同作業・分担作業で、長年やっているので、やり始めると手が勝手に作業を思い出します。冬の寒い時期に仕込むので「寒仕込み」と呼ばれています。

我が家の「味噌づくりの手順」は簡単です。先日のブログ記事に書いたように今年も投入する大豆は4kgです。我が家の一日の大豆の処理量は(後述のように)2kgなので作業は二日間連続で行って4kgに対応します。

【味噌づくりの手順(その一)】

・大豆4kgと生麹4kgと塩1.8kg(我が家では大豆1kgに対して生麹1kg、塩450gを基準にしている)と、アルコール度数が40度超の強い焼酎を準備する。(強い度数の焼酎は器具や容器の雑菌消毒のための必需品、我が家で利用しているのは度数が44度のもの)

・よく水洗いした大豆を「前の晩から」半日、底の深い大鍋で十分に水に浸しておく。

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・その大豆を柔らかくなるまで、吹きこぼれに注意し、アクを丁寧に取り除きながら、煮る(プロは大豆を蒸すが、一般家庭では量が多い場合は蒸すという作業は難しい)。

・モノづくりの工程にはたいていはクリティカルパスが存在する。我が家の味噌作りにおけるクリティカルパスは「鍋で煮る」という工程。深い大鍋を総動員しても一日の最大処理量は大豆2.5kgなので大豆は一日2kgまでとする。だから4kgには二日間必要。

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・熱で柔らかくなった大豆を電動ミンサーにかけてミンチにする。ミンサーは必要箇所を焼酎で丁寧に消毒。

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・米麹と塩を、大きなボールなどできれいに混ぜ合わせたのを別途並行して用意する。これを一般に「麹の塩切り」と呼んでいる。ただし塩は「塩切り」で全部を使うのではなく一部分を後の工程のためにとっておく。

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・ミンチした大豆を、麹菌が活発に活動できる50℃くらいまで冷ます。熱すぎると麹菌が死んでしまうので注意。

・50℃くらいまで冷えたミンチ大豆と、塩切りした米麹をしっかりと混ぜ合わせる

・混ぜ合わせたものをテニスボール大に丸める。これを「味噌玉」という。

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・度数40度以上の強い焼酎で雑菌消毒した甕(実際は一斗容量の業務用ホーロー容器)に、「味噌玉」を次々に作って、それを野球ボールを投げる要領で投げ入れる。こうすると味噌玉の中や隙間に空気が混じらないので雑菌の混入防止になる。味噌玉を作る人と投げ入れる人の流れ作業にすると円滑にすすむ。

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・味噌玉を投げ入れると段々とその嵩が増してくる。投げ入れ終わったら、全体を手で平らに整える。

・「塩切り」のときに残しておいた塩をその上に薄くかぶせ(とくに周辺部を丁寧に)、大きめに切った幅広の干した羅臼昆布を塩の上に敷く(干し昆布を敷くのは北陸地方の伝統で我が家でも数年前からそれを拝借。こうすると昆布の風味も楽しめるし、味噌が熟成した時に昆布の漬物風ができ上がる。小さく切ると昆布の朝ごはんの佃煮だし、おにぎりの具としても活躍する)。ただし上に敷くのは干し昆布である必要はない。ポリエチレン・ラップでよい。

・重石をかける。我が家では、常滑焼の中蓋(けっこう重い)を重石にしている。

・上蓋をする

・大きめのポストイットに、大豆の投入量や麹の種類、仕込み年月日などを書き、上蓋に貼り付けてる。「天地返し」日付を書く欄を開けておく。

・埃(ほこり)予防のために、ホーロー容器全体をポリ袋で覆うか、あるいは出来の良いシャワーキャップで上蓋あたりをすっぽりと覆う。

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ここまでが二日間(前の晩からの準備 ―水洗いした大豆を底の深い大鍋で水に浸しておく― を入れると二日半)の作業です。

【味噌づくりの手順(その二)】

寒仕込みから半年から一年くらい経った頃に「天地返し」を行います。

・「天地返し」とは、甕で発酵中の味噌の天(上)と地(下)をかき混ぜて甕全体の発酵状態を平準化する(発酵に偏りが出ないようにする)ことです。ただし、大きな甕の中で天地返しをするのは一苦労なので、別の複数のより小さな甕に移し替える形の天地返しをすることもあります。

・天地返しまでは、味噌は暗冷所で静かに寝かせます(熟成させます)。

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・天地返しをしたら、その日付を上蓋に貼り付けてあるポストイットの空欄に記入します。

以上です。

何故、味噌・梅干し・タクアン・糠漬けのような地味なものに興味があるのかと問われたら、自宅で安心な原材料を選びながら作ったそういうものは市販の高級なものよりも明かに美味しいからと答えることにします。毎日口にするものだし、実際のところそういう自家製は美味しい。それから、とくに味噌と梅干しは、常温保存が年の単位でできるので非常食になります。ご飯と味噌と梅干しと水があって、生きて行くのであればなんとか生きられる。

 


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2020年1月28日 (火)

寒いので北側の窓に氷の花、道路は真っ白なアイスバーン

一日中がそれなりの真冬日だと「氷の花」が窓に咲きます。一般的に何と呼んでいるのか知りませんが、我が家では「氷の花」と優雅な名前を付けています。「花」になるときと、下の写真のように「ぺんぺん草」風になるときとがあります

南側の窓にはさすがにこんな花は咲きませんが、北側に向いた窓は、それなりの頻度で結露を取り除いてあっても、たとえば先週の土曜日のように明け方の気温がマイナス7℃、日中の最高気温がマイナス4℃だと、二重窓の外側の窓ガラスの部屋側に花が咲く。

47-202001  北向きの窓に氷の花

こういう日は道路もアイスバーン状態で、とても交通量の多い幹線道路以外は、まん中も路肩付近も固まったような白の広がりで、そういう場合は暴走する車はまず見かけません。秘かにスピンとその制御の練習をしている若者がいてもよさそうな気もしますが出会ったことはない。皆さん、滑りを勘定に入れてゆるゆると運転しています。

