« 冬の間は頻繁に玄関の土間掃除 | トップページ | 安倍首相のスピーチや質疑応答における冗漫と曖昧 »

2020年3月16日 (月)

国連の専門機関の議長や事務局長の発言を聴くときは、眉に少し唾をつけて・・

科学者・研究者というのも自身とチームの存続のためには研究費を継続して確保する必要があります。そのためには国からお金の貰えそうな「旬」な研究テーマを継続して選択するほうが有利です。そういう意味では科学者・研究者は政治指向です。

国連というのはそれなりに魑魅魍魎とした政治機関です。国連の専門機関で働く人たちが科学者の集まりだからといっても彼らが政治に無関心というわけではなくて、おそらくはその真逆で、そうでないとそもそも政治色の強い国連関連の仕事に応募したりはしない。

今回の新型コロナウィルス(COVID-19、「武漢ウィルス」というほうがあとあと鮮明に記憶に残る)騒動では、国連の専門機関であるところの世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長の発言と行動の右往左往(入国制限・渡航制限の放置から国別の封じ込めへ、楽観論から悲観論へ、など)が興味深かったし興味深いのですが、エチオピア出身の政治好きな事務局長が、個人的な目論見と利害をその一部とするところの「グローバル経済」的な政治経済決着を求めて走りまわっていると考えるとその紆余曲折も解りやすい。

国連の専門機関の政治好きはWHOに限らず以前から顕著で、そういう意味での事例研究対象として直ぐに思いつくのは、IPCC(気候変動に関する政府間パネル Intergovernmental Panel on Climate Change)です。IPCCは国連環境計画と国連の専門機関の世界気象機関によって1988年に共同で設立されました。

IPCCの初代議長(1988年~1997年)はスウェーデンの気象学者のベルト・ボリン氏で、彼は「2020年にはロンドンもニューヨークも水没」すると予言していました。しかしロンドンもニューヨークも街角が海水に洗われることは当分なさそうです。IPCCは、たとえば2001年の「ホッケースティック曲線」のような世論誘導方のフェイク研究もお好きです。

インド出身のパチャウリ氏がIPCCの3代目の議長になったのが2002年(13年後の2015年に退任)。政治指向の強い研究者でした。IPCCは名前からして政治団体そのものなので、そういう指向と才能がないと議長は務まらない。

IPCC関係者は地球を水没させる予測が伝統的にお好きなようで、その変遷をまとめてみると以下のようになります。

・IPCC初代議長は「2020年にはロンドンもニューヨークも水没」
・IPCC 第4次評価報告書(2007年)では「100年後に18~59センチメートルの海面上昇」
・IPCC 第5次評価報告書(2013年)では「今世紀末までに海面は26~82センチメートル上昇」

100年後のことを思惑で予測するのは、その時には当事者も周りも生きていないので、死後の名を惜しむという思いがなければわりに気楽かもしれません。初代議長のベルト・ボリン氏も2008年にお亡くなりになったので、残念ながら英米の大都市の2020年の水没状況を確認する機会には恵まれませんでした。

パチャウリ氏が議長を務めていたIPCCは、2007年に、国際社会に地球温暖化の問題を知らしめた活動が高く評価され、アメリカの「不都合な真実」のアル・ゴア元副大統領とともに、ノーベル平和賞を受賞しました。

WHOのテドロス事務局長は(2020年)3月11日のジュネーブ本部の定例記者会見の冒頭メッセージで「新型コロナウイルスはパンデミックと言える(パンデミックとしての特徴を持っている)」と述べ、各国に対して対策の強化を訴えました。訴求内容は、感染者や感染国の数を追うだけでなく、ウイルスの封じ込めができると実証した国(つまりは中国のことですが)に学ぶべきだ、影響を最小限に抑えるためには包括的な戦略にもとづいて政府と社会が連携する必要性があるといったものです。原稿を読む感じの冒頭メッセージで、内容はわかりやすい。

これはある立場のある考えの人たち(為政者)にとってはその通りで、しかしそうでない人たちにとっては「治安維持法」の変奏曲のようなのが侵入してくるのに近い。政府と社会の連携のしかたには国によって質やレベルの差があり、そういう連携は文化構造的な違いが反映されないと動かない。テドロス氏には中国のやり方が、明示的には決してそう言及しないものの、理想に近いと映っているのでしょう。彼は習近平スタイルの実践者になりたいらしい。実寸大の習近平になるのは無理なので、外務大臣経験者でもあり政治指向の強い彼としては、できたらミニ習近平的な圧力を各国にかけたいのでしょう。しかし立場上、定例記者会見では穏やかに語ります。そういう配慮がやがて、アル・ゴア氏も手にしたところのノーベル平和賞を、彼の手元に引き寄せてくるかもしれません。

というようなわけで、「国連の専門機関の議長や事務局長の発言はそれなりに真摯に拝聴する、ただし眉に少し唾を付けて・・」が、ぼくのここ20年くらいの思考習慣のひとつになりました。


人気ブログランキングへ

|

« 冬の間は頻繁に玄関の土間掃除 | トップページ | 安倍首相のスピーチや質疑応答における冗漫と曖昧 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

環境」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 冬の間は頻繁に玄関の土間掃除 | トップページ | 安倍首相のスピーチや質疑応答における冗漫と曖昧 »