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2020年1月 7日 (火)

鴎外の「渋江抽斎」、雑感

小説家であり随筆家であった石川淳の「鴎外覚書」というエッセイは次のように始まります。

《「抽斎」と「霞亭」といづれを取るかといへば、どうでもよい質問のごとくであらう。だが、わたしは無意味なことはいはないつもりである。この二篇を措いて鷗外にはもっと傑作があると思ってゐるやうなひとびとを、わたしは信用しない。「雁」などは児戯に類する。「山椒大夫」に至っては俗臭芬芬たる駄作である。「百物語」の妙といへども、これを捨てて惜しまない。詩歌翻訳の評判ならば、別席の閑談にゆだねよう。》

傑作であるところの「抽斎」とは「渋江抽斎(しぶえちゅうさい)」というタイトルの小説(伝記物語風の小説)のことで、もうひとつの傑作の「霞亭」は「抽斎」と同じ方法で「北條霞亭(ほうじょうかてい)」について書いた小説です。渋江抽斎も北條霞亭もともに江戸時代の地味な医学者です。

鴎外の作品は、一度は読んでみたもののその後読み返すことのない作品として、あるいは読もうと思っていても途中で止めてしまって、しかし処分するのは抵抗があるので本棚の隅で古い文庫本の形でいまだに眠っているのが多い、今は、鴎外のたいていの有名作品は無料の電子書籍で手に入るにしても。

今回、紙媒体の「渋江抽斎」を購入して読んでみることにしました。手元の文庫本で本文が330ページくらいの長編です。

導入部から「武艦(ぶかん)」(江戸時代に諸大名・旗本の氏名・禄高・系図・居城・家紋や主な臣下の氏名などを記した本。毎年改訂して出版された。)やその他の書物を手掛かりにした人物探求物語が推理小説の味わいで展開されるので、読み始めから引き込まれてしまいます。

しかし退屈な叙述も多く、いくつかの章を「文章読本」の見本にするのにはいいとしても、文章読本風が連続すると、書いている本人はそうでないにして、この作品をまとまった物語として読む側はいささかうんざりしてしまいます。もっとも、この作品はもともとは新聞の連載小説だったそうなので、発表当時の読者は一日分の量が決っているので、筋にそれなりの緩急がなくても退屈しなかったのかもしれません。

新聞小説なので構想はあったとしても最初から全体が決っていたのではなさそうな印象です。前の章で書き忘れたので今回の章で補足するといった感じのものがいくつかあるし、長編小説によくあるように(そう聞いている)、当初は、それほど動き出すとは思っていなかった登場人物が書いている途中から作者の手を離れて勝手に自由に動き出し、作者は彼や彼女の動きに応じて別の新しい章を次々と用意して書き続けたといった雰囲気も漂っています。

「渋江抽斎」の章構成は「その一」で始まり「その百十九」で終わりますが、抽斎はその中間あたりの「その五十三」において伝染病で没してしまいます。だから全般的な内容をタイトルに表示するには「渋江抽斎」ではなく「渋江抽斎と渋江家の人々」ないしは「渋江家の人々」とするほうが合っています。

長編小説では登場人物が作者の手を離れて勝手に自由に動き始めることがあるとして、「渋江抽斎」におけるその一人が抽斎の四人目の妻「五百(いお)」で、もう一人は抽斎の四女(で、五百の生んだ娘でもあるところ)の「陸(くが)」です(と、思われる)。この二人は行動する女性で(五百は積極的に、陸は流されながら控えめに)、それぞれの行動が印象的です。たとえばそのひとつが、五百の場合は抽斎との結婚の仕方に関して、陸の場合は個人的な商いに関して(なお、この作品で「五百」が初めて登場するのは「その二」、「陸(くが)」は「その三十五」です)。

結婚に関する四人目の妻「五百(いお)」の行動をいくつか抜き書きすると、

「(抽斎の)新しい身分のために生ずる費用は、これを以て償うことは出来なかった。謁見の年には、当時の抽斎の妻(さい)山内氏(やまのうちうじ)五百(いお)が、衣類や装飾品を売って費用に充てたそうである。五百は徳(とく、三人目の妻)が亡くなった後に抽斎の納れた四人目の妻である。」(その二)

「そして徳(とく)の亡くなった跡へ山内氏五百(いお)が来ることになった。」(その三十)