この上に夜中に軽く新雪が積もると、朝はその新雪の分だけとても歩きやすくまたタイヤも道路をグリップします。しかし新雪の下に何があるかを知らずに急に走ったり急ブレーキをかけるとひどい目に合うことになるかもしれません。

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            道路はアイスバーン状態

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2020年1月27日 (月)

味噌用の大豆と米麹と塩がそろった

個別に手配していた今年の味噌づくり用の大豆(北海道産)と生(なま)の米麹(島根県産)と塩(ベトナム産)が揃ったので記念撮影です。

・大豆 4kg
・生の米麹 4kg
・塩 2kg(このうち 1.8kgを使う)

蛇足ですが、白味噌を作る場合は大豆と米麹の割合は、普通の米味噌(赤味噌)が「1:1」なのに対し、「1:2」です。だから白味噌は塩を少ししか使わないにしても甘くなる(関連記事は「ついでに、白味噌」)。

配偶者といっしょに味噌作り作業に入ります。二人でやらないと効率よくできないので。

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2020年1月24日 (金)

雪が降った日の傘とバス

スコットランドのように秋の雨の中でも通りを行く人たちが傘を差さないという文化もありますが、札幌の人たちも雨の日はそうでないとしても、雪降る中ではあまり傘を差しません。

風が強くて雪が地を掃くように舞うと危なくて傘を差せないという事情があるにせよ、普段の札幌の雪は粉雪で乾いているので、コートに着いた雪も目的地に着いたときに手袋でさっと払うとさっと落ちてくれる、衣類はほとんど濡れない、それで傘を使わない。雪の中を首をマフラーで覆ったコート姿で男性と女性が黙々と歩く光景はそれなりに風情です。

しかし、先週や今週の雪のようにサラサラとしていない、つまり湿った重めの雪の降る朝はその雪がコートに積もるというかコートや帽子にくっついて濡れてしまうので傘を差すことになります。まわりの歩いている人たちを目の子算すると10人に3人以上は傘を差していました。雨の日の傘と同じです。ぼくも傘です。

以前から通学や通勤に使うところの路線バスが苦手で、徒歩で25分くらいの距離なら、ひどい雨の日は別として、バスの到着を待つのも嫌なので歩いてしまいます。待っていると次がすぐに来る札幌市電のような交通手段ならいいのですが、市電は利用地域が限定されています。

しかし、1月でも重い雪が積もって融けてそのあたりが水っぽいシャーベット状やそれ以上になっていると歩くのもうんざりだし、そばを走り抜ける車のタイヤから水しぶきをお見舞いされるので、そういう場合は、路線バスを利用します。目的地と目的地での所要時間が予測できる場合には路線バスも便利です。道路事情でいささか遅れることもありますが、しかたない。

しかし、乾いた小麦粉のような雪が降り積もった後の歩道は、歩くと雪がキュキュッと鳴って気持ちがいい。歩きやすい。滑らない。そういう場合はバスを待ちません。

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2020年1月23日 (木)

吉田健一の文章を楽しむ方法

吉田健一の書いたものは、出版社がどう分類していようと凡てがエッセイ風です。しかし、エッセイ風の文章といっても必ずしも読みやすいものだけとは言えず、重い主題について、論述の展開というものがあやふやで、彼の頭の中にぼんやりとあるものを言葉でなぞりながら言葉にしていくときに、同じ辺りをぐるぐると歩き続けるということも多い。

吉田の文章は彼の頭に生まれた想念(ないしは意識)の流れをただ文章にしたものではあるのですが、想念(意識)を言葉に移していく際に、最初に出会った言葉を手掛かりにしてもっとぴったりとする言葉を探し続けるので、長くてまわりくどくて何を言っているのかわからない状態にお付き合いさせられる場合も少なくありません。そういう散歩に付き合わされるといささかうんざりだし、それから、彼の(とくに後期の作品の)文章には句読点が甚だ少ないので、それもあって、彼の文章のリズムと読む側の呼吸が合わないと読んでいてとても息苦しくなってしまいます。

吉田健一の散文を心地よく読む方法は、エッセイや評論風の書き物であれば、そのなかのアフォリズムを感じさせる一節を、それが短くても長くても、賞味することです。彼の同語反復風の粘っこい記述が読む側のその時の体調リズムと合わないと判断したら斜め読みで構わない。小説なら、たいていは哲学的なエッセイ風味の記述が不意に顕れるので、ストーリといっしょに(あるいはストーリとは別でもいいのですが)ゆっくりと味わうことです。ストーリと書きましたが彼の長編小説にわくわくするような筋の展開があるわけではありません(長編小説も短編小説の集合体という趣きなので)。

もう一つの方法は、彼の小説における時空感覚の自由さ、つまり昭和の日本と唐や宋の中国と十八世紀のヨーロッパなどを、庭や月、絵や磁器や川や幽霊や幻を媒介にして自在に出入りする自在さとそのことによってもたらされる夢見心地や酔い心地を楽しむことです。

それから、これは「もう一つの方法」の一部になると思いますが、次のような書き出しで始まる短編小説があるとして、そこまで読んで「なんだこの訳の分からない小説は」と呆れて放り出すのではなく、どう進んでいくのか判然としない文章に少し我慢して付き合ってみると、必ずそうなるとは決して保証の限りではありませんが、少し酔っぱらったような(時には急に酔いが醒めてしまうような)不思議な読後感に浸れます。

 「昼になった頃の食べもの屋が繁盛するのに対して、その時刻のバアががらんとしてゐてバアよりも物置きか何かに似てゐることは、誰でも知ってゐると言ひたくても、そんなに早く開くバアもあることは多くのものにとってどうでもいいことに違いない。併しさういふ一軒に入って見れば、そのやうな感じがする。そしてこの経験をするものは余程の暇人か、何か特別の目的があるものに決まってゐて、その男がさうしてそこのバアに来てゐるのは人目が避けたいからだった。」(「逃げる話」)

ドナルド・キーンは吉田健一の文章を次のように評しました。

 「・・・・・吉田の書くものは、その対象が英国の詩、あるいは日本の通俗小説、あるいはまた食べ物、酒の話であっても妙に洗練された懐の深さを感じさせる。吉田の文章は常に完璧な自信に満ちていて、その難解で時に意味が取りがたくなるような入り組んだ文体に吉田は明らかに誇りを持っていた。そしてそれは英語とは対照的に日本語の特徴をもっともよく生かした書き方であり文体であると吉田は思っていたようである。」(ドナルド・キーン「日本文学の歴史」(18)、ただし、長谷川郁夫「吉田健一」より孫引き)

吉田の時空感覚の深さや自在さが顕れた例を下にいくつか並べてみます。なお、引用文のあとの丸括弧の中は「作品名」《エッセイか小説か》です。

 「冬の朝が晴れていれば起きて木の枝の枯れ葉が朝日という水のように流れるものに洗われているのを見ているうちに時間がたって行く。どの位の時間がたつかというのではなくてただ確実にたって行くので長いのでも短いのでもなくてそれが時間というものなのである。」(「時間」《エッセイ》)

 「我々が時計を見て朝の十時であるあるのを知るのは用向きの上での意味しか持たないが光線の具合で朝であると感じるのは我々が朝の世界にいるのを認めることで朝の十時であるのはそれを知るもの次第であっても朝であるのは世界が朝なのである。」(「時間」《エッセイ》)

 「時間がたって行くことを知るのが現在なのである。」(「時間」《エッセイ》)

 「従ってあるのは現在と現在でない状態であって普通は過去であることになっているものに我々がいればそれが現在であり、一般に現在と見られているものも我々にとってただの空白であり得る。」(「時間」《エッセイ》)

 「併し世界を見廻してそこに間違いなくあると認められるものはそこにあり、それがあったのでないのはその感覚を生じさせるものがないからであって我々がものを見る時の眼を世界に向ければそうなる。そこにあるものはあって我々に語り掛けるがこういうことが曾てあったと語るものはなくてそこにも流れる時間というのは常に現在である。」(「時間」《エッセイ》)

 「・・・別にそれを見てこれから一日が始まろうとしている気配を感じるのでもなければ前の日にあったことの結果で今日することになることを思い浮かべるのでもなくてただ眠気が去って朝になり、ものが自然の光で見えて来て体も一日の間覚めているのに堪える状態に戻っている朝というものがもの心が付いたその日からのことであっても、或はそのこともあって懐かしかった。」(「本当のような話」《小説》)

 「又一日は二十四時間でなくて朝から日が廻って、或は曇った空の光が変って午後の世界が生じ、これが暮れて夜が来てそれが再び白み始めるのが、又それを意識して精神が働くのが一日である。」(「埋れ木」《小説》)

 「・・・見ているのは緑でも紅でもなくて或る種の青磁が帯びている色ともしこの世にそういうことがあるならばその青磁の底に浮かび上がるかもしれない真紅だった。こういう紅は燃えるということがない。それはそれだけのものを蔵して何気なしに拡がるものでただ見ていてそれでいいのだと思う。又その緑も色よりもその緑と一応は言える色をしたものなのでそれがものであるから変じ、それが雨で濁った川の流れの草色からその川に向かって伸びた枝に止まっている川蝉の羽に日が差した紺青にまで及ぶ。又それはそういう緑と紅の配合でもなかった。寧ろ精神にこの二つを思い浮かべることが出来るならばその状態でそれが眼の前にあってそれは隣り合わせなのでも互いに溶け込むのでもなくてその一つがもう一つに自在に代る関係に置かれて二つともそこにあった。」(「金沢」《小説》)

 「『とてものことにあの宋の碗をもう一度見せて下さいませんか、』と言った。『これですか、』と山奥が言って内山の目に置いた。それはやはり淀(よど)んだ緑に紅を浮かべていて内山は紅の色が一切の原因であるような気がした。それ程静まり返ったものはなくて今にも改めて溶けるか燃えるかしそうであり、そういうものだったからそれが山上の寺もそこまで桃源郷を縫っていく川も、また女が持つ炉の火も春の夜に漂う花の花の匂いもその中に沈めていて少しも不思議でなかった。それだけの魔力があるものが人間の眼には美しいと映る。・・・・内山はその碗が壊れない、又壊せないことを知っていた。それは永遠の瞬間ということと同じでその碗がある所に、或はそれを人間が見る時にそこに天地が息づき、それを人間が見なくなれば碗は初めからないことになるのだった。」(「金沢」《小説》)

 「・・・二人が廃園をさ迷う幽霊であってもいいと思った。まだ二人は昼のままの服装でいて背広を着て廃園に現れる幽霊というのはなくても女が着ているものを見るといつの時代のものなのかフランスの所謂、執政期、十八世紀も革命が終ってギリシャの風俗が真似られた頃を聯想させる白い服を胸の所で止めたのがその庭を一人で行き来するならば幻であることを失わなかった。何も顧愷之の女の詩人でなくても女といるのにその顔を見ることはなかった。ただ酒を勧める袖にも女はいてそれは匂いと息遣いであり、それがやがてそれだけではなくなることが解っている時に一層それはその袖のようなものにその一切が籠ることになる。」(「金沢」《小説》)


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2020年1月22日 (水)

味噌用の大豆が到着、ついでに昨年の味噌を天地返し

味噌用の大豆4kgが、北海道の紋別というところにある豆専門商店から到着しました。2019年に収穫された北海道産の大豆です。一袋が1kg入りで、四袋です。

まだ届いていませんが、味噌用の米麹と塩を別途手配中です。それらが全部揃ったら、今年の味噌づくりを開始します。

大豆と麹と塩のそれぞれの割合は、大豆が1kgの場合は、大豆1kgに対して麹が1kg、塩は450gなので、今年の実際の使用量は、大豆が4kg、米麹が4kg、そして塩が1.8kgになります。

味噌づくりではいちばんポピュラーな米麹を我が家でも使うので、できあがった味噌は米味噌です。玄米麹を使うと玄米味噌、豆麹だと豆味噌(赤だし用の八丁味噌など)と呼ばれます。ときどきは玄米味噌も作ります。