「五百の抽斎に嫁した時、婚を求めたのは抽斎であるが、この間に或秘密が包蔵せられていたそうである。それは抽斎をして婚を求むるに至らしめたのは、阿部家の医師石川貞白(いしかわていはく)が勧めたので、石川貞白をして勧めしめたのは、五百自己であったというのである。」(その百六)

「壻に擬せられている番頭某と五百となら、旁(はた)から見ても好配偶である。五百は二十九歳であるが、打見には二十四、五にしか見えなかった。それに抽斎はもう四十歳に満ちている。貞白は五百の意のある所を解するに苦んだ。・・・・・貞白は実に五百の深慮遠謀に驚いた。五百の兄栄次郎も、姉安(やす)の夫宗右衛門も、聖堂に学んだ男である。もし五百が尋常の商人を夫としたら、五百の意志は山内氏にも長尾氏にも軽んぜられるであろう。これに反して五百が抽斎の妻となると栄次郎も宗右衛門も五百の前に項(うなじ)を屈せなくてはならない。・・・・・五百は潔くこの家を去って渋江氏に適(い)き、しかもその渋江氏の力を藉(か)りて、この家の上に監督を加えようとするのである。」(その百七)

個人的な商いに関する四女「陸(くが)」の行動を引用すると、

「陸が始て長唄の手ほどきをしてもらった師匠は日本橋馬喰町の二世杵屋勝三郎で、馬場の鬼勝と称せられた名人である。これは嘉永三年陸が僅に四歳になった時だというから、まだ小柳町の大工の棟梁新八の家へ里子に遣られていて、そこから稽古に通ったことであろう。母五百も声が好かったが、陸はそれに似た美声だといって、勝三郎が褒めた。節も好く記えた。三味線は「宵は待ち」を弾く時、早く既に自ら調子を合せることが出来、めりやす「黒髪」位に至ると、師匠に連れられて、所々の大浚(おおざらえ)に往った。」(その百十二)

「さて稲葉の未亡人のいうには、若いものが坐食していては悪い、心安い砂糖問屋(さとうどいや)があるから、砂糖店を出したが好かろう、医者の家に生れて、陸は秤目(はかりめ)を知っているから丁度好いということであった。砂糖店は開かれた。そして繁昌した。品も好く、秤(はかり)も好いと評判せられて、客は遠方から来た。汁粉屋が買いに来る。煮締屋(にしめや)が買いに来る。小松川あたりからわざわざ来るものさえあった。」(その百十三)

「この砂糖店は幸か不幸か、繁昌の最中に閉じられて、陸は世間の同情に酬いることを得なかった。家族関係の上に除きがたい障礙が生じたためである。商業を廃して間暇を得た陸の許へ、稲葉の未亡人は遊びに来て、談は偶(たまたま)長唄の事に及んだ。長唄は未亡人がかつて稽古したことがある。陸には飯よりも好(すき)な道である。一しょに浚(さら)って見ようではないかということになった。いまだ一段を終らぬに、世話好の未亡人は驚歎しつつこういった。『あなたは素人じゃないではありませんか。是非師匠におなりなさい。わたしが一番に弟子入をします。』」(その百十三)

「渋江抽斎」の登場人物について大雑把に言えば、男性は彼の経歴や仕事をやや細かい履歴書や業務経歴書風になぞることでその人物の内側に入っていき、その結果彼の性格や心の在りようが簡潔で抑制された文体から滲み出てきます。

一方女性は、女性も同じ手法で描くのですが、武家的な躾けやたしなみが身に着いた鴎外が気になるタイプの女性への入り込み方が男性よりは少し深いようです。滲み出るものもその分色濃くなります。男性の描写が意識的なモノクロ写真風だとすると女性の描写は自然なカラー写真です。

全般的に言えることは、作者の登場人物を見る眼が、この物語の主要人物に対しても付き合いにくい人物や風景の中を一瞬だけ横切る人たちに対しても穏やかで温かいことです。世界を突き放さないという意味において嫌な奴でもそのまま受け入れる。そういう後味の良さが残ります。

今回退屈なところや冗長な部分は斜め読みをしたので、次回はそういう部分と気になるあたりや印象的だった箇所を、飾りを排除した文体を改めて味わいながらゆっくりと読み直してみてもいいかもしれません。そういう場合は、基本的にシークエンシャルな進みの電子書籍ではなく、また読みたいところに気儘にパラパラと跳んで行ける紙の本が向いています。


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