2020-1kgx4-2019  全部で4kg

麹と塩も揃ったところで、原材料全部の集合写真を撮りましょうか。

それから延び延びになっていた昨年の味噌(2019年2月5日に仕込んだもの、大豆は4㎏)の「天地返し」をいい機会なので実施しました。一斗容量の甕(正確には19リットル入りの業務用ホーロー容器)に入っている味噌の天地をひっくり返すのは至難の業なので、それを常滑焼の甕三つに分けることによって天地返しとしました。少し舐めてみるともう味噌として出来上がっているのでさっそく一部を食するか、それともまだ寝かせておくか。

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2020年1月21日 (火)

「兵に告ぐ」の格調と、「前畑頑張れ!」の躍動感と、言葉が生きていない「戦時社説」

「兵に告ぐ」は、1936年(昭和11年)2月26日に発生した「二・二六事件」(皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こしたクーデター未遂事件)に際して、2月29日8時48分から戒厳司令官・香椎(かしい)浩平中将の名で、下士官兵に向けて、NHKで繰り返しローカル放送されたものです。

書いた人の立場がどうあれ、また実際は誰が書いたのであれ、この文章には格調がある。アナウンサーの声を通した当日のラジオ放送(の録音)を聞くと語り掛ける言葉が生きています。

「兵に告ぐ」

「敕命が發せられたのである。
既に天皇陛下の御命令が發せられたのである。
お前達は上官の命令を正しいものと信じて絶對服從を
して、誠心誠意活動して來たのであろうが、
既に天皇陛下の御命令によって
お前達は皆原隊に復歸せよと仰せられたのである。
此上お前達が飽くまでも抵抗したならば、それは
敕命に反抗することとなり逆賊とならなければなら
ない。
正しいことをしてゐると信じてゐたのに、それが間違って
居ったと知ったならば、徒らに今迄の行がゝりや、義理
上からいつまでも反抗的態度をとって
天皇陛下にそむき奉り、逆賊としての汚名を
永久に受ける樣なことがあってはならない。
今からでも決して遲くはないから
直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復歸する樣に
せよ。
そうしたら今迄の罪も許されるのである。
お前達の父兄は勿論のこと、国民全体もそれを
心から祈ってゐるのである。
速かに現在の位置を棄てゝ歸って來い。」

同じ年(1936年)の8月12日、ベルリン・オリンピックで、女子200メートル平泳ぎの実況が短波放送で日本に流れました。

「つづいて女子二百米平泳、前畑嬢が白い帽子、白いガウンで現れました、あと二、三分でスタートします、どうぞ時間が来ても切らないで下さい」で始まる「前畑頑張れ!」という、もはや詩を謳うに近かった実況放送でも言葉が躍っています。

「・・・・・あと25、あと25、あと25。わずかにリード、わずかにリード。わずかにリード。前畑、前畑頑張れ、頑張れ、頑張れ。ゲネンゲルが出てきます。ゲネンゲルが出ています。頑張れ、頑張れ、頑張れ頑張れ。頑張れ、頑張れ、頑張れ頑張れ。前畑、前畑リード、前畑リード、前畑リードしております。前畑リード、前畑頑張れ、前畑頑張れ、前、前っ、リード、リード。あと5メーター、あと5メーター、あと5メーター、5メーター、5メーター、前っ、前畑リード。勝った勝った勝った、勝った勝った。勝った。前畑勝った、勝った勝った、勝った。勝った勝った。前畑勝った、前畑勝った。前畑勝った。前畑勝ちました。前畑勝ちました。前畑勝ちました。前畑勝ちました。前畑勝ちました。前畑の優勝です。前畑優勝です・・・・・」

それから、5年後の1941年(昭和16年)12月9日。「帝国の対米英宣戦」と題する、太平洋戦争開始の翌日の某新聞の社説から一部を引用します。上の二つと並べてみると、その社説は大袈裟な漢語の寄せ集めで言葉が生きていません。

「宣戦の大詔ここに渙発され、一億国民の向うところは厳として定まったのである。わが陸海の精鋭はすでに勇躍して起ち、太平洋は一瞬にして相貌を変えたのである。・・・・・すなわち、帝国不動の国策たる支那事変の完遂と東亜共栄圏確立の大業は、もはや米国を主軸とする一連の反日敵性勢力を、東亜の全域から駆逐するにあらざれば、到底その達成を望み得ざる最後の段階に到達し・・・・・事ここに到って、帝国の自存を全うするため、ここに決然として起たざるを得ず、一億を打って一丸とした総力を挙げて、勝利のための戦いを戦い抜かねばならないのである。いま宣戦の大詔を拝し、恐懼感激に堪えざるとともに、粛然として満身の血のふるえるを禁じ得ないのである。一億同胞、戦線に立つものも、銃後を守るものも、一身一命を捧げて決死報国の大義に殉じ、もって宸襟を安んじ奉るとともに、光輝ある歴史の前に恥じることなきを期せねばならないのである。」

この格調の差はどこから来るのか。「兵に告ぐ」が「下士官『兵』」に呼びかけており、「前畑頑張れ!」が前畑選手とラジオの前の人たちに向かって呼びかけているのに対して、「社説」は国民に語りかける体裁を整えながら実際は当時の内閣の顔色をうかがった文章になっています。その差です。

この社説が書かれてから80年近く経過しましたが、真摯な言葉で人々に語りかけるごく一部の政治家を除いて、この種の生きていない言葉を連ねた文章や発言は相変わらず国会にもマスメディアにも溢れています。しかしそれを生きた言葉と勘違いしてしまう(あるいは仕事のために勘違いしたフリをする)人たちも少なくなさそうです。


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2020年1月20日 (月)

もう少し雪を

雪が少ないので寒い、という事態は、ぼくにとっては「雪がないのでとても寒いですね」に書いた通りだとしても、雪が少ないといろいろと悪影響が出る恐れがあります(一部は実際に出ています)その影響対象は、ここでは、「ナナカマド」と「札幌雪まつり」と「秋小麦」です。

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このナナカマドは去年の12月上旬に撮影したもので、ナナカマドの赤い実の上半分が雪で覆われています。雪が普通に降り続くと、ナナカマドはこの白い帽子を被った、見ていて楽しい状態を2月初めくらいまでは持続します。しかし、今年は雪が少ないのでその帽子も直ぐに融け、そのあと冷たい風が吹き渡るので、近所のナナカマドに関する限りは、赤い実が年末には全て落ちてしまいました。残念です。

札幌雪まつりは、地元の雪ではまったくの雪不足です。だから雪像作りに必要な雪を札幌から数十キロ離れた雪の多い地域から運んできています。もっともときどきはこういう事態になるので運営管理者は対応方法には慣れています。札幌ではホテル代が一年で一番高いのは2月の雪まつりの頃です。ホテルや飲食店などがもっとも観光関連収入が稼げる時期なので、雪の大量輸送にお金がかかっても引き合います。

小麦は、種まきの時期によって、秋小麦(秋まき小麦)と春小麦(春まき小麦)の二種類に分かれます。

春まき小麦は4月~5月に種をまいて8月上旬~中旬に収穫します。主にパン用になりますが、秋まき小麦に比べて栽培される期間が圧倒的に短いので収穫量が少なく、しかも、収穫期の8月は雨の日が多い年があるため品質が不安定になりやすい。今年の春小麦は一般消費者向けには限定販売しかできませんという年もときどきあります。

秋まき小麦は9月中旬に種をまき、10月上旬に芽が出ます。この新芽は雪の下で静かに冬を越し、翌年の7月下旬~8月上旬に収穫されます。雪の下は雪が外気を遮断するため地上に比べると温度が下がらず0℃で維持され、しかもほどよい湿度も確保できる。雪の下キャベツや雪の下ダイコンと同じ環境です。

雪の蒲団は温かい。雪がなくて氷のような冷たい風が畑を吹く抜けると芽は死んでしまいます。今は雪がそれなりに十分にあるとしても、今後の積雪量によっては困った事態になる恐れがあります。秋小麦は主に「うどん」などに使われます(下の表で「日本麺用」というのは「うどん用」という意味です)。近年はパン用の品種も登場しています。

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【註】色を付けた品種(銘柄)は、我が家で実際に使ったことがあるか(たとえばそれでパンを焼いた)、あるいはそれを使った加工食品を食べたことがあるもの。

ということで、雪よもう少し降れ。


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2020年1月17日 (金)

イタリア製のジャム・ロート(漏斗)

このイタリア製のステンレスの広口ロート(漏斗)は、自家製のジャム(たとえば、柚子や橙)やトマトソースを鍋からお玉で保存用の瓶に移し替えるときに重宝します。主婦が毎年、家庭でトマトソースを大量に作るイタリアならではのロート(漏斗)です。

いちばん開いたところ(入り口部分)の直径が15㎝、いちばん閉じたところ(出口部分)の直径が5.5㎝。日本で一般的に使われているものは径が入り口も出口も狭くて、それだとポン酢や出汁などにはいいかもしれないけれど、粘り気があるものやドロッとしたものの移し替えには向いていません。

グリップがついていて本体に留めてあります。そのつなぎ方は決して悪くはないのだけれどいかにもここで留めましたというのがわかる作りです。金物制作で名の通った燕三条(新潟県)のベテラン金物職人ならもっと手の込んだ仕上がりにするに違いない。

しかし使い勝手はとてもいい。いい加減風に縫ってあるみたいなのだけれど着るとたちまち身体になじんでまったく型崩れしないのが出来のいいイタリアの洋服(たとえばジャケット)だとして、このジャム・ロートもつまりそんな感じです。そういう品物との付き合いはしたがって長くなります。

関連記事は「近所の農家の調理用トマト」、「北海道の調理用トマトでソースを作る」。

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2020年1月16日 (木)

地元の小豆で小豆粥と大福餅

15日の朝は北海道産の小豆を使った小豆粥(あずきがゆ)を楽しみました。餅入りです。日本では邪気を払うために正月の15日には小豆粥を食べる風習があるので、それに従ったまでです。配偶者がやや多めに作ってくれて、それを気持ちよく平らげました。

しかし小豆粥だけでは購入した量の小豆は消化できません。残りはつぶ餡にして大福餅です。食後のお茶菓子にします。

デパ地下なんかに入っていて老若男女の行列のできる和菓子屋で、透明な大きなガラス板かアクリル板に囲まれた作業場で若い職人がその場販売用に作っているきれいな丸い形の大福餅には及びもつきませんが、つまり、いささか不恰好ですが、味に関して言えば餡の控えめな甘さが絶妙で小豆の風味がそこに確かに詰まっています。製造責任者は配偶者なので、形に関しては辛口の批評をしても、同時に味の良さを褒めます。実際に美味しい。10個作ってくれました。

札幌だと北海道産の小豆や大豆などの従来種の豆類が比較的簡単に手に入るので、小豆粥や大福餅に限らず重宝しています。味噌の寒仕込みの時期も近づいてきました。

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2020年1月15日 (水)

冬の間は「雪の下キャベツ」

この時期の近所の野菜売り場には北海道・和寒(わっさむ)産の「雪の下キャベツ」の丸ものがいっぱい並んでいます。和寒以外の北海道の雪の厚い地域で生産されたキャベツも並びますが、雪の下で冬を越すので総称して「越冬キャベツ」とも呼ばれます。

10月末から11月初旬にかけて、つまり雪が降る前に、個別に手作業で収穫した「冬キャベツ」をビニールシートの上に大量にきれいに並べます。そのうち大量の雪が降り積りキャベツを深い雪の下に穏やかに覆い隠します。結果として雪の下に呼吸ができる形で埋まることなります。積もった雪の中に穴を掘って埋め込むというのではありません。

年が明けるころから出荷開始です。出荷分だけを順に手で掘り出します。寒い中の重労働です。

我が家では買ってきた大根を10月最後の週に干し始めて11月初めに漬け込み、2カ月熟成させて年明けから、「タクアン」へと変貌した大根を徐々に食べ始めますが、「雪の下キャベツ」は我が家のタクアン作りの時期とほぼ重なります。

雪の下キャベツや越冬キャベツは、色は緑が薄く、どちらかというと扁平で、持つとずっしりと重い。大きくて形のいいのは2kgくらいあります。小ぶりなのでも1kg。スパッと縦に二つに切ると葉がギュッと詰まりしっかりと巻いている様子が観察できる。春に出回る「春キャベツ」よりも歯ごたえがあり、加熱すると甘味が増すので、炒め物や煮物など熱を加えた料理向きです。

「春玉」とも呼ばれる「春キャベツ」は、丸みのある形で葉の巻きがゆるい。柔らかく食感も軽いのでサラダにも向いています。トンカツ屋でトンカツといっしょに出てくる細く刻んだ大量のキャベツはその一例です(ぼくはトンカツは最近はまったく食べませんが、それはさておき)。

我が家がお世話になっている雪の下キャベツは、「冬玉」「寒玉」とも呼ばれている「冬キャベツ」の一品種で、硬めですが、炒めたり蒸したりすると甘みの強さを確かに感じます。北海道では貴重な地元産の冬の野菜です。


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2020年1月14日 (火)

日が長くなってきた

穏やかな雨降りは世界の音を和らげます。夜半に静かにしんしんと舞い落ち続ける粉雪は世界の音を消します。面白い本を読んでいると時間が消えるという意味で、そういう場合は時間も消えるようです。

今日の日の出は7時4分でした。日の入りは4時23分です。

いちばん寒い時期はこれからとはいうものの、この冬は雪が少ないという事情も関係しているのか、冬至からまだ二十日あまりですが、日が長くなって来たのを実感しています。おそらくぼくはそういう種類の植物と同じで好日性が強いので日の長さに敏感らしい。

一月中旬に入りかけた今は「夜明け」と「夕方」があります。あたりまえですが、冬至前後のように長い夜が急に朝になるのではなくまた突然夜が落ちてくるのでもなく、夜明けの余裕がそこにあり、暮れる前に空がぼんやりと明るい夕方の余韻がそれなりにそこに漂っています。その余裕や余韻が冬至から遠ざかりつつあることを教えてくれます。

これから1ヶ月半はより寒くなり同時により日が長くなります。寒い雪の地域ではこういう素朴なトレードオフがありがたい。

冬に雨降りはほとんどないとしても雨降りのあと、あるいは軽い降雪のあとでそのあたりが湿った色合いになるのも好きで、そしてそのことと好日性はぼくの中で仲良く同居しています。だから軽い雪は歓迎です。


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2020年1月10日 (金)

今年最初のタクアン

日本酒の世界では7月1日から翌年6月30日までの1年間を「酒造(醸造)年度」(BY: Brewery Year)といいます。昭和40年からそうなったそうです。それまでは10月1日からの1年間でした。

ほとんどの酒蔵が冬から春のあいだにお酒を仕込みます。だからたとえば平成31年に出回ったほとんどのお酒が30BY=平成30年度醸造となっています(令和2年に出回る日本酒のBYが31BYか01BYかは存じません)。ただ、日本酒ラベルの製造年月欄に記載されている日付はお酒が瓶詰めされた年月日(ないし年月)なので、BY30のお酒の製造年月が令和2年2月ということも当然あります。

10月は収穫された新米を使って新酒が醸造される時期です。その前後から寒造りした酒は半年以上貯蔵され飲みごろに熟成させられて頃合いに「冷やおろし」として出荷されます。「冷やおろし」の文字を秋口に一升瓶ラベルに見ると、いよいよその年の本格的な日本酒シーズンが始まったなと感じます。

タクアンです。2020年最初のタクアンというより、昨年の10月下旬の始めからタクアン作りに取り掛かったので日本酒のように2019年度最初のというほうが適切ですが(FY19、Fermenter Year 発酵年19 とでも名付けますか)、その最初の数本を甕(実際は一斗のホウロウ容器)から取り出しました。ホウロウ容器は屋外で凍らないように防寒ボックス(キャンプ用の大きな立方体のクーラーボックスを流用)に入れてあります。

寒い中、容器の蓋を開けるとそのあたりに発酵したタクアンの匂いが立ち込めます。いいでき上がり具合です。漬け込む時にカビないように日本酒を呼び水にしたのが2カ月と少し経過して水がやや多めに上がっていたので多すぎる分は取り除きました。

早速試食してみましたが、とてもけっこうな風味と味わいでした。我が家のタクアンはこれからも熟成を続け、家庭内商品としての「冷やおろしタクアン」はお正月明けから5月の連休が始まるあたりまで続きます。

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関連記事は「ご近所大根でタクアンの準備」や「天日干しした大根を漬け込む、タクアンになるのは2カ月後」。

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2020年1月 9日 (木)

黒豆パン

黒豆パンと言ってもお節料理で作った黒豆の煮汁を活用したパンです。原材料は小麦粉と酵母と黒豆の煮汁だけ。煮汁に塩も砂糖も入っているので黒豆の味がチョコレート風味のやや甘い菓子パンを作ります。結構うまい。お正月飾りをはずし、七草粥を食べ、そしてこのパンを焼くと我が家のお正月がお開きです。

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2020年1月 8日 (水)

七日は七草粥

三が日に最近は全般的に量は少なくなったとしてもお節を食べるように、七日は七日で七草粥(かゆ)です。唐の国から渡り鳥がインフルエンザをもってくるので七草の入ったお粥は、冬は野菜が不足するので野菜対策を兼ねたその予防対策というのがもともとの意味だったようで、よく考えられています。

下は水洗い中の「春の七草」です。西条市(愛媛県)からやってきた「七草パック」の七草で、野菜売り場に今年もけっこうな量の「七草パック」が並んでいたので、需要はそれなりに安定していると思われます。

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「春の七草」は、愛媛(西条市など)と岐阜・愛知、そして宮崎・熊本で生産されたものがおもに西日本市場と京阪神市場をカバーし、神奈川(三浦半島)で収穫されたものが東京・関東から北海道までをカバーしていますが、近所のお店の野菜売り場で販売していたのは四国産(西条市)なので流通経路はそれほど固定的ではないようです。

足の早い野菜の季節限定商品なので、年末から年始にかけて生産農家は出荷作業とその準備で大忙しだったと思われます。

春の七草は、「せり・なずな・ごきょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」で、普段、ぼくたちに「漬物」や「おでん」でおなじみのものは「すずな(カブ)」と「すずしろ(ダイコン)」ですが、一定以上の年齢のかたで子供の頃に近くに原っぱのあった人たちに懐かしいのが「ぺんぺん草」です。「なずな」という優雅な名前で参加しています。

ちなみに春の七草の生産量が日本一なのは愛媛県の西条市で「JA西条」の過去十数年の七草パックの出荷量を調べてみると以下の通りです。80万~100万パックの間で推移しています。全国の春の七草の出荷量は250万~270万パックです。

    ・平成18年出荷量 約 87万パック  
    ・平成19年出荷量 約 99万パック 
    ・平成20年出荷量 約 95万パック   
    ・平成21年出荷量 約 90万パック 
    ・平成22年出荷量 約 94万パック 
    ・平成23年出荷量 約 95万パック 
    ・平成24年出荷量 約 100万パック 
    ・平成25年出荷量 約 95万パック 
    ・平成26年出荷量 約 98万パック 
    ・平成27年出荷量 約 103万パック   
    ・平成28年出荷量 約 103万パック  
    ・平成29年出荷量 約 80万パック 
    ・平成30年出荷量 約 82万パック 

春の七草パックの全国の出荷量が250万~270万パックということは、それと同数の家庭が七草粥を楽しんだと考えてもいい。日本の世帯数は5340万(平成27年)なので、約5%の家庭が毎年、七草粥を食べ続けているようです。

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2020年1月 7日 (火)

鴎外の「渋江抽斎」、雑感

小説家であり随筆家であった石川淳の「鴎外覚書」というエッセイは次のように始まります。

《「抽斎」と「霞亭」といづれを取るかといへば、どうでもよい質問のごとくであらう。だが、わたしは無意味なことはいはないつもりである。この二篇を措いて鷗外にはもっと傑作があると思ってゐるやうなひとびとを、わたしは信用しない。「雁」などは児戯に類する。「山椒大夫」に至っては俗臭芬芬たる駄作である。「百物語」の妙といへども、これを捨てて惜しまない。詩歌翻訳の評判ならば、別席の閑談にゆだねよう。》

傑作であるところの「抽斎」とは「渋江抽斎(しぶえちゅうさい)」というタイトルの小説(伝記物語風の小説)のことで、もうひとつの傑作の「霞亭」は「抽斎」と同じ方法で「北條霞亭(ほうじょうかてい)」について書いた小説です。渋江抽斎も北條霞亭もともに江戸時代の地味な医学者です。

鴎外の作品は、一度は読んでみたもののその後読み返すことのない作品として、あるいは読もうと思っていても途中で止めてしまって、しかし処分するのは抵抗があるので本棚の隅で古い文庫本の形でいまだに眠っているのが多い、今は、鴎外のたいていの有名作品は無料の電子書籍で手に入るにしても。

今回、紙媒体の「渋江抽斎」を購入して読んでみることにしました。手元の文庫本で本文が330ページくらいの長編です。

導入部から「武艦(ぶかん)」(江戸時代に諸大名・旗本の氏名・禄高・系図・居城・家紋や主な臣下の氏名などを記した本。毎年改訂して出版された。)やその他の書物を手掛かりにした人物探求物語が推理小説の味わいで展開されるので、読み始めから引き込まれてしまいます。

しかし退屈な叙述も多く、いくつかの章を「文章読本」の見本にするのにはいいとしても、文章読本風が連続すると、書いている本人はそうでないにして、この作品をまとまった物語として読む側はいささかうんざりしてしまいます。もっとも、この作品はもともとは新聞の連載小説だったそうなので、発表当時の読者は一日分の量が決っているので、筋にそれなりの緩急がなくても退屈しなかったのかもしれません。

新聞小説なので構想はあったとしても最初から全体が決っていたのではなさそうな印象です。前の章で書き忘れたので今回の章で補足するといった感じのものがいくつかあるし、長編小説によくあるように(そう聞いている)、当初は、それほど動き出すとは思っていなかった登場人物が書いている途中から作者の手を離れて勝手に自由に動き出し、作者は彼や彼女の動きに応じて別の新しい章を次々と用意して書き続けたといった雰囲気も漂っています。

「渋江抽斎」の章構成は「その一」で始まり「その百十九」で終わりますが、抽斎はその中間あたりの「その五十三」において伝染病で没してしまいます。だから全般的な内容をタイトルに表示するには「渋江抽斎」ではなく「渋江抽斎と渋江家の人々」ないしは「渋江家の人々」とするほうが合っています。

長編小説では登場人物が作者の手を離れて勝手に自由に動き始めることがあるとして、「渋江抽斎」におけるその一人が抽斎の四人目の妻「五百(いお)」で、もう一人は抽斎の四女(で、五百の生んだ娘でもあるところ)の「陸(くが)」です(と、思われる)。この二人は行動する女性で(五百は積極的に、陸は流されながら控えめに)、それぞれの行動が印象的です。たとえばそのひとつが、五百の場合は抽斎との結婚の仕方に関して、陸の場合は個人的な商いに関して(なお、この作品で「五百」が初めて登場するのは「その二」、「陸(くが)」は「その三十五」です)。

結婚に関する四人目の妻「五百(いお)」の行動をいくつか抜き書きすると、

「(抽斎の)新しい身分のために生ずる費用は、これを以て償うことは出来なかった。謁見の年には、当時の抽斎の妻(さい)山内氏(やまのうちうじ)五百(いお)が、衣類や装飾品を売って費用に充てたそうである。五百は徳(とく、三人目の妻)が亡くなった後に抽斎の納れた四人目の妻である。」(その二)

「そして徳(とく)の亡くなった跡へ山内氏五百(いお)が来ることになった。」(その三十)

「五百の抽斎に嫁した時、婚を求めたのは抽斎であるが、この間に或秘密が包蔵せられていたそうである。それは抽斎をして婚を求むるに至らしめたのは、阿部家の医師石川貞白(いしかわていはく)が勧めたので、石川貞白をして勧めしめたのは、五百自己であったというのである。」(その百六)

「壻に擬せられている番頭某と五百となら、旁(はた)から見ても好配偶である。五百は二十九歳であるが、打見には二十四、五にしか見えなかった。それに抽斎はもう四十歳に満ちている。貞白は五百の意のある所を解するに苦んだ。・・・・・貞白は実に五百の深慮遠謀に驚いた。五百の兄栄次郎も、姉安(やす)の夫宗右衛門も、聖堂に学んだ男である。もし五百が尋常の商人を夫としたら、五百の意志は山内氏にも長尾氏にも軽んぜられるであろう。これに反して五百が抽斎の妻となると栄次郎も宗右衛門も五百の前に項(うなじ)を屈せなくてはならない。・・・・・五百は潔くこの家を去って渋江氏に適(い)き、しかもその渋江氏の力を藉(か)りて、この家の上に監督を加えようとするのである。」(その百七)

個人的な商いに関する四女「陸(くが)」の行動を引用すると、

「陸が始て長唄の手ほどきをしてもらった師匠は日本橋馬喰町の二世杵屋勝三郎で、馬場の鬼勝と称せられた名人である。これは嘉永三年陸が僅に四歳になった時だというから、まだ小柳町の大工の棟梁新八の家へ里子に遣られていて、そこから稽古に通ったことであろう。母五百も声が好かったが、陸はそれに似た美声だといって、勝三郎が褒めた。節も好く記えた。三味線は「宵は待ち」を弾く時、早く既に自ら調子を合せることが出来、めりやす「黒髪」位に至ると、師匠に連れられて、所々の大浚(おおざらえ)に往った。」(その百十二)

「さて稲葉の未亡人のいうには、若いものが坐食していては悪い、心安い砂糖問屋(さとうどいや)があるから、砂糖店を出したが好かろう、医者の家に生れて、陸は秤目(はかりめ)を知っているから丁度好いということであった。砂糖店は開かれた。そして繁昌した。品も好く、秤(はかり)も好いと評判せられて、客は遠方から来た。汁粉屋が買いに来る。煮締屋(にしめや)が買いに来る。小松川あたりからわざわざ来るものさえあった。」(その百十三)

「この砂糖店は幸か不幸か、繁昌の最中に閉じられて、陸は世間の同情に酬いることを得なかった。家族関係の上に除きがたい障礙が生じたためである。商業を廃して間暇を得た陸の許へ、稲葉の未亡人は遊びに来て、談は偶(たまたま)長唄の事に及んだ。長唄は未亡人がかつて稽古したことがある。陸には飯よりも好(すき)な道である。一しょに浚(さら)って見ようではないかということになった。いまだ一段を終らぬに、世話好の未亡人は驚歎しつつこういった。『あなたは素人じゃないではありませんか。是非師匠におなりなさい。わたしが一番に弟子入をします。』」(その百十三)

「渋江抽斎」の登場人物について大雑把に言えば、男性は彼の経歴や仕事をやや細かい履歴書や業務経歴書風になぞることでその人物の内側に入っていき、その結果彼の性格や心の在りようが簡潔で抑制された文体から滲み出てきます。

一方女性は、女性も同じ手法で描くのですが、武家的な躾けやたしなみが身に着いた鴎外が気になるタイプの女性への入り込み方が男性よりは少し深いようです。滲み出るものもその分色濃くなります。男性の描写が意識的なモノクロ写真風だとすると女性の描写は自然なカラー写真です。

全般的に言えることは、作者の登場人物を見る眼が、この物語の主要人物に対しても付き合いにくい人物や風景の中を一瞬だけ横切る人たちに対しても穏やかで温かいことです。世界を突き放さないという意味において嫌な奴でもそのまま受け入れる。そういう後味の良さが残ります。

今回退屈なところや冗長な部分は斜め読みをしたので、次回はそういう部分と気になるあたりや印象的だった箇所を、飾りを排除した文体を改めて味わいながらゆっくりと読み直してみてもいいかもしれません。そういう場合は、基本的にシークエンシャルな進みの電子書籍ではなく、また読みたいところに気儘にパラパラと跳んで行ける紙の本が向いています。


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2020年1月 6日 (月)

雪がないのでとても寒いですね

「雪がないのでとても寒いですね」「雪が少なくてマイナス1度でもマイナス5~6度の体感気温ですね」というのが、年末からお正月にかけての挨拶の一部でした。

この冬は、今までは、いつもよりも雪の量が少ない。昨年12月のブログで書いたように、札幌の天気は三寒四温で、だから地面が雪で白くなったり、その白がそのあとの雨でほとんど流されて元の色になったりを繰り返していました。その状態は徐々に雪の白の優勢へと変化してきましたが、厚い雪が地面や道路を蔽うという状態にはまだ至っていません。だから寒い。皆さんがそうおっしゃるので、そういう因果関係なのでしょう。

だとすると、それなりに積もって根雪になった雪は、「防寒効果」というのも変な表現ですが、少なくとも地面の人が歩く辺りは、氷点下の気温がさらに下がるのをくい止める働きがあるということになります。

雪が少ないと歩きやすいし、片側2車線の道路も中心部から路肩側への雪の移動で半分近く使えなくなるといった状況にはならずに片側2車線のまま機能していて、雪による交通渋滞は発生しません。雪かきからも解放される。だからぼくはより寒く感じても雪の少ないほうを好みますが、そういうのは札幌では少数意見のようです。

雪は嫌だと言いながら、それなりの量の雪がないと落ち着かない様子です。「雪がいっぱいないと雪まつりが困るじゃありませんか」


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